君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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誰だって傷ついている、誰だって理解されたいと思っている
この世の中には、色々な人たちがいる
優しい人、厳しい人、謙虚な人、高慢な人
お金が好きな人、恋人が好きな人、人が嫌いな人
実に様々だ
だけど、そのなかで「傷ついていない人」はいないと思う

誰だって、傷ついている
その傷を癒したがっている
その傷があることを、理解して欲しいと思っている
そして、慰めて欲しい、優しくして欲しい
当たり前の感情だ

中には、その感情をぐっと押し込んでいる人もいる
その人たちには、頭が上がらない

その中で、傷ついている人たちを癒してくれるのがイエス・キリスト
と、世のクリスチャンはよく言う
それ自体を間違っているとも思えないし、全てを批判できるわけでもない
だけど、現実はもう少しだけ複雑だと思うんだ

「神様が、特別な恵を与えてくれた」
この言葉に傷つく人も多い

病気が癒された経験がある人は、大々的にハレルヤと叫ぶ
その傍らに、末期的な癌で死に掛けて癒されない人がいる
お金が無い時に、不思議とお金が入ってきた!ハレルヤ!
スラム街では少女が体を売って、お金を得ている
就職できた、ありがとう神様!
ネットカフェで寝泊りする、彼は?
私のこれまでの人生は、本当に祝福されています
私のこれまでの人生は、実父に性的虐待を受けてその上二十歳を迎える前に殺されました

嗚呼、ハレルヤ

現実はこんなものだ
気の持ちようか、信仰の問題なのか
何が問題で、失意の内に死んでいく人が存在するのだろう
神様が素晴らしいことは分かっているよ
だけど、君の人生が素晴らしいことは聞いていない

ひがみと仰るかもしれない
まさしくその通り、僕はひがんでいるのです
恵まれた人生を送っている君に
そして、それが信仰であるが故と言っている君に
運じゃなくて、自分の信仰が君の人生を祝福していると言っている君達に嫉妬しているのです

と、まあ正直な気持ちと一緒に純粋な怒りも覚えるのさ
ブログでも何でも、傷ついているであろう人たちに平気で無神経な言葉を吐く人間もいる
全部じゃなくて、一部だけだけどね
そいつは、キリスト教が問題なのかい?それとも、そいつの仕業かい?
一部の個人のせいにして、自らを省みないのならばそいつは変だ

もう一回、傷というものを考えてみよう


※クリスチャンがイデオロギーに左右されず話し合える場をネット上で作りたいと思っています。
賛同、協力してくださる方はメールをください
hitoemabuta56@yahoo.co.jp



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この記事に対するコメント
>まさしくその通り、僕はひがんでいるのです
恵まれた人生を送っている君にそして、それが信仰であるが故と言っている君に
運じゃなくて、自分の信仰が君の人生を祝福していると言っている君達に嫉妬しているのです
一重まぶたさんのこのブログに書き綴る、動機というものが垣間見えた気がします。
嫉妬とは辞書で「人をうらやみ妬むこと」とありました。
クリスチャンと自称される一重まぶたさんが、嫉妬やひがみを持っている自分を放置しそれを正当化されている事に驚きです。
神様の教えに従うクリスチャンは、イエス様が悪だと公言した「人を妬む」という思いがあればそれを罪と自覚し、神の前に悔い改めて自分を清めようとします。
一重まぶたさんはそのような事はされないのですか?
そういう自分の中の罪とは戦わないのですか?

>病気が癒された経験がある人は、大々的にハレルヤと叫ぶ
その傍らに、末期的な癌で死に掛けて癒されない人がいる
だから神様をほめたたえるなとでも言いたいのですか?
イエス様が数々の癒しをされた時に、「癒されていない人もいるのだから、その人が傷つくから喜ぶな」などとは言いませんでした。
その人達が喜び叫んだ事で皆に伝わったから、更に多くの人々がイエス様の元へと導かれたのです。
>就職できた、ありがとう神様!ネットカフェで寝泊りする、彼は?
だから神様に感謝するなとでも言いたいのですか?
確かにこの世は不公平に満ちているように見えます。
不幸な一生で終わるような人もいます。聖書でもそのような人がいました。
ラザロと金持のイエス様が話したラザロです。
生きている間悪いものを受けていたラザロは天国で真逆の幸せを得ます。
普通のクリスチャンであるならば、全ての幸いでない方々がラザロのような天での幸福を得られるようにと願いつつ、自分自身の受けた恵みに感謝し神様を褒め称えるのではないですか。
それの一体どこが非難される必要があるのですか。
>ブログでも何でも、傷ついているであろう人たちに平気で無神経な言葉を吐く人間もいる
「傷ついているであろう人」実在するかどうかもわからない、「平気で無神経な言葉を吐く人間」これも抽象的で一体どんな言葉がそれに当たるのかもわからない、推測するだけ。
こういうはっきりしないベールに包んで、実在するかどうかもわからない第3者の代弁者としてそれをしている犯人はクリスチャンだと非難する事が一重まぶたさんの正義なのでしょうか。
【2008/10/30 21:15】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
お久しぶりです。愛想をつかされたかと心配していました。

まず、ブログを書く動機ですね。
僕は、全ての人が幸せな世界を望むものです。じゃなきゃ、既存のクリスチャンを批判したりなんかしませんよ。

あと、神様を褒め称えるな、と言っている訳ではありませんよ。
しかしながら、そういう人の中には「恵」が信仰の動機になっていたりしませんか?
また、癒されない人に心無い言葉をかける人はいませんか?
人生に失敗し、ホームレスにまで身を落とすクリスチャンに対してはどのように?
ただ、自分の人生が祝福されているからハレルヤと叫ぶ人間は、もっと慎み深くなるべきだと思うのですよ。
どうあがいても、神様からの特別な恵が来ない人たちの気持ちは、神様があえて恵を渡していないとでも?

そして、平気で無神経な言葉をかけられ傷つく人間はいます。
僕の両親。僕の友人。僕の知り合い。
いますよ、いくらでも。
【2008/10/30 21:59】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>全ての人が幸せな世界を望むものです。じゃなきゃ、既存のクリスチャンを批判したりなんかしませんよ
つまり既存のクリスチャンが、全ての人の幸せな世界を邪魔しているとでもお考えですか。
ハレルヤと慎みも無く叫ぶから?じゃ全世界の人はクリスチャンが静かにしていれば皆幸せになれると言うのでしょうか。すごい発想ですね。そんな事ぐらいで世界が幸せになれるなら本当にいいですね。けど子供でもそんなおかしな言い分に共感なんて出来ません。本当に全ての人が幸せな世界を望んでいるというのなら、もっと他の政治や経済等について建設的に語られたらいいでしょう。
そうではなく、それを理由にクリスチャン批判を延々としているところに一重まぶたさんのクリスチャンに対するコンプレックスがあるように感じられます。
だから嫉妬もし、妬みもするのでしょう。それがあからさまにはならないように傷ついた人弱い人を話題に出してきて語られているように見受けられますが、私にはそれがとても偽善的にうつります。
>どうあがいても、神様からの特別な恵が来ない人たち
どうしてそう断定できますか?イエス様の約束の「求めなさい、そうすれば与えられます」の言葉を信じていないのですか?問題が神様の方にあるとでも言いたいのですか。
ラザロに与えられた恵みは特別な恵みではないのですか?
>そして、平気で無神経な言葉をかけられ傷つく人間はいます。
僕の両親。僕の友人。僕の知り合い。 いますよ、いくらでも
確かにいるでしょうね。
一重まぶたさんは「自分は平気で無神経な言葉をかけない」と言える自信がありますか?どんな立派な人でも100パー無理でしょう。そんな完璧人間は存在しないし。
つまり誰でも傷つける犯人となりうるのですよ、クリスチャンも含めて全人類が。
同じ言葉を複数の人にかけても受け止め方は様々です。
私が以前落ち込んでいた時に、普段なら何気なく聞く人の言葉に敏感に反応して傷ついたことがあります。別にその人に悪気は無かったのですが。
でも受け止める私の方にゆとりや余裕がなかったのでしょう。沸点が低かったとでも言ったらいいでしょうか。
すぐに許容量満杯で被害者意識を持ち、赦せないと感じました。けど今現在同じ言葉を聞いても、こういう理由で私に言ってくれているのだなとか冷静に判断し受け止められる自分がいます。
今は落ち込んで自分の事でいっぱいではないからです。
誰でも人の心の奥底までは分かりません。笑顔の裏で心は悲しんでいる人も多いのです。
だから相手の状態を完全に読み取れずに「無神経」ととられる言葉を人は出してしまうのではないのでしょうか。そして聞いた人は傷ついたと感じる。私達人間ってプライドもあるものだから、傷ついたとも素直に相手にも言えずにまた悶々とする。そうなって繰り返していくと負のスパイラルで人を信じられなくなって、善意からの言葉でさえも悪意に取ってしまったりと最悪になってしまう事もあります。
ま、誰が聞いても「これはひどい言葉だ」と思うようなものは論外ですけどね。
しかし{「無神経」ととられることば}というものは「無神経」という定義がその人それぞれの感じ方で変わるのですから、その言葉自体を提示して議論した方が良いと思います。
てか実際に傷ついているのは、不幸な第3者というより一重まぶたさんなのでは?

>そういう自分の中の罪とは戦わないのですか?
この質問に答えてはいただけませんか。
【2008/10/31 15:21】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
クリスチャンが叫ばなければ、世界が平和になるとは言った覚えが全くありません。
拡大解釈のしすぎです。
やり方が、違うと言っているのです。
でも、あなたは哲学やそのほかの知識を否定するでしょう?
それじゃ、いかんと言っているのですよ。
僕の動機がコンプレックスだけと断定するあなたが分かりません。僕の中に、愛が何もないと仰るのですか?
もし、そうならばあなたは裁くものですよ。
また、自分の幸福は他人の不幸にもなりえるのです。
そのことは分かるはずです。
それを知っていれば、慎み深くなるはずでしょう。

また、自分の罪とは戦わないのですかとの質問ですね。
戦ってますがな。

そして、あなたは僕のブログの一部を取り上げて全体を通して伝えたいことを曲解していますよ。
僕は、問題提起をしているのですよ。
【2008/10/31 21:51】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>やり方が、違うと言っているのです。
そうストレートに言ってもらった方が、誤解がなくていいですね。
>でも、あなたは哲学やそのほかの知識を否定するでしょう?
ん、これは拡大解釈では?
哲学の意味の中に「自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。」とあります。
私は聖書の知識に反しない知識は否定をしていませんよ。
もちろん聖書の知識の方が上位ですが。
>僕の動機がコンプレックスだけと断定する
こちらも拡大解釈です。「コンプレックスがあるように感じられます」と書いただけで、動機がコンプレックス「だけ」と断定はしていません。
>もし、そうならばあなたは裁くものですよ。
一重まぶたさん、このブログの中ではあなたがクリスチャンに対して「裁くもの」の主役となっているのではないでしょうか。
それを「皮肉を言っただけ」なんて答えないで下さいね。皮肉には「遠まわしに意地悪く相手を非難すること」という意味があるのですから。
>また、自分の罪とは戦わないのですかとの質問ですね。 戦ってますがな。
つまり妬みの罪と戦ってはいるけれど、神の前に悔い改めて自分を清めようとはしていないということですか?
>あなたは「僕のブログの」一部を取り上げて全体を通して伝えたいことを曲解していますよ。僕は、問題提起をしているのですよ。
「僕のブログの」と言うところを「クリスチャンの」と置き換えて読んでみてください。
一重まぶたさん自身も曲解をされていると、私も問題勃起をしているのです。

そして問題勃起の為だけなら、もっと慎み深い発言でも良いはずでは?
【2008/11/01 00:33】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

飛び火になりますが、こちらの方が話しやすいので切り替えさせていただきますね。

話の根本的な問題と思われるところの整理を試みさせて頂きます。

1. クリスチャンは一色単ではなく、まぶたさんのようなクリスチャンが居てもいいんじゃないの?と公言している。

重要な点は、クリスチャンの定義にあると思うのです。何を持って、キリストは、クリスチャンを定義したのか?(かあちゃんさんは、これをされていると思いますが)

キリストを神と信じる以上は、彼の言う事を信じるわけで、それを知るためには、聖書が最も適した文献です。

この点で一致できないようであれば、上記の話は成り立たないし、議論の対象を聖書の歴史的正当性に向けるべきでしょう。

聖書に聞かないのであれば、それはキリスト教ではなく、いくらキリストの名前を使っても、作られた宗教に過ぎません。それは、エホバの証人も行った事です。

感情や人ではなく、聖書を軸に向ける事が、私たちが同じ土俵に立って知性によって話せる内容かと。
【2008/11/01 15:42】 URL | Tria #- [ 編集]

>かあちゃんさん
ストレートに言って聞くような人たちだったらそうしてますよ。
また、僕が言う哲学とはそのようなものではありません、
しかも、それじゃ結局聖書だけでしょう?
>そうではなく、それを理由にクリスチャン批判を延々としているところに一重まぶたさんのクリスチャンに対するコンプレックスがあるように感じられます。
だから嫉妬もし、妬みもするのでしょう。それがあからさまにはならないように傷ついた人弱い人を話題に出してきて語られているように見受けられますが、私にはそれがとても偽善的にうつります。

これ、拡大解釈ですか?

そして、僕が傷ついていると言えば、偽善的と仰り他の人の例を出すと僕が傷ついていると言う。
どうすればいいのですかいな。
そして、少なくともこの記事では僕は問題提起ですよ?
それを、僕のブログ全体を批判している。
自分が絶対正しいものに反論する時に、腰を低くしても聞いてはくれないというのが、僕の経験からの結論です。
そして、嫉みですね。
ねたみはしますけど、そっちの方がいいなあ、とは思いません。
そっちの方向には行きたくない。だから、別に悔い改めるまでもないな、といった感じですよ。

>Tiraさん
キリストはクリスチャンを定義していないと思います。
そもそも、イエス様は今で言う儀式的なことはそんなにしていなかったですし。
また、聖書の歴史的正当性は微妙といった立場です。僕は。
【2008/11/01 17:20】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

「思います。」では、多くのクリスチャンを説得する事はできないです。何故なら、聖書を信仰の土台に、置いているからです。

「聖書は、貴方の信仰の土台ですか?」と尋ねれば、ほとんどの自分を「クリスチャン」と呼ぶ人は、「はい」と答えます。

まぶたさんが、いくらそれだけがクリスチャンではないとここで言って、貴方がその土俵に自分が入って、自分や哲学者の思想にクリスチャンを立たせようとしても、それは無駄な事です。

それをする限り、貴方はいつまでも「わからない」と言う事になります。そして、一致する事もできません。

確かに、キリストは、クリスチャンという言葉を使っていません。使徒11章26節で、初めて使われた言葉です。

しかし、キリストは、彼を信じる者とその意味を定義しています。

ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(新改訳)

(今時間がないので、後日キリストが語った言葉でキリストを信じるものを定義している箇所をほかにも書きます。)

何を持って聖書の歴史的妥当性を微妙と考えているのですか?
【2008/11/02 05:56】 URL | Tria #- [ 編集]

一重まぶたさん、ブログで問題勃起をされて、それに対するコメントで賛否両論が起る事は想像できますよね。
この公の場で意見を出している以上、いつも耳触りのよい言葉だけを期待する事は難しく、批判を受けることもあると思います。
私のコメントに対しても、批判される方もいると思います。
そして、それは当然の事と思います。
それと同時に本当は誰でも自分の意見に反対される事は、不快であり嫌なものです。
もし一重まぶたさんが、私の批判に不快感を抱かれたのならそれと同じように、ブログの中で既存のクリスチャンが批判されている事に、私も含めて不快感や悲しみを覚えている人々がいることに気づいてほしいのです。
そして批判や否定をされたという事実だけを捉えるのでなく、なぜ批判や否定をしているのかという事を見つめていただきたいのです。

今日は聖日です。全世界でイエスキリストの御名があがめられ、栄光が神様のみにありますように。
【2008/11/02 09:42】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

Triaさん、横 からすみません。

>「聖書は、貴方の信仰の土台ですか?」と尋ねれば、ほとんどの自分を「クリスチャン」と呼ぶ人は、「はい」と答えます。

それはある意味建前に過ぎません。私は約40年以上キリスト教の様々な団体と接触してきましたが、実質的には上記とは異なることを体験して参りました。

例えば私は『聖書だけ』を教科書にして、ノンクリスチャンを対象にグループ研究を数年間司会したことがあります。結局は其々の解釈の違いが顕著になり統一した見解は殆どできませんでした。

(それは聖書は解釈の違いを包含できるほど奥が深いとも言えますが・・)

一方、意見(立場)が強いものが提案誘導すると統一見解が出来始めましたが、それはその立場の者の信仰の延長のような見解になりました。たとえその見解が多少聖書の言葉から逸れてもそれを見逃す心理が働きます。

結局、人の多くは聖書そのものからの信仰と言うよりも、既存団体の教理(又は要職者の言葉)からの誘導で信仰に至る場合が多いような気がしています。(私はその実情を有る程度は肯定していますが)

ですから、多くのクリスチャンにとっての信仰の基礎の第一位は聖書自体ではなく、所属組織
の教義であると私は感じています。
【2008/11/02 13:46】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>Tiraさん
しかし、同時にキリストはまた「私が来たのは、滅びるものを救いに来た」とも言っています。
これは、文脈的に信じず、滅びに至る者すら救いに来たとも解釈できると思うのですよ。
また、微妙だと言う理由は、福音書自体がそもそもイエスの言葉を改変しているだろうと、キリスト教界でも周知の事実ではないですか。

>かあちゃんさん
ええ、僕等は互いに傷つけ合っていますね。
それなのに、なぜ僕は折れないのか。
それは、この傷つけ合いが昔からあることを知っているからですよ。
それなのに、今の時代も同じように傷つけあっている。
どうすれば、いいのか。僕はそれをあなたとも話し合って模索したいのですよ。

>辻風さん
僕自身、そう思います。
牧師によって言う事が全然違う。
それなのに、「聖書」を基盤としているのには疑問を覚えるものです。
【2008/11/02 16:28】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

「ひがみと仰るかもしれない
まさしくその通り、僕はひがんでいるのです
恵まれた人生を送っている君に
そして、それが信仰であるが故と言っている君に
運じゃなくて、自分の信仰が君の人生を祝福していると言っている君達に嫉妬しているのです。」

やっと一重まぶたさんの本音を聞けました。
どの記事を書こうと、この言葉をいつも一重まぶたさんは発しているのを感じていました。

羨ましい、嫉妬してしまう、
それなら主にただ純粋に求めましょう!
必ず答えてくださるから。
この事から逃げないで。
堂々めぐりから必ず解放されるはずです。

聖書が改ざんされているとか、横道にそれるのはやめましょう。
神が生きておられることを体験的に知れば、全てのことは神の赦しなしには起きないことが分かります。


かあちゃんさんがおっしゃっている

「それを理由にクリスチャン批判を延々としているところに一重まぶたさんのクリスチャンに対するコンプレックスがあるように感じられます。
だから嫉妬もし、妬みもするのでしょう。それがあからさまにはならないように傷ついた人弱い人を話題に出してきて語られているように見受けられますが、私にはそれがとても偽善的にうつります。 」
のコメントに全くアーメンです。
どうか逃げずに、直視してください。
そのことが必ず一重まぶたさんの益になると思います。
【2008/11/02 17:22】 URL | いつも読んでいる者です。 #vz6hfDO6 [ 編集]

>いつも読んでいる者さん
えーと、この記事のこの部分にそんなに注目されると困るんですよね。
僕の記事は全部本音ですよ?
それをこの言葉を言ったから、これが根底にあると思ったら大間違いです。
全部本音ですよ。
僕が他人のためになにかしたいと思うのも本音。
僕が嫉む心を持っているのも本音。
それと同時にああはなりたくないな、と思っているのも本音。
そして、自分なりの価値観で生きているのも本音。
まったく、逃げていませんよ?
僕は、ありのままを書いているだけです。
弱さを見せたら、それを全て理由にしたがるのはやめませんかね。
僕がクリスチャンに批判的なのは、嫉みやコンプレックスから?
違いますよ、僕はもう少しだけあなたが考えているよりかは複雑です。

【2008/11/02 17:34】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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