君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


持って生まれた偽善と善
偽善者が嫌い
そんな言葉をよく聞く
僕も偽善者は多分嫌いだ

でも、偽善者ってなんだろうね
自分に栄光を返すのが、偽善とうのなら
完全な善が無いように、また完全な偽善もないのだろう

そう思うと、偽善という言葉がなぜ存在するのかすら疑問に思えてくる
人間に100%の善など今の段階では不可能だ
ああ、不可能だ
じゃあ、100%の偽善なんていうのも無理な話だ

だから、偽善者といわれる人たちにも善があるんだよ
愛があるんだよ
人間はよく、二元論で物事を分けたがる
だけど、二元論で片付けられるほど世界は単純じゃない

クリスチャンはよく、キリストを信じているかいないかで天国か地獄を分けたがる
じゃあ、信仰ってなんだい?
人の心ほど型にはめるのが難しいものは無い
そもそも何で信じているんだい?
天国に入りたいからかい?
地獄に落ちたくないからかい?

違うだろ
幸せになりたいからだろう?
じゃあ、幸せってなんだい

この世でキリストを信じずに幸せに生きている人たちは地獄に落ちるのかい?
そもそもそういう人たちは幸せに生きれないというのかい?
神様はそんなに、度量の狭いお人かい?
イエス様はクリスチャンだけの罪を背負って死んだのかい?

もし、偽善者というものが存在するのならば
それは世の中を二元論で分ける人たちのことだと僕は思う
自分は正しい、あちらは間違っている
それじゃ、悲しすぎる

理解しよう
繋がろう
いつか、キリスト教とイスラム教が互いに手をつなぐ日が来る
僕はそう信じている
じゃなきゃ
この世は救われない

にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン
スポンサーサイト


この記事に対するコメント
みんな の プロフィールは、アクセスアップをお手伝いするサイトです。
http://blog.livedoor.jp/grrfea/


より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
【2008/02/05 09:42】 URL | みんな の プロフィール #- [ 編集]

私もそう思ってた
私はあなたのようなクリスチャンが好きです。素直に本音をつづってらっしゃるので、とても人間らしいと思います。
敬虔に見えるクリスチャンだって、ぜったい心のどこかでいろんなどろどろした思いを持ってるんじゃないでしょうか。
でもそういう人って、自分の汚い部分をぜったいに人には見せずに、神様を賛美してますよね。
私は、それが偽善なのではないかと思うのです。

「神様はあなたを愛してる」という言葉をクリスチャンから言われても素直に聞けない私です。なんだか偽善のにおいがぷんぷんして。
そう言う私もクリスチャンなのですが。

キリストを信じないで幸せに生きてる人は地獄へ行くのか。
私も疑問に思ったことがあります。

でも思うんです。
私たち人間は、誰もがどろどろで、きれいな心を持った人なんていないんじゃないかって。
どんなに敬虔な仏教徒だって、イスラム教徒だって、マザー・テレサだってそうだと思います。
人から見ると、きれいに見える人たちです。
でも神様にはきっと、人の中身がよく見えるんでしょうね。
それで、「義人はいない。ひとりもいない。」って聖書に書いてあるんだと思います。
だから、天国に行ける人なんてひとりもいないんです。みんな地獄へ行く定めにあるなかで、天国に行けるのは、ほんとにおまけなんだと思います。



【2008/02/10 19:03】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
コメントありがとうございます。
マザーテレサでさえ晩年には神を疑っていたと言われてますよね。
でも、私は思うんです。そんな人にも人間はその中に神を見ると。
私達の心はどろどろしています。
その中身は、綺麗なものと汚いものが合わさってどろどろしているんだと思います。
その、どろどろした中にある真の愛こそが神様なんじゃないかと。
だから、人間はみな天国に招かれているのだと私は思います。

【2008/02/12 01:41】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

「この世界は苦しみが多いから、神がいるわけない。神がいるなら、もっと幸福な世界になっていたはずだ。」っていう意見をよく聞きます。

でも私はむしろ逆だと思います。
神がいないなら、人間は動物のように秩序正しく生きていたと思います。(神がいなかったらそもそも人間はいないと思いますが)

神様の目的は、すべての人に永遠の命を得させることです。
そのためには、人間は罪の下で苦しみ、神を求める必要があります。
順風満帆な生活を送っている人が、神を求めることはないからです。

「しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。」(ガラテア3章22節)

神様はすべての人と共に住むために人間を創造し、罪を犯させ、救ったのです。

神のみこころは、すべての人を救うことなので、救いはすべての人に差し伸べられています。
でも、人間がそれを拒否し、神様の手をふりほどいているだけなのだと思います。

【2008/02/12 12:19】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
私は、神様が私達の罪を贖ってくださったというのなら、人間がその手を振りほどくことなど出来るのかと思っています。
ですから、私個人としては死ぬと人は皆天国に行くのではないかと思っています。
【2008/02/19 22:33】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

そうですか
聖書には、赦される罪と、赦されない罪がある、って書かれていたと記憶しています。
旧約でも、神は何度も民に手を差し伸べていました。
それは人を救うためだと思います。
誰でも天国に行けるなら、神の働きかけは無意味では?
【2008/02/23 07:27】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
解釈の違いじゃないかと思います
赦されない罪はあっても贖われない罪はないんじゃないかと僕は思います
神様の働きかけは無意味ではないと思います
僕等は今、この世界でも幸せに生きようとしているのですから
【2008/02/23 20:56】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://hitoemabuta56.blog87.fc2.com/tb.php/6-f3cd7b35



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。