君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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罪が何かがそんなに重要なのかい
罪とは、何をもってして罪なのか
「神様の意にそぐわないこと」
それが罪だと、僕は教わってきた
そして、その根源的なものが十戒だと

確かに、十戒に書かれていることはそうだろう
それは、きっと罪なのだろう
しかし、それでも疑問が残る

なぜ神様は人は人を殺してはいけないということにしたのか

全ては神のものだから?
被造物が被造物を殺す権利は無い?
おかしい、ならばなぜ自由意志を与えられているのか

そう、神様の考えていることはさっぱり分からない
というより、今の時代の時点で分かっていてもそれはそれで困りものだ

聖書に書いてあるから罪だというのは、そろそろ止めにしないか
神様の全てが、あんな薄っぺらい本に収まるものなのか
森羅万象全てを創った神様が、あの内容で納まるのか
それについてははなはだ疑問だ

罪は確かにあるのだろう
しかし、それを僕等は知ることは出来ない
なぜなら、神様の想いを完璧に分かる人なんてイエス様以外いやしないのだから

だから、罪がどうだとか言うよりも
何が愛かを探そうよ
そして、イエス様の贖いの本質を探ろう

他人を貶めても、自分の評価が上がるくらい
自分を貶めても、他人の評価が上がるくらい

それなら、貶めるのをやめればいい
何が罪かだとかは、分からないということにしておこう

その方が、まだ話せる



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この記事に対するコメント
(律法の意義云々についてはローマ人への手紙に譲るとして…)、そもそも、神様は、我々の益のために戒めを与えられたのではないかと私は思います。何故なら、罪を犯すことは、我々を不幸に陥れるからです。例えば、目の前に崖があるとして、親は子供に、止まるように警告しないでしょうか。ですから、その戒めの背後には、神の愛があるのだと私は思います。

「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。(1コリント 6:12)

>神様の全てが、あんな薄っぺらい本に収まるものなのか

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福21:25)

↑これじゃ答えになりませんかね(笑)
【2008/06/21 08:39】 URL | grapevine #- [ 編集]

>grapevineさん
そして、その戒めをただ守るのではなくその戒めの意味を探り、根源的なものを見つけるのが、今の時代の私達の使命なのでは、と思っています。

>「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福21:25)

これは、結構答えになっていると思いますね。
聖書だけじゃ足りないのかなと思っとります。
【2008/06/21 19:19】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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