君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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あるはずの無い繋がりを求めた日
哲学を否定する人はクリスチャンの中に少なくないと思う
なぜなら、聖書の中に哲学を否定する箇所があるからだ

コロサイ 2:8 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。

しかし、だからといって哲学を否定していいのだろうか
答えは断じて否であると僕は言う
なぜならば、2000年前の哲学と今の哲学は全く違うからだ

2000年前は「絶対的なもの」があるという立場だった
しかし、今の哲学は絶対的なものはないという立場だ

仮に今のこの僕の人生は全て、そこらの蝶が見ている夢の話かもしれない
この僕という存在など本当は存在していないのかもしれない
そんなことだということもありえる
違うと思いたいけど、それを証明する術なんとどこにも無い

しかし、デカルトがそれを解決してくれた
この世界は虚構かもしれない
しかし、それを疑う僕はかならず残る
この疑う心すら虚構だとしても、それを疑う心をどこまでも残っていく
「我思う故に我在り」
それがこの言葉の本当の意味だ

だから、僕は確かにここにいる
しかし、君がそこにいることは僕には証明できない
君がそこにいるというのは君にしか証明できない
そして、君は僕がここにいることは証明できない

だから、心と心の繋がりなんていうものは証明できず
同じ感情を感じていたとしても
それが本当に同じ感情だということを確かめるなんていことは原理的に不可能なんだ

人間はそれを解き明かしてしまった
悲しい現実を解き明かしてしまった
今まで事実だと思っていたこと
それが全て自分の信仰の上に成り立っている、虚構の存在
全てがそうなってしまった

事実をただ単に事実として捉える信仰は2000年前に終わった

この世界はまやかしかもしれない
単なる、蝶が見ている夢
そうである可能性などどこにでもある

だからこそ、僕は信じている
心と心の繋がりがあると
人と人との間には、絆があると

嘘かもしれないが、信じる
盲目的にならず、冷静に
「お前が信じていることなんて所詮全部お前の世界の話だろう?」
ああ、そうさ
だから、君を理解したい
話し合ってでも
殴り合ってでも
何でもいいから理解しあいたいのさ

だから、事実を前提として捉える今のキリスト教会が嫌なのさ
理解を妨げ、寛容を失い
クリスチャン以外の世界を簡単に否定する、その姿勢が

君の世界は君のもの
僕の世界は僕のもの

だから創ろう、僕等の世界を
理解し、分かり合えたときに訪れるその世界を
全ての人が幸せになれるその道を

君が生きている
そうだとしたら何より嬉しい
「僕等」の世界を創れるのかもしれないのだから



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この記事に対するコメント
『君が生きている
そうだとしたら何より嬉しい
「僕等」の世界を
創れるのかもしれないのだから』

>ありがとうっす!俺は生きてますよぉ~!
【2008/06/03 15:00】 URL | ささぐ #- [ 編集]

>ささぐさん
ええ、とても嬉しいことです。
共に世界を創っていきましょう。
【2008/06/03 18:06】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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