君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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生まれたときから区別されている
僕は、重症心身障碍の施設に行った。
その人たちのことなんてことはどうでも良くて、
ただ単純に仕事の話をしに行ったんだよ。
その人達のことなんてものはどうでもよくて、金の話をしに行ったのさ。
あまりにも衝撃的だったんだ。
障碍を持つ人よりも、自分が持っている感情に。

肢体が変形している人を見たときの気持ち。
人間はどんな姿であろうと何一つ尊厳は変わらないと言いながら。
もはや、障碍じゃない。変形なんだよ。
体が変形しているんだ、人の顔のはずなのに人の顔に見えないんだ。
慣れてしまえば、変わるかもしれない。
けれども、僕にはそれが人の顔に見えなかったんだ。

頭の中では全てが煌めいていた、どんな人でも煌めいていた。
でも、実際に言語にはならない呻き声のように楽しげな声を出すその様を見たときに
僕の中の何かがずれたんだよ。

信仰があれば救われる。
その言葉が持つ残酷さを改めて感じたんだ。
信仰があれば、信仰さえあれば、信じることが出来るのならば。
救われるだなんてそんな馬鹿な話があってたまるか。

だけど、何よりも反吐が出るのは自分の心だ。
彼らを見たときに感じた、五体満足に対する感謝の念。
両親への感謝、神への感謝。
そんなものがを抱いてしまった自分に何よりも吐き気を覚える。

全ての人は等しく罪人で、等しく素晴らしいはずなのに。
僕は、自分の体が五体満足なことに対して感謝した。
五体満足で無い人を、心の中で蔑みながら。
自分の体が他者よりも優れているだなんて、自分の尺度で彼らを侮辱した。

僕は感謝したんだよ、自分が障碍者じゃないことに。
それが当たり前かのような社会にもうんざりだ。
例え、障碍者であろうと無かろうとその人の尊厳が生かされて
誰もがそれを認めるのが当たり前のはずなのに。
何だって、そんなこともこの世界は出来ないんだろう。

おかしいんだよ。
生まれたときから決定的な差があってさ。
その決定的な差に対して感謝したり絶望したり。
そんなものに人生が左右されてしまう社会がおかしいんだよ。

どうして、なぜ、何だってこんなにも不完全に生きるしか出来ないんだ。
なんで、誰もが皆幸せになれないんだ。
何だって見えないところに彼らを追いやるんだ。
何だって僕は彼らを心から愛せない。

醜い心を持っているのは誰でも同じはずなのに。
なぜ、僕たちはこの両手に支えきれないと決めつけて、
自分の尺度で人を排除するんだ。
何で、この心が排除するんだ。

幸せそうに笑い合っているその数キロか数十キロ先にいるんだよ。
笑う筋肉すら生まれたときから奪われた人達が。
僕らには想像も出来ないような心と体の持ち主が。
彼らの幸せが何かなんてことすら、僕には想像も出来ないんだ。

信仰がどうだこうだとか言う前に、僕たちは彼らの元に行くべきなのかもしれない。
僕らは、まず彼らの中に入らないと行けないのかもしれない。
この偏狭な僕の心に、彼らに入って貰わければ
僕は自分自身をクリスチャンとは呼べやしない。






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