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(律法の意義云々についてはローマ人への手紙に譲るとして…)、そもそも、神様は、我々の益のために戒めを与えられたのではないかと私は思います。何故なら、罪を犯すことは、我々を不幸に陥れるからです。例えば、目の前に崖があるとして、親は子供に、止まるように警告しないでしょうか。ですから、その戒めの背後には、神の愛があるのだと私は思います。
「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。(1コリント 6:12)
>神様の全てが、あんな薄っぺらい本に収まるものなのか
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福21:25)
↑これじゃ答えになりませんかね(笑)
【2008/06/21 08:39】
URL | grapevine #- [ 編集]
>grapevineさん
そして、その戒めをただ守るのではなくその戒めの意味を探り、根源的なものを見つけるのが、今の時代の私達の使命なのでは、と思っています。
>「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福21:25)
これは、結構答えになっていると思いますね。
聖書だけじゃ足りないのかなと思っとります。
【2008/06/21 19:19】
URL | 一重まぶた #- [ 編集]
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