君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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聖書が教える結婚観
今日の日記は、久しぶりに聖書を引用するからとても長いです


最近、周りが結婚しはじめたからか結婚というものを考える
クリスチャンのブログを読んでみても、同じようなタイトルが
並び、そして聖書を背景にした結婚観が溢れている
じゃあ僕も便乗しよう
聖書が語る結婚というものも僕も語ってみよう


まず結婚なんてものは苦労ばかりで、出来ればしない方が良いものだ
セックスがしたくてたまらなくなって、婚前交渉を行うくらいなら結婚をすればいい
だけど、結婚をする人間よりもしない人間の方が良いんだよ
なんたって、終わりの時が近いんだから

コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章26節
 今、危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです
 しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。(同28節)
 もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思い通りにしなさい。罪を犯すことはなりません。二人は結婚しなさい。しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。(同36-38節)



そして、どんなにひどい男でも女は従わなきゃいけない
なんたって、夫は妻の頭だもの
それに、従ってれば夫がクリスチャンになって改心するんだから
ああ、教会で何か疑問があっても妻が直接牧師に話を聞くなんてとんでもない
そういうのは、家で夫に聞くもんだから

エフェソの信徒への手紙 / 5章 22節~24節
妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。
また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。


ペトロの手紙一 / 3章 1節
同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。


コリントの信徒への手紙(一)14章34節
「婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい」



後は、離婚はしちゃ駄目な感じだよね
DVを振るわれても離婚しちゃ駄目なのかな
まあ、神様が二人をくっつけたからと言われたら言うことは無いのだけれども

マルコによる福音書 / 10章 8節~9節
二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。



そういえば、性欲に負けて嫁入り前の女性を手篭めにしたとしても
父親に慰謝料を渡して、結婚すればいいんだったな
モテないクリスチャン男性は、そうすればいいのに
社会的には駄目でも聖書的にはOKなんだから

申命記/ 22章 28~29節
「ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、共に寝た男はその娘の父親に銀五十シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない。彼女を辱めたのであるから、生涯彼女を離縁することはできない」


こんな言葉にアーメンと答える人間はいないと思う
僕もこんな馬鹿な話があるかと思う
いやいや、でも待ってくれよ
これも、間違いなく聖書に書いてあることだぜ

そもそも、旧約聖書の時代には一夫多妻制だった結婚
でも、僕らは何だかんだ言って一夫一妻制が当たり前だと思っている
じゃあ、どういうことだい
聖書が間違っているとでも言うのかい

いや、言っているのさ
上に挙げたような部分は結婚を語るときに、ほとんど語られない
妻は従えぐらいは、堂々と言っているのを聞いたことがあるけれども

上記の部分に関しては、時代が違うだとか夫も妻を愛さなきゃならないだとか
色々と条件や歴史的な背景を考えて、そのまま受け取ろうとはしない
だけど、他の部分ではそういうのはすっ飛ばして聖書の言葉通りに従えと言う
そんなものは、聖書のつまみ食いだと思うんだ

聖書は絶対的な真実なら、堂々と女は教会で喋るなとでも言っておけばいい
既婚者に向かって、「ああ、セックスが我慢できなかったんですね」と言っておけばいい
だけど、それをしないなら聖書の一字一句が正しいだなんて言えないはずだ

何だって、こんなことを書くかというと、現実にいるんだよ
結婚についてしたり顔で語って、あたかも聖書が背景にありますよって
言う奴らがさ

産めよ増えよと言うが、不妊症や無精子症の人間は無視だよ
心ある牧師なら、結婚しない人間はそう定められているだけで、別に悪くないって
言ってくれるけど

でも、結婚に関しては完全に男と女の世界だ
同性愛者も無視だ、性同一性障害も無視だ、両性具有者も無視だ
だけど、男と女の結婚だけが正しいって聖書に書いてあるって言って
頭ん中の妄想を、聖書を使って真実にしようとする

女性が長い歴史の中で獲得してきた人権を、聖書の一カ所で否定して
簡単に従えだなんて言って、あたかもそれが正しいと言う
そのくせ、申命記みたいな明らかに女性に対して不利な律法は語らない
イエス様が律法から解放してくれたと言えるからな
他の箇所に関しては、律法は世の終わりまで残ると言うくせに

本当に大切なことって、聖書の一部分にこだわってそれに沿うことなのかい?
それが、本当に幸せな結婚だって言ってまわるのが正しいことなのかい?
僕の語った言葉は間違っているのかな、君とは引用する聖書の箇所が違うから

思うんだよ
結婚だろうがなんだろうが

「互いに愛し合いなさい」

この一言で充分じゃないかなって
僕は思うんだよ
それだけじゃ、足りないのかな
そうだとしたら、そいつは少しばかり切ないや



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検証実験
そういえば、最近知ったんだけど万人救済説も
異端視される場合があるらしい
嫌な話だ
信仰義認もよくよく考えれば、矛盾を孕んでいるはずなのに
何かが正しくて、何かを異端とするのは切ないな

聖書が違うだとか、聖書の他に神聖視している書物があるだとか
そういったことなら、まだ気持ちは分かるのさ
だけど、同じ聖書を使っているのに、自分の解釈が正しいだとか
あちらこちらで言っているのはどうなんだい

熱心なところでは解釈とすら認めず、自分の読み方以外は
間違いとでも言いたげな顔をしている
ああ、暴きたいな本性を

そうだ、検証実験をしよう
牧師、いや普通の信徒でもいい
一人一人に聖書的な問題を何問か問いかければいいのさ
牧師が召しによって任命されていて、牧師も信徒も一人一人が、
聖霊に満たされているのなら、答えは一致するはずだろう

もし、答えが一致していないのなら
少なくともどいつかは聖霊が満ち足りてない偽物だってことになる
まあ、熱心な奴らだけだろうけどね、そんなことを言う奴らは
だけど、それが同じ教派内で起きたらどうなのだろう

神様を試してはならないと僕を非難するかもしれないさ
だけど、僕は神様を試す気なんてものはさらさら無くて、
現状を知りたいだけなんだ
君が言う綺麗事は本物なのかい
熱い想いで導かれた君の伝道は本当に聖霊の裏付けはあるのかい
聖霊によって、一致しているのかい
本当に、聖書によって出た答えは一つなのかい
僕はそいつが知りたいのさ
知りたいのさ

何を言っても、何を喚いても
「聖書にはそう書いていない」
だなんて哀しいことがまかり通るのはうんざりなんだ
何を疑問に思おうと、何を悩もうと
「聖書を読みなさい、祈りなさい、賛美しなさい、信じなさい」
と、言われるんだ
たくさん用意されている成功例から、何かを引っ張ってきて
そいつを自分らしい言葉にアレンジして皆の前で発表する

それは、正しいのか間違っているのか、
進んでいるのか止まっているのか
笑っているのか泣いているのか
そんなことも僕には分からないよ

だから、教えておくれ
検証実験をしてみよう
正しい現状認識をしてみるんだ
答えがばらばらで、分裂しててもいい
一致していることを再確認するだけでもいい

そこからの新しい一歩なんざ簡単に踏み出せるんだよ




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若者を馬鹿にする人間を馬鹿にする話
色々なブログやHPを見ると面白い
その中には尊敬できるものもあるし、癇に障るものもある
特に反論したい記事があったので、今日はそれに反論する

「命と性の日記~日々是命、日々是性」の中にある
『「年齢7掛け説」と「高校生の性体験」』という記事だ

http://blog.chiisana.org/?day=20110306

とうやら、有名な牧師らしいが
馬鹿な話だなと思う
最近、特に思うのだけれども若者の変化を未熟化と
捉えている人間はいったい何が言いたいのだろう
自省を促し、自分が思う「立派」な人間になれとでも
言いたいのだろうか
馬鹿らしい、反吐が出る

特に、この論説における暴論と言えるものが
若者の変化の責任の所在をはっきりと言っていないことだ
文脈からは、むしろ責任を若者にあるとでも言いたげだ

この論文においては、若年層の性体験の原因を
「十分な判断力も責任感もなく、後先を考えず、流れや、雰囲気」
で行う若者にあるとした

僕は、単純に避妊器具の発達と低料金化
そして、中絶の匿名性と安全性が増したところにも原因があると思うよ
環境が同じだったら、今の40代や50代もやるだろう
そもそも、援助交際なんかが問題になったのは今の40代や50代が
女性を金で買ったところから始まっているんだろう
性欲もモラルも、本質的に男である限り変わらないと思うよ

じゃあ、仮に今の若者のモラルが本当に低いとしよう
僕は、何よりも無責任だと思うのがそういう若者がいるのが
若者自身の責任にあるかのような論調だ
この人は若者がコウノトリが運んできたり、キャベツから
生まれたりすると思っているのだろうか

人間が出来る過程に社会や教育が大きな影響を与える
じゃあ、その社会や教育を作ったのは誰だ
今の40代や50代だと思うのは間違いかな

自身が作ってきた社会や教育の結果を批判しながら
自身の責任を何も省みないどころか、者に
責任を全て押し付ける
人間こそ自省するべきだよ
恥知らずめ

若者のモラルの低下を本当に嘆くなら、態度が違うと思うんだよ
この社会を構成してきたにも関わらずに、まるで自分の意思があれば
現在の社会とは無関係で、むしろ自分は社会と違うから立派な人間だとでも
言いたげなその態度はしっかり若者に受け継がれているよ

だから、みんな社会の規範なんかに囚われないで
自由に行動を起こすのさ
子供は先人の背中を見て育つとは本当だ
涙が出るよ

まあ、僕の意見も暴論だ
社会を作りだすのは、人間の直接的な意見や意思だけじゃない
経済状況や世界情勢、その他諸々のグループダイナミック等から
いくらでも、変化していく
今の現状の若者の責任を40代、50代に全て負わせようなんて
いうのは、全くもって間違いだ

だけど、若者を無思慮に馬鹿にするならば
だけど、若者を世代で見て馬鹿にするのなら
僕も同じ方法で、中年を馬鹿にするだけだ
大人なんだから、大人の姿を見せてくれよ
ちくしょうめ



※コメント欄やメールが無かったので、勝手に載せました。
 問題があった場合、削除します。

※追記
 ブログをよく読んだ結果、若者にのみ責任を押し付けているのではなく、親や周りの大人の責任であるとも言っていました。
 そういった面で考えを改めた部分には線を引かせて頂き、改めていない部分はそのままにしてあります。





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生きることの意味
僕たちは生きながら色々なことを考えてしまう
少しでも人より良い暮らしをしたいだとか
友達がたくさん欲しいだとか
たった一人の大切な人が欲しいだとか、そんなことを

お金が欲しいといつも呟きながら
一昔前の富豪の暮らしをしていることには知らんぷり
社会が悪かったり、政府が悪かったり、上司が悪かったり、同僚が悪かったり
僕らは理由をつけて不幸になりたがる
何よりも厄介なのがその不幸が自分にとっては本物なことさ
そして、不幸にいることに飽きたら初めて幸せを探すのさ

「ああ、貧困の国の子供よりはましだな」
「地震が起きてしまえば、貧乏人も金持ちも関係無い」
「世の中は間違っていて、今自分いく
がいる環境にこそ幸せがある」

そんなことを心の中で思いながら、綺麗な言葉に置き換えて吐きながら
僕たちは、自分自身を惑わせてきっと本当に大切な物の上に
嘘を重ねていくんだ、バームクーヘンみたいに
そして、重ねて言ったら綺麗に中心が無くなっていて
いつからか、その中心を探すようになっていく

それは、キリストであったり池田大作であったり人それぞれで、
そして心の中に自分以外の決定権を明け渡したと思いこむのさ
いつだって、ミサイルのスイッチを押すのは君なのに

そんな僕たちだから、生きる意味だなんて言われても分からない
あなたの生きる意味は伝道ですよ、福音を述べ伝えることですよ
義務ですよ、嬉しいでしょ?神様の役に立てるんだから

そんな極端な声も聞こえてきて、一部ではそれを冷笑して、
一部ではそれを熱心に聞き入れる
なあ、生きる意味ってなんだろうな
たぶん、生きているうちは分からないなんてことは分かっているんだ

だから、生きる意味だとか幸せだとか人でをくくらなくていいと思うんだ
結局のところ自分次第になってしまう命題に社会や団体がぐちゃぐちゃ言っても
無駄だと思うんだ
だから、生きる意味だとか幸せだとかで人をくくらないでいいと思うんだ。

自分次第で、変わる生きる意味
なんて、曖昧な世界何だろう
まったく、面倒くさくてそして愛しい世界だ
さて、後進の世代が僕を見たときに社会に絶望しない程度の大人にはならなきゃな
まずは、それからやらなくちゃ





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正しい情報を
今もまだ日本では地震が起きている
これから何年間かは、この話題に事欠かないだろうと思う
それについて、別にどうこう言うつもりはない
それも、とても大事なことだから

ただ、思うのは原発のことだ
僕は以前までは原発は賛成派だったのだけれども
今回の地震ではさすがに考えさせられた
放射能が漏れたりなんだりだの、酷い事態だ
これは、なかなか大変な出来事が起こってしまったなと
僕も思う

ただ、常に常に正しい情報
というよりも公平な目を持つ必要性は感じるんだ
例えば、原爆が投下された長崎や広島では差別があったらしい
放射能は半永久的に影響が消えないだというデマとも本当とも分からない
適当な言葉を元に、原子力爆弾の恐ろしさを伝えると同時に
その地区の人の結婚差別を行う事態さ

今回の件で、さすがにそこまでの差別が行われるだなんて
さらさら思っちゃいない
だけれども、「放射能は半永久的に消えない」だとか
その辺の言葉を元に、原発を非難する人ぐらいは出てくる気がするんだ
そして、それがエスカレートして「あの辺一帯は、今も汚染されている」
となっていって、「あそこの人たちは今も被爆している」みたいな
話になったら馬鹿らしいなと思う

だから、僕達はいつだって公平な目を持たなくちゃならないと思う
それは、物事を侮らず、巨大に見過ぎず、等身大の有様を出来るだけ見ることだ
そのためには、きっと多角的な情報を元にして自分の中でその有様を作らなくちゃならない

この物事の目はとても重要で、例えば信仰なんかにも生かされると思うんだ
一方向からの情報をもとに判断するんじゃなくて、色々な信仰があることをまずは認めて
自分の中で、等身大の神様を考える
まあ、無理か
人間は自分の欲しいものしか欲しくないもの

まあ、ただ放射能に関してはこれを機に日本人全てが正しい知識を得る機会にしなきゃと思う
過去に原爆を落とされて、そのせいで差別してしまった過去があるんだ
今回は、正しい情報をもとに差別なんて無い日本を作ろう
そして、必ず復興しよう

ああ、そう言えば放射能にはヒマワリが良いっていうのは本当なのかな






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凡人
思えば、最近気付いたが僕の周りにはアグレッシブな人間が多い
特別な才能を持っていたり
もしくは、自分で店を開いたりなど正直羨ましい
そんな中で、僕は意外なほど凡人だ

凡人であることに対して特に誇りも無く
ただ、才能ある人間の後ろ姿を悔しく見ている
そんな、自分はとても嫌いだし
何も出来ない自分が歯がゆかったりする

そんなときに、神様は自分にだけの特別な人生を与えてくれるみたいな
話を聞くと、ついふらっとそっちの方に行きたくなる
ああ、平凡な僕でも特別なんだと思える
まあ、それは別に神様を使わなくても、どっかの哲学を使えば簡単な話なんだけれども
でも、哲学じゃ長続きはしない

それは、きっと哲学っていうのは自分一人で
宗教だと皆がいるから
皆に認めてもらうことで、人間はきっと信仰を保てるのかもしれない
でも、そうなると結局のところ根源は人に認めてもらいたいっていうことになる
そして、それはたぶん本当で
神様、神様と叫んでいる僕たちは、誰かに認めて欲しいっていう欲求が強いんだろう

それは悪いことでもなんでもなくて、当り前で
人は一人では生きていけないように作ったのは、神様だから
そういう風に人間は信仰を保つように作ったんだと思う

後は、その信仰を使って人を差別したりさえしなければ
僕はとてもキリスト教が好きだろう
だけど、僕は凡人だからその辺のアラ探しをしてしまって
嫌いなところを見つける

まあ、そんなこんなで日々を適当に過ごして
まだ見ぬ明日にでも希望を見出して
ぶらぶらと生きていこう
適当に生きることが出来るのは凡人の特権だ
せいぜい楽しもう







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日常に全力を尽くせ
ああ、最近何だかやたらと閉塞感に苛まされていた
劣等感やらなんやらが余計にひどくてなんだってこんなに
自分が駄目な人間なんだろうと悩んでいた
そうだ、忘れていた
何だか最近自由じゃない

自由であることを忘れていた
自分の能力に絶対の自信を持っていて
それが崩れたときに、自信を失って
そして、自由も失って
この社会の価値観に縛られて自分の価値さえも勝手に低くして

そして、この震災で何も出来ない自分にまた勝手に絶望して
がんじがらめの中でどうすればいいかだなんて一人で考えていたんだ
ああ、そうか
何でこんなにも辛いのかという自由が無かったからか

じゃあ、答えは簡単だ
まあ、だけどもそいつは別に語ることでも無いけれども
まあ、支援している人間には本当に尊敬の念を持つし
それはとても意味があるものだと思う

だからといって、僕が劣等感を持つ必要なんざさらさらない話だ
僕は僕がやるべきことをやっている
支援したい奴らはすればいい
僕は余裕が無いからしない
それだけの話に、何をぐだぐだと迷っていたんだろう

そんなことを言うと、見る人にとっては不快だろう
そんなことは知っているが、そんなことはどうでもいい
出来ないことをぐだぐだ悩んでいる方が、人間として可愛げもあるかも
しれないけれども、震災からもう一週間たっているんだ
出来ない人間は、とっとと頭を切り替えて日常に全力を尽くそう

どうせ、募金以外に支援なんざ出来ないんだ
祈ることももう飽きた
だから、とっとと日常に全力を尽くそう
たぶん、それはそんなに間違ってはいないと思うんだ








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黙れ
この世の中には、不快な声が多い
吐きだしたくなるその気持ちは僕の中にも
脈々とあるから、そいつの是非を問うつもりは微塵もないが
だけども、ただ単に君が何を言いたいか分からないんだ

自分の主義主張を語っているくせに
それがあたかも社会的に認められているような
口ぶりをすることが不快でたまらないんだ

自分の経験や信念や信条がちょっと、周りに認められているからって
君はそうやって、自分を絶対化して自分の中の神様を本物にしてしまうんだ
そうやって、人に忠告や進言をしているつもりになって
さあ、反論を返されたら分かったふりをして結局は持論を語るのさ
そんなものには飽き飽きだ
建設的な意見なんて言葉は概念だけの、所詮は妄想さ

この地震にかこつけて、宗教ぶった言葉を吐く奴も大嫌いだ
ああ、僕も言ったな
そうさ、あんな言葉を吐く自分自身は大嫌いさ

いるなら、本当に救ってくれよ今すぐさ
生き残っている奴らには、残りの人生と第二の生に救いのチャンスがあるのに
今回死んだ人たちは、第二の生にしか救いのチャンスが無いのかい
人間界の法律ですら平等やら、男女共同参画基本法ぐらいはあるのに

でも、何より嫌いなのはこの地震にかこつけて伝道しようとする奴や
この地震を自分たちの信仰を奮い立たせるために、利用とする奴さ
なあ、これを契機に伝道しようだとか、神様の救いを求めようとだとか
自分たちの信仰を強めようとする奴らはこの地震も所詮はイベントごとかい

黙れ、黙れ、黙れよ
口を閉じろよ、ちくしょう

悲しみを原動力なんかにするなよ
福音なんだろ
僕たちの原動力は喜びなんだろ
悲しみを原動力なんかにするなよ
不幸な出来事をキリスト教のイベントごとにするな

ああ、でも実際に支援に行く奴らは最高さ
こればっかりは皮肉無しで本当に称えなきゃ
支援に行く人たちは最高だ、実際に人を助けるもの

ちくしょう
一番、嫌いで嫌いで仕方ないのは
何も出来ない自分なのに






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つれない世界
僕らは答えが好きだ
僕らは答えを出すことが好きだ
結論から話す英語みたいな言葉が世界中を支配して
経過を許してくれはしない

世の中には結論があるだなんて幻想を
僕らは信じて信じて信じ抜いて
そして、それを信じることを止めて確実なものと
自分の中で思いこむ

そんな、個人的な絶対的な真実が
あちらこちらにあって
あちらこちらで小競り合いをしている

そんな僕らが一つになるときはどんな時だろう
今回みたいな大災害の時かな
でも、テレビは同じことを言うけれども
ネットだと、これまた残酷な本音が顔を見せる
どこぞの都知事は無慈悲に天罰だと言ったり
僕らはこんな時にでも一つになっちゃいない

一つにならないのが人間だからと君は言うかもしれない
皆が皆同じ方向を向くことの方が恐怖を感じるのは
僕らの本能に記載されている事柄なのかもしれない
つれない世界だ

こんな風に嘆いているだけじゃ変わらない
だけど、頭の良い奴は学者になって
頭のそこそこ良い奴は、社長になって
頭が良いけれどもどうすることも出来ない奴はどうしようも出来なくて
心の綺麗な奴は、金を否定して
心の汚い奴は、慈善活動して
心がそこそこ綺麗な奴は、周りに流されてグレーゾーンを漂って
そんな風に見える世界で、じゃあ何をしようかって話だよ

社会を変革するために、何をすればいいんだろう
誰の仲間になればいいんだろう
どうやれば、資金を生み出せるんだろう
どうやれば、人脈を作ることが出来るんだろう
なあ、答えなんて誰か持っているのかい

ああ、面倒くさい
何だって、自分一人が幸せになれば幸せになることが出来ないんだろうな
だって、皆そうだろう
案外、みんな金を手に入れて栄光を手に入れても破滅する
それだけじゃ足りないだなんてことは十二分に教育でも映画でも漫画でも
知っているはずなのに
人間の絶妙な心理の真理で、一斉に回れ右をしないのさ

どうすればいいと君は思う
僕にはさっぱりだ
今回の地震で何が起きるかもさっぱりだ
さあ、どうしよう
この世界でどうやって生きたらよいのかね
僕の答えなんてものは、とうに捨ててしまったよ







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爪痕
ある災害の後には、二次的な災害が待っている
今回の地震で、死傷した方々の被害には心が痛む
そして、それと同時に懸念される心配
今の僕にとっては、介護保険がそれになる

今年は、確か介護保険が改正される年だ
それなのに、今回の未曾有の地震が起きた
事業仕分けで、災害準備金がカットされたなら
財源はどこから持ってくるのだろう
その他に何が削られるんだろう
介護保険が削られるんじゃないかとひやひやだ

ただ、介護保険に関する話し合いは以前からされているし
一概にどうとかは言えない
だけど、社会福祉を生業にしている僕にとっては死活問題だ
だから、少しだけ訝しげになっている

そして、僕は今回の地震で何も出来ないんだ
まあ、確かにいくらかは募金出来るしするつもりだけれども
それだけで、何か出来た気にはならない
暖めることも、食べさせることも、そして絶望感から救うことも出来ない

じゃあ、何が出来るんだと言うと祈ること
そして、仕事を続けることだと思う
今残っている経済を回して、金を回して
少しでも経済の役に立つ

そして、笑顔でいること
いや、今の際に絶望している人には嫌みになるのかもしれないけど
笑顔でいて、笑顔でいて
幸せな世界が残っていることを
お通夜な雰囲気の中でやらなくちゃ
きっと、皆の気持がへこんでくると思うんだ

地震が起きた
災害が起きた
人々が死んだ
けが人が出た

じゃあ、いっちょ頑張ろうか
そんな気持ちにやっとなれた
さあ、明日も頑張ろ
それで、いいんだ








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祈るだけ
時事問題を扱うと、やけに閲覧者が増える
それだけ、今回の出来ごとに皆興味があるんだと思う
そして、それだけ何も出来ない人間がいるんだろう

僕も、それと同じで何も出来ない
瓦礫を取り除くなんてことはもってのほか
一枚の毛布を渡すことも出来ない

後悔することは、自分がその人生を歩んできたことだ
こんなときに、何も出来ない人生を選択してきた自分
口では綺麗事をいくらでも言えるけれども、こんなときに
何も選択できない自分の人生を作ってきたのは自分自身

だから、僕は祈ることしか出来ない
真剣に祈りたい
祈ることに何か意味があるとは思えないけれども
真剣に祈りたい

神様、お願いだから被害を最小限にしてください

アーメン









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地震が起きたから祈る
地震が起きた
たくさんの人が死んだ
たくさんの人が行方不明になった

揺れを感じた
自分の住んでいる地域には、大した影響が無いから安心した
周りでは、野球が潰れたことに残念がっていた
周りでは、サッカーが潰れたことに残念がっていた

テレビの番組が無くなったことに退屈を覚えた
繰り返される報道にうんざりした
過去最大の地震だということも、一時間後にはただの情報になった

レンタルビデオの返却期間を確認した
明日の予定を確認した
明日の予定に心を踊らされた

こんな時にこそ、一致しなきゃいけないのに
皆が一丸となって、救援に出来ることを話し合って
政府に一刻も早い自衛隊とハイパーレスキューの派遣を願わなきゃならないのに
日常以上のことが出来ない

神様、祈ります
被害者を必要最小限にしてください
一人でも多くの人が命を落とさないようにしてください
御心ならば、一人でも多くの人をあなたの元へ返さないでください
地震に遭った人たちの心に平安を与えてください
そして、皆一丸となってこの試練を乗り越えることが出来るように
助けてください
今こそ、あなたの力を貸してください
神様、あなたが祈りにそう簡単に応える方じゃないことは知っています
それでも、助けてください
一人でも多くの命を助けてください
神様、お願いします
どうか、どうか、一人でも多くの命を助けてください
そして、この事態の中でも何も出来ない自分も何かに用いてください
募金でも、支援でもなんでもいいので何か出来るように用いてください

アーメン









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包み込む空のように
神様の愛ってやつは目に見えるのかな
なんとなく、森羅万象に表れているのは知っているんだ
僕だって、空や森を見て「ああ、神様ってすごいな」とは
思うんだよ

だけど、僕らの心や魂を救う愛
そいつは、森羅万象にはそんなには表れてはいないと思うんだ
僕らの心や魂を救う時には、必ず誰か人がそこにいる
僕らを傷つける人に、僕らは救われて
傷つけるってことを、認めたくなくて
善いものは全部神様のせいにする

だけど、その愛が人からくるだなんて過剰に
期待してしまうと、いつだって裏切られる
人の心の中には悲しいけれども、愛以外のものも
たくさん入っていて、それが僕らを傷つける

全くの愛ばかりを求めて、僕らはキリスト教に熱心になって
クリスチャンだけを自分の周りに置くようになることさえ
しばしばあるんだと思うんだ

別にそれが悪いと言いたいわけじゃないんだ
神様の愛ってやつは何なのかなって疑問に思うんだ
僕らを愛している、いつだってそばにいる
それは分かった
じゃあ、何だって言いっぱなしなんだい
相談はどこにすればいいんだい

僕らは答えが聖書にあると言いながら、実は
周りの人に相談をして
聖書に答えと応えがあるっていうアドバイスをもらって
それで、僕らは何を見ているんだろう
僕らは何をしたいんだろう

目を塞いでも開いても、答えは無くて
答えなんて概念がひょっとしたら間違っているのかもしれいし
僕のこの妄言はひどくくだらないのかもしれない

世界平和だなんて言ったって
それを実現する手段なんてものは
誰だって自分の中に答えを持っていて
そして、ぶつけ合う

争うのが好きなんだろうな、僕たちは
誰かと競わないと、僕らは駄目なんだろうな
人間らしくないんだろうな
でも、そんな人間らしさが憎いよ

辛いな、すごく辛い
自分が何も出来ないのが辛い
神様にすがらないことも辛い
薄皮みたいなプライドで、何を守っているんだろう
何を守れるんだろう
何かを守りたいんだろう

そうだ、大切な人を守りたいんだ
とてもとても、大切な人を守りたくて
否定したくなくて、愛したくて
抱きしめたくて、辛い時に傍にいたくて
君はとても、素敵なんだよって言ってやりたくて
そして、何より僕が傍にいたい

おかしいなそのためになら世界なんて敵に回したっていいや
でも、僕は敵なんて作りたくない
そんな日和見主義が生きていることを許されているこの世界は
なんだかんだ言って、やっぱり嫌いになれないや

もっともっと素敵にならないかなこの世界は
ハッピーエンドだけの世界にならないかな

ああ、もっと優しくなりたいな









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物語を作れない
僕らの人生の主役は誰だろう
自分なんだろうか、他人なんだろうか、それとも神様なんだろうか
熱心なクリスチャンなら、即座に神様とも言えるのだろうけれども
その実感は、僕にいまだない

一人じゃないときの、僕の人生の主役は誰だか分からなくて
主役を決めることが出来ないから、僕の立ち居地も分からない
他人を立てても、それが正解かどうかなんて分からないから
いつだって、行き当たりばったりで物語が進んでいく

世の中でも、自分の物語を書ける人はいるように
それが、きっと本来正しい僕らの姿なのかもしれない
でも、そんな人たちはきっと運命っていう誰かが用意した
脚本に逆らって、抗ってきた人なんだろう
もしくは、自分が書いた脚本と運命が書いた脚本が
たまたま同じだったのかもしれない

でも、そんなことを全員が全員できるかと問われれば
それは、恐らくきっと違うんだろう
皆が皆、自分の脚本を書ける世界になれば世界が変わる
そんな言葉を、クリスチャン、ノンクリスチャン問わずに
主張する人たちがいるけれども
それを不可能だと笑い飛ばす人がいるのも事実なわけで
そうして、運命に流された人たちが大多数を作るこの世界を
見たときに、世界の変革がいかに難しいかを思い知る

諦めなければ、いつかは変わるのかもしれない
だけど、盲信して猛進しても変わる気がしない
色々な価値観に出会うたびに、僕は価値観がころころ変わり
そして、はっきりとした信念なんてものは自分に無いことに気が付いた

それでも、諦めきれないのは事実な分けで
でも、屁理屈屋な僕には決定的な解も持っていない

自分の物語が書けない
社会っていう不明瞭なもののせいにして
ただ、横にスクロールしていくマリオのゲームみたいに
いつしか、諦めて穴に落ちていってしまいそうだ

そんな日々の中でも、嬉しいことや幸せなことがあったりして
そんな日々を過ごしていくのも悪くはないと心から思うけれども
やっぱり、僕は社会全体を変えたいように思えてしまう

革命的なアイデアなんてものは、僕には無いし
革命的な実行力なんてものは、もっと無い
だから、せめて後進の世代が夢を諦めないような
そのための、踏み台みたいになれたらいいなと思うけれども
それすら、今の僕には荷が重い

さてさて、どうしたものだろうか
長いように思える人生をどう生きたものだろうか
そんなことを考える時間があるだけ恵まれているんだろう
その恵まれていることを忘れずに、生きていこう

嘆く暇があるなら、動け
と、よく奮い立たせようとするけれどもなかなかうまくはいかない
だけど、いつかは必ず動こう
やらない後悔は、本当に後悔しそうだ
今はただ、嘆きつつ勉強しよう

まだ時間はある
無ければ神様のところに行くだけだ
そのぐらいの気持ちで日々を生きていこう

さあ、明日も頑張ろう









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ちくしょう、何も分からない
ああ、ちくしょう
言葉が溢れるんだ
こうやって、表に吐きださなければ内側で
何がしのエネルギーとなって、僕の血となり肉となって
何かかしらの偉業を成し遂げる原動力になるのかな

なあ、本気なんだよ
本気で世界平和にしたいんだ
ただ、そのために何が必要かだなんてことなんて
まるで分からなくて、まるで見当もつかなくて
現実にこの世界の基礎を作り上げてきた一部の
天才共にまるで勝てる気がしない

自分に有利なルールだとかそういったものを決めて
一部に多大な恩恵が受け取れる世界にしたのは
いつだって、僕らが特別な存在になりたいからだよ
自分にはエコひいきしてほしいし、褒められたいし
認められたいから、何かが必要なんだ

吐きだしたい気持ちがあるんだ
叫びたい言葉があるんだ
だけど、吐きだすだけじゃ、叫ぶだけじゃ
この世界は何一つ変わらない

何が何だか分からないよ
残酷な心と、そいつを責め立てる心でいつも喧嘩だ
心がどうだとか、こうだとか決めつける奴らもいるけれども
実際のところ、何が心で心じゃないかだなんて分からない

全ての人に愛を注ぎたいと思えば、
この世の中の欲しいもの全部独り占めにしたいと思う
だけど、全ての人に愛を注ごうとする奴らは馬鹿とされ
独り占めする奴を天才と呼んでいるこの世界じゃ
誰だって、独り占めしようとするのも無理ないさ

それが、どこまでが個人の責任でどこまでが社会のせいなのかだなんて
明確な境界線は引けない
だから、信仰で天国に行けるだなんて与太話は
全ての人には通用しないと思うんだ

でも、人間は自分の中に確固たる信念が無いと不安で不安でたまらなくて
だから、叫んだり、悩んだり、決めつけたり、裁いたり、優しくしたり、愛したりだと
忙しそうにぐるぐる堂々巡りを続けている
だから、価値観だなんてもので争って、戦って
僕たちは生きる価値を見つけようとする

だから、僕たちが生きる価値を諦めたら平和になると思うんだ
だけど、そいつは出来るのかな
生きる価値観事態を世界規模でなんて出来るのかな
僕は、自分以上に人を愛することなんて出来るのかな

分からないことだらけだよ
ただ、そんな世界も空しくはならない
意外と、そんな日々も幸せだから








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繋がりが欲しくて、失くすのが怖くて
ねえ、神様
人間ってやつはどうなったら幸せになるんだろう
例えば、神様あなたを信じれば幸せになるだとか
言っている人間も数多くいるけれども、本当なのかい
確かに、僕はあなたを信じきっていた時の方が
迷いは無かったけれども、あの頃には戻りたくは無いんだ

僕が感じたのは、人と人との繋がりがあれば幸せなんだ
良い関係を作ることが出来れば、案外幸せなんだ
だけど、人間と関係を作るってやつは案外金がかかるもので
親睦を深めるために食事をするのにすら、対等な金が必要で
それはこの世の万事全てに当てはまるから、どうにも不安になるんだ

仕事をしなきゃ金が手に入れない
でも、今の仕事が無くなったらこの時代職は無い
だから、媚びを売らなきゃ
だけど、そんなことはしたくない
そんな、自問自答を繰り返して僕らは「不幸だ」と呟く

人類は進歩したから、より効率的に物事を動かすことが出来る
だけど、効率的に物事を進めると、人手を減らせる
だから、職も少なくなる
そんなことをやっていれば、特権階級だけが金持ちになるのも
仕方が無いわけで
でも、そうしないとどうにもやっていけないのも現実で
要は資源を持たない人間が、不利になるって話なんだろう

じゃあ、どうやったら解決できるのか
それはもう、人と人との繋がりを持たなきゃいけないと思うんだ
繋がりがあれば、人間は意外となんとか生きていけるもので
駄目だと思っても、どうにかして生きてはいけるし案外幸せだ

そいつが消えるのが何よりも怖いんだ
だから、守ろうとするんだ
そして、誰もそれを責めることなんてできないんだ
裁くことなんて出来ないんだ

この世の中のストーリーはひどく残酷だからこそ
僕らは新しい書き手にならなくちゃいけないのに
何だって、うまくいかないんだろうな
こんなにも気持ちは同じなのに
何で罪を犯すんだろうな
何で自分の大切なもの以外大切に出来ないんだろうな
不思議だね
自分を壊れない程度に痛めつけるのには、こんなに慣れたのに
人の手を取ることはひどく不器用だ







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日常は現実逃避
限界だとか、我慢だとか
そこら中の人間がしていることだ
僕も、その内の一人で自分が本当にやりたいことの
十分の一も出来ちゃいない

なあ、嫌なモノを見たときにどうやって
心を落ち着かせるんだい
嫌な人間を見たときにどうやって
心を落ち着かせるんだい

その人間の過去や仕事や、社会環境を考慮して
その口から出る、今にも吐きだしてしまいそうな嫌な言葉を
自分の中で、仕方が無いものに変えて解決した気分になって
そして、忘れて、また綺麗な言葉を探し続けている

そんなことを繰り返して、結局根本的な問題をまるで
解決しない僕らはキリスト教よりも仏教の方が合っているのかな
愛だとか何だとか言っても、世界一つ変えること出来やしない

世界の変革を心のせいにしてしまえば、物事は楽さ
そんな不明瞭で曖昧な世界が、僕は嫌いで嫌いで
貧困だとか、犯罪だとかそんなものが無い世界にするためには
どうすれば良いか考えて、そんな方法が思いつかないんだ

そんな中途半端な僕は、中途半端な親切で自己満足を
繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して
そして、何も見ようとしない

力不足は痛感しているんだけれども
役不足になって見せたい
僕は僕の幸せのために、皆に幸せになって欲しいんだ
偽善者だとかそんなことじゃなくて
自分の中の心がそうしないと、お前は生きている価値が無いんだよって
決めつけているような気がしてならないんだ

やらなきゃいけないことは腐るほどあるのに
人を傷つけて、人の対立を煽って、自分の立場だけ良くして
可愛がられるように仕向けて、そしてスケープゴートを他に用意する

そんなことを皆が皆がやれば、ぐるぐる回って
誰かかしら、どこかかしらで最底辺が暴れまわって
いつか、自分にその不幸が降りかかってこないかと不安になるんだ

分かっているのに、自分だけは大丈夫だという
信仰に似た盲心で僕らは日々をなんとか乗り越えている
そんな、僕たちが創るこれからの世界はどうなるんだろう
僕たちは何を求めて、何を不安がっているんだろう

子供たちに良い世界を残したいな
そのために何が出来るのか
僕にはそれが分からない






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狭心症
焦燥感がひどい
理想はあるけれども、仲間がいない、金が無い
何より、知恵が無いから方法が見つからない
社会システムを変えるための基盤を考えているのに
ろくなアイディアが浮かばない

余裕が無い、ゆとりが無い
自分のことで一杯一杯だ
将来を考えたときのリスクに怯えている
そんな僕が何を出来るんだ

何かをしたいんだ
何かをしたいんだ
僕は何かをしたいんだ
ちくしょう、浮かばない

戦争を終わらせる手段も見つからないし
人と分かりあう手段も見つからない
画期的な哲学も見つけることが出来ないし
神に縋ることすらできない

どうしよう、どうしよう
僕はどうなるんだろう
このまま、年を取って平凡な幸せをつかむのに精一杯で
何も出来ないで、死ぬときに自分の生を後悔せずに
笑顔でこの世を去るのか

嫌だ、嫌だ
生きた証とかそんあ中学生が考えるようなものが欲しいとか
そんな理由でもいいんだ
自分のプライドを満足させたいだとかそんな理由でもいいんだ

他人の心のベクトルを勝手に決めつけることだけ得意で
自分自身の心を決めつけることが出来ない
何で、自分の中にこんな感情があるんだろう

消してしまえば、楽なのか
絶望すれば、普通になるのか
ああ、ああ、ああ!!
何だって、どこぞのカリスマがとっとと世界を平和にしないんだ!
早くこの世の中の皆が笑顔でいられる世界になりやがれ!!!

この焦燥感を消してくれ
早いとこ消してくれ
自分の人生がこれでいい
皆と同じ幸せだって、早く思わせてくれ

なあ、イエス様
早く帰ってきてくれよ
もう、限界なんだ






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負け犬
負け犬さ
僕は、既に勝利していはずのクリスチャンなのに
負けているのさ
おかしいな、誰も僕と勝負なんてしていないはずなのに

それなのに、僕は他人と心の中で相手の許可を得ないで
承諾なんて無しに勝手に勝負を仕掛けて負けるのさ
それが、ものすごく意味が無いことだなんて分かっているのに
その勝負に負けたら、僕の周りから人がいなくなるんじゃ
無いかと不安になって、いつだって自己満足の勝利を見つけようとするんだ

僕は君に勝ちたいんだ
そして、優越感に浸りながら君を慰めたいのさ
そんな心が僕の中にあることに対して、ひどく吐き気がするし
自分が最低な人間だとも思うんだ

だけど、純粋な心も自分の中にあって
他人の心の中にもあって、きっと世界はただ単純に不器用
なだけだなんてことを信じているんだ

もし、クリスチャンにならなければ善い心を持てないなら
僕にとって、この世界は怖すぎるし救いが無さ過ぎる
それが、怖くて怖くて僕は逃げて逃げて
そして、結局のところどこにもいかずに隅で怯えているんだ

活発的に動く人間を見ては、僕は妬み嫉み
そして、自分の今の現状がひどくつまらないものに思えて
それがひどく苦しくて
それでも、自分を肯定してくれる何かを見つけようとするんだ

そんな弱々しい自分に対して、唾を吐き
リスクを恐れないで胸を張って生きていきたい
僕がこの先何かに失敗しても、その失敗中に何かを吐ける
人間になりたい
何かを聞ける人間になりたい

負け犬の人生を笑いながら、適当に過ごしたいんだ





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ッ叫べ
成功した人間の話だけを聞いてるのかい
やりたいことをやっているやつだけの話だけを聞いているのかい
ドブに捨てちまえ、そんなもの
今、幸せな人間の意見なんざ吐いて捨てるほど腐るほどあるんだ
金を払えば、そんな言葉いくらでも買うことが出来るんだ

今、失業している人間や事業に失敗した人間
会社で営業成績が悪い人間
性格が駄目で駄目で、話を聞いてもらえない人間
学校で独りぼっちな人間
頭が悪くて、試験の成績が悪い人間
そんな奴らの話を聞いてみな

「何でそいつが、そんな状況になったか良く分かる
 駄目な奴は駄目なんだ」

そんな、嘘っぱちを本当だなんて思えるなら歪んでいるんだ
僕は歪んでいたんだ
完全な人間なんていやしない
知識も本当は全部嘘っぱちなのかもしれない
だから、どんな人間の意見も尊重されてしかるべきなのさ

なのに、僕らは自分の中の神様に判断をゆだねて
そんな、人たちの言葉をいつだって取捨選択していく
そんな世界が幸せか?
幸せだから、始末に負えないんだよ!

僕たちは、繋がれるんだ
プライドなんざ捨ててしまえば、繋がれるんだ
そのプライドは個人の心に密接に結びついているだなんて
そんな妄言はどっかにやって、リスクなんざ完全に無視して

叫べ!!!!


どんな人間だって生きる価値があって
幸福になる権利があって
そして、僕らにはそれを創り出す力があるはずなんだ!

駄目な奴なんかいないはずなのに、駄目にする世界なんざドブに捨てちまえ
皆が幸せになれる世界を
幸せになる方法を何通りも用意した世界を
どこに転がろうと幸せになれる道を
そいつを作って創って、そして生きるんだ
世界は変わらないだなんて、吐いている人間を見返してやるんだ




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死にたいくらいの気持でも
汚れに満ちたモノを見たくないときは、君はどうする
聞きたくない叫びを遠ざけるためには、何をすれば良いんだ
辛さや苦しみを感じたくないためには、どうすれば良い
罪を犯したくないときに、僕はどうするんだろう

目を潰してしまえば、この世界の嫌なモノを見なくて済む
耳を破いてしまえば、何も聞こえない
心を壊せば、辛さや苦しみも無くなる
死んでしまえば、もう罪を犯さない

そんな解決方法を取ることも決して間違いとは言い切れない
だけど、この世界には美しかったり愛深いものもあったりして
それらを全て捨て去ってまで、負を取り除くことは
僕には正しいとも言い切れない

もっと、見て欲しいんだ
この世界の素晴らしさを
きっと、同時に醜さもたくさんたくさん心の中に入ってくるんだ
そんな曖昧な答えでは、誰も何も心に響かないかだなんて
分かっているんだ

でも、叫びたいんだ
この世界には素晴らしいものがあるんだ
どんな絶望の中にも希望があると信じて
そのまま死んでしまったその死にすら尊厳があって
僕らの心の在り様で、この世界にはきっと希望を見つけることが
出来るんだって、信じて、絶望して、それでも恋がれて

そんな風に生きてきた、僕らの祖先の想いを少しでも
受け継ぎたくて、そして、全ての人に愛を伝えて
全ての人が幸せになる方法を考えて!
教育だとか経済だとか哲学だとかそんなものも
全部ひっくるめて、全部ひっくるめて、全部ひっくるめて!

この世界が幸せになる方法なんて無いだなんて
絶望的な真実に抗って、新たな真実を見つけるための
気持ちを次世代に、そして今世代に見せつけてやろうぜ

嫌なんだよ、絶望なんて
この世界は希望に溢れていないかもしれなくても
もう、どうしようもなく追い詰められている人がいても
後、数秒で死んでしまう人がそこにいても
神様の御手に守られているんだって、叫びたいんだ!

あんたの人生は何一つ間違っていない!
あんたの生きた意味は確かにそこにあるんだ!
幸せでなくても、何も価値が無いと思っても!
あんたの人生はあんたがそこにいるだけで大成功なんだよ!

保証なんて、無い
確証なんて、無い
僕が単純に叫びたいだけのこの言葉を
ずっと、ずっと叫び続けたいんだ




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ごちゃまぜな気持ち
心を繋げる連結機はどこにあるんだろう
僕らがこれほどまでに、恋焦がれているんだ
きっと、どこかにあって誰かが独り占めにしているに違いない
そう考えなくては、やっていけないほどに僕は
人との関係性を確かなものにしたい

愛されたいんだ
全てのものを排除しても、何があっても崩れないぐらいに
愛されたいんだ

だけど、僕にそれほどまでの愛を受ける価値があるかと言われれば
今ではNOとはっきりと言えるんだ
だけど、僕はクリスチャンの世界で生まれてその価値が誰にでも
あるんだと言われ続けてきたんだ

そんなことをしたら、求めてしまうだろう
だって、大人たちはまるで神様が見えるかのように、本当は目に見えない愛の話をするんだ
だから、僕はてっきりそんな愛が目に見える形であるかと思って
この世の中にそんな愛を探していたんだ

だけど、そんな愛が不完全な人間の中にあるはずもなくて
どこかかしこかが利己的な愛ばかりだと、僕は達観したふりをしたんだ
絶望して、絶望した気になって、この世を穿って見ていた

そして、この世は悪いだなんて言っている奴らに向かって
反抗心から「そんなことは無い」だなんて言って
そして、その反抗心だけが自分の本当の心だと思いこもうと
めらめらと自分の炎に精一杯の油を注いで、そして燃え尽きた

そうしたら、不思議なことに義憤に燃えていたはずの僕の心は
正義だとか悪だとかどうでもよくなって、単純に考えて
僕の好きなものだけを突き詰めたいと考えるようになったんだ

僕は周りが笑顔じゃ無いとつまらない人間だ
意外とサディスティックではない自分の心に気がついて
そして、じゃあいっそのこと世界中が平和になればいい
そうすれば、戦争のニュースなんかで心を痛めなくてもいい

そうやって、僕は自分のごく個人的な幸せのために
全人類の幸福を心から願って、世界平和も願うようになった
そんな、僕の言葉を偽善者だと言う友達もいたけれども
僕にとっては、そいつが別に善だなんて思わないんだ

むしろ、自分のことを非常に汚く思う人間の方が
よっぽど偽悪的だと思うんだ
自分を悪にして、正義を際立たせるその手法には吐き気がするし
感情の起伏を利用した、自己改革にはどうしようも出来ない

世界は変わらないのかな
人類は成長しないのかな

社会のシステムを変革することで、平和になるという主張は
案外受け入れられないんだ
みんな、心が大事だと言って聞いてくれないんだ
心が大事だと言いながら、その心がどうなっているかだなんてことには
まるで興味が無くて漠然としたブラックボックスのままにしておいて
対費用効果を決して見ないようにしているんだ

心理学もろくに勉強していない奴らに、心を語られると吐き気がするんだ
統計学もろくに勉強していない奴らに、情報を語られるとイラつくんだ
だけど、そんな僕も聖書をろくに勉強していないから、きっと嫌われるんだ

どうすれば、権威だとかプライドにこだわらないで人の話を聞けるようになるんだろう
こんなにも人を求めているのに、僕がそれを拒むんだ
ちくしょう
なんだって、涙が出ないんだろう
なんだって、胸が締め付けられるだけなんろう
なんだって、僕はこうなんだろう

中途半端な頭に、中途半端な信念
何かを成し遂げるには足りないものばかりだ
その後に待っている現実が怖くて怖くて仕方ないから
一歩を踏み出せない

そんな僕でも案外好きだ
そう言えるようになって、それが良いのか悪いのかも、もう判断がつかないや
さあ、明日も頑張ろう



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