君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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明日吹く風
迷いながら歩いている。
今いる場所が正しい道を歩いてるのか不安になる。
新しい節目を迎える今でさえ、忘年など出来ずに後ろを見てばかり。
頂上は、前を向けばあるはずなのに足元を見てばかりで迷い続ける。
気持ちを切り替え、気分を切り替え、理想を切り替え、現実を変えようとする。
必要なものはきっと違うはずなのは分かっている。

明日吹く風はいつも違う。
予想と希望は裏切られる時もあれば、願いを叶えてくれるときもある。
自分の努力だけではどうにも出来ない風も吹く。
だけど、希望が頭から離れない。
絶望が続けば、希望は妄想へと形を変える。
少しばかりの奇跡があれば、希望は現実へと姿を変える。

その少しばかりの奇跡がどうしても起こせなくて。
そして、いつだって絶望して。
そんな毎日に疲弊していつしか夢を見ることすら忘れてしまう。
そんな人たちが多い世界で、キリストの救いを伝道する。
それも確かな希望の一つでいつだって現実に姿を変える。
風車に向かう騎士のように映る時があれど、それは確かに真実の一つだと思う。

いつだって寄り添いたい。
それが掛け替えの無い欲望で、何よりの真実で。
だけど、常には寄り添えない。
それも残酷な真実で、どこにいても変わらない自分なんてものもいなくて。
見えない明日にいつだって怯えている。
揺らがない自分がいないことにいつだって不安を抱いている。

明日にはいつだって、新しいことの発見と毎日への埋没が存在して。
変わらずに日々を過ごしながら、強制的に変えられて。
何をしたらいいのか、何が正解なのか、何が間違っているのか。
そんなことに頭を支配されて、自分の強固だった意思がどこかへ行ってしまう。

それでいい。
そう言って欲しくてたまらない。
そして、それを言われたら甘えるのも分かっている。
いつだって、いつだって、欲望と自制の間で揺れ動く本当の気持ちが、
胸の奥で疼きながら出口を探している。

一番良い方法が夢を叶えることは分かっている。
だけど、それは出来ないんだ。
僕だけじゃない。
夢破れた人なんてものは数多く見てきた。
現実がうまくいかない人なんてものは数多く見てきた。

本当の絶望、何も出来ない自分を自覚して、これ以上上にいかない自分を認める。
そんな掃き溜めのような世界で、それでも人に優しくしている人がいる。
そんな人間も数多く見てきた。
自分自身を諦めているのに他者に優しくしている人がいる。
それだけで、この世界が素晴らしいと思える。
皆を笑顔にすることは到底出来ないのに、自分自身すら笑顔に出来ないのに。
他人を笑顔にすることが出来る人がいる。

明日吹く風に怯えながら、そうやって生きている人が確かにいる。
信仰に関わらず、貧富に関わらず、何者にも関わらずに。
それが、この世界の少しばかりの奇跡で希望が現実に変わる礎なんだ。
それが、来年への希望なんだ。
それが、未来への希望なんだ。
そう思って年を明かそう。



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零れ落ちる
僕の手のひらには色々なものが乗っていた。
夢や希望、輝かしい未来に自尊心、人への優しさや高貴な理想。
握り締めて生きていくと思っていた、信じていた。
僕は、ずっとこの素晴らしいもの達を手に生きていくものだと疑わなかった。
立派な人になり、そして人のために働ける人間になるのだろう。
そんなことを本気で考えていた。

この気持ちを持っていれば、世界平和も叶うはずだ。
出会う人を片っ端から幸せにしてやるんだ。
人に優しく、正しく、そして清く生きていこう。
僕は、そんな人間になりたかった、なれなかった。

最初に零れ落ちたのは何だったのだろう。
理想は直ぐに消えうせた。
過ちを犯した自分に対しての絶望は妥協を生んだ。
僕は立派な人間になることを諦めた。

夢も希望も零れ落ちていく。
世界平和と声高に叫んでいた自分が嘘のようだ。
疑ってすらいなかったんだよ。
この世が平和になることを疑ってすらいなかったんだ。

それがどうだ。
僕自身が人を陥れて自分の地位を守ろうとしている。
自分を失うことすら躊躇う僕に、一体何が救えるのだろう。
既存の物事に対する反骨心は、空の彼方へと消えた。

今の僕には何が残っているのだろう。
日々の雑務をこなすだけの存在の様な気がする。
過去からの螺旋に縛られている社会に雁字搦めになっている。
僕はそれだけの存在で、既存の物事を打破出来るような人間ではなかった。
と、少なくとも今の時点では思っている。

なのに希望を失わないのは心の中に愛を感じるからなのか。
時折、本当に時折だけれども心の中に暖かいものを感じる。
それを愛と呼べるのならばどれだけ嬉しいことなのだろう。
僕の心の中にもまだ愛があるのなら、それだけで、それだけで。
絶望から一歩だけ足を踏み出すことが出来る気がするんだ。

零れ落ちていったものはたくさんある。
だけど、その全てのものが無くなっても愛は残ると思う。
その愛だけが僕に力を与えて、明日を生きさせてくれる。
その愛だけが零れ落ちたものとは別の希望を僕の胸に湧き上がらせてくれる。

ありがとう。
まだ、そう言えるんだ。


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別々の人生を生きている
僕らは一人ひとり違う人生を送っている。
例えば、僕はサラリーマンであるけれども。
サラリーマンが皆同じような人生かと言われればそうでもない。
一人ひとりが違い、一人ひとり別々な人生を歩んでいる。
それが当たり前なのだと知った。

クリスチャンの家庭に生まれて教会に通っていた。
クリスチャンの幼馴染達と同じ方向を見て、同じ道を歩んでいた。
途中から道を違えて、思想を違えて、行動を違えた。
模範的なクリスチャンになった人間もいれば、才能を生かした人間もいた。
勉強がとても出来る人間もいた。
そして、僕は平々凡々に生きている。

妬み嫉み、羨ましいと思うこともあった。
同じような人生を歩んできたはずが、理想を追い求める道を歩む友達が。
ひどく、ひどく羨ましいと思ったこともあった。
自分がなにか大きなことする人物だと思っていたこともあった。
現実は難しく、矮小な自分に気がつくだけだった。

日々の雑事に一喜一憂しては、頭の中から神様が消えていくような日々を送っている。
別の人生を遅れたら、宝くじでも当たればなにか変わるのかと問いかける。
空想の世界では、自分はこんなにも強いのに。
現実の自分には、何も無いと思ってしまうのだろう。

別の人生を歩んでいる人間も苦労していることは分かっている。
僕には分からない段階の緊張感や疲労感を得ているだろうことも。
憧れているだけの僕とは違う疲労があるのも知っている。
僕は今生きている、この人生を歩めていることに感謝しなきゃいけないはずなのに。

本当なら他人の人生も僕の人生も認めてやれればいいのに。
未だに無駄な自尊心がそれを許してはくれない。
時間なんてものは無常に過ぎ去っていくのに。
いつか今あるこの気持ちなんてものは氷解していくはずなのに。
僕は凝り固まった気持ちをどうにも出来ていない。

ひどくつまらないと思う毎日と、死んでしまえと呟く心の声。
自分以外の人間がやけに幸せそうに思えてくる。
そんなことは無いはずなのに。
誰もが不幸で誰もが幸せなはずなのに。
いつだって、いつだって苛まされるのは自分自身の無力感。
誰も救えないこの無力な手、無気力な心、不動の足。

別々の人生を生きている。
だけど、交わらせたかった。
それも、無理な話だった。
なぜだろう、ひどく悲しい。



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大切なものとそうでないもの
人それぞれによって大切なものは変わってくる。
例えばクリスチャンは命と貞操をとても大切にしたりする。
だけど、暴力による罪をあまり重要視したりはしないこともある。

昔はヤクザでした。今もカッとなって人を殴ってしまいます。
いいんですよ、あなたはそのままで受け入れられているんです。
一緒に頑張っていきましょう。

昔は風俗で働いていました。今もつい誰かとセックスをしてしまいます。
それは、教会に悪影響を及ぼします。
その癖を直さない限りは教会に来ないで頂けませんか。

どちらも現実にあり得る話で、あり得た話だと思う。
現在進行形のアルコール依存症の人は教会に来れる。
だけど、セックスを日常的に行っている人はあまり来れない。
それは大切なものとそうでないものを無意識的に分けてしまっているからだと思う。

そういった社会の中でも多くあって。
別に貞操はそこまで大切では無くて、人とどれだけ話せるかが重要になってくる。
どんなに誠実でも、どんなに優しくても。
それを表現する術を持っていなければ無能とされてしまう。
そんな世界もまた悲しくて、辛かったりする。

この世の中に大切でないものなんて何一つ無いのに。
この世の中に繋がっていないものなんて何一つ無いのに。
僕たちの脳みそや心はそれを受け入れることが出来ずに優先順位を決めたがる。
思えば、それが神様にとっての一番の罪なのかもしれない。
そんな風に思うよ。
だからこそ、僕らは罪人の集まりで全ての人が仲間になりえるのかもしれない。
僕らは何一つ変わらない。
僕らは単なる罪人だ。

信仰こそが一番大事だと嘯いてみたりする教会も腐るほどあって。
一番大事なものの基準を聖書に求めてみたり。
自分たちに都合の良い結婚観を、そんなこと書いていない聖書を根拠に使ったり。
キリスト教徒も何よりも大切なものを忘れて生きていることもしばしばだ。

子供を信仰の鎖に繋ぎとめるために学校に行かせなかったり。
神様から離れると地獄に落ちると脅してみたり。
この世の娯楽を悪魔的だと否定してテレビすら持たなかったりする。

頭が狂っているのは僕たちなのか、それとも世の人なのか。
何を大切にするかで世界は二分され、断絶の壁を築きあげる。
そして、壁を壊そうとする努力は一切せずに壁の中の人口を競い合う。
たとえ、全ての人間がこちら側の壁に来たとしても依然として壁は残る。

自分の中に大切なものを創りだしてしまうとそれを誇ってしまう。
僕たちが誇るべきは神様のはずなのに。
その全ての創造物の中の一部だけを取り上げて大切にすることは正しくないのかもしれない。
僕たちは全ての物事に神様の御手を感じないといけないのかもしれない。
だけど、そんな現実的には不可能で。
僕たちは未だに暗い闇の中を歩いている。
いつか、その霧が晴れますようにと少し祈って今日も眠ろう。



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光り輝く人生
一生の内に後悔する時なんてものは腐る程ある。
あの時こうしていれば、道を間違えていなければ。
そんなことをずっとずっと考えながら生きている。
それは、きっと誰だってそうだろうと思う。
夢かなったような、それこそ特殊で稀でむしろこの世界では異常な人間が言う。
「後悔するような人生は歩むな」って。

僕はずっと後悔ばかりの人生で、夢に向かって何か走れなかった。
危険を冒してまで、夢を追いかけることもせずに。
安楽な道を歩いているはずなのに、あの日に置いてきたものを振り返ってばかり。
拾おうと後ろを振り返ってみても、体は前に進むばかりでちっとも届かない。

そんな人生を歩んでいる人の方が多いと思うんだ。
自分の人生に後悔ばかりして、救われたくて、慰められたくて。
だからこそイエス様の救いがどうしても必要で。
この後悔だらけの人生すら素晴らしいと言って欲しい。
この後悔だらけの人生すら価値があると言って欲しい。

だから、あまりキリストを信じているからと期待をしないでおくれ。
光の道ばかりを紹介しないでおくれ。
僕には君たちが通る道は眩しすぎるんだ。

僕が歩んでいるような暗い道にすら、イエス様は光を照らしてくれた。
そう思っちゃいけないのかな。
この後悔だらけの暗雲立ち込めるような道さえ照らされた。
そう思わせておくれ、お願いだから。
二世クリスチャン、とりわけ誠実に歩んできたような二世クリスチャン。
彼らが歩むような道は歩いてはいないんだよ。
だけど、そんな人生すら光り輝いていると言って欲しいんだ。

罪を犯すことなんて山程あって。
人を傷つけることなんてのも山程にあって。
そして、そんな自分自身に絶望して神様が創ってくださった僕に対して嫌悪感を感じるのもしばしばさ。
誰かを呪い、自分を呪い、そして先が見えない不安だらけの人生を歩んでいる僕でさえ。
せめて、信仰者と言わせておくれ。

僕は、後悔だらけで不安でしょうがないんだ。
だけど、僕の人生は救われていて光り輝いていると言って欲しいのさ。
そして、出来ることなら誰の人生にもそう言いたいんだよ。

君の人生は君が暗いと思っているかもしれない。
だけど、光輝いていて素晴らしくて価値があってそして僕にとってとても大切なんだよ。
そう言いたいんだ。
説得力はまだ欠片も無いのだけれとも。
だけど、言いたいんだ。
生きていてくれてありがとう。

そう言いたいんだ。


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痛む心がキリスト者としての証だと信じたい
僕は正しい人間では無い。
それは聖書を持ち出して語るほどのことですら無い。
不義を犯し、人を傷つけることなんていうのは度々ある。
ただしくなりたくて、優しくなりたくて願っているのに。
それを実行することが出来ない。

今の人生をひたすらに喜ぶことすら出来ない。
現状を神様に感謝せど、不安を消えず闇の中にいるような気分になる。
照らされているはずの光を見ることが出来ない盲目な人。
祈ることさえ時には忘れ、心が神様に向いているのかどうかも分からない。

色々な若いクリスチャンの話を聞いた。
キリスト教を信じていれば、仕事もうまくいく。
最愛のパートナーにも出会える。
何があっても神様を信じていれば人生は好転する。
そんな話も聞いたことがある。

それもひょっとしたら真実なのかもしれない。
ただ単純に僕の信仰が足りないだけなのかもしれない。
僕が神様に人生を委ねていないだけなのかもしれない。
そんなことを考えていたこともあった。

でも、それはきっとそんなはずは無くて。
アメリカで貧困に喘ぎながらデモを起こしている人たちの中にもクリスチャンはきっといて。
そして、生涯誰とも結ばれなかったクリスチャンもいるはずなんだ。
貧しく誰にも看取られず、ひっそりとその生涯を終えたクリスチャンもいたはずなんだよ。
キリスト教を信じることによって、人生が好転することをもし肯定してしまったら。
暗転したまま天に召されたクリスチャン達の信仰すら僕は否定してしまう。
何物にもなれなさそうな僕自身すら否定してしまう。

僕は苦しくなるぐらいに弱い。
人生を切り開くことすらできずに、ひたすらに嘆くだけ。
そんな人生を歩んでいる。
痛いんだ心が、ひたすらに痛むんだ。
社会の理不尽や自分の弱さに心が痛むんだ。
その痛む心だけが僕がキリスト者の証だと信じたい。
僕のこの心の痛みが、いつかきっと誰かへの優しさになると信じたいんだ。




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言われたい言葉と反発する心
生きてていいんだよ。
君は愛されているんだ。
君は大切な存在なんだ。
幸せになっていいんだよ。

そんな言葉をいつだって待っている。
誰かに言われたくて言われたくて心が泣いている。
だけど、そんな言葉を掛けられてもきっと反発するんだろう。
僕はこんなにもひどい人間なんです。
こんなにも汚い人間なんです。
そもそも無条件の愛なんてものは人間同士では不可能なんだ。
じゃあ、君の言う無条件の愛なんてものはどうやって感じるんだい。
そんなことを言って、必死にその言葉に対して反論しようとする。

だけど、心から望んでいるのはその僕の反発を超える言葉。
超える何かを心から待ち望んでいる。
そんなものに出会ったことは無いんだけれども。
僕は、そんな言葉をいつだって待ち望んでいるんだよ。

僕の中には答えは無いから応えてはくれない。
命を懸けるほどの夢も希望も、そして信仰すらない。
神様の愛と散々と言われてはきた。
僕は辛いことがある度に合理的な説明をしようとしてきた。
今の理不尽な状況と神様の愛との整合性を必死に取ろうとしてきた。
だけど、もう限界なんだよ。

片一方では、僕には訪れない神様の奇跡が溢れている。
僕にはその軌跡の一片すら見いだせずに、不満と不安の中にいる。
誰かはこの世での救いを享受しているのに、僕には死後の救いがあるばかり。
なぜ、差が出るのだろう。
信仰にも愛にも、世の中の成功具合だとかにも、差が出てしまうのだろう。
幸せに生きているはずなのに、他人の幸せを妬むようになってしまう。

自分の中にある確固たるものなんて、社会には認められず。
ひっそりと心の中で根を張り、少しばかりの枝になって。
わずかばかりの支えとなっても実を結ばない。
なんで、こうなってしまったんだろう。
絶望しない代わりに、希望すら持てなくなってしまった。

君に言いたかったんだ。
生きてていいんだよ。
愛されているんだよ。
大切な存在なんだよ。
幸せになっていいんだよ。
誰にでも、傷ついている人に言いたかったんだ。
それが答えだと思っていたんだ。

でも、こうやって真っ暗な中にいると分かるんだ。
その答えなんてものはとても灯台のような光にはならないんだ。
欲しいのはそんな言葉じゃなくて、もっと別の何かで。
でも、それが何なのか分からなくて。
それが、ひょっとして信仰だったりするのかなあ。

辛いよ、とても辛い。
どう生きれば正解なんてものが分からなくて。
でも、幸せに生きたくて幸せに生きて欲しい。
そのためにどう生きればいいなんてものも分からなくて立ち止っているんだ。
神様、僕は間違っているんですか。
どうすれば、正しい道を歩けるんですか。

また始まる明日に脅える日々なんてものは真っ平御免なんだよ。





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怖いのは見えない未来だけなのに
今の生活は嫌いじゃない。
というよりも、とても幸せで楽しくて恵まれていて。
嫌いなものと言えば自分自身ぐらいなものなのに、いつも何かに脅えている。
幸せなんてものはいつの日か簡単に崩れるくとぐらい知っている。
人生の転換期なんてものはそれこそ何個もあって、その度に今までの幸せなんてものは崩れる。

お金があれば、何があろうと余裕で暮らしていけると思っていても。
現実にお金があるのに幸せじゃない人を見ると不安になる。
僕がお金を持っていたらああはならないと心で呟いてみても。
心の中にある不安感は取れない。

世の中の理不尽を煽るために、新聞はこの世の中の悲惨さを伝える。
それは、僕の心を不安にさせるのにはひどく成功している。
この世界は理不尽に不幸なことがたくさんあって、人を蹴落とす覚悟が無ければ生きていけない。
そんなことをどこもかしこも話しているんだ。
だけど、僕の現実は未だに幸せなんだ。
硝子の階段を歩きながら、いつ割れるかを不安に思っている。

夢を諦めるなとか、そんな段階の話ではなくて。
ただ生きることにすら不安に思えてくる。
僕は、失敗ばかりの人生だから。
いつか、どこかでひどく不幸になるんじゃないかと不安になる。
愛している人のためにも生きることも不満足で、誠実にすら生きれていないんじゃないか。
独りで生きていくのがお似合いなんじゃないか。
僕は生きていない方がいいんじゃないか。
そんな、考えが頭をよぎる時がある。

怖いのは見えない未来だけなのに。
いつだって、目の前の幸せを不安に思ってしまう。
幸せを積み上げることは、積み木を崩さないように注意しなきゃいけない。
そのために、犠牲にすることはたくさんあって。
時間だったり、人間性だったり、違う何かだったりするんだ。

世界を救うだとかの夢なんてものはどこかへ行ってしまった。
自分の人生にかかりきりで余裕なんてものはどこにもなくて。
僕は何も生み出せない人間だということを実感してしまった。
折れた心がちくちくとどこかに刺さってしまっているんだ。

でも、それでも人のために生きたいのは変わらなくて。
どうやって自分自身を立脚するかが分からなくて。
何をすれば僕は僕らしく生きることが出来るのだろうと思いながら。
どう生きても結局は僕だとも思う。

見えない未来は死ぬほど怖いけれども。
それでも、どうにか歩いていこう。
僕は何も成し遂げることが出来ないのかもしれないけれども。
それでも、生きていていいはずだから、幸せになってもいいはずだから。
だから、ゆっくりと眠ろう。




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真面目に生きる見返りなんてものは無くて
社会的に真面目に生きてはいる。
犯罪には手を染めていないし、仕事もしている。
人当たりは悪くなく、友人もいて、恋人もいる。
だけどもだからと言って、その結果何かご褒美が待っているわけでもなく。
災難は、いつだって理不尽に降りかかる。

悪気なく人を傷つけ、悪気なく人を陥れる。
そして、その報いか何かは知らないが自分自身にも不幸は訪れる。
心は沈み、償いの仕方も分からなくなる。
体を傷つけ、心を傷つけ、それでも社会にいる限り笑うことすら強要される。
自分の心の内すら分からなくなり、どの方向へ足を運べばいいのかも分からない。

誰を大切にすればいいのか、何を大切にすればいいのか。
大切なものが多すぎて、自分自身の迷う心が多すぎて。
一つしかないはずの体があちらこちらへと向こうとして、いつの間にか元いた場所へと戻っている。
確かに一歩進んだはずなのに、また逆向きへとまた一歩。
あちらへ一歩、こちらへ一歩、そっちへも一歩、やっぱりこっちへ。
そんなことばかりしている内に、一年は過ぎていく。

どこかへ向かうことも出来ずに、傷つけた人だけが増えていく。
日々、罪深くなっていく僕すら救われているはずなのに。
何も出来ない自分のせいで、無邪気には喜べない。
たとえ、免罪符を手にしても心の罪悪感は消えずに自己否定の芽は育っていく。

苦しみすら糧に出来る人間を羨み、明るい人間を嫉む。
後ろを向きながら、逆向きに歩けば前へ進めるはずだと自分自身に言い聞かせても。
何も見えない僕の足はいつだって、何かに躓いている。
答えが見えない道に与えられた試練にとやらに応えようとしても何もなく。
惰性にすら出来ない不器用さでこの人生を過ごしている。

何が出来るのか、何を残せるのかと考えても何も思い浮かばす。
自分自身の人生を豊かにしようと考えても、希望は持てず。
死後の世界には天国が待っていると言われても、しらけてしまい。
イエス様の慰めすら、よく見えなくなっていく。

真面目に生きる理由なんてものはこの世の中には無くて。
運で決まるようなところが本当のところで。
僕たちはこの世界で、そんな運で決まっているはずの何かに名前をつけてはありがたる。
才能、努力、工夫、そんな言葉でごまかそうとする。

僕達に残されている希望は愛だけだというのに、いつだって運を求めようとする。
いつだって、自分自身だけが愛されたいと願ってしまう。
真面目に生きていれば、いつかそれが手に入ると思い込んでしまって。
結局は、何も手に入らない。
この世に残るものは全て灰になってしまうのに。
僕たちは、灰になる前の何かに希望を抱いてしまう。

人間は愚かだ。
だからこそ尊いのかもしれない。
僕には何が出来るのだろう。
僕には何も出来ないのだろう。
そんなことはどうでもよくて。

さあ、明日からの身の振り方を今日も考えよう。



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