君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



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美しい世界 悲しい世界
この世界は美しい
森羅万象に、神様の業が表れている
空を見上げれば、どんな画家も閉じ込めることが出来ない雲と青がある
海を見れば、どんな権力者も抱えきれない雄大さがある
森を見ても、川を見ても、雨を見ても、雪を見ても
そこには、抑えつけることが出来ない美しさがあって
僕の心を光で洗おうとする

美しさに心を洗われて、何をしていいか分からなくなり
世界の大きさを噛み締めて、自分の矮小さを噛み締めて
喜ぶのと同時に、そして少し切なくなる

この世界は悲しい
心の中には他人の幸せや笑顔を望む心があるのに
なんでか自分の笑顔のためなら、他人の苦痛も辞さない心がある
恋人同士を見れば、自分にはない幸せに妬み
子供を見れば、自分には残り少ない圧倒的な希望に苛立ち
男を見ても、女を見ても、金持ちを見ても、貧乏人を見ても
きっと、どここかしらで自分以上のものをその人に見てしまう

自分の価値を必死に追い求めて、何かを否定して
世界の大きさを噛み締めて、自分の矮小さを噛み締めて
切なくなるのと同時に、少しだけ安心する

世界には、ひどく色々なモノが散乱していて
美しかったり、汚かったり、香ったり、臭かったり
痛かったり、心地よかったりするんだ
同じものを見ても、笑ったり、涙したりするんだ

一体、どうなっているんだい
この世界は、心ひとつで様子が変わる
世界を変えるだなんて、簡単だ
心を変えれば、世界なんてすぐに変わる

ころころ変わる世界を相手にしながら
世界を変えたいだなんて、のた打ち回って
そして、無力感に苛まされて希望に溢れて、僕らは世界に踊らされた

一体、どうすればいいんだい
この世界は、心ひとつで様子が変わる
世界を善くするだなんて、無理なんだ
心を変えれば、世界なんてすぐに変わる

皆、どこかで笑ってどこかで泣いている
平和ってなんだい
愛ってなんだい
君は何のために、叫んでいるんだい
僕は何のために、叫んでいるんだい

僕らの言葉は誰かを励まし、誰かを癒し、誰かを悲しませ、誰かを傷つける
全く正しい言葉なんてものはなくて、全く間違っている言葉なんてものも無い
だから、僕は君を否定するなんてことは出来ないし、肯定なんか出来ない

色々な方向から物事を見て
そして、出した結論が一つの角度から断罪された時ほど
悲しいものは無いれども、それも真実なんだ

救われたいな
この世界から
ずっといたいな
この世界に

喜びも悲しみも受け入れて
この世界と付き合えるようになるには
まだまだ、時間がかかりそうだ
今はただ、ひたむきでいることが出来るように努めよう







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ばらばらさ
僕らは、今果たして一致しているのかな
一致が大切だとは、よく聞くよ
キリスト教が一致して団結して、日本中に福音を伝えていこう
そんな、話は福音派や超教派からはよく聞く
だけど、割とおとなしい教会ではあまり聞かない
今いる教会員に御言葉を伝えるのに忙しいから

誰もが誰も、自分と同じ考えになれば世界が変わると思っている
そして、その考えは聖書に保障された「正しい」道だと信じている
本当のところは、どうなのかなんてわからないのに
でも、独裁者や差別主義者にはなりたくないから、断言はしない
そして、聖書を隠れ蓑にして、そのコミュニティにしか通じない真理を叫ぶ

そんな僕らは一致していると言えるのか
きっと、言えるさ
僕らは結局のところイエス様によって一致していると思うんだ
ばらばらだった僕らを繋ぎとめてくれる鎹のようなイエス様が僕は好きだ

君が信仰義認説を唱えている傍らで、僕は万人救済説を唱えるとしよう
だけど、どちらも正しいかなんて誰にも分からない
君は聖書を根拠に僕とは違うことを言い、僕も聖書を根拠に君と違うことを言う
じゃあ、どちらが正しいんだい
そんな風に、正しさを競うようになってしまったら僕と君は敵になる

でも、君は君の正しさを諦めることは出来ず
僕は僕の正しさを消すことは出来ない
実際のところ絶望的な状況なのに、僕らは世界に絶望していないのは
きっと、正しさなんてそれほど重要じゃないのかな、と思う

考えが異なる人や、性別が異なる人、思考や性癖、価値観、信仰は
実は皆ばらばらだ
その中で笑いあう様は、表面的な偽善だと罵るのか
素晴らしいと褒めちぎるのか
それとも、その中に真理が隠されているだの
愛が溢れているだのと
僕らは無駄なおしゃべりを繰り返す

ただ、そこにある笑顔や幸せを共有できるようにしていくときに
決定的な溝を感じながらも一緒に生きていくことが出来る
それは、ばらばらなのか一致なのか
そんな結論は一生保留にしておいて、
まあ、一緒にお茶でもしてみようか

エゴイストのままでもいい
正しさを競い合ってもいい
互いが互いを諦めないほどにエゴイストなら
僕らはきっと、一致していると思う
夜が明けて、その次の日まで夜が明けて
それども、話し続けて結論が出ない
でも、諦めない

そんな、語り愛をしてみたいものだね






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同性愛を罪とはさせやしない
今日のブログは若干長いです。

実は、僕は同性愛に対してとてもこだわりがある
僕のこのブログでも何度も吐きだしているし
それに、僕が既存のキリスト教会が同性愛を否定しているのを見ると
とても、とても怒りが湧き上がるんだ

僕の友達には、同性愛者がいる
だけど、僕にとっても彼にとってもそれは別に大した問題じゃない
そんなことは、関係無く人間って奴は付き合えるんだよ
だけど、僕の友達を勝手に罪人にする奴らをそのままにしてなんか出来やしない
だから、僕は何度でも同性愛は罪なんかじゃないと叫び続けるんだ

そんなことを思ったのは、最近見たブログの影響もある
同性愛に悩むクリスチャンを綴ったブログだった
優しいブログだったし、心が洗われた気がした
だけど、どうしても「同性愛と戦う」ことが書かれていた
だから、僕は何度でも同性愛は罪なんかじゃないと叫び続けるんだ

同性愛を禁じている個所は、聖書には数カ所しかない
レビ記と、パウロの書簡ぐらいのものだ

とりあえず、引用してみよう
レビ記 / 18章 22節
あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。


ローマの信徒への手紙1章24-32節
そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています


コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章9-10節
正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません。

テモテへの手紙Ⅰ 1章9-10節
すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです


よし、ここで朗報だ
どうやら聖書は、ホモセクシャルを激しく非難しているが
レズビアンに関しては語っていない
聖書が一字一句間違い無いのだと主張する奴らでさえレズビアンを非難することは出来ない

ローマの信徒に書いてあるとか言うなよ
女が女と寝ているだなんて、どこにも書いていない
単なる乱交のことかもしれないだろ
まあ、実際はローマの宗教を口汚く否定しているだけなんだろうけど

そして、レビ記を根拠に同性愛者を否定する奴らは
その箇所以外のレビ記の律法も忠実に守っているのかな
ちゃんと、女性を奴隷以下のモノのように扱っているのかな
もし、そうしていないと言うならばレビ記を使って
同性愛が駄目だと言う奴らは、聖書を勝手に使って
自分の感情を満足させているだけの、身勝手な差別者だ

そして、パウロの言を根拠に同性愛者を否定する人間だってそうだ
歴史背景を無視してもなお同性愛を否定したい人間は
しっかりと、パウロの結婚観を実践するんだ
結婚なんて大したものでは無くて、セックスを我慢できない奴らが
勝手にすればいいとちゃんと堂々と教会内で宣言しているんだろうな

もし、それをしていないというのなら、君は聖書を勝手に使って
自分の考えを肯定しようとしている差別者だ
律法学者にすら劣るんだよ

なあ、聖書は一対一の夫婦関係をとことん祝福しているから同性愛は駄目だとか
言う奴もそうだよ
ユダヤ教の時代の一夫多妻制や、婚約していない女を強姦しても賠償金を払って
妻に迎えればOKだった時代の律法はどうやって無視したんだい

聖書を根拠に否定するのなら、今の時代に受け入れ難い律法も守らなきゃ
中途半端に律法から解放されているのに、律法の一点一角も消え去ることがないだなんて
戯言を吐く奴らに、僕の友達を絶対に否定なんかさせやしない

一見、優しい言葉に見える「神様は赦してくれるよ」だとか
「神様はそれでもあなたを愛している」だなんて言葉にも騙されない
同性愛が悪しきものだと前提にした言葉なんかドブに捨てて
神様が作ってくれた性質を使って、愛せばいいと僕は思うんだ

宦官が喜び溢れたフィリポの伝道でも見習おうぜ
僕たちの、今の時代はイエス様が来たから愛の時代のはずだろう
何だって、信仰で愛の形の一つを消そうとするんだい
僕にはさっぱり理解出来ないし、怒りすら覚えるんだ

僕が間違っているというのなら、いくらでも反論すればいいんだ
僕は、とことん付き合うさ

もう一度言うよ

同性愛が悪しきものだと前提にした言葉なんかドブに捨てて
神様が作ってくれた性質を使って、愛せばいいと僕は思うんだ







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ちなみに、↓のHP様により詳細が書かれております。
http://homepage2.nifty.com/room30th/gesewa/c_homosexual.html
(キリスト教についての下世話なQ&A様)







教会以外の結婚式
従姉の結婚式に参加してきた
人生初となる、和式の結婚式
小さい頃から、結婚式と言えば教会で行われるのが
当たり前な僕にはとても新鮮だった

個人的な趣味で言えば教会の結婚式の方が
僕には肌が合う
ただ、和式の結婚式も別に悪くは無かった
そんなことを言う僕は、偶像礼拝をしたことになるのかな

和式の結婚式も結局のところ、神様に対して二人の永遠の愛を誓う
それだけのことだ
何と素晴らしいんだろう
古来から、人は神の前で愛を誓うということが出来たんだ

その神様が聖書に書かれていない神様だから契約は無効になるのか
それならば、この世の中のクリスチャン以外の人たちは
全員、結婚していないことになる
つまり、結婚しているつもりの人間ってことになる

皮肉を込めた敬虔なクリスチャンは、もしかしたらYESと答えるのかも
しれないけれども、僕らの感覚的には違うはずだ
そう、違うんだよ
神様ってやつは、聖書に書かれている通り妬み深いのかな
それならば、僕ら日本の結婚式も儀式的なものも全て
偶像礼拝になってしまうよ

でも、その偶像礼拝や他宗教への圧倒的な排他性ってやつは
単純にユダヤ教徒が自分たちを特別したいがために造り出した
人間のまやかしとも思えるのさ
そんなことを言うと、お前は聖書を読んでいないのかと
また怒られそうだけれども、イエス様が言った神様は旧約聖書の神様と
合致するのかい?

そんな、可能性を考えて人間の根柢にある神様ってやつはきっとどんな宗教の中に
でも入り込んでいて、きっと僕の従姉の結婚式も神様に祝福されたものだと思いたいのさ
まあ、他の宗教を全て本当だとかそんなことを言いたいわけじゃない
どんな、結婚式にも神様の祝福があるってことを思いたいだけなのさ

排他的なるのは、とても簡単だ
自分だけの価値観を得ることが出来るし、敵を作ることによって団結することも出来る
だけど、めでたい結婚式までさすがにケチをつけない日本のクリスチャンの感覚は
僕はなんだかんだ言って、好きなのかもしれない
でも、考えてみれば色々なものを偶像と言うのに、和式の結婚式の話題はそこまで出ない
考えてみれば、ちょっとした違和感だ

でも、その違和感を大事にしていきたいと思う
そこに、何か深い愛のようなものが隠されている気がするんだよ
だからというわけでもないけれでも、どんな結婚式も祝福してしまおう
めでたい時ぐらい、宗教戦争は終わらせるのが本当のクリスチャンだと思うんだ







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人間の嫌いなとこ
僕は人間に嫌いなところがたくさんある
冷静な人間なんてどこにもいやしない
誰もかれもが、自分の中にある大切なものを守ろうと
自分に嘘をついて、自分に嘘をついて
他者に気に入られたり、愛想を振りまいたり
実力で唸らせてみたり、虚栄を張ったり
そんなことを繰り返している

ちくしょう
なんで、こんなに嫌われることが怖いのか
なんで、こんなに権力に屈してしまうのか
ホームレスの人にも意味があるだとか
自殺も尊厳ある死の形だとか
綺麗事ばっかり吐いている僕のこの心は
結局のところ、そいつが自分に降りかからないから言える話なのさ

こんな、卑怯者が何かを語る術があるのか
分かっている、だからみんな聖書やキリストを語るのさ
自分自身の心の汚さに気づいているから、自分以外の心を語るのさ
自分にはそんな資格やら、意思なんてものは無くて
神様に頼らなきゃ、自分には何も出来ないと思いこんでいるんだ

だから、僕は僕のエゴで語るのさ
聖書を媒介に語っていても、結局のところそいつは君の心から来ているのさ
神様が君に与えただなんて、言ってもそれは君のモノさ
君の中にある愛は、君のものだってね

僕は、自分には価値が無いだなって思う人間の心が大嫌いだ
だから、僕は自分の心が大嫌いだ
だから、殻を作って自分の考えを強制的に変えて
だから、薄っぺらくて自分の心の底から語れなくて
だから、他人を説得するだとかそんなことは不可能で

でも、それでもやっぱり人のために何かしたいと思ってしまうんだ
そんな心が誰の中にでもあるのだと思うと僕は嬉しい
そういった心の声にもっと、素直になれたら僕はきっと僕を好きになって
きっと、そうやって堕落していくんだろう

だから、他人も自分も人類も好きになったり嫌いになったりの繰り返し
それが、善いことか悪いことかも僕にはわからない
何も分からない僕は、僕がここにいることしか分からない

だから、分かりたい
分かりたいから君と語りたい
分かりたいから何かをしたい
真理が欲しい
知恵が欲しい
愛が欲しい

嗚呼、神様に会ってみたいや
















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1%の伝道
日本におけるクリスチャンの割合は1%
ちゃんとした統計なのかどうかは知らないが
昔からそう言われている
まあ、もうすぐ去る僕の上司もクリスチャンだ
意外と世界は狭い

僕も昔は伝道やら、そういのに熱心であろうとした時期があった
ヤングユースやチェンジングライフみたいなものに参加して
霊的な体験をして、脳内麻薬の味を占めた
その時を振り返りながら、日本におけるクリスチャンの割合が
1%なことに合点がいった

日本にも、当然のように伝道に熱心な宗派や熱心な教に熱心な人がいる
だけど、そういったところはなぜか、信仰に燃えているのかは知らないが
ハレルヤとよく叫び、叫ぶように祈り、熱狂的な礼拝を好む傾向が強い
僕は、そう思っている

実のところ、それは世の中の99%の人には受け入れがたい代物で
結局のところ、どんなに頑張ろうと1%の人間ぐらいしか受け入れることが
出来ないから、1%から上がらないのだと思う

そして、リベラルや日本基督教団みたいなところは
熱狂的では無い分、受け入れる幅が広いのかもしれない
ただし、その分伝道に力を入れていないからこっち側も1%の人間しかいない

それが、現実だと思う
伝道を頑張っていないからだとか、聖霊が満たされていないだとか
サタンの誘惑だとか、なんだかんだと日本でキリスト教が主流に
ならない原因を外に求めがちな僕らだけれども
原因はきっと僕ら自身にあるのかもしれない

僕らの周りの99%は、実は僕らと考え方が違うんだ
そいつを実感しているかい?
もし、それが実感出来ないのならきっと君は世界を閉ざしている
もし、それが嘘だと感じるのならきっと君は世界に蓋をしている
そんな気がするんだよ

99%の世界を覗いてみるとショックなことばかりさ
自分たちと違う常識で生きていて、僕の目には罪深いと
思えることが平然と行われている
嗚呼、確かにこの世には愛が足りないと最初は思うが
慣れてしまうと、その奥に隠されている意外な愛が見えてくる
それは、クリスチャンの愛に決して劣らない

自分の信じるものが真実だと疑わずに99%の世界を切り捨てるのは
余りにももったいないと思ったんだ
僕らはこの99%と何を話せば良いのだろう
そして、僕は君とどう話そう

多くの価値観の中に身を置くなかで、たった一つの真実を
胸に秘めて残りの価値観をドブに捨てるような生き方が
果たして神様の意志なのかな

君の喜びを伝える手段はきっと他にもあるはずだ













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真実と差別
僕らが最も犯しやすい罪
その一つに、差別があると思う
差別というよりも、他人の否定
他人を認めないというよりも、そもそも視界に入らない
そんなことが、僕らにはままある

その中でも、一番性質が悪いのが自覚の無い差別
本人自身が気づいていない反吐が出るような差別さ
キリスト教徒は、そいつを平気で犯す
他人の審判を、いともたやすく侵犯していく

君が、そして僕が、イエス・キリストは救い主だと告白する
僕らの中に新しい真実が宿る
イエス・キリストが救世主だと僕らの、そう僕らの心の内に宿る
だけど、そいつを真実だとなぜ他の人にいとも容易く言えるんだい

君の喜び、君の楽しみ、君の平安
嗚呼、なんて素晴らしいんだろう
だけど、そいつは他人にとってはドブみたいなものかもしれない
それとも、君が言う通り素晴らしいものなのかもしれない

だけど、そいつを証明なんて誰にも出来ない
だから、「信仰」なんじゃないかい?
信じて仰ぐ、それだけのはずだろう
確信やそいつを事実として捉えた瞬間に、
僕らは信仰を失うと思うんだよ

なあ、そして差別をしていくんだ

「キリストを信じるだけで救われる」
「キリストを信じなきゃ救われない」

「聖霊様が導いてくれたから、心に平安が宿った」
「心が平安じゃないのは、聖霊様がいないからだよ」

「信仰により癒された」
「癒されないのは信仰が無いからだ」

「クリスチャンはやっぱりどこか違う(良い意味で)」
「ノンクリスチャンはやっぱりどこか違う(悪い意味で)」

「私は信仰により、本物の愛を知りました」
「あなたは不信仰だから、本物の愛を知りません」

そんなつもりで言った覚えはない、否定的に捉えすぎだよ
これはあくまで、私の心の内を話しているだけ
神様を知った喜びを他の人にも伝えたいの
と、言う風に僕らは僕ら自身を騙していく

一つの言葉には複数もの意味が宿る
何かを真実だとしたら、何かが嘘になる
何かを正解としたら、何かが間違いになる
もし、君がキリスト教が唯一の真実だと言うのなら
この世の中の大半は、偽物になる

君は、ひょっとしたら堂々とこの世の中は偽物だと言うのかもしれない
そいつが、何よりも反吐が出るのさ
君が聖書を絶対の真実だと、個人的な体験とそれを強化してくれるコミュニティによって
堂々と話すのかもしれないけれども
そいつは、僕にとっては自分自身の勝手な想いで他人を差別していく律法学者さ

なあ、愛するということを考えたときに
出てくるのが、未信者を否定する言葉なのかい
僕は、それに関しては間違っていると言いたいんだ
その点で、僕は君を間違っていると差別してしまう
だから、僕は唾棄すべき偽善者で、きっと君とも分かりあえないのかもしれない

なあ、本物の愛はどこにあると思う
僕には、そいつがさっぱりだから差別するものになってしまうんだ
もしも、君が本当に知っているのなら、教えてくれないか
なにせ、僕は自分の心の中以外で神様に会ったことが無いんだよ













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スーパーストリングス
僕らの生きている世界は何で出来ているのだろう
キリスト教は、聖霊や神様の話をするのが好きだ
とても、好きだ
よく、聖霊や神様が直接僕らの心に語りかけてくれると
そして、導いてくれると言う

そいつは、信仰としては素晴らしい
そう、思って敬虔な気持ちでいることは良いことだと思う
だけど、それを確信だとか事実だとか語り始めると
さあ、オカルトの始まりだ

この世界には、哲学者がいて、そして物理学者がいる
神様が創ったこの世界を解き明かそうとしている
ある意味で、この世界の緻密さ
それを解き明かすことで、神様の素晴らしさと偉大さを見ることが出来ると思うんだ

そんな人たちが解き明かしてきたこの世界を、いとも容易く
聖書を使って破壊していく
科学を否定し、物理学や哲学を否定して
知の発展を妨げる
そんな風にキリスト教会を見てしまうことがたまにある

なあ、君が聖書の素晴らしさを語るのは確かに自由さ
だけど、人類の歴史をその本一冊で完結させないでおくれ
聖書じゃ解き明かせないことも、この世にはあると思うんだ












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真理を語れば、真理を語られる
僕は、ブログを書くに当たって最近注意していることがある
それは、断定的なものの言い方をしないで、「思う」とかいった表現や
疑問を投げかける形をとるようにしている
いや、単純に疑問なんだよ
逆に確信に満ちたもの言いをしているかのような君の言葉がさ

なあ、ブログ村でも見てみろよ
僕はそうでもないけれども、聖書から確信に満ちた言葉を吐いている奴らは
腐るほどいるんだ
そして、中には君の主張と正反対のことを言っている奴もたぶんいる
そして、正反対の主張こそが真理だって言っているんだ

腹が立たないかい?
君が大切にしている聖書を使って、妄言を吐かれている気分にならないかい
まあ、僕の気持ちもそんな感じさ
君と違うところは、僕は聖書がそこまで人生の指針では無いから
その点に関しては、腹が立たないけども

だけど、聖書を使って君と正反対の主張をしている人を君はなんて呼ぶんだい
そいつを、サタンと呼ぶのかい
それとも、兄弟と呼ぶのかい
もしかして、君の目にそんな輩は映っていないのかい

福音派やみことば派、超教派や聖霊派にバプテスト派
どいつもこいつも、聖書を根拠に真理を吐きだす奴らばかりさ
色々なブログや色々な人にあっても決まり切った言葉しか出やしない

「私たちは結局、聖書に従っているだけ。本来、教派なんて無いよ」

じゃあ、何だって言っていることがところどころ食い違うんだい
君が絶対的な確信で、真理を語ろうとするのはいいさ
その気持を保つために、そいつを断定して自分の心を強くしようとするのも
なんとなく理解は出来る
だけど、僕らは本当に真理を理解しているのかい?

聖書を使って、真理を会得して広めようとしたときに真っ白な
キャンパスが広がっていると思いきや、そこには既に誰かの絵画がそこにあるんだ
そいつを、躍起になって塗りつぶそうとしてやいないかい

なあ、だけど僕は君が自分と同じ志のところでハレルヤと叫んでいるだけなら
別に、どってことは無いんだよ
誰かを傷つけなければ、君が幸せならいいんだよ

だけどな、その君にとっては何よりも素晴らしい福音が
誰かにとっては毒となり
君にとって、何より喜ばしい証が
誰かにとっては傷となり
君にとって、何気ない一言が
僕にとって絶望になったりするんだよ

そいつを君は「聖書を知らないから」って言うのかな?
もし、そうだとしたらそいつは悲しすぎるよ












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リスク
この間、二日ほど新しいビジネスを考えていた
とりあえず、思いついたので友人に相談してみた
返答は、非常に面白いとのことだった
「人の善意を利用するという意味で非常に、一重まぶたらしい」
と言われたが、あれはどういう意味なのだろう

いやいや、とにかく僕自身面白いと思ったビジネスプランだった
その内容の是非はともかくとして、起業してしまおうかとも本気で思った
しかしながら、僕には勇気が無くて恐らくこのまま会社員で諦めるのだろう

そう、僕はリスクに対して非常に臆病だ
こんなときに、ベーシックインカムの世界だったらと考えたが
それなら、そもそも僕のビジネスが対して必要無いのではと考えてしまった

リスクはとても怖い
それはキリスト教を信じていても同じだ
僕らは既に勝利者だ、とはよく聞く話だ
僕自身そう思うし、死後の世界に対する恐怖はそんなに感じてはいない

じゃあ、何が怖いのかと言えば僕は生きることが怖い
死ねば全て勝利者のこの世界で、僕は生きるのが怖い
生きている間に、何が出来るのか
僕自身の価値は、勝ち負けによって左右されるんじゃないか
いくら、キリストが僕の価値を認めてくれたって
他の人たちが認めてくれなきゃ、そんなものは無いに等しいんじゃないか

待って、待って、待って
皆、待ってくれ
僕を置いていかないでくれ
僕を見捨てないでくれ
僕を見ておくれ
僕をいないものにしないでくれ
僕の話を聞いておくれ

そんな不安感に囚われる

人は一人では生きていけないというのはきっと本当で
どんなに、強い信仰を持っていても周りとの関係はとても大切なものだ

だから、自分に優しいコミュニティにいることを選択するのも1つの手だとは思う
だから、そんな不安感を無くすために社会全体を変革するのも1つの手だとは思う
だから、わざと自分自身を壊して周りの人間に見させるるのも1つの手だとは思う
だから、何かを頑張って周りから注目を浴びるようにするのも1つの手だとは思う

僕らは、どの道を選んだってきっと不正解ではなく
そして、どの道を選んだってきっと正解ではないのだろう
大切だと思うのは、どの道を選び、どのように自分を偽ろうとも
その道を選んだ君自信が持つ素晴らしさには変わらないということを
僕らの胸の中にしっかりと保つことだと思う

そこらにいるクリスチャンの目から見て、どんなに汚れていようとも
神様の目にはきっと輝いているはずで
どんなに、自分自身が汚い存在だと思っていても
輝くような素晴らしさが必ず、その人にあることを僕らは知っている

そのことを叫ぶリスクは無いから、僕は叫ぶ
君は素晴らしい
そのことがきっと、この世の中で一番大切だと思うんだ
そのことを君と叫べたら、もっと素晴らしいと思うんだ
まあ、僕は君の嫌いなところをはっきり嫌いと言うけども
それでも、君は素晴らしいんだよ
そいつも、僕の本音さ










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もう一度、ずたずたに生きていこう
今日は、久しぶりに自分の日記を読み返してみた
久しく思いだしたけれども、僕はどうやら色々な人と議論をして
そして、その中の大半の人と分かり合えなかったようだ

それが、当時の僕だったんだろう
経験も知識も思慮も足りなかった分、純粋だった
そう、純粋に腹が立っていたんだと思うんだ
昔に書いた記事
「ずたずたに生きていこう」
こんな記事は、きっと今の僕には書けない

妥協を覚えて、やり過ごすことを覚えて
そして、静かに怒ることを覚えた僕にはきっと書けない

理性的に人を追い詰める術を覚え、礼節を忘れ
愛を忘れ、そして人のために何かしたいという気持ちも薄れ
そんな風になりそうなときに、昔の情熱を少しだけ思いだしたい

そして、叫び続けたい

信仰が絶対のものだと言う奴らがどれかで残酷なことを言っているか
そして、責任をあまつさえ神様に押し付けているか
聖書に書いてあることが絶対的に正しいだなんて信仰をいつまでも
そう、いつまで確信に変えて畏れることを忘れたクリスチャンに
僕は怒る心を未だに忘れてはいない

安いハレルヤを何度も何度も叫び続け
純粋な他者への愛と、そして自己満足が入り混じった
悪とも善とも判断つかないその心の有様をキリスト教だからと
善と決めつけるその様はに、僕は納得しない

この世のことなんかどうでもいいと言いながら
純粋な他者への愛と、そして自己満足が入り混じった
善とも悪とも判断付かない未信者の有様をキリスト教じゃないからと
悪と決めつけるそ様には、僕は納得しない

なあ、クリスチャン
何だって、そんなに僕らを見てくれない
何だって、聖書の権威を笠に着て、自分が正しいと言えるのか
僕は見てきたよ
「私はキリスト教が真実だと思っている。でも、他の考えを否定する気は無い」
なんて言う輩を

おいおい、じゃあどういうことだい
君は他の考えも真実だと言うのかい

「いや、そうじゃない。あくまで私にとっては真実というだけでその人たちの考えを間違っているとは言えない」

はは、こいつは傑作だ
君は否定すらしない
君の中の世界に、彼らはいないんだ
世界が違うからと、他の意見の人間を自分の世界から排除して
否定もせず、肯定もせず、ただ無視して眺めているだけなのさ

でも、現実に君はこの社会の中にいて
その社会の中で、君は自分の考えが真実だと主張して
その主張は他のものにとっては自分が間違っていると言っているのさ

そして、君は変わらずに聖書は真実だと主張して
切り貼りした聖句を心の支えにして
そして、確信を保っていくんだ、信仰を忘れて

そして、僕は変わらずに聖書は真実じゃないと主張して
切り貼りした知識を心の支えにして
そして、疑惑を保っていくんだ、信仰を忘れて

そんな世界は悲しすぎるから
ひょっとしたら、僕らはもう少し手を取り合うべきなのかもしれないな
わだかまりなんてものを捨てて
僕らは手を取り合うべきなのかもな

ずたずたに生きていくってのは楽じゃない
どうしても、楽な道へ心が傾く
だから、僕たちはきっと、人を傷つけるのだと思う
そんなのは、悲しすぎるから
少しでも、人を傷つけずに歩みたいものです












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社会は僕たちの敵じゃ無ければ、味方でも無い

常日頃思うのだけれども、僕たちは社会を自分からは
切り離して考えていやしないかい
社会が悪いだとか、社会が間違っているとか
僕らは受け身で考える
社会を変えなきゃ、社会をぶっ壊す
僕らは社会を責め立てる

まあ、それはそれで本質なわけなのだけれども
でも、僕たち自身が社会だっていうことに僕らは
そろそろ、責任を持たなきゃいけないと思うんだ
特に、僕みたいな若造は特にね

クリスチャン界の間で、たまに聞こえてくるんだよ
礼拝でも聞こえてくるんだよ
「この世は悪いものです」ってね
なあ、君たちはまるで自分がこの世から切り離されているかの
ような物言いを度々するんだよ
だけど、君たちは社会じゃないのかい
クリスチャンが1%ほど混じっているこの社会は君たちじゃないのかい

この社会は敵でも味方でも無い
僕らの集合体だ
そこに、政治だとか、経済だとか、心理的な要素とかを多分に含み
僕ら自身でさえ良く分からなくなってしまう僕たちみたいなもの
それが、きっと社会と呼ばれるものなんだと思うんだ

自分自身が社会だということを僕たちは理解すべきだと思うんだ
後の世代から見たときに、僕たち自身が社会なのだから
なあ、考えておくれよ
君が陶酔しながら、自身の正しさを次世代に教え込もうと
必死な時に、傍らで僕は違うことを呟いている
君は神様に従えと言い、僕は神様に従っていない人間なんていない
なんてことを言っているのさ

一致だなんてまた夢のまた夢と感じてしまうのは
この社会がなかなか変わらないと感じてしまうのは
きっと、それは僕らが手を取り合わないからさ

なあ、僕も大分と考え方を変えたんだ
福音派やら超教派やらが唱える、聖書を自分勝手に解釈して
それを絶対的な正義として人を裁くそのやり方は今でも吐き気が
して、侮蔑すべき対象なことに変わりはないのだけれども、
そのやり方でも君が幸せならばいいとは思ってきたんだよ

そうさ、僕は君を間違っているだなんて言わないよ
僕は、君のやり方や考え方が嫌いなだけなのさ
だから、君も僕を嫌いだと言ってしまえばいい
だけど、僕が間違っているなんてことは言って欲しくないのさ

そう、手を取り合う前の話し合いが君との和気あいあいとした
ものでなんか無くて良いと思うんだ
罵りあおう、存分に
お互いにお互いのことを嫌いだとか、吐き気がするだとか
言いあえば良いんだよ

仲良くするのは、それからでいい
君の手を握ることが出来るなら、僕はそれを離さない
それで、いいじゃないか
なあ、いっちょ対話でもしてみようじゃないか


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世界は素晴らしい
ときどき、というよりもここ最近よく思う
なんだ、このクソみたいな世界はと
一人ひとりが自分の価値観を持ち歩いて
道行く人や、隣にいる僕を辞書代わりのそいつで
意味を調べて、判断しやがる

そうした世界で、曖昧ではっきりと独善的な
社会的な何かで権力を寄与されて
ますます、辞書のカバーを豪華にしていく
そんなことに意味が無いのに
僕たちは、そこに価値を見出す

考えてみれば、一昔前のアメリカンドリームのチラシの
中にいる成功者の家庭なんかよりも良い生活を送っている
僕たちは、果たして昔の人たちよりも立派になったのか、
それとも、昔の人たちよりも成功していたり、幸せだったりするのか

きっと、僕たちは自分たちの周りの平均以上のものが手に入らない
限り、安心出来ない
だから、全てをなあなあで済ませようとする人間はある意味で
争いを避けている、最も平和的な人間だとは思うんだ

そんなものは関係無いと言ってみて行動したはいいものの
そんなものにこだわる奴らの見る目は変わらず
そして、そいつに対して悔しいと思う感情は未だに抜けず
せめて、自分だけはそんな奴になりたくないと
きっと、心の中で誰もが思っているんだろう

なあ、この世界は素晴らしいと思うかい
僕は、ひどく素晴らしいと思うんだよ
ひどく独善的なこの世界だけれども
希望を語る人間の濁った眼に吐き気が湧き出ようと
僕は、この世界が好きなんだ

そうなんだ
ご多分に漏れずに僕にも1つや二つの破壊願望はある
試合で相手の鎖骨が折れたときに、ある種の達成感が僕を支配した

だけれども、やっぱり僕は君のことが好きみたいだ
君と笑って話し合えたらどんなにか素晴らしいことかと
そう、思う自分も決して嘘なんかでは無いんだよ

世界は素晴らしい
だから、もっと素晴らしくしたい
そんな、当たり前の気持を麻痺させることなんざいくらでもあるから
せめて、頭の中だけはお花畑を咲かせよう
そして、いつか世界に咲く花束を植えていこう
そのぐらいのことをしても、奇異な目で見られやしない

堂々と語ろう
私は汚らしい人間です
だけど、綺麗な方が好きなんです
だから、綺麗にしましょう

僕たちはイエス様によって、自由なんだ
だから、この世と折り合いをつけながら理想を語る
そんな自由もありだと、僕は信じている

























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ドブに捨てろ
なあ、ドブに捨てようぜ
その、君に塗れたプライドをさ
ドブにでお捨てちまいな
ちくしょう

何回だって問いかけるさ
何だって、誇りが必要なんだ
生きているだけじゃ駄目なのかい
それ以上に、他人からの賞賛やらそういったものが欲しいのかい
いやしんぼな僕らには、何かと誰かとの比較が絶対的に必要なのかい

生きているだけで成功じゃないか
意味があるんだ
価値があるんだ
それだけじゃ、僕らは不満足なのかい
ああ、不満足なのさ

なんだって、こんなにも愛されたいのだろう
心からの愛だなんて体験したこと無いのにさ
頭ん中で作り上げた愛が、心から出る愛よりも
よっぽど愛らしいのさ


笑えてくるぐらいに、僕らは不自由に支配されて
大切だと思い込んでいるものを必死になって
どこぞの権力に対して媚を振り
自分自身を誤魔化して生きて
こんなのものは僕の本当の僕じゃない
僕の人生はきっと少しのレールがずれただけで、
そうだ、テレビに出ている成功者はただ運がよかっただけだと
呟いて
今いる自分自身がいる自分がちっぽけだと思っている半径数十キロ程度の
世界の中から比較対象を見つけ出して
悦に入っているその様に、吐き出しそうになるのさ

誰にも否定されたくないし、比較されたくない
それなのに、僕は誰かを僕と比較して悦に入る
クソみたいなプライドが邪魔をして
誰とも手を繋げない

そんな世界が大好きで大好きで、それでも大切で
だから、この世界がもっと良くなれば僕はもっと幸せで
それだけで、満足出来るのにな

ああ、ちくしょう
何だってイエス様は今いないんだろう
あんたが王になってくれ
絶対的な正義を見せてくれ

大量虐殺をしているあんたの父上様とは違う
そんな、絶対的な正義を見せてくれ
早いとこ、不幸な人を消してくれ
あんたが来るまでは、こっちはこっちで頑張るから
とりあえず、早く来てください

























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