君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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絶望か希望、選ぶのは全て僕
イエス様を、希望と思わないものは恐らくクリスチャンではないのだろう
僕でさえ、イエス様は救いだ
しかし、よく考えてみよう

救いとは、なんだ?

死んだ後に天国に行くことか
じゃあ、今生きる意味は?
伝道、それだけの価値しかないのか僕等は

僕の価値はなんなんだい
他人を救うためだけに存在している僕ならば、その社会構造に「個」という概念は必要ない

結局は、自分自身で決めるしかない
希望も絶望も同じ場所に存在しているただの感情なのだから

結婚前にSEXをする
ノンクリスチャンなら、嬉しさに溢れることもあるだろう
クリスチャンなら、絶望感が身を包むだろう

皆で酒を飲んでいる
ある人間は虚無感を覚えて、ある人間は充足感を得るだろう

キリストを見たときに、あるものはそこに救いを覚え
僕は、絶望を覚えるかもしれない

全ては神の御手の中に
そういう言葉はよく聞くけれども
どのような神様かと聞かれ
それに答えることが出来た時
その神様は少なくとも、君の中の妄想だ

言葉に出来ないから、神様なのに
なぜ、皆神様の想いだとかを軽々しく口に出せるのだろう

僕は、この世の理屈も、神の理屈も、なにかも何一つ分からない
だけど、それが正しいと思っている
確かめる術などどこにもないのだから

それを確かめる術があるように言い
おざなりの奇跡をどこかで起こし
共有できるはずの無い感覚を、共有しているように見せかける

僕は、キリスト教はそんな風になって欲しくない

たとえ、キリストに絶望を覚えたとしても
それでも、包み込んでくれる
矛盾を受け入れることが出来る

そんな、キリスト教を僕は望む
絶望も希望も、全ては僕の中にあり
ただ、選ぶか選ばないかの違いだけなのだから




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