君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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敵は誰だ
今日は教会へ行った。
説教の冒頭で牧師様がこんなことを言っていた。
「一週間の戦いが終わって、教会に来てほっとして、また世の中へと信仰の戦いへと出かける」
僕のような放蕩息子にとっては、耳が痛い言葉だった。

だけど、思うんだよ。
敵は一体誰なんだい。
世の中には確かに誘惑があって、やましいことがある。
教会の中では口に出せないような罪深いことが平然と行われている。
だから、世の中は敵なのかな。

だけど、そこには人間がいるんだよ。
どんな誘惑にも、どんな罪深いところにもそこには人間があるんだ。
僕らは汚れた世の中と戦うとはよく聞くけど、じゃあ彼らと戦うのかい。
どうやって、何をして、僕らは世の中の人と戦うんだい。

君は間違っている。
イエス・キリストを信じなさい。
そうすれば、君はその罪深いところから抜け出せるんだから。
そんな風に戦うのかな。

それとも、近寄るなと言うのかな。
あなたは罪深いから私のところに来ないでください。
あなたは罪深いから私の耳にあなたの言葉は入りません。
私の耳には聖書通りの言葉しか耳に入らないんです。
そんな風に戦うのかな。

違うなんてことは分かっている。
キリスト教を信じていても、奇跡を願うぐらいしか出来ないほどに
絶望的な状況にある人なんてのはたくさんいる。
キリスト教の言葉じゃなくても、心を動かされる言葉なんてものも
世の中にはたくさん溢れている。

結局は自分との戦いなんだと思う。
自分がどれだけ満足した信仰生活を送っているかの自己満足を戦いと言っているのさ。
敵なんていないんだ。敵なんてものはいないんだ。
そう言い聞かせながら、また明日から誰かを敵にして自分自身を立脚させる。

そんな自分に吐き気がするのに、自分自身の力だけでは立てない。
誰かの弱さを用いて、初めて自分の立ち位置を作るほどに能力が無いはずなのに
誇りだけは一人前に持っていて、全くもって反吐が出る。
弱くて醜いはずなのに、強くて綺麗に見られたい。

そんなことを説教中に思った。
やれやれ、教会に行ってまで落ち込むなんて全くどうかしてるよ。
まあ、いい。
教会に行っただけで、今日は上出来。
そう思おう。






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