君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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真実と差別
僕らが最も犯しやすい罪
その一つに、差別があると思う
差別というよりも、他人の否定
他人を認めないというよりも、そもそも視界に入らない
そんなことが、僕らにはままある

その中でも、一番性質が悪いのが自覚の無い差別
本人自身が気づいていない反吐が出るような差別さ
キリスト教徒は、そいつを平気で犯す
他人の審判を、いともたやすく侵犯していく

君が、そして僕が、イエス・キリストは救い主だと告白する
僕らの中に新しい真実が宿る
イエス・キリストが救世主だと僕らの、そう僕らの心の内に宿る
だけど、そいつを真実だとなぜ他の人にいとも容易く言えるんだい

君の喜び、君の楽しみ、君の平安
嗚呼、なんて素晴らしいんだろう
だけど、そいつは他人にとってはドブみたいなものかもしれない
それとも、君が言う通り素晴らしいものなのかもしれない

だけど、そいつを証明なんて誰にも出来ない
だから、「信仰」なんじゃないかい?
信じて仰ぐ、それだけのはずだろう
確信やそいつを事実として捉えた瞬間に、
僕らは信仰を失うと思うんだよ

なあ、そして差別をしていくんだ

「キリストを信じるだけで救われる」
「キリストを信じなきゃ救われない」

「聖霊様が導いてくれたから、心に平安が宿った」
「心が平安じゃないのは、聖霊様がいないからだよ」

「信仰により癒された」
「癒されないのは信仰が無いからだ」

「クリスチャンはやっぱりどこか違う(良い意味で)」
「ノンクリスチャンはやっぱりどこか違う(悪い意味で)」

「私は信仰により、本物の愛を知りました」
「あなたは不信仰だから、本物の愛を知りません」

そんなつもりで言った覚えはない、否定的に捉えすぎだよ
これはあくまで、私の心の内を話しているだけ
神様を知った喜びを他の人にも伝えたいの
と、言う風に僕らは僕ら自身を騙していく

一つの言葉には複数もの意味が宿る
何かを真実だとしたら、何かが嘘になる
何かを正解としたら、何かが間違いになる
もし、君がキリスト教が唯一の真実だと言うのなら
この世の中の大半は、偽物になる

君は、ひょっとしたら堂々とこの世の中は偽物だと言うのかもしれない
そいつが、何よりも反吐が出るのさ
君が聖書を絶対の真実だと、個人的な体験とそれを強化してくれるコミュニティによって
堂々と話すのかもしれないけれども
そいつは、僕にとっては自分自身の勝手な想いで他人を差別していく律法学者さ

なあ、愛するということを考えたときに
出てくるのが、未信者を否定する言葉なのかい
僕は、それに関しては間違っていると言いたいんだ
その点で、僕は君を間違っていると差別してしまう
だから、僕は唾棄すべき偽善者で、きっと君とも分かりあえないのかもしれない

なあ、本物の愛はどこにあると思う
僕には、そいつがさっぱりだから差別するものになってしまうんだ
もしも、君が本当に知っているのなら、教えてくれないか
なにせ、僕は自分の心の中以外で神様に会ったことが無いんだよ













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