君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


ハレルヤと叫ばなくてもいい
僕はプロテスタントの教会しか知らないけれども。
それでも、この世の中にはたくさんの宗派がある。
そのどれもが恐らく不完全で完全なものなど無いと思う。
不完全だからこそイエス様が十字架に架かる意味がある。
僕は、そう思う。

宗派の中には自分たちが一番正しいと主張する輩もいる。
決まり文句は「聖書を文面通りに受け取っているから」と言うが
実際、そんな奴らは見たことが無い。

大抵は、自分の都合の良い部分しか見ずに適当な理由をつけて
都合の悪い部分は改変していると思っている。
アーミッシュにまでなれば僕は本物だと思うが、今の日本でそこまで
文面通りに聖書を信じている人間がいるとは到底思えない。

自分が正しいと思う人間は気が大きくなるもので、
まるで自分自身の信仰が絶対かのような物言いをし始める。
それが、優しさだと思っているからか後ろめたさが無いからか。

ハレルヤと叫ぶ声は大きくなり、それに影響される人間も出てくる。
まるで、皆がハレルヤと叫んでいるかのような錯覚を覚えるが、
実際のところは、地味に地味に信仰を守っているような人も数多くいる。

誰もが不完全だから、叫びたければ叫べばいい。
ただ、それは別に正しいわけでもなく、真実であるはずもない。
それぞれの信仰を神様は知ってくださっていて、そして憐れみをくれるはずさ。
どの信仰が一番正しいかなんてことは、イエス様が王様になったときに大臣の座を争った弟子のようだ

自分の信仰が正しいと叫ぶことほど実は傲慢なことは無い。
正しいものを信じているということは、自分にはまるで正しい目があるかのようだから。
僕たちは、常に間違っている。そして、常に間違いが故に誰かを傷つけている。
そのことに涙することもあれば、認めない時もある。

だから、ハレルヤと叫ばなくてもいい。
自分自身の愚かさに打ちひしがれて、とてもハレルヤと叫べない時もある。
それでいい、それでいいんだよ。

神様はそれぞれの信仰に憐れんでくれるはずさ。
だから、ハレルヤと叫べなくても何一つ気に病むことなんかない。
僕らのそのままの、それだけを受け入れてくれる神様がいるはずなんだから。

クリスチャンだからと無理をする必要も無い。
僕らはこのままでも、充分過ぎるほどに愛しいのだもの。
愛しいと思える人たちがいるから。
だから、僕たちはこのままでもいいと信じたいんだよ。



にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン

ランキングに参加しています。ランキングを上げたくない方は、クリックしないでいいです。

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://hitoemabuta56.blog87.fc2.com/tb.php/315-332f9798



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。