君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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君と僕と
君が思う以上に、ひょっとしたら僕は君の中で
とても矮小な人間で、ひどくなにも影響をもたらさないのかもしれない
そんなことを、ふと考える
僕はまるで君の意見を、全否定して僕の意見を全て君に
押し付けるかのように、ただただ全力で自己主張を
繰り返し繰り返し言っているだけの、そこら中にいる
クリスチャンと同じような人間であることを君は
薄々と感じているのかもしれない

ああ、その通りなんだ
僕は、僕の意見がこの世の中で一番正しくて
そして、僕がもし世界中で誰よりも偉くなることが
出来るのならば、きっと世界をより平和な世界に
してみせるだとかいうひどく思い上がった人間である
ことになんら疑いを持つことはないんだよ

そして、それが何よりも傲慢で何よりも間違っていて
でも、声を張り上げることを今さらながらに辞めることも
出来ず、ただただ僕の思想や信条や誇りや魂や心を
君に理解してほしいと駄々をこねている単なる子供なんだ

そんな、僕は世界平和に語るのは相応しくなく、
とりあえず、体裁を整えている君の方が世界平和には
相応しいとどこかの誰かは言うんだ、言われるんだ

だけど、思うのがこの僕のようなまるで、傲慢で
弱いわけでもないのに、強くもなくそれでいて
欠点だらけな自分を恥じようともしないからこそ傲慢で
嘘に満ちた人間が、心の底から世界平和を
望んでいるから人間はこの上なく面白いと思うんだよ

僕たちは、いつだって白や黒や、善や悪や、嘘か本当
神か悪魔か、魂か肉かだなんて分けたがるのだけれども
その境目の曖昧さはきっと、僕らのような不完全な、
それこそ人間というものには答えは出ないのだろう

僕のこの言葉も、それが嘘か本当かなのかはまるで分からない
君のその言葉も、それが嘘か本当かなのかはまるで分からない
ただ、そいつを推測する心理学に系統した僕は、君の心を決めつけて
熱心なクリスチャンの君は聖書に系統した結果、僕の心を決めつける
そんなものなんだよ
答えが出ない堂々巡りに疲れてしまう僕らはきっと、ある程度の答えを
出さないとまるで、前に進めないということを分かっているのだけれども
その道が正しいかどうかの自信が持てずに、ついついと他の道を否定して
自分の道を肯定したがる

それは、きっと君もそして何よりこの僕も同じなのさ
なあ、どうすればいいと思う
僕は、時折ふと君の道に憧れることもあるのさ、実は
だけども、そこを選んでしまっては何かに負けた気になるという
虚構の現実が自分に待っているような気がして、薄皮一枚のプライドを
破れずにいるのだけれども、なんだかそんな自分も好きでいてこれがまた
僕の人生を複雑にしているのさ

そんな、僕が僕を語るだけでもこれだけ複雑になるというのに
きっと、君が君を語るときにはもっともっと複雑になるのだろう
そんな、君はきっと僕と話すとうんざりするのかもしれないし
堂々巡りになるかもしれないし、そしてまたお互いを否定しあうのかもしれない
だけども、それでいいじゃないか
過去の二千年間が否定のし合いだったからといって、
僕と君の一瞬が否定になる保証はどこにもない

半ば無駄だと分かっていることは、人生の徒労に思えるかもしれないけれども
その無駄を楽しめるようになれば、きっと僕らの人生はもう少しばかり明るく
なるのかもしれないと思うんだ
















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お金
お金は素晴らしい
お金は素晴らしい
なんたって、お金があれば何だってできるんだよ
食べることも、済むことも、寝ることも、抱くことも、耽ることも
なんだって出来るんだ
そう、神さまだって感謝の心を現金で求めている

そんな、世界が正しいのかと僕たちはよく問いかける
幸せはお金で買えない、愛はお金で買えない
そんな都合の良い言葉を吐きながら僕たちは、結局のところ
嫉妬を昇華させようと必死になって、自分自身を誇り高く持ち
実際には、何も成し遂げていない自分を人生の成功者と位置付ける
それは、きっと何も間違っていなくてそれが当たり前で
そして、世界が間違っているのは君の言う通りなんだろう

だけど、金が無ければ何もできないんだ
金を生み出さなければ、誰かを幸せにしてやることさえ
満足に出来やしない
いつ来るかわからない、世界が幸せな日よりも
僕たちは、いつ終わるかもしれない楽しい今日を生きようと奮闘する
その方が価値があると、口ずさみしながら

そんな取ってつけたような理由を背中の支えにしながら
この世界で必死に金を得ようとする僕の姿は
果たして君の目にはどう映っているのやら

僕は何度だって問いかけたいんだ
この世界は果たして本当に汚れているのかと
哀しみも涙もそして、常に誰かが傷ついているような
こんな世界は本当に汚れているのかと

金は自由を与える
自由に縛られている僕たちは
悪魔から見たらどれだけ滑稽に映るのかな














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ハッピーがエンドな奴らが羨ましい
君は言うんだ。
「僕は新しく生まれ変わったんだ!」ってね。
やめてくれ、反吐が出る。ちくしょう、胸がむかつくんだ。
なあ、聞かせておくれよ。ずっと疑問だったんだ、僕にとっては。

君が言う生まれ変わったって言うのは、どういうことなんだい。
まさか、これまで自分の人生が失敗だと思っていて、
自分なんていう存在は誰にも愛されないで、矮小でちっぽけで
この世界から排除されているような疎外感を持っていたのに、
神様やら、イエス様とやらに触れて愛を知っただかのことを
そんな風に言っているんじゃないだろうな。

やめてくれ、なあ、やめてくれ。
そんなことは分からないんだよ。
ああ、君はいいさ。幸福が後だから。
ハッピーがエンドに来るやつらが嫉ましくてしょうがないよ。
今まで何をしようが、どんな罪を犯そうが結局のところイエス様が
随分と慈悲深いお陰で救われるような物語は僕には理解できないんだよ。

子供の頃から、クリスチャンとして歩んできた僕にとって
最初から君が言う幸せを享受していたように見えるのだろう。
だけど、君のような劇的な体験なんざ僕は何一つ体験しないままに、
君が言う本来ならば神様を知る前でなきゃ犯さない「罪」とやらに
どっぷりと身を浸けて、自分の体を臭くするのさ。
クリスチャンなのにな。

だけど、僕はそんな程度のことを罪だなんて、これっぽっちも思わなくなって
君の言うことは単なる理想論で、というよりも君が排除されていたから
僻んだり、もしくは自分の正当化を図るために必要以上に攻撃しているんじゃないか
と、僕は君に言いたくなるのさ。

なあ、わかるかい。
君が苦難の末に手に入れた幸せを幼い頃からやすやすと手に入れて
あまつさえも、そんなものに大した価値が無いと言って、君が言う罪の方も
素敵だなんて言う気持ちは。
分かるはずがないだろうさ、僕にも君の気持は分からない。
だって、僕は劇的に生まれ変わったような経験なんざ、キリスト教の
怪しげな啓発セミナーでしか体験したことがないもの。

だから、君が語る劇的に素晴らしい神さまの話なんて言うのは
実際のところ、大麻を吸った時の感想みたいなもので
熱心に喋れば喋るほど、脳内麻薬の良さを語っているようにしか聞こえないのさ
多幸感だけを追い求めたいのならば、大麻を吸ってラヴ&ピースとでも言っていた方が
まだ、害が少ないとさえこの世の人は案外思っているのかも知れないぜ。

なあ、いつまで聖書にしがみついているんだい。
僕たちは聖書が教科書でマニュアルで絶対の書としているさ。
ああ、聖書に書いてあるからあ。
だけどな、あんな薄っぺらい本にこの世の中の何千年だ?
二千年の間に起きた、様々な思想やら哲学やら科学やら魂やら
過ち、希望、信念、信仰、価値観、学問、僻み、妬み、嫉み
その全てが包括出来るだなんて本気で思っているのかい。
思っているんだろうとは、思うんだ。

だけど、価値観を聖書で判断されるのだけは勘弁だ。
ちくしょう。
なんだって、目の前に神さまが現れないのだろう。













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明日を生きる
君が尊重されるなんてことはあり得ないんだ。
いや、分かっているよ。それがただの僻みだなんてことは。
この社会は、やけに人の心をそれがあたかも意図的であるかのように
簡単に想いや希望を打ち砕くように出来ている。

愛や、友情や、育んできたものがまるで何の価値も持たないかのように
ただ単に、積み上げていく貨幣が絶対の自由と決めつける。
いや、それが資本主義であると僕らは分かっているのに
革命する気さえ起こさず、籠の中で叫んでいる。

なあ、右の頬を打たれたら左の頬も打たせてやろうぜ。
僕たちを侮辱する奴らを同じ土俵に引きずり出そう。
右の頬を打たれっぱなしになんかしてやるな。

そんな風に言った声は所詮は単なる妄想に過ぎないなんてことは
分かっているはずなのに、ちっぽけなプライドでまた理想論を振りかざす。
それが、あたかも絶対的に正しいかのように振りかざすのにすら臆病な僕は
自分もそして君も否定しながら、絶対的な真実を探す振りを続けるのさ。
心の葛藤や、日々の忙しさや、瑣末な本当に瑣末なずの日常の希望に
意思を奪い取られて、日々の眠るふとした瞬間に、やっぱりこの世の中には
希望や平和が必要だなと、優しい笑みを浮かべながら自己嫌悪に陥り、
また変わらない明日へとその意識を向けて眠るんだ。

そんな、頭の中だけの妄想を誰かに垂れ流す日々を送れたら
どんなにか幸せだろう。
だけど、現実にこの社会を作っているのはそうやって自己嫌悪に陥らないように
自分の中にだけある小さな小さな矮小な誇りを必死になって
守っているような奴らばっかりなんだよ。

人の話を聞ける奴っていうのは、きっと自分に自信があるというか
揺ぎ無いというかそういった何かを持っていて、だからこそ
欲求不満やら劣等感を持つ僕はそいつの話なんか聞きたくなくなるんだ。

なのに、なんだってか世界が平和にならない理由が見つからないんだ。
人と人が争いある理由なんて分かるのに。
あいつを殺したいやら、絶対に許さないやらとか、そんな明確なものでなくても
ただ単に、人を傷つけたり壊してみたい願望が、きっと本能で刻みつけられているのも
そんなことは分かっている。
そういったことを振りかざして、結局のところ人間は罪深く、人をただ傷つける存在で
神様やらそういった何かの力を借りなければ救われだないなんて言う君は
一体、どれほど人間のことを知っているのやら僕にはさっぱり分からないよ。

理論を構築して、心理学を解き明かし、貨幣価値から脱却することが出来ないだなんて
一体、誰が決めたのやら。
そんな、世界が起こりうるとしたらきっとどこかの天才やらカリスマやらが
必要になるんだと思うんだ。
残念ながら、僕はその天才でもカリスマでも無いけれども
要は、そいつらが世界に絶望しないように日々を生きていく、と言った
偽善ぐらいは許してもらえるだろうと想いながら明日を生きていこう。












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いつもの嘆き
何一つ、僕は君に対して出来ないのかな
僕が発見した物事は、君にとって忌むべきなのかもしれない
そんな風に思ったり、君ごときには分からないなどと
自分自信を上に見立てて安っぽい自尊心を守ろうとしたりと
僕の心は、自身の実行力の無さに気付きながらも
誰かを否定して、平安を保とうともがく


そんなことばかりを繰り返しているから
訝しげな目でしか、僕は君を見ることが出来ないのかな
日々の忙しさに、全てを費やし
それがあたかも正しいかのように振舞う社会と自分を
肯定するしか今ある現状の中でしか生きられないと
心に語りかけ、説得し、自分の夢や希望や信念に
諦めをつかせようと、必死に説得を試みるものの
結局のところ、僕は君を諦めきれないようだ

僕は、君とハレルヤと叫んでみたい
昔のように
そう、だいぶだいぶ昔の話になってしまったけれども
まだ、心が未発達で未熟で純真で、汚れを汚れとしか
捉える事が出来なくてその中に隠れている悲しみや哀しみや
希望や信念や、そして運命みたいなものにまるで気付かなかった
あの時のように
僕たちは共にハレルヤと叫べるのかな

多くの汚れや罪にまみれている僕たちが
それに気づいて
自分たちの愚かさに気づいて
でも、それでも皆で一つになりたいと
誰も否定せずに
誰も否定せずに
君とハレルヤと言える時が僕らには来るのだろうか

目指しているところは、結局のところ同じなのに
僕らは大分、過程にこだわってしまっている
それが、正しいのか悪いのかなど
僕の浅はかな知識や、足りない魂で判断など出来ないのに
僕の心は明確に、悪いという答えを出して
結局のところ、僕はそこらの基督教徒共と同じように誰かを否定する

そうしなければ、保てないんだよ
僕の心が
そんなことが悪いことだなんて、分かっているのに
悔しいぐらいに分かっているのに
僕は、誰かを否定しなければ僕の心を保てない

悪党である僕は、それが人間だと自分自身を慰めて
自分自身を否定したくないから、他人を肯定する
だけど
君のことを想う気持ちだけは、純粋だと思いたい
だから
夜が明けるまで君と話してみたいよ

















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お茶でも飲んでゆっくりしたい
想いは人それぞれ
そんな、言葉を僕は受け入れることが出来ない
一見、優しく見える
相手を認めているかのようなその言葉が
実際のところ、何も見ようとしていない言葉のように
胸の真中のどこかにに棘を刺す

僕の想いを君は見ていていてくれているのかい
ならば、なぜ君は僕を見る目が変わらないんだい
君が見ているところはいつも同じで
僕の言葉を耳から頭の中に届けても
それを目には表してはくれず、君は相変わらず同じところを見ている

いつだって、君を見ているよ
だけど、君は僕を見てはくれない
そう、君の瞳はいつだって神様にしか向いていないのさ
君の中にある神様に

誰だって、自分の中の神様を見ては拝んで
そして、他人の神様を認めようとしない
分かってはいるんだよ
君が僕の神様を認めることは
それは、君が君自身で無くなるなんてことは

だけどね、君の中の神様なんかよりも
僕は君のことが好きなんだ
僕は君のことが好きなんだ
君の中にある、聖書やら、聖霊やら、信仰やら、誇りやら、欺瞞やら、自己顕示欲やら
そんなものから作られる君の中の神様なんかより
僕は君のことが好きなんだよ

聞きたいんだよ、色々なことを
そして、出来るなら君と同じところを見たいよ
どちらかが、どちらかの視線に合わせるわけでもなく
示し合わせたかのように同じ方向を向きたいのさ

僕も首を曲げるよ
だから、君の首も少しこちらへ向けてくれないか
そして、笑い合おう
語り合おう
それが出来れば、幸せなんて容易いものなんだ

一緒にいよう
心を一緒に過ごそう
「君の言いたいことは分かったよ。でも、僕には僕の考え方があるんだ」
だなんて、悲しいことは言わないで
僕たちがお互いに納得出来る答えを
探していこう
歩いていこう
この世界は、そうでもしなきゃ救われない

だからというわけでもないけれども
僕は、君と愛し合いたいよ














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ああ、幸せに生きたいな
僕は楽をすることが好きだ
と、言うと誤解をされることが多々ある
僕は楽をするために、サボると誤解をされる
いや、違うんだよ
楽をするためなら、どんな苦労も厭わないつもりなんだ

そんな風に誤解や行き違いが当たり前のこの世界
なんだって、面倒くさいんだろう
誰もが名誉や誇りを求めている
自分が生きていて良いと誰かに言って欲しくて
自分が言いたくて

だからこそ
僕たちはきっと誰かを貶めながら、下を見ていく
でも、たまに見上げた先にいる彼は
僕らを自由と羨み、そして僕らの嫉妬をまた買っていく
上と思った人間は下を羨み、下と思った人間は上を憎む

そんな、世界から抜け出したくて教会に来て
キリスト教を知って
でも、結局のところそこは人間のいるところで
誇りや矜持やら、自己肯定を必要以上に必要とされる場所なんだ

神様が認めてくれているから
だから、君は君は認めなきゃ「いけない」
人を愛さなくては「ならない」
伝道を「しなさい」

福音書から次第に律法書へと姿を変える聖書に
いつしか、何の疑問も抱かなくなってしまえば全てはそこで終わる
聖書を律法書へと変えた君は、人々に解放よりも規律を求めるのさ
そして、君が信じる聖書がいつしか、世界にとっても本物の真実であるかのように
君の中で振舞い始めるのさ

いや、そんなものは教会だけじゃない
いつだって、誰だって
心に、眩しくてさんさんと輝く真実があるんだよ

だけど、そいつは自分を自己増殖させようと躍起になって
誰かの心の太陽を壊して、その中に堂々と居座るつもりなのさ

僕らはそんなクソッタレな太陽に縛られているだけなんだ
だからこそ、冷静に物事を見てみよう

君が言うほど、この世界は終わっているかい?
君が言うほど、人々は嘆き悲しんでいるかい?
君が言うほど、クリスチャンは大した奴かい?
君が言うほど、心は繋がりあっているのかい?

それとも

君が言うほど、僕は間違っているのかい?

そんな、答えは
天国にでも行ったときに分かる話のはずなにに
つい、この世界に天国を望んでしまう僕らは
滅びても、素晴らしさだけは残るのさ











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愛は悪なんかじゃない
思うんだよ
最近、なんだか愛することがまるで後ろめたいことのような
そんな風に捉えるような風潮があるよう気がして

誰かを心から愛すると決めて
そうやって、できるだけ愛そうと努力する
そういったことが、まるで変かのような
特別かのような雰囲気が
僕はとてつもなく不思議に思えるんだ

普通のことじゃないのかい
愛したり、愛されたり
そんなことは普通じゃないのかい

だとしたら、そいつは世界のほうが間違っているんだ
そう、思う
だって、愛したり愛されたり
そんな当たり前の事柄にすら
資格やら、資質やら、素養やら
そんなものが必要になる世界なんざ

そいつは、世界が間違っているんだ
だからこそ
簡単に愛し合おう

そういった世界のほうがきっと楽だ
争ったほうが楽しいかもしれないけれども
僕は楽しいよりも、楽な方がいいよ

だからさ
愛し合おうぜ
どうせ、誰一人正しくないんだ
だから、正しさを競わないで
みんなの正しさを愛し合おうぜ

そのほうがよっぽど愉快だ









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