君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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神様が与えてくれた愛は幸せであることよりも遥かに大切なことで
キリスト教を信じても別に幸せにはなれない。
僕はそれをはっきりと声に出して言いたい。
幸せ、と一口に言ってしまってもそれは色々ある。
言い方を変えてしまえば、キリスト教を信じるとお金に困らなかったり、
仕事がうまくいったり、対人関係が良くなったり、心が健康になったり、
体が健康になったりするなんてことは別に無い。

時折、聞こえてくる声の中にはそんなものもある。
イエス様を信じたら鬱病が治っただとか嫌悪感しか出ない声。
聖書のリーダーシップを実践すると仕事がうまくいっただとかいう戯言。
祈った結果、癌が治っただとかいうまやかし。
そのどれもが真実かどうかも分からない。
だけれども、あたかも神様の栄光を現しているようでハレルヤと叫ぶ輩がいるのも事実だ。

幸せになることに対して積極的な人達が見ないもの。
それは、信仰生活を続けているのに不幸な人達。
僕と違い、信仰生活を続けているのに幸せになれずに教会を去って行った人達。
その人達のために祈り続けている教会員はどれほどいるのだろう。
隣に見えるきらきら光る人生をまざまざと見せつけられる泥に塗れた人達。
彼らの信仰は、幸せに生きる人達に比べて劣っているのか。
信仰が足りないから幸せだと思えないのか。
その不幸の全てを自分の内面にある心や魂が悪いからだと言うのか。
そんな馬鹿な話があるものか。

親が金持ちか貧乏なだけで、生き方が変わってくる世の中で。
どんな人生でも喜べだなんて、何故言える。
虐待を受け境界線人格性障害を患い、罪深いとされる生活に身を落としている人間に対して
清い生活をしなさいと、誰が言える。
イエス様以外に言える人間なんてものはいないはずなのに。
誰もが聖書の権威を用いて、軽々しい正義を吐きたがる。

正義の道から言えば、僕は恐ろしく罪深い。
幼い頃から信仰生活を続けているのに罪を犯す。
この世の誘惑には負けてばかりの日々を過ごしている。
人生は平々凡々で、成功を収めることも無く挑戦することも無く。
リーダーシップを発揮することも無く、他人を妬み嫉み僻むばかりだ。
この世の中の雑事からの解放なんてものはこれっぽっちもありはしない。

だけど、いいんだ。
その人生も、例えこの先の人生が不幸なものになったとしても。
家を失い浮浪者になったとしても。
神様が与えてくれた愛は幸せになることよりも遥かに大切なことで、
その環境のままに神様を信じる信仰でありたい。
それは、何よりも気高い信仰であると思うから。



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