君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

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一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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お久しぶりです
インフルエンザで倒れてました

高熱の中、最近考えていることをまた一つ深く考えました
生きることと死ぬことについて
そもそも、生きているとはどういう状態を指すのか僕には分かりません
死ぬということも分かりません

僕は、今生きていると言えるでしょう
ですけど、どうやってそれを証明できるでしょうか
僕が僕にだけ通じる、自己満足な感情です
僕が生きていると言う事は

だから、考えたのは生きると言うことは影響を与えること
正の影響でも、負の影響でもどちらでもかまわない
何か影響を与えるということ
僕は生きるということをそう考えることにしました

そうすると、死ぬことが怖くなくなったのです
世間一般で言うところの死
例えそうなったとしても、影響というものは残るのです
それこそ、バタフライエフェクトのように

だから、死ぬと言うことは自分が生きていると言うことを確認できなくなるだけ
あとは、少しばかり不自由になるだけです
寿命というものは、後世へのバトンタッチだというのがようやく理解できました

死んでも生きているんだな、と
今まで死んだすべての人たちは僕等が存在している限り生きている
ひょっとしたら、存在していなくても
これだけでも充分なのに
キリストを信じているから天国まで信じることが出来る

自分の人生の幸せにまた一つ気がつきました
昔は呪っていた自分の人生も
案外悪く無いと最近思っています




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意味を失くしていくクリスマス
クリスマス
この日は日本において恋人との夜になっている
それは、はっきり言って間違いだ
明らかに間違っている

キリストが降誕したことを喜ぶ日
その祝い事であるにも関わらずに
恋人達は、むしろキリストとは離れていく

しかし、抗えない
抗いがたい流れが出来てしまっている
かくいう僕も、クリスマスは恋人と過ごす
ノンクリスチャンの恋人と
もちろん、その後にホテルへ行くつもりなど無い
だけれども、キリストを純粋に祝えない罪深さをここに告白したい

ああ、せめて恋人とその話が出来ますように
自分のアイデンティティをその日に分かち合えますように
望むならば、彼女と真の意味でクリスマスを祝いたい

だから、弱い僕を守って欲しい
イエス様、あなたに今祈りたい
あなたの誕生日を恋人と過ごします
あなたに僕の恋人を紹介します

ああ、それでいいのか
イエス様、僕はあなたのことが大好きなんだ
本当に
一番大切な人に、あなたを紹介します

だけど、守ってくれなんて言わない
僕の決意表明をただ聞いていてくれ
イエス様
彼女と共にあなたを祝います
この決意を、ただ聞いてください



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キリスト教と聖書教
僕の中で、クリスチャンでいることについて大きな問題があった
それは、「クリスチャンは聖書を信じなければならない」
それも一字一句すべて真実だと
僕はそう思えなくなってからも自身をクリスチャンとしている

むしろ、僕から言わせれば聖書を一字一句信じるのはキリスト教徒とは思えない
聖書教徒とでも名乗ればいい
聖書を絶対のものとして、すべての価値基準を自分達の都合の良いものにする
そんなものがクリスチャンであってたまるか

聖書は確かに大切なものだ
神様がいるかどうかはおいておいて
その中に眠っている精神
イエス様の精神、愛、そしてこの世に対する考えか方
とても素晴らしいものだ
それを背景にして信仰することはとても素晴らしい

だけど、一字一句信じなければならないのはおかしい
何度も言っている
カナンの地を虐殺したのは神様の御心なのかい
誰か答えてくれ

僕はクリスチャンだよ
だって、すべての人を愛するためにはどうすればいいか考えている
世の中の全員の人がどうすればそうなるのか、考えている
その解決を聖書には求めていないさ
宗教じゃ個人は変われても全体は変われないんだよ

僕はいつだって考えているさ
全世界の人がどうすれば、皆笑顔で幸福に生きれるのか
僕の持っている知識は全部そのために使っているよ
小中高で習った、数学、国語、社会、理科、(英語は出来ない)
大学で学んだ、心理学、社会福祉
勝手に学んだ、哲学、物理学
全部そのために使っているよ

だけど、その知識を聖書が書いてあるからの一言で済ます世界のどこに平和があるっていうんだい
知っているかい?
最近では多次元世界を証明する粒子が発見されたらしいぜ
嘘か本当か知らないが、本当だったら大変さ

聖書の一字一句が絶対
そんなことがあってたまるものか


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性善説と性悪説
性善説と性悪説がこの世の中にはある
人間は生まれながらに善の存在ととるか
人間は生まれながらに悪の存在ととるか
どちらかをとるかで、人間への見方が変わる

クリスチャンはどっちなのかな
両方の人がいると思う
神様から作られたから性善説をとる人
知恵の木の実を食べたから性悪説をとる人
どちらも様々
正直、どっちも結局のところ人間が理由付けているだけだと僕は思う

例えば、暴力
例えば、レイプ
それを悪いこととすれば、人間は性悪説だろうね
だけど、良いこととすれば性善説だよ
というよりも、その概念が善悪といった概念がなになのか
善とは何か、悪とは何か
議論をするとしたらそこからだよ

善の概念も悪の概念も最終的には自分の判断が自分の善悪を決める
だから、性善説も性悪説も全て自分次第
そんなものだ、人間なんて





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それを真実だと思う時
「確信」
僕等は、この言葉をよく使う
何かを確信的に信じるという事が良いか悪いかは知らない
ただ、そうしなければ僕等は生きてはいけない
だからこそ、僕等は何かしらの真実を求める

キリスト教以外でも、友情、愛情、そういったものを信じたくなる
僕だってそうだ
きっと、だれだってそうだろう
じゃあ、僕等はどういうときにそれを真実だと思うのか

それは、同じ感覚を共有したときだと思う
愛する人と、セックスをしたとき
友情を確かめるために、喧嘩をしたとき
共にハレルヤと叫ぶ時
そんなときに、僕等は同じ感覚を共有したと感じる
そして、それを真実だと思う

それが、良いことか悪いことなんかは知らない
だけど、僕等は基本的に二人以上の何がしがないとなかなか確信なんて出来やしない
僕の信仰も、結局のとこと誰かの知識の受け売りさ

僕等は一人で生きるしかないエゴイストなのに
一人じゃ何一つ確信できない
悲しい世界なのか、それとも嬉しい世界なのか
どちらともとれるこの世界

何ゆえに神様は、このように僕等を作ったのか
嗚呼、よく分からない
結局のところろ、生き続ける



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