君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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大切なものは、いつだって現実の中に
伝えたいこと、したいことはクリスチャンへの攻撃じゃない
クリスチャンに牙を向くの理由は一つだ
僕がクリスチャンに牙を向いているのと同じくらい
クリスチャンはノンクリスチャンに牙を向いている、ということ
僕が、酷く攻撃的に見えたなら
その姿勢はいつだって、君の姿勢なんだよ

いや、本当に伝えたいことはこんなことじゃない
伝えたいことは、いつだってブログのタイトルに書いてある
君が生きている
それこそが、愛の証明でありこの世の素晴らしさを語るものなんだ

僕は、クリスチャンだ
だから、神さまの存在を失くしてしまっては、君の存在を喜べない
それが、自分自身でとても悲しい

だけど、この世の全てのものは神さまから来たと聖書には書いてある
この前の記事のコメントに神=愛という図式が出てきた
もし、それが当てはまるというのなら
この世に愛無きものなど、無い
なぜなら、全ては愛から来ているのだから

愛から生まれるものが、愛以外であろうか
もし、そうならば愛の価値など何処にも無い
愛から悪が生まれることなどないからだ

そもそも、ノンクリスチャンに愛が無いと誰が言えるだろう
真の意味でボランティアに励むもの
家族のために貧困に立ち向かうもの
戦争により多くのものを失い、なお平和を実現しようとするもの
親が子を慈しむ気持ち
友人を大切にする気持ち
恋人を幸せにしたいと望むその心
彼らは神を知らないから、本当の愛は無いと断罪することが誰に出来るのか
僕には、そんなこと出来ない

ノンクリスチャンの中に愛が無いと言うのならば僕の信仰など無に帰す
僕は、人と人との関係性の中に神様を見た
人は、関係性の中に愛を見つける
いや、愛に気づく
自分の中に眠っている愛
他人の中に眠っている愛
その二つが交わることにより、初めて人は愛を見る

僕等は、愛に気づく
そして、救いに気づく
そこにあるものに気づいた時に、人は喜びを感じ平安を感じる
それこそが正に福音であると、僕は思う
なぜ、その福音が信仰により人を二分するものに変わってしまったのかは僕には分からない
そう、まったく分からない

神様は愛だ
それにより創られた僕たちも、また愛だ
互いに愛し合いなさい
この、名詞である僕たちが生きていくこと
それこそが、正に愛するということ
愛を実践することだと、僕は思う

だから、君が生きている
そのことこそが、何よりも素晴らしい
何よりも愛の証明
何よりも喜ばしいこと

そのことが、本当に伝えたいこと
山を動かすほどの信仰は、それを伝えるための手段にしか過ぎない
イエス・キリストの言葉に帰ろう
互いに愛し合おう

クリスチャンが、ノンクリスチャンに伝道という形で愛そうとしても
ノンクリスチャンがクリスチャンに愛を注がなければ
ノンクリスチャンがクリスチャンを自分の世界にいれなければ
それは、「互いに愛し合っている」とは言えないんじゃないか

互いに愛し合う
それは、他人を自分の世界の中に入れること
そして、自分を他人の世界の中に入れてもらうこと
僕は、それは人から教えてもらった

互いに愛し合おう
そのために、認め合おう
そして、理解しあおう
君が大切なんだ





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この記事に対するコメント
私は一重まぶたさんが本当に優しく愛のある方だと思っています。
だから人類が滅びるなんて悲しすぎる、皆助かるべきだと感じているんですよね。
ペテロもユダヤ教の人々に言いました。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」それは同胞を差別して批判したいからでも牙をむくつもりでもなく愛しているから、知ってほしいから、救われて欲しいからなのです。
この世に愛無きものなど無いとありましたが、残念ながらこの世には私達の敵である全く愛の無いサタンと言うものがおります。アダムとイブの時代から人間を惑わし本当の神様から離そう、離そうとするもの。神を否定し神を誤解させ人をだますものです。
神=愛ですが私が言うまでもないと思いますが、この図式の愛は聖書で書かれている愛の種類の中のアガペーの愛というものです。聖書を書き記したキリストの弟子たちは、イエス様の生涯を通して彼らが見た愛を表すふさわしい言葉がみつからなかったそうです。それまでギリシャ、ローマの世界で使われていた愛を表すことばには「エロ-ス」をはじめいくつかありましたが、イエス様の生涯に表わされた愛を伝えるためには、それまでのどんなことばを当てはめても不十分でした。
それで弟子たちはそれまでほとんど使っていなかった「アガペー」という言葉を選び出し,キリストの愛、神の愛、本当の愛を表すものとして使い始めました。
アガペーの愛とは愛する者の為に死ぬ愛です。自分から相手のほうにだけ向かい、返礼を期待しない愛です。だから神様に何も良い事が出来なくても無償で天国へ行けるのです。
反対に「エロース」の愛は自分の満足の為に求める愛です。奪う愛。肉の愛。相手の立場より自分の欲望のために行動します。自己中心な愛です。
もうひとつ「フィリア」の愛は自分からも与えるけど、無意識にせよ相手からも返礼を期待する愛です。親子、夫婦、兄弟の愛などこれに属するようです。
日本語ではこのようなすべてのものをひっくるめて「愛」と呼ぶので混乱がおきます。
預言や知識や信仰があっても神のアガぺーの愛を持たなければ何の役にもたたない、人の知識や行為によっては誰も救いを得る事は出来ないという意味です。
その観点からみるとこの世に必要なのはアガペーの愛であり、そのアガペーの愛を伝えることがクリスチャンの使命です。イエス・キリストの言葉に帰ろう互いに愛し合おうとありましたが、イエス様はヨハネ15章14節で友と呼んだ弟子たちに対して語っているのです。この世の全ての人がまだ神の友となっていません。そして神のアガペーの愛も知りません。それがその人のものとなった時、人ははじめてアガペーの愛で愛し合う事が出来るし、全ての人がイエス様の友となり、弟子となって愛し合う事をイエスは望んでおられるのです。
【2008/08/11 13:56】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
僕は、愛という言葉を常にアガペーで考えていました。
エロスとフィリアについても知っています。
しかし、僕がブログで書いた例は全てエロスとフィリアで説明できるのでしょうか。いいえ、彼らの心の中にアガペーがなければ説明できないのです。
自己愛に生きるものには決して出来ない領域が存在します。
また、悪魔についてですが悪魔を作り出したのが神さまなら、悪魔の心の中にも愛があるのでしょう。
それがなぜこのようになっているのかは分かりません。
しかし、聖書を真実とするのならばこうなります。
また、イエス様の「互いに愛し合いなさい」という言葉を弟子達に、またクリスチャン限定とするのは冒涜ではないですか?
イエス様自信その言葉を「新しい掟」と言っておられます。
敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためです。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからです。あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあるでしょうか。そのようなことは取税人でもするではありませんか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているでしょうか。
と言っておられるではありませんか。
イエス様の互いに愛し合いなさいという言葉をクリスチャン限定にするのだけは、僕は徹底的に反論させていただきます。
【2008/08/11 16:40】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

イエス様の「互いに愛し合いなさい」という言葉を弟子達に、またクリスチャン限定とするのは冒涜ではないですか?とあります。では一重まぶたさんにお尋ねします。イエス様の言葉は万人に語られているのですね?
それでは、同じヨハネ福の  5:42 で「ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。」と書いてあるのをどう理解されますか?
5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです6:40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません
 以上は全てイエス様の言葉です。互いに愛し合う事を教えとして受けとるなら、これらの言葉も受けとらなければ一重まぶたさんが言う都合の良い解釈となりませんか。
これはイエス様の言葉ではありませんが3:36には 御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ともあります。
【2008/08/11 20:28】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
僕が言いたいのは、新しい掟として「互いに愛し合いなさい」といわれていることで、イエス様の言葉が全ての人に語られているとは言っていません。
また、その聖書箇所の中には、「父は誰も裁かない、子に裁く権利が与えられているからだ」と、あります。
しかし、その後の箇所でイエス様はヨハネ8:15「私は誰も裁かない」と仰っています。
その言葉がたとえ、全ての人に語られていようとも僕の読み方が都合の良い読み方にはならないと、思うのですが。
【2008/08/11 23:16】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

横レスすみません。

>御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

恐怖政治そのものですね。信じないだけで、全て快楽殺人者等と同罪の扱いで、地獄行きですか?

「汝の敵を愛せよ」とあります。であれば、聖書の神の手本は何処へ?お手本がないと、とても人には無理でしょう。
【2008/08/12 01:11】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

一重まぶたさん、父は誰も裁かない、子に裁く権利が与えられているからだこれは世の終わりの裁きの事です。そして8章15節は今の時点の律法学者パリサイびとに対して(今は)裁かないと言っているのです。
辻風さん、もう一つイエス様の言葉を差し上げます。
ヨハネ福  8:43-47 あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。 あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです
【2008/08/12 02:34】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
それは、何によって(今は)とつけたのですか?
聖書の一点一画も足したり引いたりしてはいけないと言うあなたらしくもありません。
また、マタイ伝では「御子が来たのは、滅びに定まっている人を救うためである」と言っています。
その箇所を見たときに、前章で滅びを語っているイエス様が実はそれらの人たちを救うために来たという事が分かるでしょう。
聖書を字面どおり読むと、信仰義認と万人救済の二つに分かれます。
相反することを言っている箇所が同時にあるのです。
ヨハネによる福音書の12:47、48をあなたはどのように解釈するのでしょうか。
聖書をいくら読んでも、矛盾は消えません。しかし、それをあたかも矛盾が無いかのように言い、また聖書を拠り所に人を罪に定める。
僕は、それがあまりに神さまの想いからかけ離れているようにしか思えないのですよ。
【2008/08/12 05:26】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>辻風さん
だれも実践してはいないのではないでしょうか。
ならば、僕等がその先駆者になりましょう。
【2008/08/12 05:28】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>もう一つイエス様の言葉を差し上げます。

かあちゃんさん、遂に人を裁く(サタンの配下として断定)聖句を持ち出してきましたね。

人を真に理解しようとせず「人を裁こうとするあなたは一体何者なのですか?」

イエスにだけ付与された権威を誤用しないで戴きたいと思います。

>ならば、僕等がその先駆者になりましょう。

一重まぶたさん、賛成です。と言いますか・・真の神は実際には「敵を愛する」手本を示しておられると思いますし、既に先駆者も存在します。要は聖句解釈の問題ですが、又ご紹介致します。

【2008/08/12 08:28】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
遂に、という言い方はどうなんでしょうね。
僕も、真に人を理解していない人間です。

万人救済説を説くのなら、神様が先駆者です。
また、世の立派な人たちの中に敵を愛した存在もいますでしょう。
しかし、僕は愛すということがよく分からないんですよ。
ですから、まず愛の意味を知る先駆者になりたいんです。
まあ、多分無理なんですけどね。
【2008/08/12 08:56】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>遂に、という言い方はどうなんでしょうね。
かあちゃんさんは多くの聖句を引用されますが、人を糾弾する聖句を引用されたことに対する正直な感想です。

>僕も、真に人を理解していない人間です。
先日の当ブログでの「殴りあうようにして理解し合おう」などの表現を拡大解釈してしまいました。申し訳ありませんでした。
【2008/08/12 09:19】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
なんて言うんでしょう。
殴り合って分かり合うんじゃなくて、殴り合ってでも分かり合いたいんですよ。
殴りあうためにも、信頼関係が無いとただ殴り合っているだけですよね?
殴り合ってでも分かりあいたいのは、正直な気持ちですが。
出来ることなら殴りあわないで、分かりあいたいんですよ。
【2008/08/12 09:28】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさん、あなたの理解の為です。ヨハネ5:27で語られている事はその後の2節を読むと死後の裁きについて書かれているのが分かります。
8章では姦淫の女を許したところからの会話で世の終わりの裁きの事は云っていませんし15節のあなた方は肉によって裁きます。の言葉にかかっているので、イエス様も今の肉の体を持っては裁かないと言っていると思います。ヨハネによる福音書の12:47、48をあなたはどのように解釈するのでしょうかとありますが、読んで字の如くです。何の矛盾も考えられませんが。イエス様がこの地上に来た目的は人を救うためだから、地上で裁く事はしないが天に帰り栄光の御座につき世の終わりが来たら、イエス様を拒絶した人は裁かれるのです。

【2008/08/12 09:58】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
僕にとっては、先にあなたがあげた箇所こそその時代のファリサイ派に言っているだけの言葉としか思えないのですよね。
それが、全人類に言われているとは文脈を考えても思えない。
また、ヨハネ12章は信仰義認の立場ですとそういえるかもしれません。しかし、万人救済の立場をとるとまた、別の解釈が出来るのですよ。
あなたの解釈もそれは聖書に書いていない部分を自分の信条に当てはめて言っているでしょう?
僕も同じものです。
本当に、文字通りに受け取るのなら「聞いて守らないものは裁かれない」「拒絶するものは裁かれる」というものです。
肉体がどうのは、後世の神学的解釈に過ぎません。
このように、同じ聖書を読んでいるのに解釈が違います。
それは、なぜでしょう。僕がサタンに惑わされているからです?
僕は、その理解を深めるために知識が、また、人との関係性を求める姿勢が必要だと常にブログで発しているわけですよ。
【2008/08/12 10:30】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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