君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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義によって傷つく人がいるのなら
思えば、ここ最近ひどい記事を書いたものだ。
自分自身への罪悪感からか、自虐の様な自己陶酔の様な。
慰められたいのか、罵倒されたいのか。
そんなことも分からないような日々だった。
僕はとりあえず馬鹿だった。

思えば、今まで自分は光の道を歩いているものだと思っていた。
キリスト教という重箱の隅をつついては、聖書の救いから漏れる人に目を向けようとした。
弱い人の味方になろうと必死に演じ、優しくあろうとしている自分を鼓舞していた。
僕は自分が正しいと思っていた。
義がそこにあるからこそ、自分自身に誇りを持てるのだと思っていた。
そう、僕は自分自身に義があると思っていたんだよ。
聖書や知識や歴史や哲学を持ち出しては、自分自身の正義を語っていた。

だけど、僕が信じる義やそういったもので僕は罪を犯した。
いや、罪と言えるのかどうかは分からない。
不正を暴いて、それを責任者に報告をして。
そして、然るべき処分を下すように根回しをした。
それだけのことだった。
社会的に見ればとても正しくて、僕に非は無かった。

その結果、待ち受けていたものは一人の人生の変化だった。
壊れたのか、元から壊れていたのか。
僕にはそんなことは分からない。
だけど、もう少しだけでも幸せな時間を過ごすことがあの人には出来たのかもしれない。

社会的な秩序が保てなくなるから。
罪には罰を与えなくてはいけないから。
会社における規律が無くなるから。
理由づけなんてものはいくらでも出来る。
正義なんてものはいくらでも作ることが出来る。
でも、理由をつけなきゃいけない正義なんてものは違うと初めて思ったよ。
自分自身とその周りの人のために、罪人とされた人の首を絞めることが正義と呼ばれることに気が付いたんだ。
そんなことも、僕は首を絞めるまで気がつかなかったんだよ。

僕と同じように、生きていたんだ。
僕と同じように、泣いて笑っていたんだ。
僕と同じように、罪を犯して悔いながらそして生きていたんだ。
僕と同じように、少しばかりの幸せを胸に抱えていたんだ。
そんなことにも、僕は今までまるで気が付いていなかったんだよ。

義によって傷つく人がいるのなら。
それは、きっと義では無い。
それは、きっと正しく無い。
ただひたすらに人を愛すことが出来れば。
誰もが傷つかずに過ごすことが出来れば。
それが、きっと義のはずだから。


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