君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


クリスチャンとして
クリスチャンとして生きる
僕は自分の人生をその決意のもと生きています
だけど、クリスチャンとして生きるとはどういうことなのだろう
そのことを考えてみたいと思います

オーソドックスの答えとしては、聖書に倣って生きるということでしょう
しかし、安易にその答えに僕は賛成できない立場です
なぜなら、聖書はその解釈次第でいかようにもなる危険性もはらんでいるからです
いや、聖書というよりも人間の内にそういう危険性があると言った方が正しいでしょう

そもそも、クリスチャンとはイエス・キリストに倣うものです
しかし、ガンジーはこう言っています
「キリストは好きだがクリスチャンは好きじゃない キリストのようではないから」
この言葉を考えた時に、僕等はクリスチャンとは何かをもう一度問い直すべきだと思うのです

新約聖書の中で、パウロがキリストに倣うとはどういうことかをつぶさに書いています
しかし、それは本当にキリストに倣う姿勢なのでしょうか?
パウロの主観、その時代の歴史の主観が入っていると僕は考えています

愛と救いを説いたイエス・キリスト
しかし、パウロのクリスチャン像は救いの方面に特化していると思うのです
無ければ信仰すら無意味だと言われる愛がおざなりになってはいないでしょうか

人を愛す、人を憐れむ
それは一体どういうことなのでしょうか
ノンクリスチャンを見て、救われていないから可哀想だと思うのは果たして愛でしょうか、憐れみでしょうか
僕の答えは否だと思います

なぜ、その人がノンクリスチャンなのか
そもそも僕等が考える救いとは果たしてその人にとって本当に救いなのか
自分達のエゴは無いのか
隣人であるその人に対して何が最善の道なのか
伝道なのか、友情を結ぶことなのか
それとも、その人の生き方を深く理解し、自分自身を変えていくことなのか

そこまで考えて初めて、愛の入り口に立つのかもしれないな、と僕は思うことがあります
それと同時に知的な障害によりそこまで考えれない人を見たときに、その存在だけを見て愛の塊だな、と思うこともあります

つまるところ、僕等は何も知らないということです
であるから、謙虚にならなきゃいけない
僕は、そう思います
それこそがまずキリストに倣うものとしての第一歩なのな、と最近は思います

あえて、その道を自ら踏み外す時もあるんですけどね
飄々と生きたいものです



にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン
スポンサーサイト


この記事に対するコメント
生きるとは何でしょう・・・・。
v-4 v-1
     
はじめまして。
この新しい年はどのような年になるのでしょうか。

人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
最近、「生きる意味が分からない。死にたい」という人が急増しているように感じます。

明日に希望が持てない不安な時代でもあるからでしょう。

しかし、こんな言葉を最近聞いたことがあります。
「あなたが”死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に”生きたい”と思って努力した明日なのです。」

人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)                   

「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705

「人生の目的と意味は何か」:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519

 
【2009/01/10 12:18】 URL | 冬目漱石 #mQop/nM. [ 編集]

>冬目漱石さん
聖書から解き明かされても、僕はきっと納得は出来ないでしょう。
申しわけございません、僕はそういう人間なのです。
聖書から自由になりたい。僕は、そう願っている人間です。
【2009/01/10 22:02】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://hitoemabuta56.blog87.fc2.com/tb.php/169-310ccda6



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。