君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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癒されなくても神様に愛されている
癒しを求めることを責めることなどできない。
苦しみの中、ただひたすらに耐え忍ぶ美徳もあるだろう。
だけど、人間が全員そこまで強くもなくむしろ弱い。
突発的な事故や、難病に罹った時に僕らは祈る。
神様助けてください。ただ、御心ならそのままにと。

そして癒される人間が出てくる。わらわらと。
そして、証をするんだ。
癌が治りました。歩けるようになりました。
もっと凄いのになれば、癒しを求める集会さ。
癒された人は前に出てきてくださいと言えば、わらわらと驚くほど並ぶ。
なんて素晴らしいんだろう。反吐が出るぐらいに。

思えば僕が幼い頃、父親は癌だった。
クリスチャンだった僕の両親は教会の人と祈ったよ。
だけど、祈りによる癒しは与えられずに外科的な処置で癌は取り除かれた。
当たり前に幸福な出来事は、祈りによる癒しが与えられないことで
少しだけ悲しい思い出になった。
信仰が足りないかのような気分になる出来事だった。

癒しを求めることも、癒しがもたらされることも。
何も悪くない。
神様の栄光が本当に表れているのかもしれない。
その人の信仰がその人を救ったのかもしれない。

だけど、だけど常に付け加えて欲しいんだ。
癒されなくても神様に愛されているということを。
癒されなくても神様に祝福されているということを。
癒されたとか癒されないだとかで、
信仰の有無が決まるわけでも、その人の価値が決まるわけでもないことを。
いつだって、いつだって言って欲しいんだよ。

そのことを忘れたときに、泣く人が出てくるんだ。
そのことを忘れたときに、傷つく人が出てくるんだ。
癒されないのは信仰が足りないから。
癒されないのは神様に愛されていないから。
癒されないのは私が罪を犯しているから。
癒されないのなら私はクリスチャンでは無いのかも。

違うだろ。そんな馬鹿な話と思うだろう?
だけど、現実に思ってしまうんだ。
思ってしまったんだよ。
癒されたこと、目に見える祝福の証ばかりをまざまざと見せつけられ、
自分自身には何一つ奇跡が起きない劣等感。
真面目で平凡な信仰者を傷つける剣。
そんなものを生み出すことなんてないだろう?

癒されなくても神様に愛されていることに変わりは無い。
癒されなくても神様に祝福されていることに変わりは無い。
そんな当たり前のことをいちいち語ろうよ。
じゃなきゃ、愚かな僕らは忘れてしまうんだ。
喜びの花を、手を切り裂く棘に変えてしまうんだ。
そして、目に見える祝福ばかりを追い求めるようになってしまうんだよ。
そんなものは真っ平御免だ。

癒されない、奇跡も起きない、目に見える祝福なんてありませんでした。
そんなクリスチャンの人生も立派な証であり、ひたすらに神様に愛されて祝福されているんだ。
そんなクリスチャンの人生も、癒されて奇跡が起きて目に見える祝福だらけの人生に何一つ劣ってないんだ。
なあ、そうだろう?

僕らの人生はそれぞれに素晴らいんだよ。





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この記事に対するコメント
こんにちわ
僕、癒しを強調する教派は苦手です。
もちろん否定をする気はさらさらないのですが、
時にとても異和感を感じ、また、寂しい気持ちになります。

僕の母はこどもの目から見てもとても信心深いキリスト者でした。へんないい方ですが。

癌が見つかりあっけなく帰天しました。
祈って祈って祈りまくったけど、手術して半年で。
癒えることもなく。

でも、あの人らしさを失わずに死んでいけてよかったと思います。
凛とした、自分の死すら人に何かを与えるような。
もちろん癒されることを願いました。
でも、あれでよかったんだと思います。

個人的なことを書いてしまい、ごめんなさい。
とてもいい記事でした。ありがとう。


【2011/06/29 05:46】 URL | Francisco maximiliano #mQop/nM. [ 編集]

>>Francisco maximilianoさん

j実は、僕も苦手です。
でも、否定は出来ないんですよね。

個人的な痛みと、そしてその先にある心を書いてくださってありがとうございます。
このような記事にコメントしてくれて、こちらこそお礼を言いたいです。



【2011/06/29 23:59】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

お久し振り。

私の記憶が正しければ、お父さんは、確か新井宏二という牧師さんに祈ってもらい、おそらく一時的にであれ…癒されたと記憶しています。

現に、私自身、お父さんの癒しの証しを聞いています。

1985年春、私が最初に教会に導かれた時に、お父さんも私の家に来てくれたのですよ。
(お母さんのお腹の中に、子供が与えられていると言っていたかと思う。)

確かに、癒されないことを、信仰が足りないせいであるかのように言うことは、良くないですね。

逆に、癒されないことで、かえって神の栄光を現すかのような三浦綾子さんのような方もいらっしゃるわけで。
【2011/06/30 05:47】 URL | grapevine #- [ 編集]

>>grapevineさん
お久しぶりです。
最近、grapevineさんのブログを見たばかりでした。

僕の父の癒しの証を聞きましたか。
それも本当なのかもしれません。
ただ、一時的な癒しだけだったから傷ついたのも本当かもしれません。

証をすればそれがすべて真実となるキリスト教会の中で、僕の父はどのような気持ちで証をしたのでしょうね。
当時を知らない僕には分りようもないですが、父はただ単純に癒されたから証をしたのでしょうか。
証がそんなに大切なのでしょうかね。
家族が感じた気持ちを一蹴するほどまでに。

僕が言えるのはそれだけです。
【2011/07/01 00:49】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

確か、聖日礼拝の中で証しをされていらっしゃいました。
結構、自信満々な御様子で…。

K牧師は、(自分たちの教会で癒されたわけではなかったので)多少複雑な御様子でした。

当時のお父さんは、K牧師に付き従っている印象でした。

お父さんは、白いとっくりセーターを着て…親分肌で、軽くジョークを飛ばす…そのような印象が残っています。内臓を病んでいらっしゃったせいか、確かに顔色はあまり優れていなかったかも知れません。

そう、1985年、私が初めてお父さんとお会いした時に、(冗談半分で)「私、もうすぐ死にます!」と仰ったんですよ(私の記憶が正しければ、その時点で既に体調は優れなかったのだと思う)。そうはならなかったということは…少なくとも80年代の時点では癒されたのだと信じますよ。

1980年代までは…その後、色々とあったことは、私は詳しく存じ上げません。


ただ、ついでに言わせてもらうならば、少なくとも当時のJ教会はリベラルではなかったということ。K牧師も、お父さんも、私も、リベラルな環境の中では育っては来なかったのです。
【2011/07/01 06:45】 URL | grapevine #- [ 編集]

>>grapevineさん

grapevineさんが仰りたいのは、要は私の父が癒されたと言いたいのですかね。
癒されたと口では言っても、実のところ傷ついていたという視点は一片も存在しないのでしょうか。

そのように、証や祈りにより信仰を誇示することにより、実のところ寂しさを抱える人がいることは頭にあるのでしょうか。
なぜ、昨日までは信仰的に見えていた人が神様を捨てるのでしょうか。
心の内側まで、口で言う証通りの人間ばかりだとでも思っているのでしょうか。

内に、苦しみや悲しみを抱えている人間もいるんですよ。
私の父のその後も見ているはずでしょう。
それでも、私は父は最後までクリスチャンだと思っていますけど。

癒されたと言わなきゃいけない圧力があったとは考えられないのでしょうか。
そのため、自分の心との解離に傷つく人がいるとは考えられないのでしょうか。
だから、僕は言っているんです。
癒されたとか、癒されないとか関係なく神様に愛されていると言って欲しいと。

なぜ、分かっていただけないのですか。

【2011/07/01 22:36】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>要は私の父が癒されたと言いたいのですかね。

80年代後半に、客観的に私が目撃したことを書いたまでで。
ヒゼキヤ王のように、使命が延ばされるという意味での癒しもあり得るのではないか?と
お父さんの思い出話も含めて、Y君の慰めになるかなと思って書かせていただきました。

>癒されたと口では言っても、実のところ傷ついていたという視点は一片も存在しないのでしょうか。

そんなことありませんよ。察しますよ、お父さんの気持。

>私の父のその後も見ているはずでしょう。

ごめんなさい、とにかく、90年代以降、あまり教会では見かけなくなりました。
何らかの要因で、K牧師と仲違いしたらしいということと、その後も統○協会の救出活動に携わっておられたらしいということ位しか私にはわかりません。
あと、N牧師と一緒に葬儀には参加させていただきました。
たくさん、お父さんを悼んでいる方々がいらっしゃいました。
神と人とに愛されていらっしゃったのだと感じました。

>証や祈りにより信仰を誇示することにより、実のところ寂しさを抱える人がいることは頭にあるのでしょうか。

「神様が自分たちの生活になしてくださったことを分かち合う」ことが証しだと理解しています。個人的には、ありのままに証をするものだと思っているので、「それによって信仰を誇示する」というような視点は、あまり、私の頭の中にはありませんでした。ストレートな性格なもので。

>癒されたと言わなきゃいけない圧力があったとは考えられないのでしょうか。

それは私にはわかりませんよ。当時、私は教会の中枢にいたわけではありませんし。

>なぜ、分かっていただけないのですか。

わかろうと努めさせていただきます。

Y君の視点以外では、私自身、J教会で傷ついた経験は、山ほどありますし。

逆に、Y君も、私の気持を察しようというお気持はおありですか?

まあ、この辺で、失礼させていただきます。お騒がせしました。
【2011/07/02 04:45】 URL | grapevine #- [ 編集]

>>grapevineさん

癒されたとか、癒されないとか関係無しに神様に祝福されていると主張する僕に対して、癒しを強調する様のどこに分かろうと務めようとする姿勢があるのですか?

あまつさえ、最後には自分自身が傷ついたような顔をするのは卑怯です。

それでは。


【2011/07/05 00:28】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

だからさ、80年代終りの時点では、お父さんはとても喜んで証しをされていたように、私には映ったわけですよ。

その後の、Y兄や御家庭の様々な葛藤に思いを馳せられなかったことに関しては、謝りますよ(何度も言うけど、教会から離れた後のお父さんとは接点がなかった)。

話が噛み合わないのは残念ですが…最後に書いたのは…相手に理解を求めるのであれば、自分と異なる立場の意見も理解しようと努めることも大切なのでは?というようなことを言いたかったわけです。

お気に触るようなことを色々と書いてしまったようで…悪かったと思います。

理解し合うためには…実際にお会いして、じっくりと話し合わないと難しいのかも知れませんね。
【2011/07/05 06:32】 URL | grapevine #- [ 編集]

>>grapevineさん

>だからさ、80年代終りの時点では、お父さんはとても喜んで証しをされていたように、私には映ったわけですよ。

家族からこうやって傷ついたということをブログの記事とはいえ書いているにも関わらずに、

>その後の、Y兄や御家庭の様々な葛藤に思いを馳せられなかったことに関しては、謝りますよ(何度も言うけど、教会から離れた後のお父さんとは接点がなかった)。

と言っているのが全く理解できません。
最初から書いてあるでしょうが。
父は傷ついていたと。

本当に最初から、何を言いたかったのですかね。
私は父が傷ついたと言い、grapevineさんは癒されたと言う。
何を持ってすれば、grapevineさんの中では噛み合ったのでしょう。
父は本当癒されていた、ハレルヤとでも言えば満足ですか。
冗談じゃないですよ。

>相手に理解を求めるのであれば、自分と異なる立場の意見も理解しようと努めることも大切なのでは?というようなことを言いたかったわけです。

いやですね、それは全くこっちが言いたいことなんです。
最初から、そう言いたかったです。
家族が共有してきた辛さを独白しても、あなたの父は癒されていましたよと横やりを入れる無神経さは正直全く理解ができません。

はっきり、言いますよ。
そういう無神経さが人を傷つける場合もあるってことを。
証をした人間が、その証により苦しむこともあるんです。
その証ゆえに辛さを外に出せないこともあるんです。
あなたは、読みましたよね。僕のこのブログの記事を。

癒されないことがあたかも不信仰だととらえられ、自分自身を追い詰めることがあることを読みましたよね。
なぜ、そこで僕の父の証にもう少し思いを馳せてくれないのか。
「口ではああ言っていたけれども、本当は辛かったのかもな」
その程度のことすらなぜ考えてくれないんですか。
証がまるでその人間の考えを絶対的に支配するかのようなその物言いは、分かり会おうとすることに務めている人間の様にはこれっぽっちも見えません。

後、こちらが匿名で行っているのにイニシャルや関係する牧師の名前を出すだなんてことは明らかにルール違反だということは分かりますよね?
以後、気をつけた方がいいと思いますよ。




【2011/07/06 02:18】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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