君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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優しさを偽るな、優しさは必ず君の中にあるから
利己的な人間は嫌いじゃない。
というよりも、人間全体が結局のところ利己的だなんてことは
誰もが経験則で身につけている暗黙の了解だと思う。
だけど、僕が嫌いなのは利他的に見せかける人間のことだ。
こう言えば、頭に思い浮かべるのが偽善を気取るどこぞの太った社長の顔でも思い出そうとするが
あんなものは可愛いものだ。
誰もが、見ても分かるような人間を隠れ蓑にする人たちもいる。
そして、クリスチャンの中にもいるんだよ、自分がまるで綺麗な心を持っているかのように振舞う人間が。

例えば、周りに困難な状況にあった人間がいたとする。
癌になった子供なんていうのは分かりやすい例だ。
その子の困難を試練と置き換え、神に祈る姿を見せつけ、懸命に看病する周りの人間の信仰を素晴らしいと褒め称える。
反吐が出そうなぐらい、偽善的な行為にしか見えない。
悲しみを偽った喜びで周りに見せないようにして、自身の信仰深さや優しさを表そうとする。
そんな人間が僕は嫌いだ。

そして、熱狂的な祈りなんてのも嫌いだ。
ブログに神様だとか何だとか言う人間も嫌いだ。
聖書には、祈るときは家でひっそりと祈れと書いてあるのに。
なぜ、その聖書の箇所には忠実に従わずに簡単にハレルヤと叫べるのだろう。
意味がわからない。

何だって、みんな立派な人間に見られたいんだろう。
利己的な人間に見られたくないからさ。
何か一つ良いことをしても、立派な人間じゃないと下心があるのかと邪推されるのが嫌なのさ。
自分自身に自信を持って、誰かに何かれ言われたくないから自信を立脚していくのさ。

利己的な自分を偽ろうとして、優しさすら偽っていく。
本当に行いたい優しさすら、信仰で覆いかぶせて本来の姿とは遠いものしていく。
偽るなよ、優しさを。
優しさなんてものは誰の中にでもあって当たり前のものだろう。
利己的な自分も誰の中にでもあって当たり前のものだろう。

なあ、立派な信仰的な人間じゃなきゃ教会にいることが出来なくしたのは誰だい。
教会に行きながら、目に見える罪を犯す人間を白い目で見るようにしたのは誰だい。
風俗嬢が風俗嬢のまま信仰生活を行えなくしたのは一体誰だい。
殺人者が熱心な信仰者にならなきゃ教会にいれなくしたのは誰だい。
教会から、言論の自由を奪ったのは誰だ。

信仰という名の、暗黙の了解で人をがんじがらめに縛りあげて、聖書に書いてあるような
杓子定規な優しさしか行えなくしている教会なんてものはきっとごまんとあるさ。

優しさを偽るな、偽らせるな。
そんなものは誰の中にもあるんだよ。
それが目に見えてなくてもあるんだよ。
だから、信仰的なフィルターなんかでそいつを覆いかぶせるな。

君は、きっと君が思っているよりずっと自由なはずなんだ。






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