君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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痛む心がキリスト者としての証だと信じたい
僕は正しい人間では無い。
それは聖書を持ち出して語るほどのことですら無い。
不義を犯し、人を傷つけることなんていうのは度々ある。
ただしくなりたくて、優しくなりたくて願っているのに。
それを実行することが出来ない。

今の人生をひたすらに喜ぶことすら出来ない。
現状を神様に感謝せど、不安を消えず闇の中にいるような気分になる。
照らされているはずの光を見ることが出来ない盲目な人。
祈ることさえ時には忘れ、心が神様に向いているのかどうかも分からない。

色々な若いクリスチャンの話を聞いた。
キリスト教を信じていれば、仕事もうまくいく。
最愛のパートナーにも出会える。
何があっても神様を信じていれば人生は好転する。
そんな話も聞いたことがある。

それもひょっとしたら真実なのかもしれない。
ただ単純に僕の信仰が足りないだけなのかもしれない。
僕が神様に人生を委ねていないだけなのかもしれない。
そんなことを考えていたこともあった。

でも、それはきっとそんなはずは無くて。
アメリカで貧困に喘ぎながらデモを起こしている人たちの中にもクリスチャンはきっといて。
そして、生涯誰とも結ばれなかったクリスチャンもいるはずなんだ。
貧しく誰にも看取られず、ひっそりとその生涯を終えたクリスチャンもいたはずなんだよ。
キリスト教を信じることによって、人生が好転することをもし肯定してしまったら。
暗転したまま天に召されたクリスチャン達の信仰すら僕は否定してしまう。
何物にもなれなさそうな僕自身すら否定してしまう。

僕は苦しくなるぐらいに弱い。
人生を切り開くことすらできずに、ひたすらに嘆くだけ。
そんな人生を歩んでいる。
痛いんだ心が、ひたすらに痛むんだ。
社会の理不尽や自分の弱さに心が痛むんだ。
その痛む心だけが僕がキリスト者の証だと信じたい。
僕のこの心の痛みが、いつかきっと誰かへの優しさになると信じたいんだ。




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この記事に対するコメント
こんにちわ
僕のこの心の痛みが、いつかきっと誰かへの優しさになると信じたいんだ。

痛む経験をしなきゃ、人にも優しくできないと思うんです。
そして、愛し続けると、必然的に痛むんです。
だから、あなたの心の痛みは、必ず、いやすでに、誰かへの優しさになっているように思います。
痛むまで愛してください、そうマザー・テレサは言いました。
身に沁みる、実に痛い言葉です。
【2011/12/19 06:32】 URL | Francis_max #mQop/nM. [ 編集]

>>Francis_maxさん

痛まなければ、優しく出来ないのは本当ですよね。
なのに、下の世代には痛んで欲しくない。
これも本当の心です。
マザーの言葉は、本当に身に沁みますね。
僕はまだ痛むほど愛せていません。

【2011/12/19 23:29】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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