君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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どれだけ言葉を紡げば偽らなくなるのだろう
求めていることは、そんなに複雑なことじゃないんだ。
君と心から分かり合いたい。それだけなんだよ。
クリスチャンだとかノンクリスチャンだとか関係なく。
ただ、君と分かり合って君の存在を喜び、僕の存在を喜んで欲しいんだ。

なのに、僕らは互いに分かり合うどころか突き放していく。
君を映す心の中の鏡は、決して君の本当の姿を映してはくれない。
僕の色眼鏡で見た、決して君ではない君を見ながら僕は君についてあれこれ言う。
そうして、互いの色眼鏡がその人の価値観自身だということに僕らは気づいていく。
見たくないもの見ずに、見たいものを見ようとする。

それなのに、僕らは互いに好きになり互いに嫌いあう。
大切な人の望まれる姿であろうと、自身を偽ることさえ苦にせず
ただひたすらに自分自身の葛藤を作り出し、矛盾を作り出す。

僕らは、いったいどれだけ言葉を紡げばお互いを偽らずにすむのだろう。
どれだけ時が経てば、お互いを偽らずに済むのだろう。
無条件に愛していると叫びたいのに、いつだって条件をつけてしか
愛していると叫べない。
なぜ、僕らはイエス様のようになれない。

信仰によって、この汚い心が変わるというのかな。
ならないと思うんだ。もし、なるのなら旧約の時代にとっくに人間は救われて
そして、イエス様が来る必要すらなかったはずだと思うんだよ。

だから、イエス様が来た。だから、救われた。
僕らは汚い存在のまま、ただひたすらに神様の恵によって救われた。
その救いを受け取る信仰は持っている。

だけど、それでも求めてしまうんだよ。
理想的な世界を、理想的な関係を求めてしまうんだ。
死んだ後にいくらでも楽園はあるのだろうけれども、
僕らが生きているこの世界の一切の悲しみや不幸を無くし、
ただひたすらに相手の幸せを願う世界を求めてしまうんだ。

無理だなんてことは分かっているのに。
僕自身にすら嫌いな人間もいるし、憎んでいる人間もいるのに。
誰だって望んでいるはずの理想的な世界は、漠然と誰の頭の中にも存在しているのに。
なぜ、僕らはそんな世界を作れないのだろう。

神様、分からないんだよ。
どう喜べばいいのか分からないんだ。
僕らは喜んでいいのかい。
救われたさ、嬉しいさ。
だけど、世界には現実に理不尽な死や心の痛みを負っている人たちがいるんだ。
僕らはその現実の中にありながら、ハレルヤと叫べばいいのかい。
なあ、神様。
分からないんだよ。

僕はどうやって喜べばいいんだい。
僕には、喜ぶことすら自分が汚いと思ってしまうんだ。
肯定してくれ、赦してくれ。
どうすれば、自分自身が生きていて価値があると思えるんだい。
分からないんだ。

一番赦せないのは自分自身なんだよ。




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