君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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クリスチャン達へ、僕たちは哀しいほどに無力だ
クリスチャン達へ
僕たちは哀しいほどに無力な存在だ

保育園落ちた日本死ねと書いた人がいた
今は、その悲痛さが分かる
僕は年収300万で働いていた時期があった
その時期に結婚をした
その時に子どもが出来て、保育園に落ちたら
僕は、神様に何故このような苦難をと祈っていただろう

僕たちは彼女たちに何も出来やしない
祈ることもままらない現状で
ようやく、出来ることはやはり祈るだけだ
資本主義の顔をした、悪魔が僕らの周りで笑っているから

何故だろう
こんなにも教会から力が失われたのは
保育園を開く教会の数が少なくなった
日曜学校と言う言葉が嘘みたいに子どもが少なくなった日曜日の子どもたち
かつては、子どもたちが溢れていた子どもの祝福の時間に
僕の息子しかいなくなったのは何故だろう

日曜学校で友を得て、友に救われた僕は
息子に同じ環境を与えてやれはしない
分裂や離れる人達がたくさんいた僕の教会
人が多すぎて、立って礼拝している人までいたのに
ガラ空きの椅子

「空いている席に荷物を置かないでください」
今では、涙が出るような言葉だ

新陳代謝と言われればそれまでの僕の教会の現状
牧師が悪かったと言えば、解決する話かもしれないけれども
今なら僕達がこれっぽっちも信仰を実践出来ていなかったからだと分かるよ

教会に来れば楽しかったんだよ
教会に来れば救われたんだよ
教会に来れば現実を忘れられたんだよ
教会に来れば自分が肯定されていたんだよ
そして、それが間違いだったんだよ
それを求めて教会に行っていたのが間違いだったんだよ

教会に来ても辛い
教会に来ても救われない
教会に来ても現実を忘れられない
教会に来ても否定されている

そんな苦難の時でも信仰を保ち続けることこそが必要だったんだ
そして、そんなことが出来る人間はそもそも教会になんかに来やしない
そんな二律背反の中で、教会はゆっくりとゆっくりと衰退していった
そして、僕も教会から足が離れた

妻と息子と改めて教会に行った時に
まるで、他人の家に行ったような違和感を感じたよ
「初めての方ですか?」
僕が何回もかけた言葉を言われた時の気持ちは罪悪感だったのだろう

なあ、クリスチャン達
ハレルヤと叫ぶ人よ
したり顔で福音を伝える人達よ

僕たちは無力なんだよ
信仰で山も動かせないぐらいに
僕たちは無力なんだよ

信仰を持っていても、祈るだけじゃこの世の中じゃ何の価値もない
一銭の価値も無い
僕たちの信仰はこの世界じゃ、余計なものでしかないんだよ

その事に絶望を感じた時もあった
そんな世界が間違っていると叫んでいた時もあった

だけども、僕らの信仰は僕らには無駄じゃない
僕らは無力だよ、クリスチャン
どうしようもなく無力だよクリスチャン
世界を変える信仰すら持たない無力なクリスチャンだよ

そんな僕たちは愛してくれるという神様は、イエス様はどれだけ寛容なのだろう
そんな神様やイエス様に愛されているという僕たちはどれだけ幸せなのだろう
なぜ、僕たちだけそんな幸せなのだろう
なぜ、僕たちだけそんな幸せを知っているのだろう

涙を流そう
僕たちが知らない誰かが、いつだって苦難の中で涙しているのだから
僕たちは無力なのだから



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僕は、僕が軽蔑したあの罪人と同じ罪人だ
君が生きている
そのことが何よりも素晴らしいと、かつての僕は言った
そのことに異論をは無いし、きっとそれがとても素晴らしいことだと思う
僕は、そのことだけを頼りに生きている時があった
君が生きている
そのことが何よりも素晴らしいんだと、そのことが何よりも奇蹟なんだと

そんなことは、とても思えない様になってしまった
子どもをウサギのゲージに入れる親を見た時に
子どもをベランダから突き落とす親を見た時に
僕は、その親達の苦痛と死を心から望むようになってしまった
生きてさえいれば、それだけで全ての祝福が彼等にあるようにと望んていた僕がだ

罪がある
僕達には罪がある
途方もないような罪が
僕達にはある

罪人であるはずの僕達が、罪人を受け入れないという罪が
きっと、僕も罪人なんだろう
でも、僕は浮気もしないし、子どもを愛している

それこそ息子に対しての態度はとても良いものだろうし
教育の仕方も、本人を尊重した素晴らしいものだろう
妻への接し方も、僕は感謝を忘れないし
不満を言われても、男尊女卑を笠にした言い方なんてしない
欠点はあるにせよ、妻も子も愛して、仕事を行い、平均以上の収入を得ている僕は良い夫なのだろう
そのことに対して、僕は隠さない
僕自身が良い夫であり、良い父であろうとすることを隠してたまるもんか

そんな僕も
そう、そんな僕も
結局のところ、僕が唾棄した人間と同じ罪人なのだろう
神様から見たら、僕は彼らと同じ罪人なのだろう
僕は罪人なのだろう

僕は良い人であろうと生きてきた
それでも、間違いや罪をたくさん犯して来た
そのことの自覚はある
そのことの自覚はある

それでも、僕は息子をゲージに入れたりはしない
うるさいからと殴らない
わずらわしいからと、ご飯をあげなかったりはしない
閉じ込めたりしない
ベランダから落とすなんて
考えただけでも死にたくなる
煙草を押し付けることも
性的な行為をすることも
金のために物乞いをさせることも
金のために性的な行為をさせることも
僕はしたりはしない
してたまるものかと、いつだって思っている

でも、現実ではそういう子どもたちがいる
そうやって育てられた大人たちがいる
そうやって育てた親たちがいる

神様の目から見た時に、僕もそういった親たちも同じ罪人なんだろう
神様の目から見た特に、そういった親たちも僕と同じ愛される人達なんだろう
そのことの苦しさに、僕は今になって初めて気が付いたんだ
神様が愛されるなら
神様が祝福されるなら
彼らを愛さなければ僕が神様に背を向ける存在になるのだと

苦しい
苦しい
とても、受け入れられはしない
あの時の僕ならばあるいは受け入れられたのかもしれない

この世に塗れた僕は、どうだろう
年を重ねた僕はどうなのだろう
そういった彼や彼女らを前にして僕はどんな言葉を紡ぐのだろう

イエス様は罪が無いのに罪に塗れた僕たちを救ってくれた
それなのに、僕たちの体たらくはどうだ
教会内でも、現住晩餐会員以外には聖餐式がどうたらこうだと議論している程度の話だ
同じなのだろうか
同じだと聖書は教えるのだろうか

それでも、あの時に涙したイエス様の愛を忘れたくはない
僕は、いつだってイエス様になりたいと思っていたんだ
だから、僕は諦めたくはないんだよ
僕は、諦めたくはないんだよ
僕は、諦めて自分を最底辺以上にはしたくないんだよ





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そろそろ文章を書き始めよう
あの大震災の時の記事を見た
自分の書いたブログを見た
もう、何年も前の想いだ
僕の昔がいた

当時の僕には情熱があった
不満があった
渇望があった
渇きがあった
妬みが、歪が、嫉みが、憎しみが
自分を貶める自分自身の全てに立ち向かいながらイエス様の愛を信じていた
それが、正しいことかのように、義であるかのように
恵まれない自分自身を祝福し、抗いだけが輝いているかのように振舞っていた

世の中の理不尽を憎んでいたし、世の中の格差を憎んでいた
なのに、僕はそこから遠く離れてしまった

あの時は20代だった
なのに、今は30代
純粋な衝動は失せた
失せてしまった
行動の前に考えるようになり、僕は二の足を踏むようになった
まるで、それが当たり前かのように
正しいかのように
諭し、誤魔化し、優しいかのように

僕は情熱を失った
そして、冷静さを得た
そうやって、僕はあの頃の何もかも失った
孤独も、衝動も、憤りも、理想も、その何もかも

考えられない程の幸せを僕は得てしまった
妻と子
何よりも代え難いものを得てしまった
だから、僕は弱くなった
ひどく、ひどく弱くなった

僕は、もう何も出来ない
何も成せない
リバイバルなんて言葉が、アフリカの餓死ぐらいに遠くなって
信仰なんて言葉が、同窓生の名前ぐらいに懐かしいものになってしまった

教会が掛け替えの無いものだったはずなのに
取り壊される親戚の墓ぐらいに、傍観している
想い出は僕を支え無くなり、今の時だけが僕を走らせる
せわしない時の中に身を任せ
一年が一週間のように薄くなる

嗚呼、僕は変わってしまった
いつだって目を覆い、しくしく泣いている僕は消え失せてしまった
格差に嘆いていた僕は、格差を憐れむようになってしまった
嗚呼、僕は変わってしまった
こんなにも変わってしまった
どこへ行ってしまったのだろう、諦めなければ手を取りあえると思っていた僕は
どこへ行ってしまったのだろう、世界が平和にならないことが理解できなかった僕は

あり余るほどの愛を手に入れた
身に余るほどの愛を手に入れた

今はもう、孤独も絶望も渇望も望まない
ただ、この日々が続けば
ただ、この日々が続けば

いいや、ちくしょう、くそったれ
イエス様のそれだけの愛を
最も弱いものにした愛こそがと言ったイエス様を
涙したことを

忘れてたまるか
涸れてたまるか

膝を折って寝転ぶなんて赦してたまるか





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