君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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伝えたいことが多いわけじゃない
ブログランキングが上がりました
秋葉原の事件を書いた辺りに、異様に上がりました
そうすると、人は欲を出すもの
どうやれば、ランキングが上がる記事が書けるかなんてことを考えてしまう

いつも同じことを言っていたら飽きられるな
それとも、またニュースか何かを取り上げるか
そんなことを考えていました
それがどれだけ愚かなことかを知っているはずなのに

僕が伝えたいことなんて、そう多くは無い
互いに愛し合おう
その「互い」に必要な君が生きていることが嬉しい

僕が言いたいこと、伝えたいことはそれだけだ

ランキングに気をとられて、大事なことを忘れていた
そのために既存のキリスト教を批判もする
そのために必要な知識をひけらかしたりもする
そのために更新もしたりする

だけど、伝えたいことえを伝えることができなくちゃ何の意味も無い
このブログをはじめた気持ちを久しぶりに思い出した

だから、改めて言いたい

君が生きていることが何より嬉しい
君が生きていることが何よりも素晴らしい

なぜかって?
互いに愛し合う可能性があるからさ
無理かもしれない、無理じゃないかもしれない

だって、そうだろ?
クリスチャンにだけ愛したいという気持ちが湧き上がるはずが無い
クリスチャンにだけ憐れむ気持ちが湧き上がるものなのかい

僕等は単なる人間
愚かで罪深く、なかなか反省が出来ずに
神様の想いすらさっぱり知ることが出来ない

だけど
それでも、愛し合おうとするその姿に何よりも美しさを見るのさ

そう、何回でも言おう
クリスチャンだけの一色の世界
そんな世界に僕は美しさを見出せない
僕等にとって、色がばらばらで散り散りに見えるその様も
神様から見たら、一枚の美しい絵に見えるはずさ
だって、その絵を描いたのは神様なのだもの

互いに愛し合うために
互いの範囲をせばめないために

僕は、問い続ける
愛とは何か
互いとは何か
神様の想いとは何か

そうして生きていく
それが、とてもとても楽しいんだ


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友に向けて、何かを言いたい
幸運なことに、僕には友達がいる
気の置けない友達が何人もいる
それは、とても嬉しい

しかし、その友達全員と心からの信頼関係が作れているとは言えない
昔は、心から親友だと思っていた人と疎遠になっていることもある
今まで友達だと思っていたのが、何を持ってして友達と言うかを忘れてしまったこともある

裏切ったり、裏切られたい
理解したり、分からなくなったり

結局そんなことの繰り返し
そんなことは、10代にさよならしたあたりぐらいから分かっていて
別にこれといって、取り上げることではないのだけれども

やっぱり、少し悲しくなる
友達と心からの信頼関係を作りたい
でも、そんなことは無理だと分かっている

だけど、そうやって世界の断絶を知りつつ交流をしようとするのが僕は好きなんだ

思想が違うから、疎遠になりたくない
感覚が違うから、遊べないのは苦しい
金が無いから、一緒にいられないのは嫌だ

だけど、それでもなお友達だと言いたいよ

一度あったら、友達で
毎日あったら兄弟さ

「NHKのお母さんといっしょ」でそんな歌があったな
人間関係なんてそんなものさ

友達に何か言いたい
遊びに行こうよとか
今何してる?とか

そういうことじゃなくて
何か、もっと大切な一言を言いたい

それがなにかはまだ分からないけど


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僕が居なくても歴史は動く、そんな嘘に騙されるな
この世の中で、自分が無価値だと思ったことが何度もある
自分がいなくても、世界は正常に回っている
自分は未来に何の影響も及ぼさない
そんな嘘に騙されていた

過去の人物が、もし少しでも別の行動をしていたら僕は生まれていなかった
全ての人が想いのままに生き
そして死に
何億という想いの結果、僕等は生まれた

次の担い人の僕等も同じだ
僕等の結果で未来が全く違うものに変わる

だから、僕等の存在は決して無にはならない
僕等が生きていること自体が、未来に影響を及ぼす

ハレルヤと叫ぶか、神を呪うか
それだけで、未来は全く違うものになっていく

それならば、どうせなら良い方向に未来を変えたい
小さすぎる想いでさえ、時に奇跡を起こすことが科学的にも立証されている
散逸構造論が希望を与える

だから、少しでもこの世界が良くなるように祈りたい
未来を創るのは、まさしく僕等なのだから
この、神様に与えられた自由意志が未来を創っていく

それはまさに神様が世界を創っていくに等しい
嗚呼、そうか
僕等は世界を創る権限を与えられているのか
だから、皆神様の一部なのか

人も石も動物も木も全てが世界を創っていく
なるほど、通りで世界を見たときに神様の姿が見えると思ったよ

悲しいけど、良い世界だ
信仰と希望と愛さえあれば、なんとか生きていける気がしてきた



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罪が何かがそんなに重要なのかい
罪とは、何をもってして罪なのか
「神様の意にそぐわないこと」
それが罪だと、僕は教わってきた
そして、その根源的なものが十戒だと

確かに、十戒に書かれていることはそうだろう
それは、きっと罪なのだろう
しかし、それでも疑問が残る

なぜ神様は人は人を殺してはいけないということにしたのか

全ては神のものだから?
被造物が被造物を殺す権利は無い?
おかしい、ならばなぜ自由意志を与えられているのか

そう、神様の考えていることはさっぱり分からない
というより、今の時代の時点で分かっていてもそれはそれで困りものだ

聖書に書いてあるから罪だというのは、そろそろ止めにしないか
神様の全てが、あんな薄っぺらい本に収まるものなのか
森羅万象全てを創った神様が、あの内容で納まるのか
それについてははなはだ疑問だ

罪は確かにあるのだろう
しかし、それを僕等は知ることは出来ない
なぜなら、神様の想いを完璧に分かる人なんてイエス様以外いやしないのだから

だから、罪がどうだとか言うよりも
何が愛かを探そうよ
そして、イエス様の贖いの本質を探ろう

他人を貶めても、自分の評価が上がるくらい
自分を貶めても、他人の評価が上がるくらい

それなら、貶めるのをやめればいい
何が罪かだとかは、分からないということにしておこう

その方が、まだ話せる



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この虚しさをどこへやるのか
どんなに、幸せに生きていても
どんなに恵まれても
信念により、どんなに自分を肯定しても

どうやっても虚しさはつきまとう
うまくは言葉に出来ないけれども
胸が妙な感じになるのは、自律神経のせい

分かっているけれども、虚しさはすぐそこで笑っている
僕を見ながら、せせら笑っている

綺麗事を吐き
行動が伴わず
自分の過去の過ちを正当化し
他人に妄言を撒き散らす

エゴイストであることを望みながらエゴイストである自分を嫌がる

虚しくもなるさ
だけども、こんな虚しさも僕のもの
嫌なものだけれども、消してしまいたいとも思わない

浸っていると言われれば、確かにそうだろう
だけど、それが悪いとは思わない

明るく生きなきゃいけないわけでもない
豊かに生きたいわけでもない

虚しさも僕の、一部
神様が与えてくれた、僕の一部
それを受け入れること

それが僕にとっての解放
僕にとっての救い
そう考えると、少し嬉しくなる



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ハレルヤと叫ぶ前に、君の存在を喜びたい
そう、ハレルヤと叫ぶ前に君の存在を喜びたい
君が生きている

神様がくれた、一番大切な贈り物
君がいてくれる、生きていてくれる
僕がいる、生きている

僕は孤独じゃない
僕等は孤独じゃない
君は孤独じゃない

なんて、嬉しいことなんだろう
僕らは一人じゃない
一人じゃないんだ

この世界が、僕一人のものじゃなく
君と分かち合える喜び
話せる喜び
共に泣ける喜び

分かち合える、この喜び

全ての「君」にありがとう
生きていてくれて
全ての「僕」にありがとう
生きていてくれて

神様の前に僕等は、共に意味を持ち
共に生きていける

この、悲しい世界に

なんて、嬉しいのだろう


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秋葉原無差別殺傷事件に思うこと
前回、どちらかといえば公的な目でこの事件のことを書いた
だけど、今回は私的な目でこの事件を書きたい

僕は合気道をやっている
去年三段の資格を取り、指導士としての資格も持っている

だけど、僕が実際その場にいて彼からナイフを奪えるのだろうか
短刀術は習っている
ナイフを奪う術は知っている
だけど、それは使えるのだろうか

万が一、うまくいったとしても僕の腕じゃきっと彼の関節を壊すだろう
それは、人を傷つけることになる
力を持っていても使えない

そう、彼に必要な力はそんなものじゃない
そんなものじゃないんだ

必要な力は分かっている
だけど、僕じゃその力は使えない
その力は、彼にしか使えない
彼が、自分で気づいて自分で使うしかないんだ

僕があの場にいたとして
どんなにうまくやっても、彼からナイフを奪うこと以外出来ない
下手をしたら、彼の罪を増やすだけ
あまりに無力

この人間の無力さを
いつか解決できる日が来てくれれば
それだけで、僕は救われる

そう、最近思うんだ
たとえ、地獄に落ちたとしても
きっと、最終的には魂が壊れるだけ
だとしたら、何者にもとらわれずに人の幸せだけを望めばいいと

彼の幸せを願おう
なんでも、いい
誰か彼を肯定してやってくれ

僕じゃ力不足なんだ

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秋葉原無差別殺傷事件
ブログランキング上位の方々が書いていたので、僕も流行りに乗ってみようと思いました。

この事件に対して、「嫌な世の中になった」「若者の価値観が崩れてきた」
はてには、「ゲーム脳」、「オタクの弊害」
などという言葉もちらほらと見受けられる

だけど、僕がこの事件に対しての感想は
「日本って平和な国だな」だ

なぜなら、もしこの事件がアメリカで起きたら?
もし、犯人が銃を持っていたら被害者は恐らく何倍にもなっていただろう
そして、警官がすぐ駆けつけるシステム
応急処置をする秋葉原の人々

そもそも、この事件が話題になることすら、「平和」である証拠だ

そもそも、クリスチャンの方々は誤解していることがある
そもそも、日本の若者の犯罪など増えていない
「神様を知らないから、今の日本の若者のモラルはどんどん乱れている」
と、よく聞くがそれは全くの誤りであるとしか言いようがない

戦後から比べて、少年犯罪は明らかに減少していっている


これは、統計的にもれっきとした事実であり疑いようの無いことである
マスコミが少年犯罪をしきりに流すが、実際のところ犯罪が増えているのは横領のみ
つまり、僕等の上の世代よりも僕等の世代の方が明らかに犯罪を犯していない

それにも関わらず、まるで日本の若者が駄目になっていってるような書き方をするマスコミ
また、クリスチャンは現実を見ていないとしか言いようが無い
それでは、問題ないものを悪く見せて自分達の優位性を説くカルトと同じだ

日本という国の、若者は良くなっていっている
飢え乾いているかもしれない
しかし、それでも犯罪を犯さない強さを彼らは持っているのだ

だから、この国を悪く言うのはやめて欲しい
なぜなら、この国の若者はモラル的に良くなっていっているのだから
凶悪犯罪に目がいってしまい、肝心な部分が見えなくなってしまわないで欲しい
それでは、自分の見たいものだけ見ていることになってしまう

神様がいるとしたら、確実にこの日本は祝福されている
僕は、日本を見たときにそう思う


PS 今回天に召された方のご冥福を心から願います


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知らないことは分からない、ただ分かった気になるだけさ
神様は素晴らしい!ハレルヤ!
そんな言葉を吐くのは楽しい

神様が今までしてくださったことを、証するのは楽しいだろう
病気を治してくれた
生活苦の時に、不思議な助けをくれた
心を平安にしてくれた
助けてくれた
そういうったことを証するのは楽しいだろう

だけど、誰にでもそういうことはあるわけじゃないんだぜ
むしろ、無い方が多い
もし、祈りが叶えられいのは神様がその出来事によってあなたを成長させるためというのなら

最初から、華々しい奇跡を証に使うなよ
治ろうが、治らないだろうが変わらないのなら最初から奇跡など、望むように仕向けるなよ
絶望させておいて、神様の想いを知れなどと軽々しく話すなんじゃあない

神様のことを理解したいと思い、色々な話を聞くことはいいだろう
だけど、結局知ることは不可能だよ
だって、それは他の人の神様で
他の人が理解出来うる範囲の神様なのだから

知った気になるだけさ

神様は、私のために道を備えてくださるという人がいれば
僕は、バタフライエフェクトと言い
神様は、未来を決定していると言えば
二重スリット実験とカオス理論と多世界世界解釈を突きつけよう

あなたの神は誰ですか
あなたは神を説明できますか?

僕には出来ません
あなたが出来るというのなら、その神様はあなたです

聖書を根拠にするのならば、万物を創った神様の全てがあんな薄くまとまるものなのかとお聞きしたいものです。

意地悪を言いたくてたまらない
クリスチャンのアイデンティティを崩したい
だって、クリスチャンだけが救われる世界なんて悲しすぎるから
友達がいない天国
しかし、それでも悲しみが無い僕

その世界が天国か
僕が、行きたいところはそんなところじゃない

僕等は天国も、神様も知らない
ただ、知った気になっているだけさ



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陶器は陶器士のためには働かない
何のために生きているのか
昔までの僕は、「神様のため」と答えていた
しかし、今はそうは言わない

陶器は陶器士のためには働かない
お茶を注いだり、料理を持ったり
そのために陶器は働く

陶器が陶器士の存在を知っていたとしても、知らなかったとしても
その働きに、なんの違いも見られない
見られるものか

それは、神を知っていても、知らなくても
その人の働き、その人の生きる意味が変わるのだろうか
違うとすれば、誇りを持てるか否か
ただ、それだけの違いじゃないのかい

伝道が生きる意味かい
神様のためにハレルヤと叫ぶのが生きる意味かい
神様は自分をあがめさせるために、僕等を創ったのかい
もしそうならば、こんなに悲しいことは無い

僕の意味は、ただ神を崇めるだけ
それも自由意志を持ちながら、自由を許さない
それが、神様かい

僕は、違うと思う
もちろん、神様を信じた方が幸せだ
僕も、神様を信じていなければ生きる理由が見当たらない

だけど
神様は一人一人に生きる意味を与え
その人生を祝福し
何が出来るかを、なんのために生きるか
その人の可能性を、最大限に考慮されるはずだろう

生きる意味は、神様を知ろうが知らないだろうが何一つとして変わらない
神に繋がらないものなど、この世の中に何一つとしてない
自分に誇りを持つこと
それは、神に対して誇りを持つことに他ならない

故に神様は素晴らしいと言える
僕は、そう思う

いつか、枷を外し神様の想いを知れるように
そう、祈りたい


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ただただ慰めが欲しいと思う
何よりも辛いことは、理解されないこと
しかし、理解が不可能だということに気がついた時に
僕は、心から慰められることが無いことを知った

人に求めてもそれは無く
神に求めても答えは無く

ただただ、僕は絶望の中でもがく
絶望の中でもがく

それでいいと思っていた
信仰と希望と愛があれば、それも耐えられると思っていた
しかし、僕は愛がまず分からなくなり
そして、信仰も分からなくなった
希望さえもなくなりそうななか

僕は、何を頼りに生きているのだろうか

それは神か
それとも人か
または、そのどちらでもないのか

僕には何一つ分からない

強さを手に入れれば入れるほど
悲しみは深くなる
知識をませば増すほど
絶望は色を濃くする

僕の時代ではこの闇を晴らせないだろう

どうか、次の時代の担い人よ
この闇を晴らせてくれ

どうか、悲しむ人が一人でも少なくなるように

どうか、次の時代の担い人よ
この闇を晴らせてくれ




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考えることだけはやめられない
この世のありさまを知っているかい
哲学を知っているかい
論理学は
数学は
量子論は
超ひも論は
不完全性定理は
不確定性原理は
カオス理論は

知っているかい

僕も全ては知らない
だが、先人達が残してきたこの知識と知恵が宗教を事実から外してしまった
なぜ、科学を見ずに聖書を見るのか
なぜ、哲学を見ずに聖書を見るのか
なぜ、世界を見ずに聖書を見るのか
世界を、聖書の中に押し付け
神を、自分の考えることが出来る枠の中に押し込め
聖句を使い、人を脅し
愛を知っていると言う顔で、笑顔を浮かべる

なぜ、リバイバルと軽々しく言えるのか
なぜ、他宗教を簡単にサタンと言えるのか
人の枠の中のものは、サタンと言い
聖書を人の枠の中に押し込める

パラノイア

しかし、パラノイアこそこの世の有様
なんて悲しい世界なんだろう
なんで、人間の寿命は短すぎるのだろう
こんなにも、膨大な知識と知恵を蓄えてきたのに
それを、全て理解する脳がないのだろう

脳は枷だ
人間が神に近づくことが出来ぬようにするための枷だ
だからこそ、枷の中の僕等はもがく
もがくことが無意味だとしても
いつか枷を外せる時が来ると信じて

それまでの、世界を悲しいものにしたくない
それが今の望み
次の時代の担い人がこの世に絶望せぬように
そのために、生きていたい

君が聖書を見ている間に、僕は世界を見よう
僕が世界を見ている間に、君は聖書を見てくれ
その二つを合わせてくれる人が、きっと次の世代に現れるだろう

なんて悲しい世界なんだろう
なんて悲しい世界なんだろう

希望を捨てたい
捨てた先には何も残らなく
それを求めるも、拒否し
僕は宙ぶらりんのまま
結局、生きていく
言い訳を作りながら

ああ、神様
なぜ、知恵の木の実を創ったのですか
知恵さえなければ、僕等はあなたの愛をただ受け
それだけで、幸せだったのに

教えてください
あなたのもとに、行った時に
僕は真実が知りたいです



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やっぱり、僕はクリスチャンが好きになれない
僕は、この一重まぶたとは別の名前でMIXIをやっている
その中のクリスチャンのコミュニティにも色々入っているがどうにもやはりクリスチャンが好きになれない
一番そう思ったのが「キリスト教は宗教ではない」というトピックを見たときだった

宗教ではなく、事実だと
彼らはそう言っていた
他のものは、人間が作ったものでキリスト教だけが神様から直接与えられたものだと
そう言っていた
だから、キリスト教は宗教ではなく、心理であり事実であると

だけど、思うんだ
何様のつもりだい、と

キリスト教は事実だとすることは、それ以外を虚構だとすることだ
宗教を否定する、考え方を否定するということはどういうことだと思っているんだい
それは、その人の人生を否定する
それは、その人の全てを否定する
これまでの、努力、優しさ、誰かに注いだ愛、辛さ、悲しみ、流した涙
それを全て否定することになるんだよ

そんな、権利が僕たちにあるとでも言うのかい
なぜ、「信仰者」といわれるのかを分からないのかい
証明が出来ないから、信じるしかないんだよ
本当かどうかなんて「分からないんだ」
だから、信じる

優位性を保ちたいがために、他の全てを裁くなよ
否定するなよ

運や、確立で全てが決まる世界に神様が創ったと思うのかい
キリスト教を事実とした時に、自分が神様になっていることに気づいてくれ
神にしか出来ない権利を、勝手に使っていることに気づいてくれよ

それじゃあ、あまりにも悲しすぎるだろ?
僕等はクリスチャンだっていうのに



PS:ブログで吐き出していると思われるかもしれないですが、ちゃんとmixiの方でも言っています



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死にたいと願い、生きることを選択する
中学、高校の頃、僕は死にたいと願っていた
死ねば天国にいける
だけど、自殺すると地獄に行くから事故死したいと思っていた
気づかぬ間にトラックが僕の方へ来て、痛みを感じる間もなく天国に送ってくれないか
そう思っていた

今でも、少しそう考える節がある
だけど、今はそれ以上に生きたいと思っている
それは、この世界に少しでも良いものを残したいと思っているから
僕が皆に受けた愛を、少しでも後の世の者に残したいと思っているから

それが使命だとか、僕の生きる意味だとか言うつもりは無い
むしろ、そんなことはきっとどうでもいいのだろう
だけど、僕がやりたいからやる
僕の世界では、それが一番大切なことだから

ただ、大学に行き就職をして働き家庭を作りを子残し死んでいく
そんな人生が何よりも素晴らしいということを、ただ伝えたい

自分の人生に疑問を持っている人間を肯定したい
そんな力は無いのは分かっている
だが、想いを伝えることは自由なはずだろう

だから、死んではいられない
生きたい
今は、生きていたい

神のためでも、他人のためでもなく、自分のためでもなく
この世界の中にある想いのために
生きる理由なんてそれだけあれば、死にたくなくなる

今、死んでも別にそれでいい
天国には行けるだろうから
だけど、願わくば生きていたい

願わくば、生きて伝えたい
この世界の素晴らしさ
この世界のくだらなさ
その中であがきながらも見える、人間の愛

それさえ、知ればきっと人は変わる
何も変わらなくても
きっと変わるはずなんだ

だから、生きていたい




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あるはずの無い繋がりを求めた日
哲学を否定する人はクリスチャンの中に少なくないと思う
なぜなら、聖書の中に哲学を否定する箇所があるからだ

コロサイ 2:8 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。

しかし、だからといって哲学を否定していいのだろうか
答えは断じて否であると僕は言う
なぜならば、2000年前の哲学と今の哲学は全く違うからだ

2000年前は「絶対的なもの」があるという立場だった
しかし、今の哲学は絶対的なものはないという立場だ

仮に今のこの僕の人生は全て、そこらの蝶が見ている夢の話かもしれない
この僕という存在など本当は存在していないのかもしれない
そんなことだということもありえる
違うと思いたいけど、それを証明する術なんとどこにも無い

しかし、デカルトがそれを解決してくれた
この世界は虚構かもしれない
しかし、それを疑う僕はかならず残る
この疑う心すら虚構だとしても、それを疑う心をどこまでも残っていく
「我思う故に我在り」
それがこの言葉の本当の意味だ

だから、僕は確かにここにいる
しかし、君がそこにいることは僕には証明できない
君がそこにいるというのは君にしか証明できない
そして、君は僕がここにいることは証明できない

だから、心と心の繋がりなんていうものは証明できず
同じ感情を感じていたとしても
それが本当に同じ感情だということを確かめるなんていことは原理的に不可能なんだ

人間はそれを解き明かしてしまった
悲しい現実を解き明かしてしまった
今まで事実だと思っていたこと
それが全て自分の信仰の上に成り立っている、虚構の存在
全てがそうなってしまった

事実をただ単に事実として捉える信仰は2000年前に終わった

この世界はまやかしかもしれない
単なる、蝶が見ている夢
そうである可能性などどこにでもある

だからこそ、僕は信じている
心と心の繋がりがあると
人と人との間には、絆があると

嘘かもしれないが、信じる
盲目的にならず、冷静に
「お前が信じていることなんて所詮全部お前の世界の話だろう?」
ああ、そうさ
だから、君を理解したい
話し合ってでも
殴り合ってでも
何でもいいから理解しあいたいのさ

だから、事実を前提として捉える今のキリスト教会が嫌なのさ
理解を妨げ、寛容を失い
クリスチャン以外の世界を簡単に否定する、その姿勢が

君の世界は君のもの
僕の世界は僕のもの

だから創ろう、僕等の世界を
理解し、分かり合えたときに訪れるその世界を
全ての人が幸せになれるその道を

君が生きている
そうだとしたら何より嬉しい
「僕等」の世界を創れるのかもしれないのだから



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今日したいことを、今日出来るわけじゃない
クリスチャンとして、生きてきて20年ほど
やりたいことがたくさんある
困っている人の力になりたい
泣いている人の励ましになりたい

そんな思いも、未だにうまくなしとげられない
むしろ、僕が困っている時に力になってもらい
僕が泣いている時に、励まされていることばかりだ

想いを行動に、移せる力が無い
そして、毎日の中でその力を養うことすら満足に出来ない
日々、自分の無力感を噛み締めながらニュースの中で、死んでいく子供達を見ている

何も出来ない

10代の頃は20代になれば、自分は大人になれるのだと思っていた
20代になった今社会人になれば何か出来るのではと期待している
このジレンマはきっといつまでも続くのだろう

自分に何か出来るかと思い
献血に毎回参加し
後輩の悩みの相談に乗り
日々の生活では、場を笑わすために馬鹿なこともする

だけど、それじゃあ人は幸せになれないんだ
その人が自分の人生を幸せだと思えるための何か
それを持ち合わせていないし、伝える術を持っていない

金も無い
知識も足りない
見目麗しい容姿も無ければ
相手を屈服させる弁論の才は、放棄した
持っているのは、心の中にある想いだけ

今この一瞬にも、飢餓で死ぬ子がいる
幸せという、感覚を味わったことのない子供達が死んでいく
病魔に蝕まれ、絶望の中人生を終えようとしている人がいる
満足を得ないままに、人生を終えようとしている老人がいる

なぜ、自分には何も出来ない
想いがあるのに
なぜ、自分には何も出来ない

だから、それを探して人と話す
キリスト教だけでなく、哲学にも手を出した
仏教の教えに心を動かされ
それでも、キリストの救いにしがみついている

変わってしまった信仰
知識を蓄えれば蓄えるほど、増えていく無力感
それとは、反比例して確固たるものになる想い

それでも、努力は続けよう
今日したいことが、十年後に出来るようになるとしても
十年後にしたいことが三十年後になろうとも

全世界の人が幸せになる道を信じる気持ちだけは、捨てれない


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