君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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キリスト教を自分が成長するために使う人たち
イエス様はどういう人だったのだろう。
僕らは、勝手な思い込みで自分なりのイエス様を作る。
そのイエス様が正しいかの判断は聖書に委ねると見せかけて、
実際は都合の良い箇所を抜き出したものだと思う。
イエス様が何を語ったのかは実はそれほど重要では無くて、
自分の価値観に合う御言葉を探す方が重要だったりする。

時に、それは旧約と新約をごちゃ混ぜにしたりする。
特定の箇所だけを強調したりする。
なぜそんなことをするかと言うと、成長したいからだ。
キリストのためにと名付ければ、全てが免罪符になると勘違いしている馬鹿も
まだまだ多くいるようだ。

そんな奴らに限って、キリストの名前を呼び捨てにしたりする。
欧米にかぶれているのか知らないが、日本人なら敬称ぐらいつけたらどうなのかと思う。
結局のところ、人格を認めていないように見えるんだ。
「イエスは~と言った」
そんな表現を見ていると、そう思うんだよ。

成長することが素晴らしいだなんてことを疑わない人間なんて大嫌いだ。
僕は信仰で成長するだとか、信仰で成功するだとか言う奴が大嫌いなんだ。
筋萎縮性側索硬化症の人間の目の前で、伝道するために成長しましょうと言え。
路上生活者の目の前で、信仰で成功するだとかを叫べばいいさ。
時と場合と相手を考えなきゃいけないようなものが、イエス様が与えてくれた福音なのかよ。
そんなもの、旧約の時代にユダヤ人にだけ与えられていた福音と同じじゃないのかい。

僕らに与えられた平安はなんなんだい。
僕らに与えられた救いはなんなんだい。
僕らに与えられた愛とはなんなんだい。

成長だとか成功だとか、そんなものに失敗しているからキリストの救いが欲しくなるんだよ。
自分じゃどうしようもないから、神様に頼って成長や成功したいわけじゃない。
失敗したと思っている僕でも、神様の目から見たら尊くて愛されるべき存在なんだよって言って欲しいんだよ。
なあ、愛って包括的なものがあるのになんだって限定的なものを使おうとするんだい。

男女差別がようやく無くなってきたと思えば、教会では同性愛を差別して
健常者と障碍者の違いもろくに理解しようとせずに、信仰と叫んでいる。
福音を限定的なものにして、隣人を限定している教会ほど
大宣教命令を大事にしたりするんだよ。
冗談が過ぎるから笑えない。

成長したいのなら、そこらの自己啓発セミナーで充分だ。
僕は別にキリストのために成長したくなんかないんだよ。






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