君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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聖書の御言葉を軽々しく使うのは嫌いです
僕は、聖書の御言葉をブログに書くのは好きじゃない
聖書の御言葉を使って、自分の言いたいことの背景を伝えるのも好きじゃない
それは、聖書の御言葉を書いた辞典で僕にとってそれは聖書の冒涜になるから

一部を切り取って、自分の言いたいことの背景を伝える
それは虎の衣を借る狐に近いと思う
聖書に書いてあるから、これは正しい
聖書の書いてあるから、これは間違っている
「私はこう思う! だって、聖書のここにこう書いてあるじゃないか!」
そんなのは嫌いだ

パウロの言葉を借りる時なんか特にそうだ
題名に、~への手紙と書いてあるのにその時代背景を考えずに
現代の生活に何の疑問も持たずに、そのまま同じ事を言う
それじゃあ、チューリングテストでいう「中国語の部屋」だ

例えば、僕が合気道の練習中に「人のやっていることをよく見て、その通りにやれ」
と、後輩に教えたとする
だけど、後輩がその言葉をテスト中に思い出して、その通りにしたらカンニングだ

言葉にも適材適所というものがある
歴史的背景と文化的背景を無視した時に、人は聖書の言葉を「利用」する
もし、本当に聖書の言葉を守りたいのならアーミッシュにでも入ればいいさ
そして、エホバの証人のように輸血を拒否すればいい

輸血に関しては、歴史的背景を考え解剖学が発達していなかったからそのような考えが生まれた
現代のクリスチャンは、それを分かっているから輸血を受ける
なのに、自分達の教義に関することに関しては
意識的、もしくは無意識的に「あえて」歴史的、文化的背景を無視している
自分達の都合のいい時に、読み方を変える
自分達の都合のいいように、聖書を読む
そして、その読み方が「真実」だと伝える

クリスチャンのの人の中には、そういう人も多い
「信仰で救われるって、聖書にはっきり書いてあるからね!」ってね
でも、「書いてあるけど違うことも書いてますよね? 背景を考えると違うんじゃないですか?」と言うと
「でも、聖書に書いてあるから」
の一言で終わる
随分短い六法全書だな、ちくしょう

大切なのは、聖書の言葉を実践することじゃないと思う
聖書を読むのは大切だ
しかし、自分の持っている知識
歴史学、科学、医学、心理学、哲学、倫理学、政治学
それを交えて読まないと、神様の言いたいことは伝わらない
歴史学と政治学が抜けただけでも、下手したら聖書は共産党的だと言われても何の批判も出来ない
科学と医学が無いと、先にあげた輸血の問題が出てくる

自分の持っている知識とあわせて、聖書を自分の中で租借し、吸収する
それが、正しい聖書の読み方だと思う

福音書には何の脈絡も無く「読者よ、悟れ」と書いてある箇所がある
僕は、その問いかけはとても大切だと思うんだ
信じれば救われます
バムテスマを受ければ救われます
おかしいな、結局儀式的になっていやしないかい?
それは、儀式的な生活をしていた律法学者やファリサイ派の人々の教えを簡略化しただけじゃないのかい?

だから、軽々しく聖書の御言葉を使うものじゃない
あれは、何だかんだ言って神聖なものだ



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この記事に対するコメント
一重まぶたさんは聖書の御言葉を使って、自分の言いたいことの背景を伝えるのも好きじゃないんですね。
でも多くのクリスチャンは、御言葉を生きる糧として読み、御言葉を信じ生活事体がそれをベースとしているので、自然と出てくるのだと思います。
もちろん間違って使われていると分かればそれは正されなければなりませんが。
イエス様もサタンの誘惑にあった時、サタンに向かって御言葉を使われたし、御言葉は教えと戒めと矯正と義の訓練の為に有益です。

あれは、何だかんだ言って神聖なものだとおっしゃっているわりにそれを別格におかずに
自分の持っている知識歴史学、科学、医学、心理学、哲学、倫理学、政治学と同列に置くのは私にしてみると冒涜のように感じます。









【2008/08/08 13:20】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
僕がいつ、自分の持っている知識と聖書を同列に扱ったでしょうか?
御言葉無き知恵が意味を無くすように、知恵無き御言葉もまた無意味であると言っているのです。
僕が言っているのは、知恵は聖書を読むための道具、であると言っているのです。
それのよって、神さまの思いをより深く知れ、と言っているのです。
マタイ13:13 「わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。 」
そうしなければ、こういう状態になると言っているのですよ。
それをせずに、ただ聖書だけを読んで無思慮にクリスチャン、ノンクリスチャンを分けることを批判しているのです。
僕は、聖書を批判しているのではありません。クリスチャンを批判しているのです。
【2008/08/08 17:09】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさん、こんばんは。
言いたい事が少しわかりました。
でも自分の持っている知識歴史学、科学、医学、心理学、哲学、倫理学、政治学それを交えて読まないと、神様の言いたいことは伝わらないというのであれば、幼子や無学の人達は神の御心を知る事が出来なくなります。
それに「御言葉無き知恵が意味を無くす」は同感ですが、「知恵無き御言葉もまた無意味」の知恵なき御言葉の基準がはっきりしていないし、それを誰が判断するのでしょう。

知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 1コリント 1:20-21
と言うパウロの言葉をどうお考えですか。
これもコリントの人達にだけ与えられている御言葉ですか。

私はこう考えます。根拠は聖書からなので間違っていたら指摘して下さい。
神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。ヨブ 28:28
つまり神様は知恵とは神を恐れることと言われたので、恐れる心をもって聖書を読むときに神の御心が分かるのではないでしょうか。

【2008/08/08 20:39】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

横レス、お許しください。聖書を全て(史実、神の言葉)とする方々へ質問があります。

聖書を絶対化する原理主義は、善悪2極論に陥り、結局は排他主義になると思います。
そしてそれは、他の原理主義との摩擦を引き起こしてきたと感じています。

それで、私は聖書には勧善懲悪的比喩が多く含まれていると考えています。(例、ノアの洪水にしても、箱舟では鳥類だけでも交配不可の種の保存にはスペース不足です・・)

仮に史実だとしても、全能神故他の方法が出来たにも係らず、ノアの家族以外を見せしめ処刑をした神を本当に愛せるのでしょうか?(溺死・・これは非常に苦痛で、苦しさの余り喉や胸をかきむしり、血だらけになることもあります。)

あるいは、過って約束の地へイスラエルを導いた際、カナン人の虐殺を命令(赤子も容赦してはならない)した神を、本当に愛せるのでしょうか?

私はこうした記述を真の神の仕業とは考えていませんが、他の方々はどのようにお考えでしょうか?聖書の言葉を全て「神の言葉:史実」とお考えでしょうか?それとも何らかの選別をしておられるのでしょうか?
【2008/08/09 00:01】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>かあちゃんさん
誰もが、皆神さまの思いを知るものなど一人もいないのです。
僕が言っているのは、人類全体がその思いを知れるようになるためにはそう読まなくてはならないと言っているのです。
神さまの思いを知らないと天国にいけないのならば、全員地獄に行きます。
あなたは、「幼子や無学の人達は神の御心を知る事が出来なくなります」と仰いましたが正にその通り信仰を持たなければいけないという基準も同じように批判されなくてはならない、議論だといえるでしょう。
故に、僕は万人救済説を唱えているのです。
求めるものは、求めればいい。しかし、そうではないものも天国には行くのです。
人々が生きる目的はそれぞれです。
パウロはコリント人にはそういっています。しかし、ローマ人には「すべての人の罪を背負われてキリストは死なれた」とも言っています。
そのように、一部だけを切り取りあたかも全ての事実であるような言い方を僕は批判しているのですよ。

>辻風さん
僕は、実際には神さまがそう命じたとは考えてはいません。
なぜなら、それは義ではないからです。
僕は、イスラエルの人々が自分達を肯定するためにそれを神の想いとした側面があると思っていますよ。
【2008/08/09 01:10】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

 一重まぶたさん初めまして30代デビューと申します。貴殿の真摯な考えは良く分かりました。
 これは私の考え方ですが世のクリスチャン達は(私も含めて)、日々の生活で何かしら不安を感じたり希望を持ちたいと思っている事を、聖書の御言葉に頼って生きているんだと思います。
 勿論クリスチャンで無い方々は皆それぞれの方法で心をしっかり持って生きているんだと思います。ですから、クリスチャンがクリスチャンで無い人に聖書ではこうだからこうしなさいと押し付ける事は反対です。
 只解って欲しいのは、クリスチャンは聖書を読んでいて心にヒットした御言葉があってこれを生きる糧としています。ブログは人から見られることを意識して書かなければいけませんが、同時に自分のはけ口で書いている人がいる事も御理解下さい。あなたから見れば不誠実で弱い人間に見えるかもしれませんが、敢えて聖書の言葉を使います人はパンのみで生きられないのです。
【2008/08/09 08:20】 URL | 30代デビュー #joQEJO2k [ 編集]

>イスラエルの人々が自分達を肯定するためにそれを神の想いとした側面

私見ですが、カナン始め旧約の「聖戦」記述は、言い換えれば選民思想や原理主義集団同士の衝突や虐殺の残像です。(結果的には捏造)しかしその影響は今日にまで及んでいます。

では、捏造と史実はどのように識別できるのでしょう?

真の神は人を選民思想(既存キリスト教も含む)善悪中毒の彼方へ招待しておられる様に思います。
【2008/08/09 08:33】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>30代デビューさん
僕自身、ブログで弱さを吐露している人間です。
ですから、その人たちの気持ちも少し分かります。
ただ、結局は僕のエゴイズムなのでしょうね。
自分の中にある「分かり合いたい」という気持ちを邪魔する教義やクリスチャンの習慣には、反論する。
僕自身、不誠実で弱い人間です。
だから、なんていうんでしょう。もし、僕の言うことが勘に触ったのなら皆わかりあうために話をすればいいと思うんです。

>辻風さん
それは、誰にも分からない領域ですよ。
いや、もしかしたら遠い未来に分かることなのかもしれません。
しかし、現段階ではそれを識別することは不可能です。
また、真の神さまは人を選民思想、善悪中毒に招待しておられるかどうかすら、不明です。
所詮、僕は自分の中に居る神さましか知らない人間ですよ。
【2008/08/10 01:28】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

辻風さん、こんばんは。私は聖書を全て(史実、神の言葉)とする者です。
私以外でも今日のほとんどのクリスチャンと呼ばれる人は、それを主張しています。
この世に多くの良い書物があっても、それが神の言葉と言う事は許されてはいません。しかし、何世紀にもわたって聖書だけは著者が神であると、多くの人々に主張され支持し続けられて来ました。
そして、あなたもある部分は神の著作であることを信じているのですね。
でもある部分は受け入れられない。ある部分のそんな神様は自分の理想の神様と違うからですか。
ノアの箱舟は長さ135メートル、幅23メートル、高さ13メートルだそうです。
その中にきよい動物の7つがいと他の動物の雄雌の1つがいだけが入ったようです。
ある人は箱舟に7000種の動物を収容できると計算したそうです。
現実に不可能のように考えたとしても、神には不可能な事はないので聖書に書かれた通り神様は行われたと、私は信じています。
見せしめ処刑とありましたが、私は神様を悪者扱いにする事自体恐れます。
創世記6章6節で神様の心を痛めさせたのは人間の方です。悪いのは人間です。
人間から見て残酷な裁きをする神様を否定したい気持ちは分かりますが、そのくらい神様を怒らせたとも思えませんか。
あなたは何かを作ったとき、失敗したと壊したことはありませんか。
その時に壊されたものは文句を言いますか。
神は創造主であり私達は被造物です。私達に自由意思を下さった神様は自由に何をしても誰にも文句を言われる筋合いはない方なのです。
          
一重まぶたさん、誰もが、皆神さまの思いを知るものなど一人もいないのです。
とありますが、僭越ですが私をはじめ幼子達も神様の御思いを、聖書から完ぺきではないにしても知っています。
パウロが「すべての人の罪を背負われてキリストは死なれた」とも言っている事は正しいです。確かにイエス様は全ての人が受ける罪の罰をおってくださって死なれたのです。だから全ての人に、救いは用意されているのです。
しかし用意されている事と、自分のものとして受け取ることとは違います。
それは自由意思による個人の選びにかかってきます。
受け取るか受け取らないかは自由なのです。
そして受け取る条件は、神様の前に悔い改めてイエス様を信じる事です。

【2008/08/10 03:32】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>あなたは何かを作ったとき、失敗したと壊したことはありませんか。
その時に壊されたものは文句を言いますか。
神は創造主であり私達は被造物です。私達に自由意思を下さった神様は自由に何をしても誰にも文句を言われる筋合いはない方なのです。

私も多年に渡り、過っては上記のような根本主義に陥っていましたので、かあちゃんさんの心情は理解しています。

しかし、聖書は神のメッセージを含みますが、冷静に読めば間違いを多く含みます(ご自身が読んで気づかないと無理でしょうが・・)

そして真の神はそのような脅し的、独裁的手法を行う方ではありませんし、人と比べること自体、神を低レベルに封印するものです。

贖罪、いえそもそも崇拝さえ押し付けたりされない、無私の存在なのです。
【2008/08/10 15:15】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>所詮、僕は自分の中に居る神さましか知らない人間ですよ。
一重まぶたさん、私も同様です、結局、信仰は人其々だと思います。

>聖書を読んでいて心にヒットした御言葉があってこれを生きる糧としています。
30歳・さん・・同感です。唯、私の場合は(それ以外にも)生きる糧を見出しています。
【2008/08/10 15:25】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

辻風さん、こんばんは。
聖書は神のメッセージを含みますが、冷静に読めば間違いを多く含みますとありましたが、間違いとは矛盾に取れるような箇所の事ですか?
どんな点が間違いか教えていただけませんか。
私も神様が脅し的、独裁的手法を行う方では無いと考えていますよ。
独裁的なら機械のように人間をコントロールして、自由意思など与えなかったでしょう。
本当に崇拝さえ押し付けたりされない寛大な方ですよね。
しかし、無私の存在ではありません。
無私とは辞書を引くと私的な感情にとらわれたり、利害の計算をしたりしないこと。私心がないこと。とあります。私心とは更に辞書を引くと 一個人としての気持ち。自分一人の考え。私意。ともありました。
神様は聖書を通して見る時に、人間を創った事を悔やんだり、人の罪に対して怒ったり、ねたんだりする人格をもっておられる方です。
民数記ではパラムに対して神の怒りが燃え上がったとさえ書かれています。
これは私意であり私心ではありませんか。
また、人と比べること自体、神を低レベルに封印するものです
ありましたが、私はたとえを言っただけです。
聖書でも陶器師と粘土から神様と人間をたとえて同様の説明をされています。
でもそれは決して、神を低レベルに封印するものではありませんよ。

【2008/08/10 22:27】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
地球上の生き物の種類をご存じないのですか?
100万種です。ノアの箱舟じゃ全く足りません。
また、一つがいだけでは生物は繁殖できません。脊椎動物の場合、20匹は必要です。それでも、ノアの箱舟を史実だと言うのならば、聖書のキュピト数が間違っているとしか言いようがなく、またそれで間違っているというのなら逐語霊感説を否定します。
また、神さまの取捨選択はむしろかあちゃんさんが行なっていると僕は思うのですよ。
例えば、カナンの地を虐殺しろと言われた神さま。神さまを信じていないからというのは簡単ですが、神さまが表れていないから知りようがない。矛盾していますよ。アブラハムには表れて、カナンの地には表れない。しかし、知らないから虐殺してもOK。
公平な神さまですか?これは。
僕も、神さまに感情を与えた時に低レベルなものに堕ちると思います。もし、感情があるとしてもそれは僕等の考えの及ばないところの感情であると思いますよ。

>辻風さん
なぜ、無私の存在と言えるのかを是非説明していただけませんか?
【2008/08/11 02:56】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

もし、感情があるとしてもそれは僕等の考えの及ばないところの感情であると思いますよ
一重まぶたさん、その通りだと思います。
神様ははるかに人知を超えた方で、人間の不完全な脳で測り知ることのできないお方なのです。
ノアの箱舟にしても奇跡にしても、ある人は人間の頭で考えて不可能だからそれはおかしい、聖書の記述は間違っているというのです。
それなら創世記の最初から、人を塵で作って鼻から息を吹きかけただけでは無理だし、声をかけただけで月や星を創るなんてありえないと、最初から聖書を全否定となりませんか。進化論の方が人間の頭で理解できるから創造論は否定と同じだと思います。
けど私は創造主である偉大な力ある神様がノアを通してその事を行ったのなら、事実であろうと信じています。神様に不可能は絶対に無いからです。
カナンの地を虐殺しろと言われた神さまについても、私の足りない頭脳では理由を理解できません。でも聖書に記載されているので神様がそうされたと信じています。
天国で神様がその理由もすべて理解させて下さいます。
そして私達がその事を不公平だと言っても、優しく神様が公平だった事の証明をして下さるでしょう。

【2008/08/11 13:42】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
僕は、その脳の枷を外しいつか神様の思いをしることが出来る日を望んでいるのです。
そのために必要なものが知識であると思っています。
ノアノ箱舟、カナンの虐殺
この全ての神の意図、事実だとしたらなんなのだろうか。
新約聖書との食い違いは。
その全てを、神さまの思いは図ることができないと諦めるのではなく、ひたすらに追い求めていくと。
それが、僕の信仰です。
だから、それをただ事実として捉えるのではなく、そこで思考を停止させるのではなく、神さまを考えた時に聖書のおかしい部分にはおかしいという。
それだけです。
【2008/08/11 16:13】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>どんな点が間違いか教えていただけませんか。

間違いにも様々な意味があります。ほんの一部ですが・・比較的分りやすい聖句をご紹介し、かあちゃんさんへ質問します。

創世記38:27さて彼女の出産の時がきたが、胎内には、ふたごがあった。 38:28出産の時に、ひとりの子が手を出したので、産婆は、「これがさきに出た」と言い、緋の糸を取って、その手に結んだ。 38:29そして、その子が手をひっこめると、その弟が出たので、「どうしてあなたは自分で破って出るのか」と言った。これによって名はペレヅと呼ばれた。 38:30その後、手に緋の糸のある兄が出たので、名はゼラと呼ばれた。

これは産科の医師に聞くと、有り得ないことで、もしこのような動きが実際にあれば、母子共に死んでしまうようです。
でもかあちゃんさんは「神に不可能はない」でしょうから・・私は「無理」と述べたのです。
いかがでしょうか?

ヨブ記38:12あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、 38:13これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。 38:14地は印せられた土のように変り、衣のようにいろどられる。 38:15悪人はその光を奪われ、その高くあげた腕は折られる。

ご存知、ヨブに対する神の訓戒ですが、「地球に淵などありません」が、あると考えられていた古代の幼稚な考えと変わりません。

いかがでしょう?

ヨシュア記6:21そして町(カナンの)にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。
11:20彼らが心をかたくなにして、イスラエルに攻めよせたのは、もともと主がそうさせられたので、彼らがのろわれた者となり、あわれみを受けず、ことごとく滅ぼされるためであった。主がモーセに命じられたとおりである。 (それらの地の先住民に対する処置である点をお忘れなく)

では、かあちゃんさんが当時古代イスラエルの戦士でしたら、「神の命令だから」それを実行しましたか?

【2008/08/11 20:51】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

一重まぶたさん、私達は聖書に真理が書かれていると思うので、聖書を開きます。
そこで食い違いと思われるようなところが見つかった場合、それを間違いととるのですね。私はこう考えます。聖書の各部分はジグゾーパズルのようなものです。はっきりとつなげられている部分はいいのですが、食い違いとみられる部分は間に他のピースがあるのにまだ見つけられず、だからこの作品は自分の側では未完成なのだと感じると。しかしこのジグゾーパズルをおつくりになった神様からは、正しくあのピースを埋めるとつながると見えているのです。
一重まぶたさんの探求する心はとても大事です。でも一度神様にどのピースを入れたら埋まるのか聞いてもいいじゃないですか。私なんて日々聞きまくっていますよ。
辻風さん、産科の医師にもいろいろな人がいます。やぶ医者だっているではありませんか。医学は日々進化しています。後から変更されることも多いのです。そういう変動のあるものに信頼するのではなく、不変のものに信頼を置く事が大事です。イザヤ 40:8草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはないとあるとおりです。地球に淵などありませんとは13節の事を取って言われていますか?
私の使っている新改訳聖書ではこれに「地の果て果てをつかまえさせ」となっています。それを言うならマタイ 12:42、マルコ 13:27、ルカ 11:31、使徒 1:8他2か所ほど同じ言葉が使われていますが、その言葉が地球の淵について書いていない事はお分かりだと思います。
かあちゃんさんが当時古代イスラエルの戦士でしたら、「神の命令だから」それを実行しましたか。ということですが、そうですね。本当に神様が言ったと確信したなら実行したでしょうね。
それだけ神様の言葉には権威があり、絶対的なものですから。

【2008/08/11 22:39】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>辻風さん
確かに、おかしいところは多々ありますよね。
僕も、常に疑問に思っております。

>かあちゃんさん
おかしいというのは、都合が悪いということではありません。
矛盾について、僕は言っているのです。
十戒の中には「殺してはならない」と言っているのに、カナンの地では「殺せ」と言う。
誤りがないはずの神様が矛盾したことを言うのはなぜでしょう。
それは、人間が神の言葉を改ざんしたからだとも考えられませんか。
【2008/08/11 23:19】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

かあちゃんさんへ、予想似の答えでしたが・・

他にも下記等も事実と異なると考えられます。
創世記によれば、創世の第三日目に地上に各種の植物が出現し、創世の第五日目になって水中の生物が出現したことになっています。
創世記 1:11-13
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり朝があった。第三の日である。創世記 1:20-23。神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。・・・夕べがあり朝があった。第五の日である。

さて、現代の地質学・生物学(化石等)によれば、地上に植物(や動物)が出現するようになった時期は、海に動物(や植物)が出現する時期よりも、はるか後のことです。

やはり「地質学より、聖書を信じなさい」でしょうか?尚、私は進化論は信じていませんから誤解しませんように・・

このような点もあります。

地のあらゆる野獣と、天のあらゆる飛ぶ生き物と、地の上を動き、そのうちに魂としての命を持つすべてのものに、あらゆる緑の草木を食物として与えた。」(創世1:30)

化石等の証拠は、例えば恐竜にも肉食の痕跡が見られ、骨に残る歯型や腹部から消化しかけた他の動物の骨の化石等が観察できます。これは明らかに上記の聖句とは異なっています。

やはり「化石よりも聖書を信じなさい」ですか?

>私の使っている新改訳聖書ではこれに「地の果て果てをつかまえさせ」となっています

かあちゃんさんは、私の述べることがお分かりになっていないようです。「淵」でも「果て」でも同じことです。「悪人を振り落せるような場所、古代人が考えそうな「重力を否定した構造」を前提とした言葉であることを私は指摘したのです。

>本当に神様が言ったと確信したなら実行したでしょうね。
それだけ神様の言葉には権威があり、絶対的なものですから。

何だか・・あの教団を思い出しました。上記の言葉を見てそう感じるのは私だけでしょうか?
聖書に従わないからと・・死んだ後まで地獄で人を苦しめるような残酷な神を「愛せる」理由が分りました。真の救い、癒し、魂の成長と、そして真の神となんとかけ離れている考え方でしょう。
【2008/08/12 00:19】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

一重まぶたさん、十戒はイスラエル民族に与えられている戒めです。これらは彼らの基本の生き方になっています。しかしカナンの地において神様が命じられたことは次の御言葉に答えがあるのではないかと考えます。申命記 7:9、10 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、 主を憎む者には、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ぼされる。主を憎む者には猶予はされない。たちどころに報いられる。
人間が神の言葉を改ざんしたからだとも考えられませんかとのことですが、死海写本が1947年に見つかって調べた時、それまで知られていた写本とほとんど違いがなかったという事実があったように、改ざんはなかったと考えられます。むしろそのような事をしようとしても黙示録 22:18 「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる」とあるように神の呪いがかけられているので不可能かと思います。
辻風さん、やはり「化石よりも聖書を信じなさい」ですか?もちろんです。アーメンと叫びます。現代の地質学・生物学(化石等)は誰が生み出したのですか。人間の知識の産物です。しかし聖書は神が唯一、人に語りかけている書物です。その権威を不完全な人間が生み出したものと同じ、又は低める事は神を卑しめ冒涜していることになります。辻風さんの神は現代の地質学・生物学(化石等)なのかもしれませんね。
死んだ後まで地獄で人を苦しめるような残酷な神をとありますが、誰でも、望むならば天国へ行くことが出来るのです。悔い改めた罪人で、機会を得なかったために滅びたという人は一人もいません。言い換えるなら永遠に地獄で過ごす人は、誰でも神を責めず自分自身を責めるべきです。神様は全ての人にチャンスを与えて下さっている公平で憐れみ深い方です。
ローマ 1:19 -23なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです

【2008/08/12 02:38】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
ならば、その時には神さまが直接手を下すべきです。
イスラエルの民に殺してはならない、と言っているにも関わらずその手を汚させる神さまを僕は真の神とは思えません。
また、改ざんの意味は聖書を改ざんではありません。
イスラエルの民が、聖書を書く時点で神さまの言葉を改ざんしている、自分達の思いを神さまの思いとしたのではないかと、言う事です。
また、かあちゃんさんが挙げられたヨハネの黙示録の聖書箇所。カトリックは、プロテスタントが使う聖書の他に外伝を使っています。
あなたの主張によると、カトリック、プロテスタントどちらかは神様の呪いがかかっているのでしょうね。
僕は、失礼を承知であなたに言いたいことがあります。
あなたは、神さまよりも聖書を大事にしている。
僕等が積み立ててきた知識。その分量だけでも膨大な量になります。
それよりも、遥かに偉大な神さまをあなたは聖書という小さな本に閉じ込めてしまって神さまの言葉を非常に小さいものしてしまっています。
聖書を紐解くこともせずに、字面だけを追いそして人を裁く。
聖書は確かに、神さまを証するものでしょう。
しかし、世界を見ずに聖書を見ることは神様を見ずに文字を見るだけです。
僕には、あなたの姿がそう写ります。
大変なご無礼ですが、あえて言わせていただきました。
【2008/08/12 05:15】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>辻風さん、やはり「化石よりも聖書を信じなさい」ですか?もちろんです。アーメンと叫びます。現代の地質学・生物学(化石等)は誰が生み出したのですか。人間の知識の産物です。しかし聖書は神が唯一、人に語りかけている書物です。その権威を不完全な人間が生み出したものと同じ、又は低める事は神を卑しめ冒涜していることになります。辻風さんの神は現代の地質学・生物学(化石等)なのかもしれませんね。

かあちゃんさんは私の質問に正面から答えられないので、遂にこのような暴挙に出ました。

私のほんの少しの質問だけで、私が地質学や生物学を神としていると極論するあなたのレベル(原理主義、盲信)が浮き彫りになりました。

まるで、中世の幼稚な時代の魔女裁判のようです。
【2008/08/12 08:02】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
言いたいことは分かります。
しかし、もう少し言葉を選んでください。
ここは、僕の場所です。
【2008/08/12 08:35】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>ここは、僕の場所です。
分りました、一重まぶたさんの表現に触れ、勘違いしていました。私は黙ることにします。大変失礼致しました。



【2008/08/12 08:58】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
黙られることはないです。
あなたの気持ち、言いたいことは僕にも分かります。
ただ、言葉が少し感情的になっているのを指摘しただけです。
新しく記事を更新しましたが、議論されること自体は喜ばしいことです。
また、僕は辻風さんの意見はもっと知りたいと思っています。
ですので、コメントをしたいと思うのならばご自由にお願いします。
【2008/08/12 09:03】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

ならば、その時には神さまが直接手を下すべきです。一重まぶたさん、そこが神様の自由なのです。私達人間が神様なのだからこうあるべきだと私達の枠にはめること自体がおかしいではありませんか。一重まぶたさんは神様はこうあるべきという自分の概念に縛られて、それ以外の場面の神様は受け付けられないようですね。つまり一重まぶたさんの神は聖書が教えている神ではなく、そういう概念そのものなのです。
あなたは、神さまよりも聖書を大事にしている。いいえ例の図式を用いるなら神>聖書と信じているのです。預言者などもいない今の時代に神様が私達にはっきりと御思いを伝えてくれるもの、これが聖書です。そして聖書以外に完全にこの図式に当てはまるのはこの世界には無いのです。イスラエルの民が、聖書を書く時点で神さまの言葉を改ざんしている、自分達の思いを神さまの思いとしたのではないかと、言う事です。
もしそういう概念で、聖書を読んだら下手をすると全ての箇所にその考えが及び、懐疑的になり真実がどこにあるのか答えは見つけられないでしょうね。
第一何の目的でイスラエルの民がそんなことします?彼らは神を恐れ神に従う民ですよ。
世界を見ずに聖書を見ることは神様を見ずに文字を見るだけです。とありましたが、この世界を今支配しているのはサタンです。サタンに惑わされている、歪んで神の御心からそれているこの世界を通して聖書を読み神を求めても、歪んだものしか出てこないのではありませんか。それともサタンも改ざんされて出てきた人間の産物ですか?
辻風さん、私を酷評するのはいっこうにかまいません。けれど「しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます」とあるように聖霊によって書かれた聖書を酷評することは恐ろしい事なのですよ。
【2008/08/12 09:54】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
先にもあげましたが、殺すなと言っているのに殺せと命じるのがおかしいと言っているのですよ。
その、決定的な矛盾が僕には納得できない。
神さまは一番偉いから何をしてもいいんだという理屈では、それで「義」なる神様なのかと。
それが「義」ならそれにならう僕等も同じようなことをしてしまいます。
あまり、語りたくない言葉ですがイスラエルの民は選民思想を満足させるた目に聖書を書いた側面もあると思いますよ。
また、モーセの時代は確実に今の神さまとは違う神さまを見ていました。
その、根拠となるのがそのころイスラエルの民は神を「女性」としてえ捉えていたことにあります。
【2008/08/12 10:23】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>聖霊によって書かれた聖書を酷評することは恐ろしい事なのですよ。
何が「聖書の酷評」なのか「帰結した事実」かは主観で異なりますし、「聖霊に対する罪」も文脈から見れば意味が異なります。もちろん、上記のように解釈なさるのは、かあちゃんさんの個人的自由ですが・・





【2008/08/12 12:57】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]


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