君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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俺は本当の神を憎んだことは一度も無いが、人々が信じる神は大嫌いだ
タイトルは、僕の言葉じゃない
マリリン・マンソンの言葉だ
アンチ・クライストとして、名高い彼の言葉
僕は、別に彼のシンパじゃない
だけど、この言葉の言いたいところはよく分かる

マリリン・マンソンに限らず、キリスト教会特に保守派から非難される人は多い
その、免罪符は「サタンの影響」があるから
でも、おかしいじゃないか
反対している人たちの中に、どれだけマリリン・マンソンを聞き込んだ人間がいるんだろう

サタンの影響があるから、聞かない、見ない、触れない
しかし、サタンの影響があることは、聞かなくても、見なくても、触れなくても分かる
おかしい話だな

僕が昔行った保守派の集会は面白かった
サタンの影響があるから、テレビは見ない
マイケル・ジャクソンのスリラーも駄目
神社もサタン
というよりは、教会の外側は全てサタンの影響化である
スライド入りの絵で教えてくれたよ

なあ、君が本当にクリスチャンだと言うのなら、自分の目で見てから判断しろよ
出来るだろう?
君が聖霊に満ちているのなら、サタンなんざに打ち勝てるはずじゃないか
それを、見もしないでわざわざこれはサタン、あれもサタンと決め付けるのはどうかと思うよ

霊的に悪いもの、とよく聞くがそれはなんなんだい
キリスト教会以外の宗教関係全てを霊的に悪いもの、と決め付けてやいないかい
もし、そうなら反吐が出るよ

そろそろその信仰で人を見るくせはやめた方がいいと思うんだ
「あの歌手もクリスチャンらしいよ?」
「あの有名人もクリスチャンらしいよ?」
「あの議員はクリスチャンだから信用出来るね」
こんな不毛な会話はやめようよ
クリスチャンでも信用できない人なんてざらにいる

その人の本質を見ようとするときに、信仰というぶ厚いフィルターを通して見てなんになるんだい
信仰を持つのは、素晴らしいよ
だけど、それを目の中の丸太にしてしまったらどうしようもないだろう

もう一度言うよ
自分の目で確かめな
見も、聞きも、触りもせずに批判してるんじゃない
情報だけじゃなく、心で判断しな
僕等は、見たり、聞いたり、触ったりしなきゃその人を分からないんだから
君がサトリだったり、サトラレだったりするならは話は別だかね






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【2008/08/21 07:24】 | # [ 編集]

批判するなといいながら、堂々と批判めいたことを書いているな~。君はその本質を知っていっているのだろうな?もし、その本質をしっていないのならこんなこと書くべきではないだろ?
【2008/08/21 13:53】 URL | つぶやき五郎 #- [ 編集]

こんにちは。一重まぶたさん。
この記事のようなことを、教会に行きはじめたときに、思ってました。

神様は信じてる(存在するのは、否定しない。)
でも、教会の言っている神様ってどうなのさ。

・・・でも、ま、いっか。となって洗礼受けました。

クリスチャンでも、本質を見るというか、
さばかない人がいましたので、、

あ、、いいな。。と、、そんな感じでした。

>もう一度言うよ
>自分の目で確かめな

自分も批判することありますので、気をつけます。
感謝です。
【2008/08/21 23:11】 URL | ゴスペル音楽院・Fです。 #YgKj3tPc [ 編集]

>つぶやき五郎さん
批判をするな、と書いたつもりはありません。
ただ単に批判するなら自分の目で確かめてからにしなきゃ意味が無い、と言っているのですよ。

>ゴスペル音楽院・F
クリスチャンの方々の中には、もちろん素晴らしい人がいます。
僕が言う「クリスチャン」とはある特定の人たちに向けて言っているのでしょうね。
僕は批判を批判しているのではなく、無意味な無知な批判を批判しているのですよ。

【2008/08/22 00:49】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

「キリスト教会以外の宗教関係全てを霊的に悪いもの、と決め付けてやいないかい」とありましたが、一重まぶたさんは自分がクリスチャンだと公言されていますが、他宗教を肯定されているのですか。
【2008/08/22 09:00】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
一介の信仰者に過ぎない僕が、なぜ他の宗教を批判できましょうか。
そもそも、僕等が考えているように神を仰ぐだけの宗教ではこの世界の宗教は成り立っていないですしね、
【2008/08/22 11:12】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

聖書には偶像を礼拝するものは神の国を相続することはできないと書いています。
偶像礼拝は神の前に大きな罪です。
罪の背後にはサタンが働いています。
その事を指摘する事が「キリスト教会以外の宗教関係全てを霊的に悪いもの」と結果的になってしまうのでしょうね。
だから他宗教は駄目だと思ったり、その人達にそのままでいいよと何の手も貸さなかったりするのではなく、罪は罪とはっきりと指摘してそこから悔い改めを勧め、彼らが神のもとへ帰り神の子供となり、神様の祝福にあずかる者になるように願うのがクリスチャンではないのでしょうか。
【2008/08/22 16:31】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>かあちゃんさん
個人的な意見を書きますね。
僕等すら、神様の思いの全貌を知らないと言うのになぜ他宗教が全て神様以外のものを信仰していると言えるのでしょうか。
例えば、イスラム教も広義的には同じ神を信仰していると言えます。また、原始仏教においては神の存在ではなく、ほぼ哲学です。
彼らの心の中にある神を求める心。
それを、知らずにサタンの影響とただ言うのであれば、人間を創った神様に対してなんの理解も示していないのではないでしょうか。
【2008/08/22 23:34】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

こんばんは^^

偶像崇拝について判りやすく説明してくれている
サイトがあります。

かあちゃんさん
こちらのサイトを読んでみてください。

偶像礼拝 http://www5.ocn.ne.jp/~ikemoto7/guozureihaitohananika.htm

あなたの観念そのものが偶像崇拝です。

【2008/08/23 00:42】 URL | LOVE #WfGs7ZzE [ 編集]

一重まぶたさん、「イスラム教も広義的には同じ神を信仰していると言えます」とありますが、広義的とはとてもグレーゾーンではっきりしません。イスラム教はイエスが単なる人間であり、神の子ではないと明言していますし、キリスト教はイエスが神であると主張しています。その点で同じ神を信仰しているとは、とても言えません。
全人類の心の中にある神を求める心、私も人としてそれはとても尊いものだと思っています。しかし真の神から見たらどうでしょう。自分が愛情を込めて作ったものが別な物へと心が向いている状態。神からは尊いものとはうつらないとは思いませんか。
私達はあなたが言う「神様の思いの全貌を知らない」ながらも一部は聖書から知っています。神は偶像を忌み嫌われているという事も。
LOVEさん、そうですね。その通りだと思います。
私達の教会でもそのようなメッセージを聞き、クリスチャンはその教えの通り人が作ったものを拝みはしませんが、心の偶像礼拝について考えるとき、自分を吟味し悔い改めます。
しかしそれは無意識で、気がついたらそれを神より愛するものとして礼拝していたというようなものであって、それとは対照に他の神々を拝むとは意識的にわかっていて行う事であって、真の神に対する背信、反逆のなにものでもありません。

いずれにしても、偶像礼拝も神の前にOKであるとするなら、多くの殉教者は何を主張し何の為に死んでいったのでしょう。踏み絵を踏まず、偶像を拒否して殺された多くのクリスチャン達の尊い死は、信仰の境界線を世と人の前にはっきりと引いた神への純粋な捧げものではないでしょうか。

【2008/08/23 14:39】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>LOVEさん
面白いメッセージですね。
サタンとか霊的な影響とかはよくわからないのですが、クリスチャンの自己正当化がつまり偶像礼拝だというのはとても納得がいくものでした。


>かあちゃんさん
キリスト教の中でも、イエス様がただの人間だったと主張する教団はありますよ。
また、全貌を知らないが一部を知っていると仰いますが、他の宗教の方々も「自然万物に現れる栄光」から神さまを一部知っていると言えるのではないでしょうか?
神様の目から見たときに、どっちが優れているのかなどまさにわからないと思うのですが。
また、偶像礼拝をなぜ禁止したのか。
その歴史的側面を見たときに、ただ偶像礼拝を嫌悪するだけではないことがわかると思いますよ。
何よりも「自分は聖書をわかっている」とすることこそが改めて偶像礼拝なのではないでしょうか?

【2008/08/23 16:01】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさん、キリスト教の中でも、イエス様がただの人間だったと主張する教団とありましたが、それは私達が異端と呼んでいる非キリスト教団体です。
異端についてはhttp://www15.ocn.ne.jp/~christ/heresy.htmを参照下さい。
多分今までの書き込みを読む限り、あなたは私達が一般にクリスチャンと呼んでいる人ではなくて異端を信じている人だと思います。

「他の宗教の方々も「自然万物に現れる栄光」から神さまを一部知っている」事と神様が何を愛し何を憎むかを知っている事は、天と地ほどの大きな違いがありませんか。
【2008/08/23 22:00】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

異端に関連してかあちゃんさんへ質問があります。(よこレスですから、一重まぶたさんの後で結構です。)
私はカソリック、プロテスタント、エホバの証人、モルモン教と遍歴してきましたが、聖書そのものは「イエスは神の子、被造物の長」であると教えていると思っています。
例えば「すべての男の頭(かしら)はキリストであり、キリストの頭は神です。」コリント第一11:3・・等でイエスは神と同等ではないと考えますが、いかがでしょう?かあちゃんさんの信じておられること、その聖書的根拠を教えて戴けますと参考になります。唐突ですみません。


【2008/08/23 22:57】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

批判していいのは、そのことを体験した人だけということだったら、僕は一重さんはキリスト教のをすべてを体験しているとは思えない。ゆえに、一重さんも全てを体験したと言い切れるまで、批判できないではないか!違うか・・・。なんか一重さん、矛盾してる。それじゃ一重さんの考え方は肯定できないよ。
【2008/08/23 23:48】 URL | つぶやき五郎 #- [ 編集]

>かあちゃんさん
あれ、僕とうとう異端認定されてしまいましたか、
異端ではなく、リベラル派と呼ばれる人たも僕と同じような主張をすることがあります。
ちなみに、僕は日本基督教団に所属している教会の教会員です。
また、「聖書のここは正しいがここは間違っている」というのは僕から見たらむしろ既存のキリスト教会が行なっていると思うのですよ。しかし、それでも僕は既存のキリスト教会を異端扱いはしません。
なぜなら、キリストを求める心は痛いほどに分かるからです。

>つぶやき五郎さん
ですから、批判を批判しているわけではありません。
無意味な批判、無知な批判を批判しています。
そして、全てを知らばければ批判してはいけないなどとも言っているつもりもありません。
なぜ、無意味な批判、無知な批判が出来てしまうのか。
それは、各々が持つ「信仰」という名のフィルターを通しあたかもそれが目の中の丸太になってしまっていることがあるということを批判しているのです。
僕の主張は、「信仰は素晴らしい、しかしそれを価値基準として人を二分するものにしてしまっては意味が無い」です。

【2008/08/24 00:48】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

一重まぶたさんが異端だというなら、その一重まぶたさんを尊敬している私も
異端ということになりますか・・・
ちなみに、私は日本バプテスト連盟に所属している教会の教会員です。
【2008/08/24 02:27】 URL | Mie #mQop/nM. [ 編集]

えっと、まず団体に属しているから真のクリスチャンだと言う事はできません。
イエス様がおっしゃった、毒麦のたとえや山羊と羊のたとえにもあるとおり、神の集会の中にも敵は神の教えに反する人を置くのです。サタンでさえ光の天使を装うのですと言う聖書の言葉通りです。日本基督教団でそのようなメッセージをされる牧師がいる事は、私も常々聞いておりました。ただ一重まぶたさんが教会で「軸がぶれているんじゃないかい?」と言われたという経緯をみる限り、あなたの考えが教会の教えとも少し違っているのだなと感じます。しかし教団の全てがそのような事を伝えているのではなく、ちゃんと福音が語られている教団も多くあることも知っています。だから教団全てを異端視することはできません。
Mieさんの属する日本バプテスト連盟もよくわかりませんが同じだと思います。「その一重まぶたさんを尊敬している私も 異端ということになりますか・・・」どんな尊敬か分かりませんが、Mieさんがどんな事を信じているかで異端かどうかが決まると思います。
いずれにしても、教会から裁きが始まり(1ペテロ4*17)御言葉を教える教師は格別厳しい裁きがある(ヤコブ3*1)とも書かれています。
そして辻風さん、イエス様が神である聖書的根拠は弟子のトマスが「わが主、わが神」と礼拝したのを否定しやめさせなかった事。同じような礼拝を受ける様子がマタイ14*33、マタイ28*9にあります。イエス様自身がマタイ4*10で神のみを拝めと言っているのだから、自分を拝むものを受け入れたのは自分を神だとしている証拠です。
ヨハネの福音書1章1節の「ことばは神であった」の「ことば」は15節までよく読むとイエス様の事だと分かります。つまり置き換えると「イエスは神であった」です。マタイ28*9で「父、子、聖霊の御名」の御名と言う言葉がギリシャ語で単数となっていることにより、父も子も聖霊も一体である、つまり三位一体と言う事になります。イザヤ 9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。これはイエス様の誕生の預言です。彼は力ある神と呼ばれると明言されています。この他聖書にはイエス様が神様の性質である全能性、永遠性、不変性、全治性、偏在性を持つ事が書かれてあります。また創造主であることも書かれてあります。まだまだ他にあると思いますが、このような訳で私はイエス様が神であることを聖書から確信しているのです。
【2008/08/24 18:49】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

すみません、訂正です。全治性は全知性の誤りです。
【2008/08/24 20:35】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

かあちゃんさん、ご説明ありがとう御座います。

>イエス様が神である聖書的根拠は弟子のトマスが「わが主、わが神」と礼拝したのを否定しやめさせなかった事。
これはイエスを礼拝したわけでないと思います。イエスの背後にある神のはたらきを認めたことばでしょう。そして聖書にある神の意味には多数の意味があり、「神性を帯びている」と言う意味で用いられている言葉の一つだと思います。イザヤ9:6も同様です。

>同じような礼拝を受ける様子がマタイ14*33、マタイ28*9にあります。イエス様自身がマタイ4*10で神のみを拝めと言っているのだから、自分を拝むものを受け入れたのは自分を神だとしている証拠です。
これは翻訳の問題で、実際には「敬意を払う」意味で「崇拝」とは用いる単語が異なっています。
>ヨハネの福音書1章1節の「ことばは神であった」の「ことば」は15節までよく読むとイエス様の事だと分かります。つまり置き換えると「イエスは神であった」です。
この場合「神」が原語では2種類用いられていますので、神とイエスは別だと思います。
>マタイ28*9で「父、子、聖霊の御名」の御名と言う言葉がギリシャ語で単数となっていることにより、父も子も聖霊も一体である、つまり三位一体と言う事になります。
この場合の御名の単数形・・それ自体はそれらを一体化するものではありません。ある人たちの解釈、翻訳だと思います。

私は個人的に聖書を読んで翻訳や解釈の違いではなく、次のような聖句で決定的な疑問をもったのです。

「父よ、彼らをお許しください」ルカ24:34
(地上での生涯の終わりごろのことば)

「父よ、できればこの杯を私から遠ざけてください」ルカ22:42

(イエスと共にいた人々に対しての天からの声)
「これは私の子・・私はこの者を是認した。この者(イエス)に従え」マタイ3:17

これらを父=イエスでは単なる自己分裂、自己演出になってしまいます。非常に不自然です。
従って父とは創造神でイエスを造った存在であると考えるのが自然だと私は思います。

こうした点はどのように解釈されますか?さらに

「父は私より偉大なのです」ヨハネ14:28
「すべての男の頭(かしら)はキリストであり、キリストの頭は神です。」コリント第一11:3
「その日(裁きの日にち)と時刻はだれも知りません。天使たちも子(イエスご自身)も知りません。ただ父だけが知っているのです」マタイ24:36

などはどのように理解しておられますか?

そして私が「イエスを神と同じにすること」が最も不自然に思うのは聖書理解の根幹とも言える神の愛についてですが・・

「神の愛はこれによってわたしたちの内に示されました。すなわち,神はそのひとり子を世に遣わして,わたしたちが彼を通して生きるようにしてくださったことです。」ヨハネ第一4:9
「神はご自分のひとり子を与えるほどに世を愛されたからだ。それは,彼を信じる者がみな滅びることなく,永遠の命を持つためだ。 」ヨハネ3:16

これが・・本当のところは、神(父)が化肉した自分自身を使わしたと言うのは、随分不自然に感じてしまいます。
これらの聖句から「子とは実は化肉た父」と云った解釈はできません。それはむしろこの聖句の感動を奪うものです。
神の最も愛する御子の犠牲に伴う、父親としての苦悩を偲んだほどの人類への愛も・・分り難い(自己演出)になることでしょう。

これらの聖句は「父と子という関係」明確な存在の違い」が前提になってこそ本当に私たちの心をうつと思うのですが、いかがでしょう?



【2008/08/24 23:30】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>Mieさん
異端というのは、どういう状態を指し示すのでしょうね。
最近、異端という言葉自体なんだかおかしいな、と思いはじめましたさ。

>かあちゃんさん
確かに、僕の信仰は教会と少しばかし違うところがありますが、それは牧師によって違いますね。
僕の考え方と同じような牧師先生もいらっしゃいますよ。
そして、「ちゃんと福音」という言葉も僕にとってはかなりの疑問なんですよ。
正しいのは、聖書であってかあちゃんさんの主張ではないわけだと思うんですよね。
かあちゃんさんは神様の想いを聖書から全部知っているわけではありませんよね。
それとも、一部が重要でありそれ以外の神様の想いはそれに劣るものとしているのでしょうか?
それならば、その心こそあなたが嫌う偶像礼拝なのではないでしょうか。
誰も、神様以外に人を異端視することなど出来ないのであれば僕等がすべきことはこれが罪だとか、あれが罪だとか言うのではなく、愛とは何かを求めることなのではないでしょうか。

>辻風さん
うーん、僕も三位一体説を支持しているので何ともいえないところです。
僕は、三位一体を木のようなものだと思っているのですよ。
根が神様、胴がイエス様、そして枝から出ている葉が聖霊様といった感じに。
どれも、木でありながら独立している。そんな感じで理解しています。
僕自身は、イエス自身が神であり、イエスは神とは独立している、というのは別にそれでいいと思うんですよね。
例えば、光なんかは現代科学では「粒子」であり「波」であるという矛盾した結果になっており、結果光は「粒子かつ波」であるということになっています。
イエス様も、「神であり、神とは独立した存在」それでいいとおもうんですよ。
【2008/08/25 00:54】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>イエス様も、「神であり、神とは独立した存在」それでいいとおもうんですよ
私は基本的には一重まぶたさんのように其々の解釈で良いと思います。私は既存のキリスト教内で明文化され教理と成っている「三位一体」について疑問を呈したのですが、真に考えたいことはその先にあります。
【2008/08/25 08:11】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
うーん、そうなると辻風さんの考えを聞きたいです。
真に考えたいこととはなんなのですか?
【2008/08/25 12:43】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

辻風さん、神と言う言葉はギリシャ語でセオスで新約聖書に1343回出てきます。唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。(1コリント 8:4)の神と言う言葉も同じセオスです。一神教を信じるユダヤ人の トマスが神と呼んだら イエスはエホバつまり旧約聖書にある神だと告白していることだと思いませんか。イザヤ9:6も同様とあなたは言われますが、同じ10:21で残りの者、ヤコブの残りの者は、「力ある神に立ち返る」。とあり、前の節を読むとエホバの神の事を云っているのが分かります。次にこれは翻訳の問題で、実際には「敬意を払う」意味で「崇拝」とは用いる単語が異なっていますとありましたがいえいえ、そんなことはありません。 拝む・ひざまづくの意味のプロスキュネオーは確かにペルシア人は神格化された彼らの王の面前で、このようなことを行い、ギリシヤ人は、神あるいは何か神聖なもの前で行ないました。「敬意を捧げる」と言う意味ならどうしてペテロは使徒10:26で「プロスキュネオー」されるのを拒んだのでしょうか。聖書はこの言葉をユダヤ人に言っているのですよ。彼らは「プロスキュネオー」は神のみに捧げられるべきと信じていました。ネブカデネザルの像の前にひれ伏さなかったダニエルの三人の友、ハマンに対してひざをかがめなかったモルデカイ、その精神は新約時代のユダヤ人へと引き継がれていました。しかも黙示録 19:10そこで、私は彼を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼は私に言った。「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。のところの拝むも同じプロスキュネオーが使われていますよ。なぜイエス様だけがユダヤ人からプロスキュネオーを受けられたのですか。それは神だからです。
三位一体については、本当に私の理解をはるかに超えていますが聖書の記述で信じるに十分だと思っています。
神の御名が単数形という事から言うと、一般に神の御名はエホバとかヤハウェとかですね。それが複数形ならばエホバやヤハウェなど複数の神なのだなと考えられますが、単数形だとするならば父も子も聖霊もエホバまたはヤハウェとなるのです。つまりイエス様はエホバだと言う事なのです。また、父とは創造神でイエスは被造物とお考えなのですね。コロサイ 1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのですという個所からみると、イエス様が万物を作りその次の節のすべてのものよりも先に存在される方だとすれば、造られたものというグループには属しません。
すべての男の頭(かしら)はキリストであり、キリストの頭は神ですという御言葉から父なる神がキリストの頭だからキリストは神ではないと言っているのようですが、しかしそうなら、男が女のかしらだから女は人間ではないと言っていることになります。
ルカ2:51ではイエス様は両親に仕えられた、別訳では従われたとあります。これは、イエス様が両親より低い存在だったのではなく、両親を愛しているがためのものです。同じようにイエス様は自ら父なる神に従われたのです。それは父と愛し合う関係だからです。天使たちも子(イエスご自身)も知りません。ただ父だけが知っているのです」マタイ24:36については、自ら人間になられたイエス様は人間としての制限をお受けになりました。だから自分の再臨の日を知らず、疲れた時には休み、おなかがすけば食べなければならなかったのです。イエスを神と同じにすることが父=イエスで単なる自己分裂、自己演出と感じておられますが私はそう考えてはおりません。父×子×聖霊=神という状態でありそれは父=子にもつながっているという状態。後述のお二人の意見に近いです。その事は神の最も愛する御子の犠牲に伴う、父親としての苦悩を偲んだほどの人類への愛も分り難くするものではないと思います。

【2008/08/25 13:21】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

一重まぶたさん、かあちゃんさんは神様の想いを聖書から全部知っているわけではありませんよねと言われましたが、私は毎日天の父である神様に話しかけ、天の父さんも私に聖書やこの世のものや人を通して答えてくださいます。コミュニケ―ションをとっていながら相手の想いがわからないという事はないですよね。相手が心を閉ざして心を隠していれば別ですけれど。でも天のお父さんは放蕩息子の父のようなお父さんで、神でありながら自分の方から人に走り寄り近づいて下さる方で、ご自身を人にでも理解できるように聖書を通してオープンに表しているのです。
一部が重要でありそれ以外の神様の想いはそれに劣るものとしているのでしょうか
一部とそれ以外の神様の想いとは、何を指しているのか分かりません。もうすこし具体的に教えてください。
【2008/08/25 13:31】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

かあちゃんさん

>三位一体については、本当に私の理解をはるかに超えていますが聖書の記述で信じるに十分だと思っています。

まさにその通り、いくら長々と三位一体論者の受け売りを述べられても人にすぎない私にはそのようなややこしい理論は理解できません。聖書を読めば読むほど私にとって創造神はヤハウェのみでイエスはその「全被造物の初子」です。(コロサイ1:15)そもそも三位一体論は一世紀などの原始キリスト教にはなかったのですから、調べてみてください。

>イエスを神と同じにすることが父=イエスで単なる自己分裂、自己演出と感じておられますが私はそう考えてはおりません。父×子×聖霊=神という状態でありそれは父=子にもつながっているという状態。後述のお二人の意見に近いです。その事は神の最も愛する御子の犠牲に伴う、父親としての苦悩を偲んだほどの人類への愛も分り難くするものではないと思います

要するに見解の相違でしょう。このような複雑な理論は一つの神学(見解)なのです。
【2008/08/25 15:17】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

かあちゃんさん、あえてもう少し述べてみますが・・

>万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのですという個所からみると、イエス様が万物を作りその次の節のすべてのものよりも先に存在される方だとすれば、造られたものというグループには属しません。

では創造神は二人だったのでしょうか?聖霊と合わせて三人でしょうか?其々が神の位格をもつとなるとそれは多神教的考えで一神教とは云えないのではありませんか?
イエスは神(設計者)の云わば手足となって創造を援助されたと私は考えます。

イエスはあくまでも神(父)ではなく「初子」だと思います。コロサイ1:15

>すべての男の頭(かしら)はキリストであり、キリストの頭は神ですという御言葉から父なる神がキリストの頭だからキリストは神ではないと言っているのようですが、しかしそうなら、男が女のかしらだから女は人間ではないと言っていることになります。

どうしてそう言えるのか私には分りません。既存キリスト教の正式教義としての「三位一体論」では神と御子には上下は無いはずです(調べてください)が、実際には上下関係があることを述べただけです。

要するに、「伝統的」三位一体論は初期クリスチャンより後代の俗世の権威がニケア会議等で介入して決めた教義(神学的見解)であると私は思います。
【2008/08/25 16:18】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

辻風さん、見解の相違で片づけられたらたまりません。私はイエス様が神であること、この方を救い主として人類が信じ、悔い改める事しか救いは無いとの真理を語っているのです。その人の永遠というものがかかっている福音を、見解の相違という一言で終わらせるのは悲しい事です。
【2008/08/25 16:23】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

辻風さん私があなたの質問に答えたとしても、あなたは自分の考えを多分変えないでしょう。人は皆自由意思を持って物事を考え、信じるのですから。ただ神の前にその信じたものをもって出る日に、信じてきて良かった、赦されて良かったと思う事がすべての人におよぶといいなと私は思い、祈ります。
ニケア会議等にも聖霊様が働き、今日のように世界中で聖書が開かれ、イエス様を神と礼拝し神によって心を新しくされた民が幾世紀も起こされているのは、神様の守りと導きがあればこそです。神様は今も働かれ、人々をそしてあなたを招いています。

【2008/08/25 16:52】 URL | かあちゃん #- [ 編集]

>この方を救い主として人類が信じ、悔い改める事しか救いは無いとの真理を語っているのです。その人の永遠というものがかかっている福音を、見解の相違という一言で終わらせるのは悲しい事です。

かあちゃんさん、私は三位一体論は現在なお論議が続いている「人間の解釈のひとつ」だと・・感じたことを述べたのです。イエスや神そのものを否定したわけではないのにそのようなことを云われても答えようがありません。

>神様は今も働かれ、人々をそしてあなたを招いています。

承知しています。こんな愚かな私でも神は私の心に触れてくださいました。そして何時か、かあちゃんさんご自身が書かれた聖典以上の神の愛にお気づきになりますように・・


【2008/08/25 17:27】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>かあちゃんさん
一部以外とは、主に知識ですね。
科学、哲学などが主です

>辻風さん
イエス様が被造物だっていうのは僕もなんだか?ってところです。
【2008/08/26 13:26】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]

>イエス様が被造物だっていうのは僕もなんだか?ってところです
分ります。私は一応幼児洗礼を受けた者として既成概念内にいましたから。それが変わったのは初期クリスチャンの信仰を調査したのもきっかけですが、又お話させてください。
【2008/08/26 21:49】 URL | 辻風 #yY6XORug [ 編集]

>辻風さん
ええ、またお話を聞かせてください。
【2008/08/28 11:14】 URL | 一重まぶた #- [ 編集]


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