君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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違和感 抗う そして、暗い暗い感情を
僕は、ずっとキリスト教会に対して違和感を持っている
クリスチャンとノンクリスチャンの壁を感じる時に、違和感を感じる
でも、だからといってクリスチャンが皆、駄目な人たちか?
それは、全然違う
むしろ、あそこは凄く居心地がいいんだ
僕にとっては

生まれた時から、ほぼ教会に通っていた僕にとって
クリスチャンのコミュニティはとても居心地が良い
賛美歌を歌って、聖書を読み、メッセージを聞く
それは、とても居心地が良い

そんな中にいると、キリスト教の否定とか正直どうでもよくなる
みんな、それぞれに生きて頑張っているからいいじゃないか、なんて気にもなってくる
でも、それじゃ僕は満足できない

だから、その居心地の良さに抗って暗い暗い感情が欲しくなる
攻撃性を心に留めておかないと、すぐに僕は人を肯定したくなる

だって、信仰で人を分けるなんておかしいじゃないか
信仰が全てに勝る教えなんておかしいじゃないか
天国にいくための切符としてしか、むしろ見ていないんじゃないのかい

クリスチャンの離婚、不倫、家庭崩壊なんて事例は探せばざらにある
教会に行っていた若者が、セックスを経験して教会から離れるなんてものはメジャーなものだろう
信仰があって立派な人もいるだろう
信仰があって幸せな人もいるだろう
だけど、全員がそうなるって言うのならそいつは嘘つきだ!

「信仰があれば、神さまの御手の中に守られる」なんていうのも嘘っぱちだ
クリスチャンでも殺人事件に巻き込まれる
バイキングの時代、イギリス圏はキリスト教圏だった
だけど、バイキングによって女性達は乱暴された
「クリスチャンであるにも関わらずに」な!
そして、そんなことは日常茶飯事なのがこの世界だ
それとも、事件に巻き込まれるクリスチャンは偽の信仰だったから神さまが罰を与えたとでも?

全てを「神さまの想い」にして、自分の中の不快感情を全て自分のせいにして自己否定をし
全てを「神さまの想い」にして、自分の中の快感情を神さまのおかげとして神さまに依存していく
恐ろしい、内発的動機づけだよ
そして、いつしか神さまへの依存がアイデンティティになり
信仰を持たない人をアイデンティティの無い人間として見る
そんなものが、正しいわけが無いだろう
そして、神さまなんていないと言うとアイデンティティを否定されたように感じる
そんな経験を持っているクリスチャンは多いだろう
せっかく森羅万象があるのに、自分の内的世界だけで自己を作る
そっちの方が、僕にとって神さまを侮辱しているとしか思えないさ!

金を求めても、与えられしない!
当たり前だ、あの聖句は元々求めれば何でも与えられるって聖句じゃないだろう?
なのに、似たような解釈で人々をひきつけて
物事がうまくいかなかったら「神さまの時」を持ち出す
結果があるからと、努力を推奨し、叶わなかったら神さまの想い
なんなんだい、それは
なんなんだい、それは?
やる気が無くなるか、依存するかのどちらかだぜ

だから、その一人ひとりがコミュティになった時に恐ろしい力を感じるよ
クリスチャン一人ひとりはむしろ好きさ
だけど、彼らが作り出すグループダイナミックスはむしろ怖いよ

クリスチャンの友達だから
クリスチャンの恋人だから
クリスチャンの企業経営者だから
だから、祝福される?
ノンクリスチャンに幸福な人はいないって主張を繰り返すその姿勢に僕は疑問を感じるよ
「本当の愛を知らないから、幸せのはずがない」
もし、その主張を言うのなら

まず、僕に「愛」が何かを教えておくれ
僕は、「愛」ってものが本気で分からないんだよ
何を持ってすれば、「愛」なのか

僕に論理的に教えておくれ


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この記事に対するコメント
こんにちは、一重まぶたさん。

一重まぶたさんに完璧に愛を教えることが出来るのは、神様だけです。

静かな所で、神様に「愛を教えて下さい」って言えばいいんだよ。

神様から答えをいただけますように☆
【2008/08/07 14:14】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>・・それは、とても居心地が良い・・

不可知論という住まいを背負っておく方が、それ以上に居心地が良かったりして(笑

「愛」は理屈や理論では困難でしょう。
スイカを食べたことが無い人に、スイカの味を言葉だけで伝えようとも、所詮想像の域を出ないのと同じかも知れません。
それでも「後で」気づく?いえ「本物ほど」気がつかないことの方が多いように思います。
「愛」は看板にした時点で嘘(堕落)と背中合わせに成りますから・・(と、偏屈に考えてみました)
【2008/08/07 22:13】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>かあちゃんさん
僕は、愛とはなんなのかを知りたいのです。
感覚的に分かるものなのか、それとも言語野で説明できるものなのか。
あるのか、ないのか。
どうやって、見分けるのか。
そういうったことを、知りたいのですよ。
そして、僕は神さまによって与えられた自由意志、知恵を使いそれを見つけたいんですよ。

>辻風さん
僕も不可知論は好きですよ。てか、そういう考えです。
辻風さんが言っていることはとても最もなことです。
しかし、それでもなお僕は愛を完全に知りたいのですよ。
【2008/08/08 00:44】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさん、今あなたが自分の持っている自由意思と知恵で、この世と人に愛を問いかけ捜し求めていますが、「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」とバプテスマのヨハネが言っているように (ヨハネ副3:27) 完全に愛を知りたいのであれば、不完全で知識に限界のある人間に聞くより、完全な方の元へ行って聞くのが賢いのではありませんか。

感覚的に分かるものなのか、それとも言語野で説明できるものなのか。
あるのか、ないのか。
どうやって、見分けるのか

それを完璧に教えて下さる神様に質問して御覧なさい。
【2008/08/08 02:34】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
ですから、僕は神さまが与えてくださったこの賜物で捜し求めているのです。
僕自身名は、この世に愛があると信じています。
しかし、後の世のためにその理論を残したいのです。
僕等のこの世界を愛で満たすために、僕はまず愛というものを完全に「この世」で、そして誰にでも分かる形で理解をしたいのです。
また、聖書には「求めよ、さらば与えられん」とも書いてあります。
僕が自由意志と知恵によって、愛を求めることはそのまま神さまに求めているのと何一つ変わりません。
それを証明する方法を、自由意志と知恵によって求めることがなぜそのように、賢く無いとされるのかが僕には全くもって理解できません。
【2008/08/08 03:07】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

カルチャーショック
一重まぶたさん。
いつもコメントありがとうございます。
とあるきっかけでキリスト教に出会いました。
勉強会でもリアルな相談ができず、毎日悩んでいます。
どうしても「クリスチャン」と「それ以外」という壁を作られてると
思わざるを得ないことが多く、
そんな体験から神様を信じていいのか?
疑問が出てしまいます。
一重まぶたさんのような方がいてちょっと安心しました。
【2008/08/08 03:37】 URL | ノンクリスチャン #- [ 編集]

一重まぶたさん、おはようございます。

僕が自由意志と知恵によって、愛を求めることはそのまま神さまに求めているのと何一つ変わりませんとありますが、それで神様は一重まぶたさんが自分に求めてきていると理解できるでしょうか。
もちろん、心の奥底を知る神様は本当に心から一重まぶたさんが願っておられるなら理解されているでしょう。
でも神様は人とコミニュケーションを取りたいのです。
一重まぶたさんに声を掛けてほしいのです。
神様に求めているなら、間接的ではなく、直接神様の所に行くことがベストではありませんか。

愛はこの世に存在しています。
そして、神様が私達に下さったラブレターである聖書にも私達人間に対する神様の愛が溢れています。
しかしマルコ4章12節の『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』とあるように悟らないから理解できないのです。

悟らない理由はイエス様が種まきのたとえで教えて下さっています。
それは人の心の問題なのです。
道端のような固い心で、様々な物を見ても拒絶し心に受け止める事が出来ず、悟ることができません。

でも砕かれた柔らかい素直な心で世界を見、聖書を読み悟るならその人の人生は、多くの実を結びます。

一重まぶたさんも愛を悟ることが出来ますように。
【2008/08/08 08:43】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

こんにちは^^

「一重まぶたさんも愛を悟ることが出来ますように。 」
と書いてあるのだから、かあちゃんさんは愛を知っているということでしょうから、
彼にちゃんと答えてあげてください。

教会では教えを分ち合うことが基本でしょう。
【2008/08/08 09:52】 URL | LOVE #WfGs7ZzE [ 編集]

完璧な愛は、神様の愛しかありません。
私の知っている神様の愛は、私の罪を許す為に大切な一人しかいない自分の子を傷つけてまでも私に注いでくださった大きな温かいものです。

許すばかりか自分の子供にまでして下さり、私の人生全てに関わって下さり、一緒に歩んで下さる愛。
私の成長を喜んで下さり、私の呼びかけに耳を傾けて下さり、私が恐れる時に「恐れるな、私があなたの神だから」と支えて下さる愛。

「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます」1ヨハネ 4:16 にあるように、まさしく神様自身が愛そのものです。

神様がどれだけ私を愛しているか考えると、感動して涙が出ることも多いです。
でも天国へ行き完全にすべてを知る時、もっと深いものであったことを知り、神様の愛のこれっぽっちもわかってなかったと、きっと思うだろうなと思います。





【2008/08/08 11:53】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>ノンクリスチャンさん
僕は、あなたのその神さまを追い求めている姿勢。
それこそ、正に求道者だと思います。
全知全能であるさずの神さまがそのことを知らないはずがありません。
僕にとって、あなたの心は誰よりもキリストの弟子に近いもの。クリスチャンのそれと何一つ変わり無いと僕は思います。


>かあちゃんさん
あなたが語ってくださったことは全て、僕は知っています。
僕は、クリスチャンホームとして生まれたので、語ってくださったことは全て、実践してきました。
しかし、それじゃ僕は駄目なのです。
聖書の中には、「愛が無ければ、山を動かすほどの信仰を持っていても意味が無い」と、あります。
ならば、「なぜ」愛がなければ意味がなくなるのか。
愛とは、どのように意味を与えるのか。
その、「なぜ」を追い求めているのです。
神さまの愛を知っていると言うのは簡単です。
例えるなら、1+1=2であることは誰でも知っています。しかし、その照明方法まで知っている人は少ない。
僕は、その計算式を追い求めていると言っているのですよ。

>LOVEさん
代弁してくださって、ありがとうございます。
僕は、本気で愛が分からないからとてもありがたかったです。
【2008/08/08 17:02】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさんはきっとそのような答えをするだろうと思って、私は自分の感じている愛を言う事を控えていました。
実践してきたとはありますが、実感はなかったのですか?

多分これもあなたの求めているものと違うかもしれませんが、書いてみます。
神は愛だから愛のない者に、神はわかりません。 1ヨハネ 4:8より
そして神が分からないと神の御心も分からないし神に対して信頼も出来ないしイエス様の十字架の意味も理解できません。
神様に対する信仰が持てないので、不信仰のものと言えます。
不信仰の者は聖書の黙示録21章にあるとおり、裁かれ火と硫黄の中に入れられます。
こうして愛の無いものは神の前に無価値なものになってしまうのです。

でも神様はそうなってほしくないから、人類を救済するためにイエス様を与えて下さったし、全ての人が救われてほしいからクリスチャンを通して、聖書を通して、またその他のものを通しても福音を広めようとされているのです。
【2008/08/08 21:32】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
実感はありました。現実世界で生きていて、吹いて飛んでしまった実感は。
あなたは、不信仰のものの理由に愛がないと仰いました。
また、その愛は神さまから来ると。そして、聖書から来ると。
それでは、生まれた時代、場所により必ず地獄に落ちる人がいます。
また、愛が神さまからくるだというのなら、人の自由意志の無意味さをあなたは語っており予定説を全面的に肯定しています。それでは、信仰義認の意味も無くし、また我々が生きている意味すらありません。
また、無価値な人生などどこにもありません。
私達がいる以前からいる人たち、その中のクリスチャン、そしてノンクリスチャンがいるおかげで信仰が持てるのです。
そういう観点から見ると、ノンクリスチャンであろうと世界と繋がっていないものなどおらず、また伝道と呼ばれるものに関わっていないものなどいないのです。

【2008/08/09 01:22】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

「愛が無ければ、山を動かすほどの信仰を持っていても意味が無い」と、あります。
ならば、「なぜ」愛がなければ意味がなくなるのか。

神は愛です。(神のみが完全な愛をもち、完全な愛なるお方)だから神=愛を代入したら答えがでるんじゃないかな?

が無ければ(いなければ)、山を動かすほどの信仰を持っていても意味が無い
神がいなければ信仰は意味がなくなるもんね。
【2008/08/09 02:07】 URL | にっち #DYQhHKEg [ 編集]

>にっちさん
その考察は面白いですね。
神=愛だとしら、確かにその箇所はしっくりきます。
では、「愛する」とはなんなのでしょう?
嫌味とかじゃなく、神=愛は名詞で、それが同士になるということは、いったいどういうことなのだろう、と。
面白い意見をありがとうございます。
また、考える材料が一つ増えました。
【2008/08/10 01:30】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

にっちさん、それはとてもシンプルで分かりやすいです。アーメンです。
一重まぶたさん、神様の決めた道を通らなければ、残念ながら生まれた時代、場所により必ず地獄に落ちる人がいます。
愛が神さまからくるだというのなら、人の自由意志の無意味さをあなたは語っておりとありますがヨハネは1ヨハネ 4:7 で「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」と言っていますが、彼は人の自由意志の無意味さなど語っていないし、私もそうです。そして予定説も肯定などしておりません。
無価値な人生などどこにもありませんとありますが,ローマ 3:12 でパウロは「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった」と言っているように神様から離れて迷っている人は無益、つまり無価値な人生を送っていると思いませんか。
人間の情から見たらひどい言葉だと思うかもしれません。でも癌の人に癌で手術が必要ですと言わずに大丈夫ですと言ってあげたところで、悪化するばかりです。現状を正しく知らせたうえで救済法を教えることが大事ですよね。
私達がいる以前からいる人たち、その中のクリスチャン、そしてノンクリスチャンがいるおかげで信仰が持てるのです。確かに先輩クリスチャンが命がけで福音を伝え、信仰を守り教えてくれなければ、今のクリスチャンはいなかったことでしょう。でもそれは人のおかげ以上に、その背後で働かれた神様のおかげなのです。
【2008/08/10 03:35】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
全てのものは、神から来るという御言葉がありますよね?
あなたは、生まれた時代、場所により必ず地獄に落ちる人がいると言っているにも関わらず、予定説を肯定しないという。意味が分かりません。
また、その箇所からなぜ自由意志を否定していないという根拠になるのかも、理解できません。
僕も、聖書が自由意志を否定しているなんていってません。
あなたが、自由意志を否定していると言っているんです。
そして、パウロのその言葉をそう使うのは、僕は間違いだと思いますよ。
ユダヤ人、ギリシア人との差があるかないかのために、聖書の他の部分から引用しているのを、さもパウロが言ったかのように振舞うその姿勢は、正直僕が批判しているそれです。
そして、あなたは僕の言ったことをあえて理解しようとしないんじゃないですか?
先輩クリスチャンがいるから、今のクリスチャンがいるなんて言ってません。
全ての人がいるから、今の世界があると言っているのです。
【2008/08/11 02:39】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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