君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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借り物の言葉
キリスト教は外国の宗教だ。
だからなのか知らないが、日本のキリスト教会はとても
外国のやり方に左右されやすいと思う。
僕が皮肉る意味で信仰が熱心だったっときにもそうだった。
チェンジングライフやらリバイバルやらレフトビハインドやら
そのほか諸々の横文字が溢れかえっていた。

最近では、メガチャーチとかいう言葉が流行っているようだ。
何のことは無い。
ただ単純に、大きい教会をたくさん作ろうということだ。
千人、二千人の教会をたくさん作れば日本のクリスチャン人口も
劇的に増えるはずだということだろう。

日本語に直すといやらしい。とても、とてもいやらしい。
まるで、数を増やすことが正義かのような物言いに対して
不快感を覚える人間もいるだろう。僕がそうだ。
それを英語に直すと格好良く聞こえるから不思議なものだ。
言語を変えるだけで印象が変わるというのは恐ろしい。

メガチャーチと叫ぶ教会では、教会員を出入り禁止にすることもあるらしい。
言い分は、自分勝手な価値観を振りまき人を傷つけるかららしい。
だから、出入り禁止にしても傷ついたとは思わないらしい。傷つけたのは向こうの方だもの。

なあ、そいつは教会かい。
君の教会の苦労を僕は知らないけれども、そいつは教会なのかい。
イエス様は、そんな人たちとも飯を食べていなかったけかな。
その人が出ていくことは、君の教会の敗北だと思うよ。

借り物の言葉を持ち出して、自分自身の行いを是とする様は醜い。
醜悪とさえ思うほどの行いは、言葉によってその印象を大きく変える。
子供を学校に行かせず、宗教団体である教会で教える。
社会的には虐待とさえ言えるほどの行いも、ホームスクーリングという
言葉でハレルヤと叫ばれる。

君が求めているものはなんなんだい。
救いか、愛か、それとも布教かい。
君の隣人は一体誰なんだい。
君の隣人の中に、教会を出て行った人はいなかったのかい。

なあ、なんだってパウロの大宣教命令ばかりを重視するんだ。
イエス様が与えた新しい教えはどこへ行ったんだい。
神様を愛して、自分を愛して、隣人を愛する。
なんだって、隣人をいつだって限定してしまうんだ。

だからだよ。キリスト教が日本で広まらないのは。
隣人を自分の好きな人だけにし、一か所に固まって
未信者を敗北者に分類しているから社会に受け入れられないんだ。

単一の価値観を持つことによって集団が暴走する様を僕らは歴史で見ているんだ。
だから、多様な価値観を持とうと教育を変え、知恵を絞っているんだ。
それを横から愚かだ、愚かだと言っているだけの集団が社会の多数派になるとでも思っているのだろうか。
思っているのだろうな。いつまでも風車に向かって戦っていればいいさ。

僕は、キリスト教が無くても幸せに暮らせる世界もありだと思うよ。
もちろん、そんな世界はあり得ないのだろうけれども。





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