君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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さあ、否定しよう
僕はつい最近まで、否定することが嫌いだった
なにものも誰も人を否定する権利などない、と
僕はそう思っていた
そして、それは正しかった
否定することなんて、きっと神様にしか出来ないのだと

そして、僕はもう一つのことに気がついてしまった
なにものも誰も人を肯定する権利などない、と
自分はどうしても、無力だと

それに気づいた時に僕はどうしようもなくなってしまった
じゃあ、神様に頼るか?
自分にそう呟いた
よくいるだろ、そこから神様に頼るようになった人間が

だけど、それは駄目だった
僕はみんながよく聞く神様の声なんてものは聞いたことがないからだ
そもそもおかしいと思うんだ
神様は一人ひとりに話しかけるらしいじゃないか

だけど、人づてに聞いたことなんてないよ
「神はあなたにこうしろと言っている」
みたいな話を信じれるかい?

そのくせ、自分に語られた言葉は確信を持って言う
そんなもの確かめようがないから
ずるい話だ

僕は今でもまだなんとか神様を信じている
だけど、それもいつまで持つかなんて分からない
君が生きている
だけど、君は生きているのかい?
僕の中の真実は君にも真実なのかい?
仮にそうだとしても、僕等にそれを確かめる術なんて何処にもないんだ

まるで、声も出せない暗闇の中手探りで君を探しているみたいだよ
君はどこにいるんだい?
僕はここにいるよ
この暗闇を晴らしてくれ

イエス様、あなたはどこにいるんですか?
僕はここにいます
この暗闇を晴らしてくれ

死なないと分からないのか
だけど、死んだら終わってしまう
この世で許されているのは自己の確立まで
それ以上は、何も許されていない

人は、いつまでたっても一人だ
死ぬまで、人は一人だ
母親の腹の中、繋がっている時だけ人は一人じゃない
生まれた時点で、僕等は一人だ

だけど、それでも信じたい
僕と君の世界が交わっていると
見えないけれども
声も出せないけれども
触れることさえ叶わないかもしれないけど
僕と君は繋がっているって信じたい

ああ、なんと無力なことだろう
僕がアインシュタインだったら相対性理論なんて作らなかった

嗚呼、神様
これは人間の罪の結果なんですか?
それとも最初から人間をこう作ったのですか?
この暗闇を晴らせるのですか?

教えてください

だけど、この祈りは聞き入れられない
世の科学者が証明してしまったから
この世にまた天才が現れるまで、この闇は晴れることがない

さあ、否定しよう
存分に自分を否定しよう
それすらも虚構なのかもしれないのだから

全てを疑おう
その時だけ、僕は初めて僕になる
この世の疑いのない真実は、この世を全て疑っている僕だけだ

ああ、なんて虚しいんだろう


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この記事に対するコメント
うーん。むずかしいですねー。
【2008/04/15 12:42】 URL | ささぐ #- [ 編集]

星進一のショートショート(短い小説)の中で、こんなのがあります・・・

ある夫婦が小さな小さな悪魔を捕まえた。それをピンで刺したり殺したりしても、すぐに悪魔は生き返る。拷問をしているうちに、夫婦は毎日すっきりして過ごせるようになる。でも、ある日、悪魔は逃げ出してしまう。夫婦のストレスのはけ口を失った今どっちのせいだともめるうちに、夫婦は悪魔にやっていた暴力をお互いにふるい、夫婦は死ぬ・・・

本当は「足跡」っていう詩を書こうか、遠藤周作の「沈黙」を書こうかと思ったんだけど、、、、。
でも、神さまって、ある意味ストレスのはけ口だと思う。「なんでだよ!」って神さまになら、何でも話せる。そんな存在があるのと無いのでは、生き方が変わっていってしまうんじゃないかな。

わたしも、ジャンヌダルクみたいに神のお告げを聞いたわけじゃないけど、でも、神さまと言うような、有限なわたしには説明できない力はあると信じている。

あー、なんだか、何を言いたいのかよくわからなくなっちゃった・・・ごめんw
【2008/04/15 23:39】 URL | アッサム #- [ 編集]

「見よ。
主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、
あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、
聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1、2)

暗やみは罪の結果です。
罪が、神と人を隔てているから、罪を除く必要があります。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14、15)

ただ神を信じているだけでは罪は消えません。
パリサイ人も神を信じていましたが、贖いを正しく信じませんでした。
神のみこころどおりに信じないといけません。
贖いを正しく行使しないといけません。

旧約で、手を置いて罪を移してからいけにえを殺していたように、
イエスに手を置いて罪を移し、それから十字架で死なれたことを知る必要があります。

どうやってイエスに罪を移すか。
それには、自分の代わりに手を置いて罪を移してくれる祭司が必要です。
それが、アロンの子孫バプテスマのヨハネです。
ヨハネがバプテスマを施したとき、イエスに罪が移りました。
これを知った瞬間、自分の罪がイエスに移ります。

自分の罪がイエスに移動したことを知れば、神と人を隔てている壁が打ち壊されます。
【2008/04/16 21:31】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>ささぐさん
難しい話ですよね。
哲学なんて知らなければよかったと思っていますよ。

>アッサムさん
僕は一応神様がいることをがっつり信じています。
だけど、なんでだよ!とは言えないんですよね。
原因が自分にあるって思ってしまうので。笑
言いたいことは伝わりましたよ、ありがとうございます。

>たんぽぽさん
あー、そういう暗闇じゃないんですよ。
なんて言うんでしょう。人とどうやれば分かり合えるのか。人との境目をどうやったら消せるかという話です。
そして、贖いについては僕は全ての人に例外なく注がれていると聖書を根拠に確信を得ています。
【2008/04/16 23:22】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

聖書を信じていないのに、聖書を根拠になさるのですか?
【2008/04/16 23:28】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>たんぽぽさん
聖書を信じていない?
そんなことは言っていません。聖書を「疑って」いるのです。
【2008/04/16 23:37】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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