君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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誠実に生きたい
誠実に生きたい。
お金を得るために吐き出す嘘も真っ平御免で。
気に入られるために上司にごまをする自分にも嫌気が差す。
ただひたすらに、相手のためを思う仕事がしたい。
だけれども、介護職なんてものは賃金が安くて今の職場から離れる気がしない。
夢や願望よりも、日々の欲望を優先している僕の苦しみなんてものは自業自得なんだろう。

何だって、こんな世界になっているんだろう。
足を踏ん張って、世間の価値観に流されまいとしても歩き出すうちに溺れてしまう。
相手の機嫌を伺っては、苦しみを抱えて吐きそうになる。
一人でいるときですら、心は対人関係の名残に支配されている。
ひたすらに自分自身に自問しては、今以上のことをしない。
努力を惜しむ自分に対して、やれば出来ると慰める。
出来ないから出来ないはずなのに。

自分自身に対する絶望を吐きだしたところで、誰が慰めてくれるわけでもない。
この社会は脱落者には不利な世界で、不登校だった時代にそれは感じた。
一度、社会の枠組みから外れた人間が復帰することさえ困難で。
仕事という言葉に縛られて、重りをつけられる。
辛いことが当たり前。
そんな言葉にいつだって騙されそうになる。

色々な意見や誇りが飛び交うような社会の中で、自分の意見を曲げない。
それは、時に美徳を生む代わりに話を聞かない言い訳にもなる。
人は一人では生きてはいけないはずなのに、他人を認めない。
そんな、大人がごろごろいる中で今時の若者や子供を馬鹿にする。

この社会は辛い。
それは、はっきりと分かってきた。
この社会は愛しい。
それも、はっきりと分かってきた。

どこにいても、人の傲慢さなんてものは表れて。
そして、優しさもどきにでも表れて。
だからこそ、ひどく混乱してしまう。

クリスチャン、この世界は大変だ。
信仰を持っていても、その信仰を社会でも貫けるなんて人は一握りで。
僕のように、この世の価値観に流される人間もいる。
信仰によって、この日本が変わるなんてことはあり得ない。
愚者が賢者のために、その身を捧げるように出来ている社会で信仰は役に立つのかい。

誠実に生きようとすれば、貧乏くじを引かなきゃならない。
それが嫌ならばずるくならなければならない。
どちらにせよ、苦しみ道になるのだけれども自由意思に採択権が与えられる。

悲しい世界だ、だけど好きだよ。
いつか、誠実に生きたい。
いつか、優しく生きたい。
そんな叶わない願望を努力することすら放棄している。

さあ、行こう。
明日も何があるか分からない。
自分自身に対しての言い訳をしている間にも明日は訪れる。
さあ、行こう。
いつか、自分の夢を叶えるために。






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この記事に対するコメント
ひさしぶりにのぞきに来ました。
一重まぶたさん、以前とはかなり変わった印象を受けました。

「義人はいない、一人もいない」と聖書にありますが、クリスチャンでさえ、その言葉を無視しているように思います。
クリスチャンなんだから、努力して善い人間にならなければいけない、と思ったとしても、人間はもともと義人ではないので無理なんですね。
聖書には人間の中にはまむしの毒があると書いてあるくらいですから。
律法には「殺してはならない、姦淫してはならない、欲しがってはならない」とありますが、頭ではわかっていても守れないはずです。なぜなら、人間の中には、殺人、姦淫、貪欲があるからです。神様はそれをわからせるために、人間に律法を与えたのです。
それを、あたかもできているかのように振る舞うからおかしなことになるんです。
そもそも神様は、守らせるために律法を与えたのではなく、罪を自覚させるために律法を与えたのです。
それなのに、守らなければ!と誤解して努力すると、間違った方向へ行き、偽善者になります。パリサイ人がそうでした。
神様に受け入れられるのは、自分が善人だと思っているクリスチャンではなく、世の中にもまれ、自分の罪に絶望した一般人です。
傲慢な人々をなんとか悔い改めに導こうと、神様はこの世に苦しみを与えておられます。人間は苦しみの中でいろいろなことを考え、神様を求めるからです。神様はすべての人を悔い改めに導こうと、待っておられます。
【2011/10/02 22:04】 URL | たんぽぽ #- [ 編集]

>>たんぽぽさん

お久しぶりです。
コメントを頂けて嬉しいです。

僕は、変わったんでしょうか。
それが良い方向なのか、悪い方向なのかは分かりませんが、確かに少し変わったかもしれません。
義人は誰もいない、イエス様の救いが必要だということは僕も思います。
救われて生きていることを赦されている。
そんな、気がします。
そんな赦されているだけの人生の中で罪人である自分でも、少しでも優しくなりたい。
完璧には無理でも、少しでも誠実に生きたい。
最近は、そう思うようになりました。

【2011/10/04 01:14】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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