君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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僕らは何にだってなれる。だから辛い、だから信仰できるのさ。
子供達には無限の可能性が待っている。
そして、僕たちにも無限の可能性が待っている。
僕なんてものは、まだ25歳で若い部類の人間だ。
だから、死ぬ気になって取り組めばきっと案外と叶うことの方が多いんだろう。

いつだってどこだって、可能性はそこにいて僕たちに手招きをしてる。
目の前に崖があろうとも、そんなことはお構いなしに希望達は呼びとめる。
崖の下には絶望がいて高笑いをしているけれども、前を見れば崖の向こうで希望も笑いかけている。

どこにいても何をしていても、今の僕とは違う自分の可能性が目に入るんだよ。
そうなんだよ。あるんだ、可能性は。
世界中の人間が心からイエス様を信じるような可能性もあるんだよ。
超天文学的に低い可能性ながらもあるんだ。
それと、同じように僕が世界を平和にする可能性があるんだよ。
超天文学的に低い可能性ながらもあるんだ。

その超天文学的な希望を胸に秘めて伝道するクリスチャン。
なのに、僕は何もしない。
到底起こりえないことを声高らかに叫ぶクリスチャンを嘲笑っているはずなのに、
僕は自分が世界を救えないことに絶望している。
向こうは、ほんのわずかな希望を信じて動いているのに、
僕は自分の欲望優先して半分も死んだ気にならずに日々を過ごしている。

偽善者は果たしてどっちだい。
僕かい?君かい?
きっとどちらも正解になる可能性は全てに含まれているんだ。

そうさ、僕らは何にだってなれるんだ。
だから、辛いんだよ。
まるで、何かになれと言われているようでさ。

死ぬ気になんて到底なれない僕は、果たして神様からの使命を全うしているのかな。
それとも、神様の意に反しているのかな。
誰か、そのままの君でも素敵だよって言っておくれ。
だけど、そんなことばかり言われたら何もやる気をなくすのはそれも真実で。
停滞に進もうが進歩に跨ろうが、行き着く先には絶望の奴も希望と一緒についてくる。

たとえ、どんなに何かを成し遂げようともきっと無力な気持ちは続くのだろう。
だけど、何かを成し遂げたいと思う心も確かにあるんだ。
人のためにただ一心不乱に働く自分の可能性も、
人を騙して金を奪う自分になる可能性も、
ただただ内包しているのはそれぞれの心と、そして神様なんだ。

まったく、こんな心があったんじゃ神様を信じたくなるよ。
意味も無くこんな心があったんじゃたまったものじゃない。
この心に意味があると思いたい。
それが、僕の信仰の礎だ。

こんな無知の自分の心すら愛の結果だと思いたい。
そうじゃなきゃ、僕らは無駄に辛すぎるよ。





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