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愛って悲しいね |
最近、たまに思うことが愛ってあるのか?と、思う 愛が無ければ、僕は今の人生がとても無意味なもので そして、とても悲しいもので受け入れられない だから、愛があるってことで生活している
だけど、僕が考える愛ってやつはとても高尚なものだけど 別に心理学の範疇で、愛が必要な行動っていうのは大抵説明がつくんだよ だから、人の行動を見たときにそれが愛から出たものいか それとも行動だけなのか クオリアにおける哲学的ゾンビみたいなものさ
愛っていうのはなんなんだろう 今まで一番しっくりきたのが「愛じゃない全てのもの以外のもの」だな 僕の中では、価値と意味を与えるものって言うのがしっくりきた 神様=愛だっていう話も出てきているけど それだと、愛には愛自体に人格が出てきている じゃあ、僕等=愛なのか? だけど、それなのに悲しい出来事がいくらでもある
愛はやっぱり愛以外の言葉では説明が出来ないんだよ それ以外の言葉で説明が出来たら、きっとそれは愛じゃないんだよ
この世に愛があればいいな 観念だけの存在だけだとしたら、やっぱり悲しすぎる
愛って悲しいね あるかないのか、分からないんだもの まあ、それ以外のものも本当にあるのかどうかも分からないのだけどね
僕の信仰は、この世には愛があるってことだけだ それをいくら否定しても、結局僕の世界が変わるだけ ああ、愛が何かを知りたいな
哲学なんか知らなきゃよかった 心理学なんか学ばなきゃよかった ずっと、聖書だけ信じていればよかったよ 自分の知識欲の腹が立つ
「知るということは知識を蓄えることではなく、その自分の存在そのものを変えるということである」 だれの言葉だったかな 愛を知ることが出来れば、僕はどんな風に変われるのだろうか ああ、知りたい 愛が何かっていうのを、僕は本当に知りたいんだよ
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信仰を求めるのも、金を求めるのも本質的に変わらない |
100万円捧げたら救われます 信仰を捧げたら救われます 律法を守れば救われます 波阿弥陀仏を1万回唱えたら救われます
このどれもが本質的には変わらない 皆何かをしなきゃ救われない その「何か」が違うだけだ だから、キリスト教が宗教じゃないと言った時にそんな馬鹿なと思うのさ
そして、信仰だけで終わらないのが最近のキリスト教さ 信仰には、行いが必要だと言い 教会に属していないと、クリスチャンだとはなかなか認めてもらえず 教会に属したら、献金を捧げることをあくまで自主的に求められ そして、伝道を求められ 価値観の変容を求められ これの何が宗教じゃないと言うんだい
信仰があれば救われる というのは 信仰がなきゃ救われない というのと同意語であることをどれだけのクリスチャンは理解しているのか
宗教は、「〜しなきゃ救われない」から宗教だ キリスト教は宗教じゃないと言いながら何かを求める それなら、性質の悪い詐欺みたいなものだよ
太陽は誰かを選んで、日を当てたりはしない だけど、神様は信仰で区別して救いを割り当てる 自然万物に神様の性質が現れていると言うが、どこに現れているのか教えておくれ
キリスト教は宗教じゃないとか、一番正しいとか 優位性をどれだけ説いてもノンクリスチャンの目から見たら他と大して変わらない むしろ、特別感を打ち出して他に排他的だからより一層寛容が無いように見えるよ
何かを変わりにしなきゃ救われない それが宗教だ 僕は、出来ることならキリスト教を宗教にしたくない だけど、そんな僕の考えは間違っていると良く言われる
だけどね 僕にとっては、宗教しているのに宗教じゃないって言う君らの方がパラノイアだよ
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頼むから僕を攻撃してくれ |
僕の中の価値観が僕の中で常識になりつつある この世の全ての人が救われるっていう考え方が僕の頭の中で当たり前になりつつあるんだ そんなのは嫌だ 確信なんていらない、信仰だけで充分なんだ それによって、人と分かり合えないのなら確信なんていらない
頼むから信仰義認を信じている人々、それ以外に僕に反発を覚えている人 なんでもいい 僕を攻撃してくれ
頼むから分かり合わせてくれ 僕の中の思いが僕の中で確信に変わる前に 嫌なんだよ これは、こうだって決め付けて他の人を見下すのは 僕は、そういう人間が一番に嫌いなのにそういう人間になりつつあるんだ だから、僕の主張を頼むから知恵を持って批判してくれ
聖書に書いてあるからとか、そんな理由だけじゃなくて 論理的かつ、知恵を持ってお前の知識は浅はかだと言ってくれ
頼むからへりくだらせてくれ 僕のこの安いプライドなんざに支配されたかないんだ しがみつきたくなんかないんだよ だから、僕を攻撃してくれ、僕を嘲ってくれ 傲慢になりたくないんだ
僕の考えているより、はるかに良い道があるんだろう、っていうのも分かっているんだ だから、それを作るために協力してくれ 発展させようよ、僕と君で
相手を否定しあうのは第一段階だ その次に協力したいんだよ 本当はもっともっと、みんなとわかりあいたいんだ
分かり合いたいんだよ! 本当に! それだけが、僕の心からの望みだったはずなのに!
僕は自分の知識だけで満足したくなんかないんだ もっと、入れたいんだよ 愛ってなにかを知りたいんだよ
だから、頼むから僕を攻撃してくれ
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ゲイ、バイ、レズビアン、そして僕 |
この問題については、過去の記事でも何度か話題にしている だけど、改めて書こうと思ったのはブログ村の若いクリスチャンの間で 恋愛のことはやはり心の中で上位を示しているのだろうな、と思ったからだ だけど、その恋愛の中にゲイ、バイ、レズビアンの人たちのことまで考えているのは少なく感じた
以下のURLで詳しく説明が載っています http://homepage2.nifty.com/room30th/gesewa/c_homosexual.html
まず、最初にレズビアンについては聖書は全く禁止していない だから、レズビアンの人に対して「聖書に書かれているから」という理由は通じない だから、その方々は胸をはって自分の生き方で生きてもらいたい ただ、これは嬉しいことではないんだ 聖書が書かれた時代は女性同士が自由に恋愛する、もしくは女性が恋愛をすること自体想定外だからだ 皮肉な話だ 女性差別故に書かれなかったから、今の時代は堂々と生きていける 少しばかり悲しい話だ
そして、ゲイについて 僕はゲイについては、全然問題無いという考えだ 聖書には男性同士のSEXを禁止する箇所がある しかし、それは=同性愛の否定ではない まず、旧約聖書に基づいて同性愛を否定することは出来ない なぜなら、旧約聖書に基づき同性愛を否定するのならその他の律法をも守らなくてはならない 例)「結婚している兄が死んだら、家系を絶やさぬように、弟がお兄さんの妻と再婚してあげなさい」(参照:申命記25章5節以降) 守っているかい? 守っていないのならば、旧約を使って同性愛を否定出来ない もし、守っていないのに否定するのならそれは、聖書を自分の思うがままに使っている つまり、聖書の冒涜だ
そして、ソドムの話 ソドムの町の住人は男色を行なっていたらしいね それ故に滅ぼされたと だけど、よく考えてみてくれ ロトはならず者達が御使いをなぶりものにしようとした時なんて言った? 娘をやるから、許してくれと 強姦は聖書的にはいいのかい?それとも、神の御使いのためなら娘など強姦させてもいいとでも? そして、ロトの娘は父親と交渉をして子供を設けたね 近親相姦はいいのかい? もし、同性愛が駄目だと言うのなら娘をならず者に強姦させるのと、近親相姦は良いということだ だって、ロトは滅ぼされて無いのだもの
新約聖書を見てみよう パウロは確かに男性同士のSEXを非難している しかしながら、同性愛をパウロは否定しているわけじゃない 彼が非難したのは、他宗教の儀式的な神殿男娼 そして、少年に対する性犯罪 この二つを、非難しているに過ぎない それでも、聖書に書いてあると言うのなら 彼が言った女性蔑視の発言全てを肯定してくれ
イエス様はなんて言っているのか イエス様はゲイについては言及していない だけど、性的少数者には言葉を発している 「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」 とあるけど、これはかなりの意訳だ 原典に忠実に翻訳するのなら 「生まれつき(母の体内にいたときから)去勢された者がいれば、人の手によって去勢された者もいる。そして、天の国のために去勢された人間もいる」 こうするのが正しい
申命記の時代には、去勢されたものは主の会衆に参加することは出来なかった だけど、イエス様はその律法をこういう言葉で壊してくれたんだよ なのに、なんだってクリスチャンは未だに旧約の時代に一部生きているんだい?
律法の中で、自分が守り切れない厳しいものは「神はこのような不完全な私をも赦してくださいます」などと言って逃れ 自分が守る必要を感じないものについては、「これはユダヤ教の律法であって、キリスト教はこれを克服した」などと言って排除し 自分でも守れるな、これは、と思ったものについては、「イエスは律法の一点一角も消え去ることはない、と言われた」(参照:マタイによる福音書5章18節)などと言って、頑固に順守を主張したりする
ああ、嫌だ嫌だ そんなのは嫌だ
なんだって、この世の全てが罪人だって言っているのに あれが罪だとかこれが罪だとか言ってどうにかしようと思うんだい 罪に上下があるのかい 守れそうなものは守って、そして無意識に犯している罪に関しては神様任せかい それなら最初から神様任せにしようよ
こうやってゲイの方々の人々を認めたときに 果たして恋愛の正しいあり方はどうなるんだろうな 僕には分からないや でも、別に分からなくてもいいと思うんだ
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人の美しさ |
オリンピックでも、なんでもいい 人と人が全力を尽くして、競い合う その姿はとても美しい
格闘技の世界でもそうだ 人を傷つけることは、とても悲しいことだ だけど、一定のルールに基づいて人を壊す術を学び 試合という形でお互いにそれを発揮する そして、勝者と敗者が互いに互いを称えあう その姿には、感動を覚える
それは、なぜだろう この世に必要なものが信仰だけで 天国に行くだけが目的なら 速く走る必要も無い 強くなる必要も無い より高く飛ぶ必要も無い なのに、それを追い求める人に美しさを感じ感動を覚えるのはなぜなのだろう
その心こそ、人間を解き明かす鍵だと思う そして、それこそ神様の心を解き明かす鍵でもあると思う
伝道のために、それを追い求める人 全くキリスト教に関係なくそれらをそれらを追い求める人 その人達の美しさに何の違いも見られない ただただ、美しい
クリスチャンだから、走ってる姿が美しい そんな目を持っている人はいないだろう 事前の知識があれば、そう見えるかもしれない だけど、ただ何も知らずにも見て違いが分かるものだろうか
何かを追い求めている人は、美しい それを美しいと感じる心を僕等は持っている それでは、「なぜ」神様は僕等にその心を創ったのか クリスチャン、ノンクリスチャン関係なく ただ、速く走る人、ただ強い人、ただ高く飛ぶ人 その人たちに、「なぜ」美しさを感じるのか
考えよう 僕にも答えはまだ出ていない ただ、この心は大切にしたいと思っている 僕がは人間らしさをそこに求めているから
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