君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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頼むから僕を攻撃してくれ
僕の中の価値観が僕の中で常識になりつつある
この世の全ての人が救われるっていう考え方が僕の頭の中で当たり前になりつつあるんだ
そんなのは嫌だ
確信なんていらない、信仰だけで充分なんだ
それによって、人と分かり合えないのなら確信なんていらない

頼むから信仰義認を信じている人々、それ以外に僕に反発を覚えている人
なんでもいい
僕を攻撃してくれ

頼むから分かり合わせてくれ
僕の中の思いが僕の中で確信に変わる前に
嫌なんだよ
これは、こうだって決め付けて他の人を見下すのは
僕は、そういう人間が一番に嫌いなのにそういう人間になりつつあるんだ
だから、僕の主張を頼むから知恵を持って批判してくれ

聖書に書いてあるからとか、そんな理由だけじゃなくて
論理的かつ、知恵を持ってお前の知識は浅はかだと言ってくれ

頼むからへりくだらせてくれ
僕のこの安いプライドなんざに支配されたかないんだ
しがみつきたくなんかないんだよ
だから、僕を攻撃してくれ、僕を嘲ってくれ
傲慢になりたくないんだ

僕の考えているより、はるかに良い道があるんだろう、っていうのも分かっているんだ
だから、それを作るために協力してくれ
発展させようよ、僕と君で

相手を否定しあうのは第一段階だ
その次に協力したいんだよ
本当はもっともっと、みんなとわかりあいたいんだ

分かり合いたいんだよ!
本当に!
それだけが、僕の心からの望みだったはずなのに!

僕は自分の知識だけで満足したくなんかないんだ
もっと、入れたいんだよ
愛ってなにかを知りたいんだよ

だから、頼むから僕を攻撃してくれ



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この記事に対するコメント
神様ご自身を全て理解することは、人間には出来ないですよね。一重まぶたさんはよくその事をおっしゃっていて本当にその通りだと思います。

そして聖書は神の霊感によって書かれた、霊のことばで、生きています。

聖書は、霊の言葉なので、聖霊に助けて頂きながら読まなければ霊的に理解できないのだと思います。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。(1コリント 2:14 )

御霊は一つなので、同じ御霊に導かれるなら枝葉は違っても本筋は一致していくものだとも思います。

また恐れや傷があると、人間的な考え方に神様を押し込めてしまうのだとも感じています。
ある方は聖書に、「この世はサタンが支配していると書かれているし、この世は不幸な出来事が多いから神は支配権を行使しておられない」という主張をしています。よくよく伺ってみると、弟さんを病で亡くされていて、弟さんが死んだことや災害や病気で苦しむ人がいるのを神が赦すわけはない。だから神はこの世を支配しておられないと思っておられるのです。それ以外にも行いがなければ救われないと信じておられます。

私は万人救済説を信じておられる一重まぶたさんはこの方や私と同じでとても傷ついた事があるのではないかと思っています。私はイスカリオテのユダを自分に重ねて同情するような者ですから。そういう傷がある人は全ての人を神様は救ってくださると優しさから考えるのではないかと思いました。
主は全ての人の神で、すべての人を救いたいと願っておられる。でも自由意志をお与えになり、自ら神様を愛しますと言ってくれるのを待っておられるのだと思います。
支離滅裂で長文で検討違いのことばっかりかもしれませんがごめんなさい。

この記事から一重まぶたさんの叫びが聞こえました。必ず主はこの叫びに答えてくださると思います☆
【2008/08/25 02:08】 URL | YUKI #vz6hfDO6 [ 編集]

>YUKIさん
僕の出発点は、確かに傷ついたことそしてそれを支えてくれたことです。
しかし、それだけでは無いのも事実です。
これまで積み重ねてきた知識、そして今でも積み重ねてきているものが僕をそうさせます。
また、僕もイスカリオテのユダに共感と同情を感じる人間です。

そこから、逐語霊感説に疑問を持ち、既存のキリスト教会では救われない人のことに視野が及ぶようになりました。
YUKIさんが仰るように神様は確かに、自らの自由意志によってご自身を愛して欲しいと願っていると思います。
そのために、まず「愛する」とは何かを求めている次第です。

コメントありがとうございました。
また、お待ちしています。
【2008/08/25 07:49】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

http://growingupjj.blog116.fc2.com/blog-date-20080828.html

↑なぜ信じないと救われないのか、にっちなりに理解できましたので、読んでみてください。一重まぶたさんの疑問のすべてを答えてるわけではありませんが、少しは答えになってる気がしています。感想をくれるとうれしいです。
【2008/08/28 00:16】 URL | にっち #DYQhHKEg [ 編集]

>にっちさん
読みました。
あちらにコメントを残そうかとも思ったのですが、こっちにしときますね。
「信じることが出来ない人」は一生新しく生まれることは出来ないのですか?
もし、そうだとしたら僕にとってその世界は悲しすぎます。
【2008/08/28 11:18】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

ありがとう。
「信じない人」は救われません。しかし「信じることが不可能な人」についてはにっちには全くわかりません。
それについて神様が教えてくれるかもしれませんが、生きてる間はわからないかもしれません。
でも、わからないことに対して嘆くよりも
それも含めて神様に信頼しお任せします。

すいません。これが今のにっちにできる答えです。
【2008/08/28 12:24】 URL | にっち #DYQhHKEg [ 編集]

はじめまして、コメントさせてもらいます。

始めに、少し謝らせてください。

にっちが一重まぶたさんに会ったブログを書いた時に、実は少し気になっていました。
そして、1ヶ月くらい前だったか、ランキングから一重まぶたさんのブログを発見、読まさしてもらいました。

その時に、コメントをしようか実は迷ったんです。
でも、コメントできませんでした。
それは、一言で言えば、自分かわいさ、、でしょうか。
間違ったことを言ってしまったら、、とか、
大それたことを言ってしまったら、、とか。。
そこに恐れがあって、一重まぶたさんのクリスチャンに対する問いかけに、答えることができませんでした。
恐れることなく、自分の正直な思いを書いてくださっている方に対して、すごく冷たかった自分を思います。
自分勝手な者ですね。ごめんなさい。

今日は、ちょっとそのことも含め、示された感じもするので、思い切ってコメントさせてもらいます。
でも、きっとすでに何回も聞いたことがあることやと思うし、的外れなことを書いていたら、ごめんなさい。

私は、ただただ、日々神様から離れないように、、と思って歩んでいる者ですから、
聖書のスペシャリティとかでも何でもないですから、
的外れなことを長々と書いてしまっていたら、申し訳ないです。

自分が信仰を持つ過程で、そして信仰を深めていく過程で思ったことを、少しシェアさせてもらいます。

救いを理解する時に、自分の罪を理解すること、そして、神様の性質を理解すること、が大切なのかなぁ、と思います。

神様が義なるお方であること。だから、罪の性質をもった私たちは、神様には受け入れられない存在であること。

でも、それと同時に、神様は愛のお方。私たちを愛しておられる。一緒にいたいと思ってらっしゃる。(1テサロニケ5:10)だから、キリストをこの世に送ってくださった。十字架に渡し、一人子をよみにくだらされた。

信仰がそこで求められるのは、私たちが自分の罪を認める必要があるからではないでしょうか。
そしてその罪深い私たちは、救いに値しない者であるということを、心から感じ、認める必要があるのでは。。

その悔い改めがない限り、キリストを理解し、キリストに従おうと思うことはできないように思います。

私自身、信仰を持って6年程になるんですが、
自分の心をいつも点検していないと、ふとキリストによる救いが必要ないかのように、錯覚してしまうことを覚えます。

罪の悔い改めから、キリストを求める心が与えられ、信仰が与えられる気がします。

信仰を求められるのは、そこに罪の悔い改めと、キリストを求め、十字架を見上げる心、他の何よりもキリストを慕い、彼に従おうと決心する心を、神様が求めていらっしゃるからでしょうか。。

信仰をもっていくにあたって、また、福音を伝えていくにあたって、
一重まぶたさんの様に、「どうして?」を探っていくこと、すごく大切やといつも思わされています。

この「どうして?」に向き合わない信仰は、決して神様の求めているものではないと思います。

マルコ12:30を覚えます。

多くのクリスチャンを見る時に、自分を含め、心と思いを尽くしている者は多くいるけれど、力と知性とを尽くしているクリスチャンは少ないのかもしれません。

神様は、私たちに考える力を与えて下さっている。
知性と、力とをも、神様を愛するために使いなさい、と言っておられる。。

このことを覚える時に、私自身、神様から与えられている全てを使って、主を愛し、周りを愛し、生きていきたい、ともう一度思わされます。

一重まぶたさんの、正直な思いを感謝します。
そして、それを隠さず、それに対して向き合っている姿に感謝します。

神様が、一重まぶたさんの心に、これからも豊かに触れて下さり、
主の真理へと導き続けて下さることを期待して。
【2008/08/28 12:39】 URL | むらとも #- [ 編集]

>にっちさん
にっちさん、既に答えを出しているじゃないですか。
ただ、僕はあなたに神様にお任せするのではなく、共に嘆き答えを見つけ出して欲しかったです。
すいません。

>むらともさん
僕もその考え方でした。
神さまの愛とイエス様の贖い、それは本当に尊いものだと思います。
しかし、それがなぜ信仰という枠でくくられてしまうのか。
この世の知識を得てく上でそれがとても疑問になっていきました。
正直なコメントをありがとうございます。
間違っていてもいいんです。的外れでもいいんです。
こうやって、交われることこそが僕にとっては何よりも尊いことなんですから。
【2008/08/29 00:31】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

初めまして。
何度かブログ拝見させて頂いております。

信じる事が出来ない人
とありますが、その理由は何でしょうか?
信じるとは、信じると決断する という事だと私は理解しております。イエス様が死んだ後三日目によみがえったという事、数々の奇跡、見てもいないのに信じがたいです。でも私は信じると決めたんです。

信じる=信じると決心した
信じない=信じる事が出来ない人

だと私は理解しています。
もちろん様々な考えを持つ方がいらっしゃるでしょう。
【2008/08/30 03:19】 URL | maka #36qvMKs6 [ 編集]

>makaさん
僕の中の信じることが出来ない人とは、「重度の知的障害」「罪を犯したが、信じると言うことを認識できないrベルの幼児」「認知症」そういった方々です。
【2008/08/30 03:31】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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