君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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そこに愛はあるのかい
クリスチャンは色々なことをする
礼拝、祈り、伝道、さらにはボランティアも良く行なう
それら自体は、正直善でも偽善でもいい

そこに愛はあるのかい?
信仰は行いに表れる
ああ、確かにその通りだ
心からの信仰と喜び、そして愛が溢れていけば必然的に人間は動かされるさ
だけどね、その逆は成り立たないんだよ
行いがあるから、信仰がある
決して、そうはならないんだ

なぜなら、行いをする理由は他にもいろいろあるからさ
信仰みたいな綺麗な気持ちじゃなくて、もっと汚いと思える心
そういったものが、行いの理由になることは多々あるだろう

そして、最も面倒くさいのがその信仰故の行動理由と、自分の欲望の行動理由は
どっちかに分かれないところさ
信仰でやっているから、欲望はない
欲望でやっているから、信仰はない
そうは、決め付けれないのさ
よっぽど意識的にしない限り、そいつは無理な話だよ

じゃあ、どうすればいい?
そこに愛があるかどうかなんて、どうやって判断すればいい?

思うんだよ
まずは、自分の欲望をそのまま受け入れるって
そいつを神様に任せて、無くしてしまおうなんて考えなくてさ
だって、そいつを作ったのは神様だろう?
欲望を作ったのに、なんだって欲望を否定するんだい
神様は君にそれが必要だから、欲望を作ったというのに

そして、自分になんで欲望が必要なのかを考えてみるんだ
素直になってね
「認められたいから?いやいや、そんなはずはない!だってもう神様に認められているのに!」
そんな風に、肩肘を張らないでもっと素直に
信仰があったって、満たされないことはたくさんある
祈っても叶えられないことなんてざらさ
それは、そういうもんだと割り切ろう
決して、信仰が足りないからじゃないよ

それを、信仰が足りないからそうなのかなんて疑って
そして、信仰深くなろうとそのことを試練と捉えて
結局満たされないまま、行いを続ける
それじゃあ、悪循環だ
そうして、プライドばかりがでっかくなっていく

まずは、弱音を吐こう
そして、自分の弱さを受け入れよう
プライドが邪魔をするのなら、ひっそりと神様と二人だけで
そうして、考えを変えよう

自分には欲望があって、汚いと思える想いもある
だけど、それでも良い行いが出来る
行いが汚くならない
それこそが恵だと

結局何も変わっていないじゃないかと言うかもしれないけれど
それだけで、心ってのは結構救われるものなんだよ
自分の見せれない弱さを見て、そいつを認める
そいつは凄く大変だ
だけど、そいつを乗り越えたとには凄い開放感だよ
僕は、そう感じている

ああ、そういえばタイトルが「そこに愛はあるのかい」だったな
愛じゃないものなんてこの世に存在しないんだよ




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この記事に対するコメント
「自分になんで欲望が必要なのかを考えてみるんだ 素直になってね」

素直になることが難しいけど、欲望が必要な意味を考えようって思ったことなかったので、この一文は驚きでした☆

一重まぶたさんは、すでにご自身と向き合い弱さを幾つか克服なさったんですね。。。どんな開放感なのか、いつか私も感じてみたいです☆

【2008/09/18 15:57】 URL | みみ #- [ 編集]

>みみさん
弱さを克服したわけじゃありませんよ。
ただ、弱さを知っただけです。
そして、欲望って決して汚いものじゃないと思うんですよ。
それ故の行動は汚いものかもしれませんが、欲望自体は汚く無いと思うんです。
【2008/09/18 22:01】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

欲は必要なものです。ただ仏様は、足りるとゆうことを学びなさいと示しておられるようです。

自足とゆうこと。。。なかなか難しいことですけどねぇ~・・・

弱さを知り気づけた事は、すでに克服の域にきてますよ~絶対☆
自分の弱さを知る事、これはなかなか見えないし感じれない事です・・・
自分の心の上に何層もプライドや殻を重ねてきて生きてきてしまったんですもの・・・

心に辿りつくまでが生きる修行なのかもですね・・・
【2008/09/19 08:44】 URL | みみ #- [ 編集]

>みみさん
仏の教えは僕は実はよく知らなかったりします。
足りるということを学ぶにはどうしていけばいいのでしょうね。
克服の域に来ているのでしょうかね?笑
ただ、辛い時はやはりただ単純に辛いです。
プライドや殻すら、その人を形作るものだとはおもいます。

【2008/09/19 23:52】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

自足は、今を十分と思えるか思えないかだと思います。

ご飯を食べる事ができることにありがたいと感謝できるのか、ステーキが食べたいとダダをこねるかの違いですね~恐らく。

私も足りる事を学べてないんで何ともいえないです。少欲知足ってゆうらしいです。

欲を無くすことはできないけど、減らすことはできる。そこから足りるとゆうことを知るとゆうらしいです。

1年中通して食べ物がたくさんある飽食なども、こうゆうことでしょうね・・・旬がわからない知らない人が多くなり、大量生産してまで食しないといけないのかどうか・・・その辺からも何か変わっていかなきゃいけない気がします・・・

プライドや殻を捨てなくてはならない時期に私はきてます・・・本心が見えません・・・本心に触れるには障害にしかならない物だと私は感じています
【2008/09/20 09:13】 URL | みみ #- [ 編集]

はじめまして

「まずは、自分の欲望をそのまま受け入れるって
そいつを神様に任せて、無くしてしまおうなんて考えなくてさ
だって、そいつを作ったのは神様だろう?
欲望を作ったのに、なんだって欲望を否定するんだい
「神様は君にそれが必要だから、欲望を作ったというのに」

現在の私だって、大丈夫だって聞こえました。
久々に、あぁ いいんだって言われている気がしました。
ありがとう・・・
【2008/09/20 10:43】 URL | yuuyuukiki #- [ 編集]

>みみさん
僕は、どうなんでしょうね。
ご飯を食べて、感謝すると同時にステーキを食べたいと同時に思うこともあります。
それは、どういう状態なのでしょう?
感謝と欲が同時に存在している状態は。
それと、僕は一度ならず自分に絶望しています。みみさんが今辛い状況にあるのは文面から察知できます。
頑張ってください…!

>yuuyuukikiさん
僕の言いたいことは単純にまさにそれですよ。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
【2008/09/20 23:14】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

私も僧侶ではないのでよくは、わからないのですが、食事ができるありがたさを忘れてはいけないとゆう事と、こまぎれ肉で満足できず、分厚いステーキばかり欲する、この差を言いたいのでしょうかね・・・?

足りているとゆう事を知るって以外と難しいですよ。
食べ物だけでなく、ブランドとか新製品とか目がない方っておられるじゃないですか?
そうゆう方の経済が滞ったときに、果たして生活基準を下げる事ができるかどうか・・・

当たり前に生活できてるわけじゃないですよって事なのかもしれません・・・

本で読んだだけなので、いろんな価値観で読み取れると思います。

感謝があれば、ステーキじゃなくても食べれるって事そのものにありがたさを感じれるだろうってことでしょうかね・・・少欲知足を実行することは、本当に難しい事と思います。
【2008/09/21 10:25】 URL | みみ #- [ 編集]

>みみさん
足りているということを知るのは難しいですよね。
僕は、まず自分が満たされていない自分がいるということを受け入れようと思います。
生きていることだけに感謝することは未だ出来ません。
難しいものです。
【2008/09/21 19:03】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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