君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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僕の聞く僕の声は、決して君に届かない
僕は自分の声が嫌いだ
僕が聞く声は好きなのだが、ビデオなどで聞く僕の声はとても嫌いだ
なんだかとても嘘くさい
それが、僕の声を聞いた僕の感想だった

ああ、今までこんな声で人に話していたのか
そう思うと少し恥ずかしくなり、それと同時に怖くなった
真面目な話をしていても、この声じゃ相手に信用されないじゃないか
そう思って、話し方や言葉の選び方を僕は少し変えるようになった

でもそれは、僕が知っている僕が話したい言葉ではきっとなかったんだろう
僕はもっと端的に伝えたいけど、それを出来ないのは知っている
だから、言葉を尽くして話す
君が知っている僕がどんどん、僕から離れていくのを感じた

聖書もこれと同じような問題があると僕は思う
同じ言葉を、聞いたはずなのに皆ばらばらなことを言っている
離縁については結構分かりやすい例だと思う

マルコは 「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通を犯すことになる。
  夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言った

ルカは「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。
  離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる」と言った

マタイは 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。
  不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。
  離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言った

よく読むと、マルコとマタイは言っていることが逆になっている

フィルターがかかっているんだよ
神様の真意はどこにあるのか
神様が聞いている神様の声は僕等は聞くことが出来ない
発した言葉を、僕等の脳で理解して
そして、それを神様の声としているだけなんだ

だから、想像して疑って否定しなきゃ
そうしないと、僕等は結局自分の中の神を信じているに過ぎなくなる


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この記事に対するコメント
マタイもマルコもルカも言っていることはどれも真実であり、互いを補い合っていると私は受け取っています。

言葉にするときに、相手によって、比重を置く部分が違ってくる場合があります。
たとえばルカは、この福音書を異邦人に向けて書いています。
だから、ユダヤ人向けの福音書よりも、バプテスマのヨハネに関する記述が詳しい、ということがあります。

一重まぶたさんが挙げた例の場合、妻を離縁する者は、妻に対して姦通を犯すことになり、それだけではなく、妻に姦通の罪を犯させることにもなる、ということです。

こっちに書かれていないことが、あっちに書かれていたりと、福音書はどれも互いを補い合っています。

マルコは、妻を離縁する者は、妻に姦通を犯すことになると言いましたが、だからといって、その妻に姦通の罪を犯させることにはならない、とは言っていません。
マタイについても同様で、妻に姦通の罪を犯させることになると言いましたが、妻に姦通を犯すことにはならない、とは言っていません。

マルコの言うことも、マタイの言うことも、互いに矛盾してはいません。
一つの罪は、そこだけにとどまらず、他にも波及するということを、マタイは言いたかったのではないでしょうか。
【2008/04/23 11:29】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
マタイ、ルカはマルコの福音書を元に互いの福音書を作りました。
そのなかで、マルコは条件付で離縁を認めています。
この時代に離縁を認めるということは女性の人権を認めていないことになります。
マルコが、女性の人権を考え離縁を禁止しているにも関わらず、マタイは条件付で離縁を認めているのです。
【2008/04/23 22:33】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

マルコが条件付きで離縁を認めている、と思われたのはどうしてですか?

ここに出てきたパリサイ人は、純粋に、離縁がいいか悪いかを聞いているわけではありません。

この部分でパリサイ人は、一つの律法をあげて、イエスを試しているわけです。
律法に照らせば、もちろん罪なのですが、モーセが離縁を許したと言えば、イエスが何と答えるか試した場面です。

それに対するイエスの答えは、離縁がいいか悪いかというものではありませんでした。
パリサイ人はもちろん、すべての人が律法を一つも守っていないわけです。

イエスのメッセージは、律法を守れ、ではありませんでした。
(律法を破れと言っているわけではないです、念のため)
ここでイエスは、罪を教えています。
離縁をしてもいいかどうかではなく、妻を離縁することは罪だとおっしゃっています。

条件付きで離縁を認めているのではなく、離縁すれば姦淫の罪を犯すことになる、と教えているわけです。
【2008/04/24 02:22】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
恐らく、この箇所の中で言いたいのはそういうことだろうと思うのですよ。
しかし、ルカは姦通の罪を誰に犯すとは名義されていません。マタイの福音書を見たにも関わらずです。
これは、マタイが女性の人権お考えていたのに対し、ルカはそうは考えていなかったといえるでしょう。
また、マルコに至っては「不当な結婚」ならば離縁は律法に叶っていると言っているのです。
【2008/04/24 21:52】 URL | #- [ 編集]

マルコが、離縁が律法に叶っていると言っているようには見えませんが。

姦淫の罪を誰に対して犯す、ということを細かく読み取ろうとしてらっしゃいますが、まず神に対して罪を犯しているということを忘れないようにしたいものです。

そして、この部分を詳しく読み取ったとしても、それを守ろうとするのは、イエスの意図とは違ってきます。
イエスは、離縁が罪だから離縁をしないように、と教えているわけではないからです。
ここでは、マタイもマルコもルカも、律法についてではなく、罪について教えているわけです。
【2008/04/25 11:37】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
マルコ単体で読むと、不当な結婚ならば離縁をしても貫通の罪を犯さないことになります。
イエス様の教えと違うと仰いますが、聖書にそう書かれているのでどうしようもない話じゃないですか?
【2008/04/26 04:09】 URL | #- [ 編集]

マルコが、
「不当な結婚なら離縁をしても姦通の罪を犯すことにならない」
と書いているのはどこですか?

そのように書いてある箇所が見当たらないのですが。
【2008/04/26 12:53】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
不法な結婚でしたね、すいません。
あと、マタイでしたね。逆になってました。
不法な結婚でもないのに離婚する場合ですので、不法な結婚の場合は了承されるというのが見えてきませんか?
【2008/04/26 16:00】 URL | #- [ 編集]

ここまできてやっと、一重まぶたさんの言わんとしていることがわかりました。
どうやら私の論点がずれていたようです。

マタイの福音書にあるのは、
「不貞でもないの妻を離別し、別の女を妻にする場合は姦淫を犯す」
と言っています。

マルコとルカの福音書は、
「だれでも妻を離別して他の女と結婚する者は姦淫を犯す」
と言っています。

この二つの文は同じことを言っており、矛盾していません。
マルコとルカの文には「不貞以外の理由で」という言葉は入っていませんが、この意味は含まれています。
不貞でもないのに妻を離縁すれば、誰でも姦通の罪を犯すことになる、と言っているわけです。

なぜなら、「モーセは離婚状を書いて妻を離別することを許した」という言葉が前の部分に入っているからです。

マタイもマルコもルカも、律法についてはよく知っていました。
使徒たちもパリサイ人たちも、妻が不貞であれば離婚状を書いて離別することができる、ということは知っていました。

そのことは、申命記24章1-4節にあります。
「人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならい。」


一重まぶたさんは、女性の人権がどうとかおっしゃっていますが、マタイは、女性の人権のことを言っているのではありません。

ご存知のように、姦淫の罪というのは、神と人との関係に例えられています。
神が夫で、人が妻です。

エレミヤ3章6節からをお読みになればわかるかと思います。
「ヨシヤ王の時代に、主は私に仰せられた。
『あなたは、背信の女イスラエルが行なったことを見たか。
彼女はすべての高い山の上、すべての茂った木の下に行って、そこで淫行を行なった。
わたしは、彼女がすべてこれらのことをしたあとで、わたしに帰って来るだろうと思ったのに、帰らなかった。
また裏切る女、妹のユダもこれを見た。
背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、わたしが離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、自分も行って、淫行を行なったのをわたしは見た。」
とあります。

マタイ、マルコ、ルカが言うことはどれも矛盾していませんし、旧約とも一致しています。
【2008/04/26 23:09】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
それはたんぽぽさんの解釈ですよね。
マルコとルカは不法な結婚という後は一切使っていません。
それを、不法な結婚であると前提に話すのはたんぽぽさんが独自に、聖書に語を足しているのですよ。

また、マルコの福音書が一番先に成立しマルコとルカがそれを見て新しい福音書を書いたという敬意を見たときに、マルコは独自に不法な結婚という後を付け足したと解釈できるわけです。

また、マタイは罪を「妻」に対して負うとはっきりと言っています。
【2008/04/26 23:50】 URL | #- [ 編集]

マルコですね。

「別の女を妻にする」と、前の妻に対して姦淫を犯すとあります。
妻を離別して別の女を妻にするというのは、どういうときですか?
妻が不貞を働いたときですか。
それとも、他に魅力的な人を見つけたときですか。

マタイが、「不貞のためでなくて」とつけたしたとしても、意味は変わらないのではないですか。
【2008/04/27 00:32】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
ええ、そこがあるかないかで議論は大分わかれるのですよ。
この時代律法学者は「どうやって離縁すれば神の御心に叶うのか」と本気で考えていました。
しかし、イエス様は問題の本質はそういうところにあるのではなく、人の欲望などが罪だと言っているのでしょう。
しかし、マタイによってまたどのような離縁が御心に叶うかという次元に戻ってしまっているのですよ。
さらに、マルコは妻が夫を離縁するという箇所からも女性の人権を認めていますが、他の福音書は書いていません。
【2008/04/27 02:23】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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