君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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なぜ、救いを軽々しく言えるのか
今まで、散々愛について語ってきました
しかし、僕はこれまであまり「救い」に関しては語っていませんでした
僕自身は、「救い」というのはあればラッキー程度のものでなくても大して困らないものだったんです
だけど、今回はあえて「救い」について書きたいと思います

そもそも僕は救われている、救われていないと分けるのが嫌いです
クリスチャンは救われている
ノンクリスチャンは救われていない
そういう意識がそもそも間違っている
僕はそう思っています

信じれば「救われる」キリスト教
しかし、なぜ他人を見てこの人は信じていると断定できるのでしょうか
口で言っていても嘘かもしれない
ノンクリスチャンが信じていないといっても本当は信じているかもしれない
もしくは、信じているつもりでも実は全然別な理由で信じているかもしれない

そんな状況です、今の社会は
それなのに、クリスチャン、ノンクリスチャンかによって容易に救われている、いないを分ける
これは、おかしいです

行いに表れると反論するかもしれません
しかし、人の心はすべて行いに表れるでしょうか
思いとは裏腹な行動をしてしまうことも多々あります
それなのに、行いで判断できますか?

聖書にも書かれている通り、救いとは恵です
その決定権を握っているのはすべて神様であり
僕等が何かそこに出来ることはありません
救いとは、人間と神様の一対一の関係の中にあるのです

ですから、救われている救われていないとぐだぐだ言うのはやめた方がいいと思います
愛について、いくら語っても救いが出てきたとたん利己的な面が顔を覗かせます
救いは素晴らしいものです
しかし、それが第一になってしまい、僕等の信仰がそこだけにいってしまったら
僕等はクリスチャンと言えるのでしょうか

今日、イスラエルとパレスチナが争い、アメリカが戦争を起こす世界に
クリスチャンとは何かとまた一つ問いかけていきたいと思います




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この記事に対するコメント
この、パレスチナとイスラエルが争う世界にこそ、クリスチャンが果たす役割があるのではないかと思っています。

クリスチャンの方って、どうも、パレスチナ問題を避けているように見えてしまうときがあります。
【2009/01/08 21:29】 URL | いづみ #- [ 編集]

>いづみさん
具体的にはなんだと思いますか?
クリスチャンが果たす役割とは。
【2009/01/09 17:43】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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