君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


病が癒されたなんて奇跡よりも
これは、キリスト教に限らない話だけれども。
宗教の中にはよく奇跡が語られる。
水の上を歩きました、毒を飲んでも死にません、病が癒されました、
パンが出ました、魚が出ました、その他諸々。
そんな奇跡を僕らは聖書の中から見つけ出しては感嘆する。

だけど、それが奇跡と言われる所以は通常では起こり得ないからさ。。
誰もが水の上を歩き、誰もが毒を飲んでも死なず、誰でも傷を癒し、
誰もがパンを出し、誰もが魚を出す。
もし、世界がそうだったらそんなものを奇跡とは呼ばない。
あまりにも当たり前のことを、人は奇跡とは呼ばない。

時折、聞こえてくる。
現代でも奇跡が起きていると。
妄言か何なのかは知らないが、僕の聞いた話ではどこぞの伝道師が水の上を歩いたらしい。
船を使えば良いのにとは思ったが、何か事情があったのかと思う。
何せ水の上を歩いたんだ。そいつは、確かに奇跡だね。

病が癒されたなんて話は最もよく聞く奇跡かもしれない。
医者が見放した癌が治りましただの、神様のおかげで傷が癒されただの。
そんな話はよく聞く。
それこそ、キリスト教に限らずあちらこちらから聞こえてくる。

それは、確かに素晴らしいよ。
水の上を歩くのも、病が癒されるのも。
それは、確かに素晴らしいんだ。

だけど、そういった奇跡よりも遥かに素晴らしい奇跡なのが君が生きていることなんだよ。
父さんと母さんが出会わなかったら、祖父と祖母が出会わなかったら
いつの時代でも、どこかで誰かが今とは違う選択肢を選んでいたら
僕も君も決して生まれなかった。

そんな奇跡の上に僕らは出会い、そして心の中に何かを育み
そして、傷つけ合い、赦し合い、分かり会い、そして生きようとする。
ひどく恐ろしくなるほどに、確立の低い奇跡が目の前にあるんだよ。

水の上を歩くことにハレルヤと叫ぶよりも
病が癒されたことにハレルヤと叫ぶよりも
君が生きていることを何よりも喜ぼう。
君が生きようとしていることを、
何よりも、何よりも先に喜ぼう。

僕らは、生まれることを当然のように享受して
人間の物差しを使って君が存在すること以下の奇跡を
君が生きていること以上の奇跡としてしまう。
忘れてしまうほどに当たり前のことだけれども、
君が生きていることが何ものにも勝る奇跡だ。

君が生きていること、生きていたこと、そして死んだこと。
それが、この世の中にある最も大きな奇跡であり、
そして何よりも価値があることなんだよ。



にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン

ランキングに参加しています。ランキングを上げたくない方は、クリックしないでいいです。






スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://hitoemabuta56.blog87.fc2.com/tb.php/300-2c4ee6fc



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。