君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



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軸がぶれている
日曜日に教会に行った
「軸がぶれているんじゃないかい?」と言われた
ああ、前も誰かにそんなことを言われたな
僕は、そんなに軸がぶれているように見えるかい

それは、間違いだ
僕はその軸すらまだろくに出来てやいやしないんだもの
軸ってなんなのか
それすらよくわからないよ

思想、信念、信条、信仰
自分の人生の指針になるもの
そうだと、言うのなら僕にとっては信仰だな
だけど、僕の信仰は人生の指針になんてなりやしない
僕が、立派な大人になって人から満足されても
僕が、落ちぶれて悲しみに心が枯れても
神様の愛は等しく、僕に注がれる
僕の信仰は、そういうものだ
僕がどうだこうだとかは、正直関係ない、どうでもいい

だから、僕が生きるときは信仰以外の何かを持たなきゃいけないんだよ
そうすると、僕にとってはこのエゴイズムでしかない

世界と僕が食い違っているとしたら、それは世界が間違っている
少し前まで、そう思っていた
だけど、違った
僕の世界と、君の世界が食い違っていて
僕の世界では、君の世界では間違っていて
君の世界では、僕の世界が間違っていて
僕の世界では、僕の世界が正しくて
君の世界では、君の世界が正しくて

その二つが交わればいいのに
そうすれば、クリスチャン、ノンクリスチャンなんてものは意味を失くすのに
僕は、別に軸が無くても生きていける
飄々と生きていたい




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世界と僕とクリスチャン
クリスチャンは聖書が、人生の指針である場合が多いと思う
僕自身、聖書は人生の指針の一つだ
だけど、それだけじゃ歪む
それは、僕は確信を持って言えると思う

クリスチャンは「王」を求める
神さまという名の王を求める
ただ、その全貌は知らない
聖書を使い、断片的に神さまの言葉を言っている
だけど、何回も聞くけど神様の全てがその本に全て収まっていると確信を持って言えるのかい?

なぜ、聖書の記述がパウロ辺りで止まるんだい
預言者が書き記したものは、もう他にないのかい
あったとしたら、それはなぜ聖書にならないんだい
今の時代にも預言者はいるって言うじゃないか
その人たちの残した書物をなぜ、聖書にいれないんだい
一点一画も足したり引いたりしちゃ駄目だからかい?
でも、ヨハネの黙示録を書いたときは今の聖書の形は出来上がっちゃいないぜ

それは、自分達の主張をどうしても変えたくないからだと思うんだ
信仰義認説は正直限界がある
「信仰」出来ない人たちは、全員地獄行きかい
健常者だけに許された宗教なんざ反吐が出る
違うと言うのなら、納得のいく説明を誰かしてくれ
今まで、一回も聞いたことがないんだよ
公平な神さまと言うかも知れないが、全員に伝えてなければ不公平な神様さ

思うんだ
この世界を見たときに、そこに現れている神様の性質は「調和」だと
のだめカンタービレでも言っていたよ
だけど、今のクリスチャンは「統制」を求めている
聖書を武器にしてね
それは果たして、神様の想いと合致しているのかね
イエス様が、神さまの愛を説いた
だけど、今のクリスチャンは旧約の時代に戻って心の中でノンクリスチャンを虐殺している
剣を聖書に持ち替えて

植物は調和を作り
動物達は、リーダーを作るが他の動物達と調和して生きている
ねえ、なんだってクリスチャンは統制しようとするんだい?

神様を信じるのが楽しいのは結構だ
だけど、辛い人だっているんだぜ
ゲイの人はそれだけで、人格を否定されている
「そんな、あなたも神は許していますよ」って言うかもしれない
だけど、それは暗にゲイは駄目だって言ってるだけなんだぜ

楽しい、楽しいで信仰生活なんかやってられるか
苦しい時もあるさ
なんで、信じてしまったのかと思うときだってある
僕はクリスチャンホームだから、ノンクリスチャンからクリスチャンになった人の気持ちはわからない
だけど、最初から信じててもこれだけ苦しい時もあるんだ
そうじゃない人は、どんな悩みがあるのだろうか

熱くなれ、成長しよう、輪を広げよう
そういった言葉を聞くけど放っておいてくれよ
そういった言葉が大切な時もあるよ
だけど、画一的になってもどうしようもないってことは歴史を見れば分かるだろう?

一面しか伝えるんじゃない
多面的なクリスチャンを知ろうよ
分かり合おう、そして調和しようよ
なんだって、統制しようとするんだい





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死んだ人を思うとき
思えば、僕が大人になるに連れて周りの人たちも年をとる
当たり前に、周りにいた人たが年をとり
そして、死ぬ
この当たり前の出来事が最近辛い

去年、大切な人が死んだ
僕が生まれた時には、もう初老の男性
もう一度、良い形で再開したかった人
その人が死んだ
その人はクリスチャンだった
その人は絶対天国に行っているはずだ

だけど、なんでこんなにも心が痛むんだろう
なぜ、喜べないのだろう
彼は天国に行っているはずなのに

昔、父親が死んだ
心から泣いた
あの時は、天国か地獄なんて考えていもいなかった
ただ、いなくなる
もう、少なくともこの僕が僕でいるうちは
遊んだり、話したり、笑ったりすることが二度と出来ないことを
悲しんだ

天国に行っているから喜ぼうとは言うけれども
いないことがただ悲しい
ただ、ただ悲しい

死ぬ時に神さまを信じていれば天国に行けるのかな
死ぬって、いつ死んだことになるんだろう
むしろ、生きているってなんなんだい

ねえ、神さま
僕等は、あなたを信じてると言葉で言います
だけど、僕は言葉以外のものは持っていないんです
生と死は、言葉以外のものも入っていますよね
僕等は、何を信じればいいのでしょう
僕等は白雉のまま過ごせばいいのでしょうか
知恵の木の実は、ただただ無駄だったのでしょうか
僕等は自由意志を持っているのでしょうか
僕は生きていますか?
あなたは、どこにいるんですか?
量子論でも、超ひも論でもあなたはどこにもいません
なぜ、聖書にしか現れてくれないのですか?
なんで、パウロには直接現れて僕には現れてくれないんですか?
こんなにも、あなたを望んでいるのに
信じたいから、見たいんじゃありません
ただ、あなたに会いたいんです
僕の父がどこに行ったのかも聞いてみたいんです

問いかけても、僕の心は頑なだから都合のいい言葉を聖霊の言葉にはしてくれない
だから、決めたんだ
森羅万象に神様がいるということを
知恵をつければ、神さまに近づけると
バビロンのように滅ばされようとも
ただただ、神さまに近づきたいんだ
人を愛するために

先に死んだ人たちが地獄に行ったなんて、とても言えない
だから、そう言わないために問いかけていく
そう、言わないためにも人を愛したい

揺ぎ無くなりたい



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ブログのコメント欄について
僕のブログは色々意見がある人がいるので、コメント欄が議論の場になることがあります
また、僕と当人ではなくその人と別の人が議論になることもあります
それ自体は、全くかまいません
僕の記事にコメントをし、それが議論の種になること
そして、その議論がコメント欄でにぎわうこと自体はむしろ僕にとっては望ましいことです

それは、僕の目的が「分かりあう」ためだからです
そのために、このブログで議論を交わされることはとても嬉しいことです

しかし、それが極端に自分の持論の正しさを証明するために相手を否定するために
相手を落としたりするのは駄目です
それは、僕のブログでは駄目です

ただ、大抵のことならどんなコメントでも許容しますので
言いたいことがあったら、どんどん言ってください





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愛を知り、なおも一人でいる時
僕は、人といる時に心から安心する
関係性の中の、愛に埋没し
そして、それを絶対視する
孤独は、不快なものであると決め付けて
胸の痛みから逃げるように
誰かを求める

だから世界平和を謳い
人々を価値あるものと捉え
宗教を信じ
そして、神様を求める

だけど、この世に僕が一人ならば
この世界が実は一人ぼっちだと気づいたら
そこにあったのは、とても悲しくも穏やかな気持ち

緩やかな時の流れを受け入れ
自分が何もせずに時が流れていくのを受け入れた時に
湧き出る、心

理論も感情も感覚も薄れ
世界の一つである自分
世界が自分である時間
その瞬間の悲しくも穏やかな時間

それはいったい何なのだろう
愛とはなんだ
平安は人と人との間にあり
そして人と人との間に、決して無い

生き急ぐことを辞め、諦めた時に出るもの
僕もアジア圏の人間だということか
達観していても、何も始まらない
だけど、何も終わらない
時間の軸は進まず、世界は平面の一枚の絵になる

この世界が分からない
愛が分からない
神様が分からない
何より、自分が分からない

だけど、止まれない
止まる気も無い
自分の思想、信念、理想
その全てもがくだらなく
また、価値の無いものだということを僕は自分に言う

そのままに生きて
何を得ても、もう満足しないことは分かっている
次の世代に期待することすら傲慢だと言う事も分かっている
救いが欲しい

依存、自立、その2つの間で迷う心
僕は何も傷つけたくない
誰にも傷つけられたくない

生も死も、今はどうでもいい
僕は揺ぎ無くなりたいんだ





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