君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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省略される愛
キリスト教を語るときに、どう語るんだろう
救いの宗教と言うのか、愛の宗教と言うのか
義なる神様と、愛なる神様との板挟みな僕らは
案外とそいつを自分に都合よく使い分ける

クリスチャンならきっと一度は言ったことがあると思うんだ
「信じるだけで救われるんだ」
でも、僕たちが欲しいものは何だろう
救いが欲しいのか、愛が欲しいのか
ありあちなのは、神様の愛の結果が救いだという論理展開で
愛はどこから来て、何をもたらすのかという話は省略する

愛の宗教と呼ばれて久しいが、それほど実は愛を強調しているわけじゃない
違うか、神様の愛とやらは多く語るんだ僕らは
でも、自分たちの愛については語らない
神様から愛を受け取っているというのに、僕たちは未だに愛を知らない

不思議でしょうがないんだよ
僕たちは、信仰についてはああだこうだと議論して
あれが信仰です、これが信仰です
彼には信仰がありません、彼の信仰は異端です
そんなことを、喧しく喚いているのに
愛については、口を閉ざす

愛しているよ
そんな、簡単な言葉を堂々と吐いても疑われない
愛ってなんなんだい
神様を愛するだとか、人を愛するだとか
そんなことをもっと語れよ

信仰についていは、学問かと思うほどに熱心なのに
愛については無関心
愛の反対語も無関心
信仰に熱狂的になるのが、愛なのかい
神様、神様と叫んで疑う心を消して
「聖書的」だとか呼ばれる生活を過ごしていけば、愛なのかい

僕たちが本当に欲しいものは何なんだい?
救われた、救われたと叫んで心の中に充足感が芽生える
だけれども、現実は増えても減りはしない

救われる前にあった辛い現実は、そこにあって変わらなくて
救われたって信仰があっても、辛くて切なくて目を背けたい
だけど、そんなことを言ってしまったら不信仰に思われるんじゃないか
勝利しているはずのクリスチャンなんだから、神様がついているんだから
私はこの世より、自由で幸せでなくてはならない

そんな、気持ちになったことが僕にはある
でも、そんな気持ちになることは本当に正しいのかい?
救われているから幸せです、成長します、伝道します
そういった言葉よりも、愛しているって言われて
じゃあ、愛ってどういうものなのって話をされる方が日々は楽しい
そして、何よりも癒される

僕たちが与えるべきものは、充足感と癒しとどちらなのだろう
僕たちが与えられるべきものは、充足感と癒しとどちらなのだろう
愛をもっともっと知りたいな
信仰にかまけて、愛を省略したくはないな
愛の無い信仰なんざ、何の意味も無いんだもの




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