君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


考えることだけはやめられない
この世のありさまを知っているかい
哲学を知っているかい
論理学は
数学は
量子論は
超ひも論は
不完全性定理は
不確定性原理は
カオス理論は

知っているかい

僕も全ては知らない
だが、先人達が残してきたこの知識と知恵が宗教を事実から外してしまった
なぜ、科学を見ずに聖書を見るのか
なぜ、哲学を見ずに聖書を見るのか
なぜ、世界を見ずに聖書を見るのか
世界を、聖書の中に押し付け
神を、自分の考えることが出来る枠の中に押し込め
聖句を使い、人を脅し
愛を知っていると言う顔で、笑顔を浮かべる

なぜ、リバイバルと軽々しく言えるのか
なぜ、他宗教を簡単にサタンと言えるのか
人の枠の中のものは、サタンと言い
聖書を人の枠の中に押し込める

パラノイア

しかし、パラノイアこそこの世の有様
なんて悲しい世界なんだろう
なんで、人間の寿命は短すぎるのだろう
こんなにも、膨大な知識と知恵を蓄えてきたのに
それを、全て理解する脳がないのだろう

脳は枷だ
人間が神に近づくことが出来ぬようにするための枷だ
だからこそ、枷の中の僕等はもがく
もがくことが無意味だとしても
いつか枷を外せる時が来ると信じて

それまでの、世界を悲しいものにしたくない
それが今の望み
次の時代の担い人がこの世に絶望せぬように
そのために、生きていたい

君が聖書を見ている間に、僕は世界を見よう
僕が世界を見ている間に、君は聖書を見てくれ
その二つを合わせてくれる人が、きっと次の世代に現れるだろう

なんて悲しい世界なんだろう
なんて悲しい世界なんだろう

希望を捨てたい
捨てた先には何も残らなく
それを求めるも、拒否し
僕は宙ぶらりんのまま
結局、生きていく
言い訳を作りながら

ああ、神様
なぜ、知恵の木の実を創ったのですか
知恵さえなければ、僕等はあなたの愛をただ受け
それだけで、幸せだったのに

教えてください
あなたのもとに、行った時に
僕は真実が知りたいです



にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン
スポンサーサイト


この記事に対するコメント
>知恵さえなければ、僕等はあなたの愛をただ受け それだけで幸せだったのに

今日まさにそのこと考えて泣いてました。
小さい頃から信じてきて今さら神さまから離れて生きてけないの知ってるのに、神さまに疑問(反感?)を感じてしまうから…
知恵無きゃ疑問も生まれず、幸せに笑えるのにって。

そんなことで泣く自分も嫌でした。
【2008/06/07 21:14】 URL | sixteen #d02SCtBo [ 編集]

いのちの木と、知恵の木のうち、知恵の木を欲したのは人間です。
アダムとエバだけではなく、すべての人間には知識欲があります。

「賢くするというその木はいかにも好ましかった。」(創世記3:6)

知恵の木が目の前にあれば、人間が罪に陥るのは目に見えていました。
神が知恵の木を創ったのは、すべての人が罪に陥り、そして救われるためです。


「しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。」(ガラテヤ 3:22)

「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。 」(1コリント 2:7 )

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」(エペソ 1:5)


世界創造の前から、神は人間を子どもにしようと決めておられました。
人間だけです。
神が子どもにしようと決めておられるのは。

御使いは違います。
御使いは、神と神の子どもに仕えるために創られたからです。
だから、そむいた御使いに救いはありません。
御使いは贖われません。
贖われて、神の子どもになるのは、人間だけなのです。
【2008/06/08 16:52】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>sixteenさん
僕は、神様に疑問を感じることは悪いことではないと思います。
なぜなら、それは神様を求めていることに他ならないからだと思うからです。
「なぜ、私達をこのように作ったのですか?」
その疑問はあってしかるべきだと思います。

>たんぽぽさん
その考えは確かになかったです。
全ての人が罪に落ち、全ての人が救われるために。
ですが、僕は無知のままでいたかった・・・。
ただただ、この世の中は辛いのですよ。
【2008/06/09 02:08】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

どうして神は、人間を苦しむようになさったのか…。
それは、将来人間が神の子どもになるからです。
神は、人間が将来、神の子としてふさわしい栄光を受けるようにと定めておられます。

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
(ローマ 5:3、4)

神は人を、苦しみも何も知らないままで最初から天国に置かず、あえて、この世界で苦しむようになさいました。
それは、将来与える栄光のためであり、神の知恵です。
だから御使いはこの地上で生活していません。
御使いの身分は人間より低いのです。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ 8:18)

だからといって神は、人間に何も教えずに、ただ我慢を強いているのではありません。
必ず人間を子どもにし、御国へ導くと約束して希望を与え、忍耐するように御霊を送って助けてくださいます。

「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
私たちは、この望みによって救われているのです。
目に見える望みは、望みではありません。
だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。…
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:22-30)

だから悲しんでいる人は元気を出してください。
神は、今の苦しみを無駄にはせず、将来必ず栄光に変えてくださるのですから。
【2008/06/09 12:52】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>神さまを求めていることに他ならない

と言ってくださって嬉しいです。
でもわたしの頭には、イザヤ45章の粘土が形作った者に「取っ手がついていない」と言う場面が浮かぶんです。
そこの雰囲気からするとそれは悪いことのようなんです。
【2008/06/09 20:49】 URL | sixteen #- [ 編集]

>たんぽぽさん
僕は、喜びもない代わりに苦しみもなければいいのかと思うようになりました。
植物のように生きることが出来れば…。
と思うことがあります。
ただ、このように創られたということは意味があると思っているので、きっと大丈夫です。

>sixteenさん
自分の生まれたことの意味を問うのと、自分に不満を持つのはイコールではないと思うんです。
なぜ、自分はこうなのか。
それは、求道でありむしろ神の道だと僕は思っていますよ。
【2008/06/10 01:03】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://hitoemabuta56.blog87.fc2.com/tb.php/57-1f3d37d9



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。