君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



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怒る日々
僕は最近短気だ
恋人にもそれで怒られる日々だ
なぜ、僕がこんなにも怒っているかとというと僕は自分に対して怒っている
僕は、何にも出来ない
この現実が自分自身を責め立てる

なぜ、何も出来ない
なぜ、何も出来ない人生を歩んできた
なぜ、僕はリスクを恐れて何もしようとしない

きっと、何をしても不満足な僕は本当にこんなことでいいのかと
自分を責め立てながら、日々の日常を変えようとはせずに
今の自分を忘れるように、楽しいことだけに目を向けて
夜に一人になったときに後悔をする

クリスチャンだからと言って、僕は愛に溢れいるわけでも清くも無い
優しくあろうとしても、結局のところそれは社会的な弱さにも繋がる
残酷さを持とうと努力しても、残酷さには勇気も必要で僕にはその勇気も無い

何をしているんだ僕は
何がしたいんだ僕は
中学生、高校生の頃に済ませていなければならない問いを僕は未だに問い続けている
そんなものに何の価値も無いのに、日々を一生懸命努力することすら放棄して
身近な社会の不正を暴こうと躍起になって、それも出来ずにただだらだらと日々を生きる
そして、そんな自分自身に不平不満を覚えて怒りを覚え、それをまき散らす
まったく、最低だ

そんな私でも信じることで救われました
そんは話もよく聞くよ
だけど、僕は既に信じているしクリスチャンであることに僕自身は疑っていない
だけど、まるで愛に溢れていないこの僕はクリスチャン失格かい
クリスチャンになろうが、伝道者になろうが僕が苦しんでいる社会は変わらない
ああ、救いたいよ、僕だって出来るものなら救いたいよ
だけど、そんなこと誰に出来るんだい
常識的に考えたときに誰が出来るんだい

君は、奇跡を信じるのかもしれないけれども常識に埋没している僕に奇跡んなんてものを
信じる気には特にならない
君が言うリバイバルやトランスフォーメーションなんてものも結局のところ群集心理と歴史的文化の結果に
過ぎず、奇跡なんてものとは程遠いと思うんだよ

だから、この日本でリバイバルなんてものを望んでもそれはほぼ無駄なんだよ
見てみろ、僕を
クリスチャンと言いながら、こんな言葉をまき散らしている人間を
君は熱心なクリスチャンに変えることが出来るのかい

ああ、こんな言葉を言いたいわけじゃないんだ
なあ、神様
何だって、人は人を傷つける
何だって、人は自分を傷つける
誰だって幸せになりたいんだ、幸せにしてくれよ
正しい道があるのなら、なぜ直接統治してくれない
聖書だなんて間接的なやり方をとるから、皆迷うんだ

神様が分からないんだ
人間が分からないんだ
自分が分からないんだ

泣きだしそうだよ、ちくしょう
何だって、こんなにも何も出来ないんだ
何だって、こんなにも満足出来ないんだ
分かっているんだ、自分がそれを拒否しているぐらい






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惰性の毎日
端的に言えば、僕は卑怯者なんだろう
職場に上司に言われたのが「君は神経が図太いな」だ
僕も、そう思うよ
僕は人を騙すことも別に平気だし、嘘を吐くのも日常茶飯事だ
それに、騙したり嘘をついたりしている人間と心から笑いあう
そんな人間なんだよ

クリスチャンがこの世を嫌うのはとても分かる
心労が多いこの世界で、僕も漏れずに疲弊している
だけど、爽やかだと思っていた場所が実際にはどろどろした
人間関係で成り立っていると知った時は、不安と同時に高揚感を覚えたよ
好きなんだ、そういうのが
そんな人間関係の中で、僕は主導権を握りたくて奔走して、そして負ける
そんな惰性の日々を過ごしているのさ

意味も無いのに、何かと敵を作って戦って
心の中で勝っただの負けただのと、自分の審判で判断して
喜んだり、悲しんだりしているんだよ
そうやって、いつしか自分の勝ち負けにだけ目が行くのさ

周りで少なくとも今は自分よりも成功している人間を見ては妬み嫉み
「人のために」なんてお題目はどこへやら
気にするのはいつしか、自分の将来のことにだけになって
そして、必死に自分を肯定しようと不安になるのさ

幸せには金は関係ないだなんてことを嘯きながら
自分が思う幸せには、実際のところ金が必要だってことに
気がついて自己矛盾を生み出す

そんなことを見たくないから、人付き合いの中に幸せを見出そうと
しても、自分がそう見るように他人も自分を評価で見ようとする
優しかったり、金があったり、何だりと条件を付けて
相対評価の中に落とし込まれる不安感を掻き消そうと躍起なって
また、独りよがりな心の勝負を誰かに挑むのさ

だけど、嫌だなそんなものは
分かっていた話なんだよ
社会に出たら、理想だとか平和だとかが馬鹿馬鹿しく思えるのは
自分だけの信念や価値観を社会通念と誤解して、経験が浅いと言われている
実際には、僕なんかよりもはるかに勉強していて頭が良い人間の思想を馬鹿に
するなんてことは分かっていた話なんだよ

だけども、他人の話を聞かない理由のもう一つが分かったんだ
それは、他人の話を認めてしまうと自分を否定しなくちゃいけないのさ
どちらが正しいとかじゃなくて、新しいものを作ろうとしても
結局のところ以前の自分を壊さなくちゃならない
そっから這い上がる体力なんてものは、誰しもが持っているわけじゃない
そして、それは皆うすうすと勘づいていて、自分にも這い上がることを強要
されたくないから、同調はせども考えを聞いたり変えたりなんてことはしないのさ

幸せだとか自己満足だとかを初めから持たなければ答えは簡単なんだ
もしくは、生きているだけで成功だとか言うのを本気で思えばいいのさ
簡単なことでは無いけども、完璧に不可能でも無い
でも、万人が出来るかと言われればそうでも無くて
僕は、思考実験の中で今日も世界平和の反論に
負けている惰性の毎日を過ごしている

ちくしょう、頭が良い奴らはとっとと世界を平和にすればいいんだ
そうすれば、凡人Aでも満足出来るのに




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省略される愛
キリスト教を語るときに、どう語るんだろう
救いの宗教と言うのか、愛の宗教と言うのか
義なる神様と、愛なる神様との板挟みな僕らは
案外とそいつを自分に都合よく使い分ける

クリスチャンならきっと一度は言ったことがあると思うんだ
「信じるだけで救われるんだ」
でも、僕たちが欲しいものは何だろう
救いが欲しいのか、愛が欲しいのか
ありあちなのは、神様の愛の結果が救いだという論理展開で
愛はどこから来て、何をもたらすのかという話は省略する

愛の宗教と呼ばれて久しいが、それほど実は愛を強調しているわけじゃない
違うか、神様の愛とやらは多く語るんだ僕らは
でも、自分たちの愛については語らない
神様から愛を受け取っているというのに、僕たちは未だに愛を知らない

不思議でしょうがないんだよ
僕たちは、信仰についてはああだこうだと議論して
あれが信仰です、これが信仰です
彼には信仰がありません、彼の信仰は異端です
そんなことを、喧しく喚いているのに
愛については、口を閉ざす

愛しているよ
そんな、簡単な言葉を堂々と吐いても疑われない
愛ってなんなんだい
神様を愛するだとか、人を愛するだとか
そんなことをもっと語れよ

信仰についていは、学問かと思うほどに熱心なのに
愛については無関心
愛の反対語も無関心
信仰に熱狂的になるのが、愛なのかい
神様、神様と叫んで疑う心を消して
「聖書的」だとか呼ばれる生活を過ごしていけば、愛なのかい

僕たちが本当に欲しいものは何なんだい?
救われた、救われたと叫んで心の中に充足感が芽生える
だけれども、現実は増えても減りはしない

救われる前にあった辛い現実は、そこにあって変わらなくて
救われたって信仰があっても、辛くて切なくて目を背けたい
だけど、そんなことを言ってしまったら不信仰に思われるんじゃないか
勝利しているはずのクリスチャンなんだから、神様がついているんだから
私はこの世より、自由で幸せでなくてはならない

そんな、気持ちになったことが僕にはある
でも、そんな気持ちになることは本当に正しいのかい?
救われているから幸せです、成長します、伝道します
そういった言葉よりも、愛しているって言われて
じゃあ、愛ってどういうものなのって話をされる方が日々は楽しい
そして、何よりも癒される

僕たちが与えるべきものは、充足感と癒しとどちらなのだろう
僕たちが与えられるべきものは、充足感と癒しとどちらなのだろう
愛をもっともっと知りたいな
信仰にかまけて、愛を省略したくはないな
愛の無い信仰なんざ、何の意味も無いんだもの




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心のフィルター
その人がどういう人なんてわからない
僕の周りには不倫をしている人もいれば
とても中睦まじく夫婦生活を送っている人もいる
キリスト教的に見れば、人として失格な人も
付き合っていく間に誰よりも尊敬していたりする

僕らの中には、色々な心のフィルターがあって
それを通過する人を尊敬したり、大切にしたりする
そして、そのフィルターを通した人は案外気が合う人間で
心のフィルターがまるで、何か大切なものに思えてくるんだ

だけど、大切になった後にその人が心のフィルターを
通さないような出来事を起こしたらどうなる
教会でよく問題になるのはセックスか
後は、強盗や人殺しでもなんでもいいんだ
大切な人と、心のフィルターか
僕らはどっちをとるんだろう

その人が自分の心のフィルターを通るように、その人を変えるのか
それとも、ありのままのその人を受け入れるのか
きっと、どちらの答えも時として正しくなって、間違いなんだろう
僕たちは、どちらかに答えを決めたがるけれども
それではうまくいかないなんてことは、実は知っている

だから、心のフィルターを統一しようと聖書を片手に
叫びつつ、慰めつつ日々を過ごし
自己満足にも似た充足感を得て、心のフィルターから外れた人を
どんどん視界から遠ざけていく

そして、それはノンクリスチャンでも変わりなく
この辛い辛い世界から身を守るために、心を守るために
どうにかして、自分の心のフィルターを正しいものにしようと
他人を見なくなり、陥れ、自己満足にも似た充足感を得ていく

でも、心のフィルターってやつはそんなに大切なのかな
コーヒーフィルター以上の価値なんてものはあるのかな
僕たちは、いつの間にか手段が目的になって
大切なものを大切じゃ無くすることが、よくある

大切なものは何だろう
それは、きっと皆が分かっていて言葉に出来ない
だから、心のフィルターを使って言葉にしようとする
だから、争う
だから、分裂する

哀しい世界だ





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腐った社会
僕は、さんざんとキリスト教会を非難する
キリスト教会の矛盾した所や、納得がいかないこと
そいつを、これでもかと喚き立てる
なんだって、そんなことかをするかというと僕は、
結局キリスト教会が好きなんだ

そして、僕はこのクリスチャン以外が跋扈する社会に
眠っている愛を見つけたくて、探して
そして、ここにあるんだと騒ぎたてる
なんだって、そんなことをするかというと僕は
結局この社会が嫌いなんだ

僕の近くにだって不倫や横領や不義なことが目に入り
若者は自分勝手に、自分の欲望と価値観をごっちゃにして騒ぎ立てる
年寄りは、自分が築いてきたプライドを社会通念と誤解して保持しようとする
ただ、人間の厄介なところはそんな人間にも優しさがあり、愛があり
何かかしら素晴らしいものを持っているところだ
憎みきれない僕の心の中途半端も相まって、結局のところこの世を否定できない

教会では、好き勝手に信仰を語り愛を語り
疑いを罰し、信仰の表れを実のみで見ようとする
離れていった人間の不信仰を憐み、自分の信仰に感謝する
神様に近づくことが至上の喜びとしながら、誰もマザーテレサにはならない
自分に与えらえた使命を自己解釈し、死を目前にしてるわけでもないのに
自分の人生に対しての証をこれでもかと見せつける

僕は、そんな教会の中にいる人たちが大好きでたまらなくて
だからこそ、人を無意識に差別する言葉が我慢できなくて
憐みという都合の良い解釈で、この世を見る人が辛い
だから、愛しきれない僕の心は、結局のところ教会を肯定できない

分かっているんだ
この世がパラダイスなんかじゃないことぐらい
そこらのリベラル派よろしく僕も万人救済説の価値観で
もしかしたら、福音派からは異端視されるかもしれない
だからと言って、僕は今の世の中に満足しているわけでもなければ
世界がこのままでいいだなんてことは微塵も思っちゃいない

分かっているんだ
教会がパラダイスじゃないことぐらい
そこらの一般人と同じように熱狂的な信仰には違和感を
覚えながら、口をそろえて気持ち悪いと言うのさ
だからと言って、僕は今の教会を全否定するわけでもなければ
教会が無くなればいいだなんてことは微塵も思っちゃいない

教会もこの社会も腐っている、腐った社会だよ
そして、慣れるんだ、腐るんだ自分自身が
どんなに高い志を持っていても初期に感じた違和感や熱狂はどこへやら
いつの間にか、僕たちは純粋さを忘れて大人になって老人になり
子供に社会の姿を見せつける

今の僕を、子供の手本に出来るかい?
不義を行う人間を尊敬し、不正に目を瞑り
自己保身のために、正義を行わない
ああ、僕はイエス様の十字架が無ければ全くどうしようもないよ
清くなんてなれない
聖なるものになんてなれない

だから、イエス様の十字架だけが頼りなんだよ




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