君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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聖書が救うのは僕なのか、それとも世界なのか
聖書には色々なことが書いている。
どの個所を引用しようが、伝えたいことが変わらないことなんて言うのは嘘っぱちさ。
引用を好き勝手にやれば、自殺を進めることだって出来る。
流れを無視して旧約聖書と新約聖書の引用を絡めるなんてものは常套手段でまだ良い方さ。
時には、聖書に書いていない事まで言い始めるクリスチャン達。
偽りと思い込みで作り上げた「キリスト教」を真実とするどこぞの宗派。
怒りも通り越して、別の価値観を持つ人としか思わなくなった。

それは、僕が聖書を読みこんでいかないからなのか。
僕が礼拝に大して出ていないからなのか。
そういったことを理由にしてしまえば話は簡単なんだ。
聖書を読んでいないから、礼拝に出ていないから、神様から遠ざかっているから。
疑問符を付けたクリスチャンに向けられる牙のような言葉達。
聖書を読みこんでいるから、礼拝に出ているから、神様に近いから。
そんな人達が話す魂にまるで響かない言葉が、世の中の雑音にかき消されていく。

聖書の根底にあるという価値観。
それを絶対の真実として話す人達。
「キリスト教vs世の中」の図式を作り出したい人達。
その結果、キリスト教が勝ってこの世の中の変革を望む声がたくさん聞こえる。
この世の中の全ての人がクリスチャンになれば、この世の中は変わる。
そんな声を高らかに叫ぶ人達に対して、僕は唾を吐こう。

資本主義が限界に来ていても、聖書の中に書かれている共産主義では世界は変わらない。
政治の世界にキリスト教を持ちこんでも、別に何も変わらない。
仏教もイスラームも無くならないし、ヒンドゥー教も無くならない。
情報伝達は進み、価値観の多様化は止まらない。
人々は各々の価値観を持ちながらも、似たような価値観同士で共同体を作る。
それがキリスト教なのか、それともイスラームなのか。
それだけの違いなのに、互いに真実を叫び合い争う。
それでも、キリスト教が世界を救うと叫ぶのかい。

キリスト教が世界を救わなくても、かまわない。
キリスト教が世界で一番正しくなくても、かまわない。
辛くて苦しくて、悲しみに塗れながら人生に絶望をしている時。
自分自身の価値が何も無くて、自分自身が無駄だと思いながら日々を過ごす時。
死んだ方がましだとか、でも死にたくないだとか、自分が死んでも誰も悲しまないだとか。
嘘を吐きながら、自分自身を傷つけて他人を傷つけて。
罪深い生活の中に堕ちているはずなのに希望だけは捨てられない。
そんな時に、寄り添ってくれるイエス様がいればそれでいい。
愛されるべき存在だと言ってくれる聖書があればそれでいい。
生きる価値があるんだと言ってくれる神様がいれば。
僕はそれでいいんだよ。




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