君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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いつまでもいつまでも傍にいてくれたら
時折、聞こえてくる自己不信の言葉達がいる。
最低な思いや最低な行い。
罪深い自分はいつだってどこにだって存在している。
神様の愛に目を向けるよりも、誰かの人間的な魅力に心を奪われる。
神様を信じずに、誰かを信じる。
イエス様の再臨なんてものも待ち望まずに、10年後の自分に不安を覚える。
これからの世界よりも何よりも、これからの自分のために生きようとする。

自立してないからなのか分からないが、社会がどうなろうがかまわないと思う。
自分に益を与えないものを批判して、自分に益を与えるものを肯定する。
愛してくれる人を傍に置き、愛してくれない人を除外する。
そんなことをしていれば、いつか周りに誰もいなくなると分かっているのに。
愚かな自己保身を止めることが出来ない。

どこにも行けない自分自身の諦めがそうさせるのだろうか。
世界を幸せに出来ないのなら、せめて自分だけでも幸せになろう。
そんな風に思ってしまう自分自身に軽蔑の眼差しを向けてしまう。
さあ、行こうよ新しい世界に。
そう言って自殺を進める人達にそれは間違っているとも言い切れない。
自信を持って確信を持って言える言葉は年々少なくなっていく。
全ては相対的で絶対的なものなど何もないんだ。
そんな神様すら否定しそうな考えで生きていくようになってしまう。
そんなことは絶対に嫌なのに。

本当はいつだってクリスチャンの自分でいたかった。
毎週、毎週日曜日に礼拝を守り仲間と信仰のことを語る。
悪いものから目を背けて、神様が喜びそうなことを行う。
信徒であることに幸せを感じて、聖書の話をする。
神様からの恵を一つひとつ数えて、自分の罪を赦し願うんだ。
疑うことをせずに、祈りを捧げて全てを神様に委ねるんだ。
そんな生活をしていた自分を今で否定することは出来ない。
あの頃はあの頃でとても幸せだったもの。

だけど、今の僕はどうだろう。
まるであの頃の自分が嫌っていた「この世の人間」じゃないか。
キリスト教が教えるような罪を平気で行いながら生きている。
そして、そんな自分に悪びれもせずにいる。
放蕩息子である自分自身であるはずなのに、幸せを贖いを求めている。

間違えているのだろうか僕は。
生きる道を間違えているのだろうか。
何もかもが十代の頃とは変わっていく。
能力も何もかも衰えていくのに。
理想に燃えていた自分自身はもうどこにもいない。
自分自身への諦めが全身を支配している。
幸せを求めている自分だけが変わらない。

絶対的な愛する人がいてくれたら。
いつまでもいつまでも傍にいてくれたら。
何か変わるはずだと思っていた。
そんなイエス様がいるはずなのに。
僕はいつまでいつまでも前に進めない。
夢を追いかけることが出来ない。
それでもいいと言って欲しい筈なのに。
叱咤されたいといつでも思っている。
道を示してほしいと思っている。

この悩みがいつか何かの形になってくれるなら。
そう思い、生きている。




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