君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



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感動したり、愛に溢れなきゃ神様って知ることが出来ないのかい?
クリスチャンがクリスチャンになる動機
心が愛で溢れたから
感動に身が震えたから
そういった理由でなる、そういった理由でなったと言う人が多い

誤解しないで欲しいのは、それはとても素晴らしいということ
僕は、それを否定する気はさらさらない
まるでない
僕の問題提起は、それだけが神様を知る方法なのかということだ

僕も一度は感動に震えて、それで神様を信じていたときがある
でも、それは一度崩れた
そして、次は自分の理性で信じるようになった

だから、キリスト教に対して斜に構えているし
おかしいと思うところはおかしいと言う
だけど、それはそんなに変なことだろうか?

神様が与えたもうた心によって信じるのが良いのなら
神様が与えたもうた理性によって、信じてもいいのじゃないか?
ならば、理性を否定すること
それを形作る知識を否定など出来ないはずだ

そうすると、歴史学や量子論や哲学、そういったものからもキリスト教を見ていける
それを否定するから、おかしな方向に行くんだと思うんだ

僕が否定するのは、キリスト教じゃない
キリスト教を画一的な方向に定めることを否定している
だって、おかしいじゃないか


※クリスチャンがイデオロギーに左右されず話し合える場をネット上で作りたいと思っています。
賛同、協力してくださる方はメールをください
hitoemabuta56@yahoo.co.jp



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誰だって傷ついている、誰だって理解されたいと思っている
この世の中には、色々な人たちがいる
優しい人、厳しい人、謙虚な人、高慢な人
お金が好きな人、恋人が好きな人、人が嫌いな人
実に様々だ
だけど、そのなかで「傷ついていない人」はいないと思う

誰だって、傷ついている
その傷を癒したがっている
その傷があることを、理解して欲しいと思っている
そして、慰めて欲しい、優しくして欲しい
当たり前の感情だ

中には、その感情をぐっと押し込んでいる人もいる
その人たちには、頭が上がらない

その中で、傷ついている人たちを癒してくれるのがイエス・キリスト
と、世のクリスチャンはよく言う
それ自体を間違っているとも思えないし、全てを批判できるわけでもない
だけど、現実はもう少しだけ複雑だと思うんだ

「神様が、特別な恵を与えてくれた」
この言葉に傷つく人も多い

病気が癒された経験がある人は、大々的にハレルヤと叫ぶ
その傍らに、末期的な癌で死に掛けて癒されない人がいる
お金が無い時に、不思議とお金が入ってきた!ハレルヤ!
スラム街では少女が体を売って、お金を得ている
就職できた、ありがとう神様!
ネットカフェで寝泊りする、彼は?
私のこれまでの人生は、本当に祝福されています
私のこれまでの人生は、実父に性的虐待を受けてその上二十歳を迎える前に殺されました

嗚呼、ハレルヤ

現実はこんなものだ
気の持ちようか、信仰の問題なのか
何が問題で、失意の内に死んでいく人が存在するのだろう
神様が素晴らしいことは分かっているよ
だけど、君の人生が素晴らしいことは聞いていない

ひがみと仰るかもしれない
まさしくその通り、僕はひがんでいるのです
恵まれた人生を送っている君に
そして、それが信仰であるが故と言っている君に
運じゃなくて、自分の信仰が君の人生を祝福していると言っている君達に嫉妬しているのです

と、まあ正直な気持ちと一緒に純粋な怒りも覚えるのさ
ブログでも何でも、傷ついているであろう人たちに平気で無神経な言葉を吐く人間もいる
全部じゃなくて、一部だけだけどね
そいつは、キリスト教が問題なのかい?それとも、そいつの仕業かい?
一部の個人のせいにして、自らを省みないのならばそいつは変だ

もう一回、傷というものを考えてみよう


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話し合える場を作りたい
ブログ村を読んでいると、クリスチャンの世界でも色々あることが分かる
意見を持つもの、反対するもの
それを受け入れるもの、受け入れないもの
色々話したいことがあるのだろう

だけども、実際はなかなか話せない
会って話すのも出来なければ、メールはすぐに帰ってこなくなる
この状況は、どうなんだろう?
もっと、もっと話すべきじゃないのか?

という分けでそういう場をネットの世界で作りたいと思います
今のところ考えているのはレンタル掲示板で行なうこと
賛同してくださる方、また手伝ってくれる方がいましたら
hitoemabuta56@yahoo.co.jp
まで、メールしてください
僕は、パソコンの知識はさっぱりなのでお願いします

コミュニティの内容は、キリスト教を「基礎」とした「話し合い」の場を作りたいと思っています
「聖書に書いてあるから間違っている」もOKですが、それだけでは駄目な場を作りたいと思います
また、哲学、物理学、ゲーム理論からのアプローチもOKにしていきたいと思います
あくまでも、話し合いの場

ブログを書いている、ブロガーの皆さんに是非参加して欲しいと思います

どうなるか分かりませんが、よろしくお願いします

※追記
mixiとか、子羊の掲示板とか色々あるじゃないか
と言われるかもしれませんが、正直特定のイデオロギーに染まりすぎなので、それらを撤廃したものを作りたいと思っています



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偽りでも楽しめる
今日は久しぶりに、バイトをした
バイトの内容は、あまり公な場では言えないもの
しかし、誓ってやましいことはありません
ただ契約上、言ってばれると困るものです

とにもかくにも、それはいわゆる「偽って楽しむ」お仕事
それをするには、偽りの笑顔と偽りの態度が必要になります
まあ、それでも楽しもうと思えば楽しめる
多分、相手は完全に騙されたと思う

その姿を見ていると、かわいそうになる
それと同時に本人が楽しければそれでいいかもな、とも思う
だけどね
ふと、クリスチャンの姿が思い浮かんだんだよ

正しいが間違っていようが楽しんでいる姿
いや、「正しい」のを前提に楽しんでいる姿
そこに、信念とか揺ぎ無いものを見たときに美しさは感じるんだ
だけれども、事情を知っているこっちはどういった気持ちになればいいんだい?

もし、偽りだとしたら
そういう疑念を抱いたら
どうやって、楽しめばいいんだい?
僕は、それをどういう気持ちで見ればいいんだい?
神様は僕等はをどういう風に見ているんだい?

美しさと同時に存在する哀しさ
僕は、分からないよ



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金融危機と政治不信
思えば、ブログ村で今回の金融危機の話をあまり聞かない
日本の政治についても、クリスチャン村で話すような内容じゃないから仕方が無いのかな
だけれども、少し書きたいことがあるので書いてみる

今回の、金融危機の発端はアメリカのサブプライムローン
後は、韓国政府の二枚舌と欧米が日本の忠告を笑い飛ばしたせいか
貯金から投資の時代、グローバルの時代
そう言われていた
だけども、ウォール街に人達っていうのは僕等が想像もつかないぐらい頭が良いんだろ?
なのに、今回のことを予想できなかったのはやはり群集心理によるものなのかね

しかしながら、今回のことは仕方が無いんだろうね
本来、産業を支えるはずの株や証券
それ自体が、第一次産業になってしまったんじゃいつかは崩壊が来るのだということがよく分かった
リスク分散と、産業の活性化が目的の株や証券
だけども、そいつが金儲けの手段になってしまい頭の良い人材が流れ込む
これからの時代は、本来の第一次産業がより大切になってくるんだろうな
世界恐慌にはならないかもしれないけど、リスクはどこも同じ

そうだ、韓国関連の株を持っている人は11月になる前に処分した方がいいと思う
多分、紙くずになるか、もっと価値が下がる
ロッテ関連も、危ないような気がするよ
底値の今のうちに株を買っておけという声も聞こえる
だけども、個人的には規制が厳しくなって今みたいに簡単に売り買い出来なくなると思うんだ

そして、政治の話
この間テレビで「今の若者は政治の話をしない」と言っていた
冗談じゃない
僕等の仲間内では日に2回は政治の話をしている
それも、日本だけじゃなくて世界情勢の話だってしているよ

なんだって、政治に無関心みたいなミスリードを誘うんだろう
マスコミを見ていると、扇動しているんじゃないかと思うときがあるよ

与党も野党ももなんだかな、という感じだよ
原油価格も下がっているしね
金融危機だというのに、解散総選挙をしたら駄目なのは素人にだって分かるさ
国民的には、選挙活動をするよりも今は与党野党が一致団結して、危機を乗り越えて欲しい
逆を言えば、解散総選挙ばっかり言っている政治家は個人的に信用できない

多分、クリスチャンの若者達も選挙権持っている人たちは考えているは思うんだ
だけど、ネットで情報の交流が出来るのだから正直聞きたい
今は、伝道の話よりかはそっちの方に興味がある
どうでしょう、僕はこの世に毒されているのかな




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完璧しか好きになれない
今回のことは、クリスチャン、ノンクリスチャンはあまり関係が無い
人間っていうのは往々にして、完璧なものしか受け入れない
そして、その完璧は神様が定めた完璧ではなくて
人間が求める完璧
もっと言うのならば、個人が求める完璧
条件と言ってもいいかもしれない

その完璧から、外れている人間の言葉は聞かない、聞こえない
そして、受け入れない
例えば、見た目が爽やかで、言動も爽やか、ボランティアなども積極的に行なっている
しかし、性風俗に通っている
そういう人の言葉を、信用できない人もいる
そういうことだ

どんなに良い人でも、自分にとって駄目なところがあれば全てを否定する
プライドを守るためか、アイデンティティを守るためか
理由は様々だけど、人間ってのは放っておくとそうなるものだ

クリスチャンだったら、ノンクリスチャンの言動を受け入れないこともこれに当てはまる
そう、人間は色々なものを受け入れるのではない
「自分が受け入れる事が出来るいろいろなもの」
それを得ている

つまるところ、自分を否定しない限りそこに成長は無くなるという事だ
自分を肯定できるものだけしか受け入れないということは
今ある自分以上の何かにはなれない

成長したいと言うのなら、自分を否定しなきゃ出来ない
それも、心から
言うなれば、自分に絶望しなきゃ
成長したいと言っている人たちの望むような成長は出来ない
それは、クリスチャン、ノンクリスチャンは関係無いと思っている

存分に、自分を否定して自分に絶望してください
君は確かに価値ある存在だけれども
自分を内なる心を否定するのは、神様か君にしか出来ないんだから
しなければもったいないよ







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スキャットマン・ジョン
僕が最近、尊敬するようになった偉大な人
それが、スキャットマン・ジョン
以前、日本でもブームになったから知っている人多いと思う
プッチンプリンのCMの曲が一番覚えている人が多いと思う

彼を尊敬する理由
彼は、吃音症(どもり)を患っていた
その結果、内気な子供は卑屈な青年になり、音楽を用いてコミュニケーションをとるようなった
しかし、アルコールとドラッグに溺れた
そこから、開放されたとき遂に彼は遂に自分の吃音と向かい合った
その結果、吃音をスキャットとして、新しい音楽を生み出した

というのが、語られる偉大な部分だ
とても、素晴らしい
だけど、僕が尊敬しているのはそこだけじゃない
彼が、誰よりも真っ直ぐに、そう真っ直ぐに「人間愛」を歌うことに僕は尊敬を覚える
彼の歌詞にはそれこそ、愛が溢れている

理想の世界(Scatman's world)を語るときにの彼の言葉は、優しい
弱さを克服することが主題じゃない
彼にとっては、愛が主題だった

僕は、それに尊敬を覚える
過去を受け入れ、自分を受け入れ、それを乗り越える
それなのに、その経験よりも愛を歌う
その彼の根底に流れる精神こそが大切なのだと思う

僕に吃音症は無い
これといった障害も特に無い
アルコール中毒になったことも無い
ドラッグはやった事すらない
だけど、彼の精神は受け継いで生きたい
その精神は、何があったとか何かを乗り越えたとか、何をしたとかそういったものを超えたものだから
僕は、そう思うから

スキャットマン・ジョンのような思いを受け継ぎたい









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どん底から這い上がってきた話は、時には毒さ
クリスチャンの言う話の中に、どん底から這い上がってきたというものがある
それは、それ自体はとても素晴らしいし、否定するものではない思う
だけど、それが万人にとって誰でも起こることにしてしまったら、毒になる

だって、そうだろう?
現実に病気が癒された人がいて、その話をする
そして、祈って癒されない人がいて傷つく
神様の意思じゃなかったと、言えばまだ優しい
信仰が足りないからと悩む人に、そうだと言う信徒もいる

自分が辛いことを乗り越えてきたのは、それでいいさ
だけど、そうなれない人は消えていくしか道が無いと思わないかい?
ハレルヤと君が叫べるその後ろには、その言葉で傷ついている人がいると思わないのかい?

とても、恵まれた人生を送っている
神様が全てを備えてくださった、ハレルヤ!
同じことを発展途上国の餓死しそうな子供の前で言っておくれ
神様を信じたら素晴らしい、人生が待っているよ言っておくれ
そういう子供に必要なのは、信仰かい、水かい?

じゃあ、今の日本人に必要なものは信仰だとはっきり言えるのはなぜだろう
水や食料に満ち足りているから、次は心が飢え乾いている?
日本は病んでいる?

冗談じゃないよ
犯罪が少なくて、地下鉄の中で寝ていられる
犯罪は年々減っていっている
自殺者が多いのは、貧困のせいで精神性の問題じゃない
さらに、世界でも有数のモラルを有した国だ
その日本が病んでいるだって?
君の脳内が病んでいるとしか思えないよ
それとも、君はキリスト関係以外の悩み苦しみは全て害悪だとでも思っているのかい?

恵まれない人に、嫌な現実を突きつけて
なおかつ、恵まれている人にはあなたは病んでいると言い放つ
おかしいと思わないのかい

僕は、おかしいと思うよ





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神様が何を望んでいるのか分かるのかい、それは凄いね
クリスチャンは、神様の望みにそって歩いていくもの
聖書から、祈りからクリスチャンは神様の想いを知ると
うん、その信仰はとても良いよね
僕も、その信仰だ

だけど、それが確信になったときにおかしくなる
何度も言うけど確信なんざ毒にしかなりやしない

「私の道は、タレントは、神様がこう備えてくださっている」
ユースでもよく聞く言葉だけど、正直若造の僕等が、確信を持った言葉を言っても説得力が無い
しかも違ったら、違ったで神様が別の道を示してくださった、ハレルヤ!だろ?
おいおい、前の確信はどこへ行ったんだい?

「~が私の使命だ!」
いやいや、そんなものは存在しないんだよ
なぜなら神様は偶然性という要素をこの世界に作ってしまっているし
君が何をしたいか思うかは自由だけど、それが保障されているなんて思ってしまったら間違いだ

それを保障するのは君の信念さ
神様じゃない
そろそろ、自分たちが何を言っているか記録する時が来たと思うんだ
無責任にハレルヤと叫びすぎだよ






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愛しているんだ、嘘じゃない
君の事を愛している、嘘じゃない
愛が何かはと問われたら、君を思っているとしか言えないけど

君の事をめんどくさいとも思うよ
心が弱い君だと思う
だけど、僕は君の優しい人になりたいのさ

優しい君よ
僕も君の優しい人になりたいのさ

君の弱さが愛しいよ
君の涙が、心に辛い
拭いたいと思う気持ちは、嘘じゃない

僕は、君のことを愛しているよ
それは、嘘じゃない
なぜかと問われたら、君は素晴らしいからとしか言いようが無い
僕の世界では、君はとても素晴らしいんだ
だから、分かり合いたい
僕は、君を愛したい
そして、分かり合いたいんだ

だから、殻に閉じこもらないでおくれ
僕の殻は、開くから
君の大切なものはなんだい?
それは、世界よりも大切なのかい

共に歩く子の世界を
救いたいと思わないかい?
皆が笑って、慈愛と幸福に満ちた世界
それが、あれば素晴らしいと思わないかい?

無理だと思うのなら、実現に向けて歩きたくなるものさ
僕は、君と君達と歩きたい
ああ、僕はそういう世界が見たいのさ

それだけなんだよ






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自分はどこまでいってもエゴイスト
僕等はどこまでいってもエゴイスト
僕は、そう思う
神様を信じる理由
それがなんであれ、僕という存在がいなきゃ信じることは無い

神様が何かをしてくれるから
神様が何かをしてくれたから
どれも、僕という存在が無くてはならない
もし、神様の恵みが何もない状況で
君は神様を信じるかい?

違うのならば、僕等はエゴイストだ
そして、信じるということ
それは、物事を自分の思っているように自分の中で決めること

自分の中では正しい
だけど、他には正しくない
世界とはそんなものだ
科学でさえ、全ての証明は不可能
だから、科学すら信仰だ
宗教なんて、もっと信仰だ

だから、共通の認識が無ければ他の人なんて価値が無い
その共通の認識が信仰なのが、クリスチャン
だけど、悲しいことにその共通の認識を持たないものにはクリスチャンといえど厳しい
簡単に価値が無いと断ずる

僕は、あえて言おう
そんなものはクリスチャンじゃ無い
愛の反対は無関心だとマザーテレサは言った
人の何か一つでも価値が無いと判断すれば、またそれも愛ではない
しかも、それを自分のエゴイズムだとも気がつかずにそうするのは、もはや傲慢としか言えない
僕は、そう思うよ

僕等は、個々人だ
だから、エゴイストだ
それなのに神様を信じているから、ハレルヤと叫ばれても
僕は、何も言えなくなってしまうよ




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やあやあ、変革の時の鐘をならせ
僕は、キリスト教が入っている大学に通っている
普通の大学だけど、キリスト教系の授業が入っている
だから、昨今のキリスト教系の事情が分かる

まず、福音書のイエス様の言葉は、弟子達が後から追加したものがあるってのは間違いないってことだ
それだけど、熱心な福音派は反発を覚えるだろうね
聖書は全て正しくなきゃ、自分達の信仰が崩れてしまうから
だけど、よく考えておくれ
「聖書の全てを信じる信仰」から「聖書の全てを信じなきゃいけない信仰」になったのはいつからだい?

定説だからかい?
だけど、カトリックは?
プロテスタントのルターだって、ヨハネ福音書を否定したり
死海文書に、イエス様の記述が無かったり
色々変革の時が来ているんだよ
それは、間違いないんだ

君のアイデンティティを崩したくなんか無いよ
君を傷つけたくなんて無い
だけど、現実なんだ
君の現実とは違うのかもしれないけど、社会的な現実なんだ

それを受け入れないコミュニティで一緒になって
社会的な現実を、拒否していくと
待っているのは馴れ合いさ
否定を許さない世界

そいつは、おかしいんだよやっぱり
変革の鐘ってのは鳴っているんだ
考えてみてくれよ、なんで聖書の神学の議論が色々あるのか
人間的な都合だけだと思うのかい?
知識を蓄えておくれ
分かり合いたいんだよ
プライドを捨てておくれ
自分の信仰を疑っておくれ

そうした先に待っているのは、確かに辛い道さ
今の信仰よりも辛い道さ
だって、神様が良く見えなくなって、自分の信仰が信仰だけだってなっちまうのだもの
だけど、そうしないと世界が救われないんだ
世界が救われないんだ
キリスト教以外を否定しても世界は救われないんだ

そのために、命を魂を投げ出しておくれと僕は言う
それも、傲慢に
ああ、悲しい
なんだって、はぐれるんだろう
なんだって、はぐれるんだろう
なんだって、君と分かり合いたいのに君を否定しなきゃいけないんだろう






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君は何になりたい?僕は金持ちになりたいよ
君は何になりたいんだい?
クリスチャンの若者に問いかけたいんだ
リバイバルを成功させることかい
周りの人間をクリスチャンにすることかい
この日本をキリスト教の社会に変えることかい

その先は?
リバイバルが成功して、なお余命が残っていたら何をしたい
リバイバルが成功しても、名誉は得られないよ
栄光は全て神様のものだから
後は、幸せに生きるだけかい
うん、それはとてもいいね

でも、幸せに生きることが君の目標なのかい?
それは、自分中心になってしまわないかい
よく考えてくれ
例えば、このよの社会が全てクリスチャンの世界になったとして
君は何をする?

僕は、金持ちになりたいよ
お金が無いと何も出来ないからね

ノンクリスチャンがいる世界だから、君のアイデンティティが成り立っているとしたら
それは、少しずれている
君の夢はなんだい?
夢のその先は?

常に考えよう
未来を考えよう
行き当たりばったりはもうたくさんだ





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ねえ、聖書以外の価値観って駄目なのかな
世の中には色々な価値観があるのは当たり前の話だ
その中には、僕等が辟易するものもある
クリスチャンとしては、到底受け入れられないものも

例えば、ドラッグなんかは特に聖書には記述が書いていない
だけど、一般的には駄目だと言われている
でも、例えばオランダではマリファナは合法だし
アフリカの部族では、宗教的な儀式にサイケデリックを求めてドラッグを使う
むしろ、数々のドラッグより砂糖や塩の方が人間の死亡に関わっている

性的な趣味もそうだ
例えば、性同一症やゲイやレズビアンに限らず
SMを使い満足感を得ている人
SMっていうのは、肉体よりもむしろ精神的なものだと思う
だから、それで繋がっている恋人達の気持ちは理解できる、共感は出来ないけれども

音楽なんかもそうだろう
ロックやパンクは一昔前までは退廃的と捉えられてきた
だけど、最近ではクリスチャンロックなんていうものもよく聞く
でも、神様という言葉を入れない歌は価値が無いのかな
そんなはずは無いよね
音楽は音楽であることだけで価値があるはずだもの

そして、僕は煙草も吸うし酒も飲む
というより大好きです
べろべろになるまで飲まなければ大丈夫だと聞くが
僕はべろべろになるまで、飲むことがある
それを許してくれる仲間と一緒にべろべろになる
それ以外の場では、むしろ面倒をよく見る
煙草も吸う
煙草でも吸わなきゃやってられない時があるから
僕が本当に絶望した時、神様に助けを祈っても何もなかったが
煙草を吸ったら少し落ち着いた

聖書に当てはめようとしても、全部載っていない
だから、神様の基準で考えろとよく聞く
だけど、何が喜ばれるのか分からないよ
神様のために死ぬのはOK
でも、その他の理由以外で自分を苦しめるのは駄目
そういうことかな
なんだか、僕等の意思が無視されている気がしてならない

聖書以外の価値観をろくに知りもせずに自分の生理的嫌悪感で裁いていることがあると思う
昔は、僕はSMなんて理解できなかった
ドラッグもただ快楽だけのものと思っていた
音楽も神を賛美する以外のものは価値が無いと思っていた
だけど、最近おぼろげだけで世の中の色々素晴らしい側面に気づいてきたんだ

それを否定して、神様をと言っても始まらない
その側面を見て、神様を賛美して
そして、受け入れて
その人を「完璧」な目でなんて見ないで
世界を理解しよう

そう思った





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僕の生まれた意味
神様を褒め称えるために生まれた
伝道をするために生まれた
神様のために生きていく

そんな言葉をよく聞く
だけど、そんな言葉は僕は吐けない、吐き出せない、吐きたくない
一見、敬虔なクリスチャンに見えるだろう
だけどね
結局のところ、その理由によるんだよ
幸せになりたいから
その理由だとしたら、自分にとって一番良い道を選んだだけ
結局のところ中心は自分だろう?

それなのに、否定するんだよ他の人たちを
自分達が持っている幸せ以外を否定するんだ
数多くのノンクリスチャン達が残した恩恵にぶら下がりながら
それなのに、ハレルヤと叫びリバイバルを謳う
僕は、その姿はたまらなく嫌いになる

神様に感謝するのならば、神様が創りたもうた人間にも感謝しろ
キリストを救い主と崇めるのなら、君等が言う救いにあずかれなかった人たちに尊敬の念を
この資本主義の世の中に、ブログでメッセージを発信し、受け取れるのはその人たちの苦しみのおかげなのだから
僕等は神様から恵を受けているだろう
だけど、ノンクリスチャンの苦しみからも恵を受けているんだ





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クリスチャンってなんだろうね
最近、自分がクリスチャンであることに疑問を覚える
というより、クリスチャンであるってことはなんだろうと思うんだ
熱心な教会で聞いた話
クリスチャンって言うのは「キリスト馬鹿なんだよ」
初代教会の時代に、キリスト、キリストばっか言ってたからクリスチャン
自称じゃなくて、他称か

でもさあ
僕等って本当にキリストをイエス様を知っているのかな
Q資料が現存していればいいのに
死海文書にも、イエス様の記述はものすごく少ないらしいじゃないか
なんだかなあ、と思うんだ

知っていたら、こんなに神学が分かれていないだろうし
今となっては、聖書以外にイエス様を知ることなど出来ない
聖書を疑うなんてとんでもないと思うかもしれないが
だけど、疑わなければ信仰なんてありえないと思うんだ

僕は、もう無責任にハレルヤとも叫べない
確信から信仰になってしまった
だけど、それでいいと思うんだ
いつか、時代が全てを明らかにしてくれるさ





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神様が僕に良いものを与えてくれた? じゃあ、ハレルヤとは叫べない叫ばない
僕のこれまでの人生の中で
恵みという恵を神様から来た覚えは特に無い
いや、正確にはある
だけど、それは人が与えてくれたものの中に、僕は神様を見た
それだけの話だ

僕は不細工だ、良く言えば三枚目
だから、気さくになった
僕の家は貧乏だった、借金すらあったよ
だから、お金の大切さは知っている
僕の家は母子家庭だ
だから、男女の愛のはかなさも知っている
僕は元不登校児だ
だから、一人ぼっちの辛さが分かる
親父が中三の時に死んだ
だから、親を亡くす悲しみも分かる

この辺かな、不幸自慢をするとしたら
だけど、「だから」に続く知っているだとか分かっているとか言う言葉はクソッタレだ
というより、嘘っぱちさ
僕は結局、自分の世界のことしか知らない
というよりも、その体験で分かったり知った気になっている自分がいるとしたらそれこそ反吐が出る

それに、僕は別に不幸を体験していなくても僕は多分こうなっている
僕は不幸自慢をすれば出来る、客観的に語ればね
だけど、僕自身はとても幸福に生きてきた

なぜなら、僕の周りには良い人が多くて
どんな境遇でも、愛というものを感じることが出来たから
心を傷つけられることもあったさ
だけど、結局のところ人の心の根源的な愛に救われる
というより、未だに信じられるだけのものは見ている

その時神様が何をしてくれたかって?
特になにもしていないんじゃないかな
助けてくれと願っても、状況が良くなったことは無かったよ
柱に頭を打ち据えた方が、傷みで気がまぎれてましだったよ

だけど、僕は神様に感謝している
僕という存在、そして僕の周りの人々の存在があることに
それだけで充分だ
特別な恵とかは、これ以上望むはずも無い
一番欲しいものは、すでにここにある

神様が与えてくれたもの
それは、存在と意味
それだけで充分だ
生きていることに価値がある
それなのに、自分がやりたいことを出来る
まあ、挫折もあるけどそれなりにやれてはいる

あとは、努力や運や才能や腕力や権力の世界だ
何でもいい
「力」は必要になってくる

だけど、それを蓄えられる能力は生まれた時からある
存在させてくれてありがとう、神様
そいつだけは、本当に感謝しているんだ

良いものを、恵を与えてくれるからハレルヤとは叫べないけど
僕はあなたのことがとても大好きですよ

正直、人生は楽しいよね







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遠い目標へ、手段も無く、道も無く
人は、心の支えが無くちゃ生きていけない
だけど、心の支えは諸刃の剣だ
僕は、それを身をもって体験している

自分にとって、素晴らしい体験
それを得て生きてきた
自分にとって、苦しい体験
そこを乗り越えて生きてきた

強烈な人生体験は人格を作る
思想を作る、信念を作る、価値観を作る、ふとしたときの考えを作る
だから
それらをおかしいと言うと、自分の歩んできた人生まで否定されたように感じる
それを、誇りだとかプライドだとか言う言葉になる

クリスチャンもそれに漏れない
自分が辛い時を楽しい時、その全てにキリストがいただろう
だから、自分の考えを否定されるとキリストを否定された気になる
だけど、否定しているのは君の考えだけなんだ
君自身の人生
ましてや、キリストを否定するつもりは無いんだよ

だけど、結局は否定になるのかな
自分の許せないところを許すのと同時に
自分の大切なものを自分で否定することも大切だと思うよ
自分を価値あるものと考えて
自分を価値の無いもの捉える

だけど、こんなこと面と向かって言えやしない
相手を自分に対して無知だと言っているのと同じだもの
だけど、それすらも僕の考え
だから、余計に相手に言うのがおこがましく思える
だから、僕はこの場で吐き出している

伝え方が分からない
どうやれば、君が幸せになれるのかが分からない
どうやれば、君と一緒に他人のために働けるんだい?
どうやれば、世界平和になるようなことが出来るんだい
どうやれば、君は人を否定しなくなるんだい

愛し合いたいよ
本当に






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パラドックスとは戦えない
信仰と、知識、そして愛
僕の思想信念に必要なものが、この三つだ
だけども、その中の知識
これは、本当に必要なのだろうか

知識が無くても、信仰があれば天国には行く
そのことになんの不満がある?
身勝手に生きて、その罪の結果地獄に行くところを、あなたは信仰によって救われる
それだけでも、大きな恵なのに僕はまだ何かを求めるというのか?

ええ、その通りです
僕はそれ以上に何かが欲しいのです

自分が好き、他人が好き
自分が嫌い、他人が嫌い
自分のために何かしたい、他人のために何かしたい
自分なんてどうでもいい、他人なんてどうでもいい

そういった気持ちが矛盾しながら、僕の中に確実にあるんだよ
パラドックスとは戦えないパラノイア
語感がいいよね

だから、もっと知識が欲しくなる
今以上に、何かをしたい、何かを見たい、何かを聞きたく、何かを捨てたい
そうやって、知識を得てくと信仰の大切さがとても分かる
それと同時に、信仰のはかなさも分かるんだ
だから、根源的なもの
愛が欲しくなる

そして、分かりたいと同時に分かりたくない
愛の正体を知るのがとても怖い
だから、いつまでも分からないものにしておきたいのに答えを探す

そういった感情を持つのは蛇足なのかな
知識よりも信仰のほうが大切なのかな?
だけど、ジンバブエのハイパーインフレは知識不足によるものだよ
そして、それを救うには知識が必要になってくる
もちろん、大切なものは愛だと思うよ
だけど、飢えた子供がいた時に魚を与えても釣りの仕方を教えてやらなきゃ結局飢えて死ぬんだ

僕は、出来ることなら世界平和が見たいよ
でも、世の中の人を全てクリスチャンにして世界平和になる道はどうしても見えないんだ
それをやるとしたら、戦争しか見えてこない
だから、もっと何かが見たいんだ







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