君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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弱い人
たくさんの人がいて、強い人がいる。
心の強さを持ちながら、優しい人がいて気高い人がいて。
そして、尊敬される人がいる。
その人に従えば間違いが無いなんてほどに、錯覚させてしまう信頼感。
そんな人が世の中にはいる。

そして、弱い人がいる。
心が弱い人、体が弱い人。
そんな人たちは自身を無くし、自分の行く末も分からない。
だから、キリスト教徒はそんな人たちに対して声をかける。
あなたは救われていますよ、弱さは強さなんですよと言いながら。

弱い人を助けること自体はひどく素晴らしいと思う。
だけど、信仰問題が絡むとさらに弱い人が出てくる。
信じることが分からない人。知的障碍者や、精神障碍、殺人を犯した幼児達。
救われない人々が出てくる。

聖書を全て真実としてしまえば、さらに出てくる。
同性愛者はそれだけと罪をされ、女性差別が顕著に出てくる。
そんな、状況を正しいと言えるのだろうか。
僕は、そんなことを叫んでいた。

でも、本当に弱いのは自分自身だということに気づいている。
弱い人を守りたいと願うのは、自分が守られたいからだと気付いている。
僕は、弱く卑怯でそして人を傷つける。

知的障害者、精神障碍。
そんな人たちには出来ないような方法で人の心を傷つける。
能力があるはずなのに、僕は人を傷つける。
あまりに、弱い。
自制がきかないこの心は何が足りないんだろう。
もし、それが信仰だとしたら悲しすぎる。

優しくなったり、尊敬されたり、人に影響力を与える。
そんなことに、あまりに縁が無く悲しすぎるほどに僕は無力だ。
神様に愛されて救われていることを信仰すれば死の恐怖は消える。
例え、どのような死に方をしたってその尊厳は汚されることは無い。

だから、生きることが怖くなる。
どのように生きればいいのか分からなくなる。
どうすれば、最善なのかを探しながら時間を潰し
取り返しのきかないところにまで行けば何か変わるのかな。
僕は、未だに虚栄心の泥沼から抜け出せる気がしない。

変わらずに、冷たくなるこの心は例え信仰があっても変わらない。
愛されることに、なんら抵抗が無いはずなのに愛されない。
辛いと思っても、そこには大人の責任が伴っている。
そんな世界で生きている。
そんな世界が好きでいる。

例え、誰かの踏み台だとしても何かを残せれば満足だ。
その何かも残せない人間が大半なのに。
僕の欲望はどうすれば消化して昇華するのだろう。

満足に生きることすらできない。
僕は誰かに守ってほしくて、だから誰かを守ろうとする。
そんな生き方は駄目なのかな。
未だに僕は何も分からない。






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