君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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陶器は陶器士のためには働かない
何のために生きているのか
昔までの僕は、「神様のため」と答えていた
しかし、今はそうは言わない

陶器は陶器士のためには働かない
お茶を注いだり、料理を持ったり
そのために陶器は働く

陶器が陶器士の存在を知っていたとしても、知らなかったとしても
その働きに、なんの違いも見られない
見られるものか

それは、神を知っていても、知らなくても
その人の働き、その人の生きる意味が変わるのだろうか
違うとすれば、誇りを持てるか否か
ただ、それだけの違いじゃないのかい

伝道が生きる意味かい
神様のためにハレルヤと叫ぶのが生きる意味かい
神様は自分をあがめさせるために、僕等を創ったのかい
もしそうならば、こんなに悲しいことは無い

僕の意味は、ただ神を崇めるだけ
それも自由意志を持ちながら、自由を許さない
それが、神様かい

僕は、違うと思う
もちろん、神様を信じた方が幸せだ
僕も、神様を信じていなければ生きる理由が見当たらない

だけど
神様は一人一人に生きる意味を与え
その人生を祝福し
何が出来るかを、なんのために生きるか
その人の可能性を、最大限に考慮されるはずだろう

生きる意味は、神様を知ろうが知らないだろうが何一つとして変わらない
神に繋がらないものなど、この世の中に何一つとしてない
自分に誇りを持つこと
それは、神に対して誇りを持つことに他ならない

故に神様は素晴らしいと言える
僕は、そう思う

いつか、枷を外し神様の想いを知れるように
そう、祈りたい


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