君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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敵を赦し、敵を愛せ
自分の敵を愛し、その人のために祈りなさい。
そういった言葉を小さい頃から聞いていた。
だから、自分の敵を愛さなくてはならないと思っていた。
憎い人も、許せない人も、自分の大切な人を傷つけた人も。
怒りながら憤りながらも、それだけでは駄目だと心の中で思っていた。
そんな自分がまるでクリスチャンの様に思えていた。
まるで驕り高ぶった自分がそこにいた。

敵と思える人間はたくさんいた。
そして、今でもたくさんいる。
自分を利用しようとする人間や、蔑もうとする人間。
無責任な福音をべらべらと語るクリスチャン達。
知らず知らずの内に差別する人達。
自分の無知や無能を棚に上げて、批判ばかりをする人。

そんな人間を敵だと思っていた。
でも、そんな人達も愛さなくてはならないんだな。
クリスチャンっていうのは大変だな。
でも、それがイエス様の言うことなんだから守らなくちゃ。
そんなことを考えていた。

でも、そんなことはどうでも良かった。
僕の大切な人を一番傷つけるのは他でも無い自分だった。
誠実に生きたいと思いながら、そうさせないのも自分自身だった。
罪を犯すのも、汚い心も、憤る行為をするのも何よりも自分だった。
僕の敵は何よりも僕だった。
それに気がついた時に、他人を敵にしていた自分の愚かさに気がついた。
他人の罪がどうこうでは無くて、問題なのは自分自身だった。

赦さなくてはならないのは、愛さなくてはならないのは自分自身だった。
それが何よりも難しくて、何よりも辛かった。
批判されている方が実は楽で、何もかも他人のせいに出来た。
愛されることは、愛されなくなる可能性も同時に手に入れることで、
信頼されることは、絶望される可能性も孕んでいる。
自分を駄目な人間だと決めつけてしまえば楽だけれども、
赦されて愛される人間だと思うことが必要なのだと知った。

今でも、まるで赦せず愛せない自分だけれども。
いつかは、赦して愛せるようになりたい。
クリスチャンの中でも自分を卑下する人達が数多くいるけれども。
何よりもまず自分を愛さなくてはならないと思うんだよ。



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この記事に対するコメント
お久しぶりです。

私は若い頃は理想が高くて、自分や世の中が良く見えたのですが、年を重ねるといろいろと自分の中にある悪について思い知らされていきました。
私は若い頃、自分のことをいい人だと思っていました。そして一重まぶたさんにコメントした頃は、自分を信用できなくなっていました。
そして今は、もっと自分が思い通りにならない存在だと実感しています。

聖書の中で、パリサイ人が姦淫の現場で捕らえられた女をイエスの前に連れてきた話があります。
ヨハネ8:4-
「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
イエスは身を起こして言われた。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

ここには、年長者から去って行ったとあります。
年を取るほど自分の悪を見ることになるからだと思います。
しかし、パリサイ人はイエスの前から去っていきました。そして女はそのままそこにいました。

私たちも、罪深い者ではありますが、イエスの前を去ってはいけないのです。
その女性は、「あなたを罪に定めない。」というイエスの御言葉を聞くことができましたが、パリサイ人たちは聞くことができませんでした。

神様は人の心に良心をくださいましたから、人には良いことをしたいと願う心があります。
しかし人には罪があります。
マルコ7:20
「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

ここには、人の心からいろいろな悪い考えが出てくるとあります。
人の心から出てくるものの中に、良さそうなものは書かれていません。
人の心からは悪しか出てこないのです。
私は聖書が神の言葉だと信じていますから、これは真実だと思っています。そして実際、自分がそうであることを見ています。

人間の考えは神に敵対することだけですから、神の言葉と、自分の考えを比べた時、いつも違和感があるでしょう。
神の言葉が信じられないという心が出てくるほうが自然です。人間は神に敵対する罪深い存在だからです。
神を信じるということは、自分を否定することです。聖書にもあります。
マタイ16:24
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 」

イエスについて行きたいなら、自分を捨てなければならないのです。つまり、神に敵対する自分の考えを捨てるということです。
人はみな、こう生きたいという自分のスタイルや、自分の願望を持っています。それをすべて捨てるということです。

人は自分が幸せになるためではなく、自分が成長するためでもなく、思い上がった自分の考えを捨て、自分の罪が赦されるために神様の前に行かなければならないのです。
長文失礼しました。
【2012/06/14 16:55】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]


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