君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



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いつだって過ぎ去った後に気づくのさ
僕は、今クリスチャンかどうかの狭間にいると思う
自分としてはクリスチャンでいたい
だけど、押し寄せてくる知識と理性がそれを阻もうと奮闘する
僕はそれを感情で押さえつけて、知識と理性と感情の妥協点を探す

そんなもの、ありえるのかといつも思う
諦めろよ、そうしたら楽だ
だけど、諦めた先に何が残る?
何も残らないから諦めるって言うんだよ

ただ純真無垢でいた時代に、僕は心の底から神様を信じていたのだと思う
だけども、この世を知ってからその世界には戻れなくなった
いや、戻りたくなくなったんだ
だって、僕にはそれがこの世で得た全てのものを否定することになる
それが、僕の死を意味する

新たに生まれ変われと、神様は仰るが
僕は、クリスチャンとしてこの世に生まれ
汚れを知って信仰を確立させた

どこで死ねばいいのかい
どこで新たに生まれなくてはいけないのかい

僕にはキリストを知らない時代なんてものはないんだい
キリストを知らない時代を殺せと言われても、僕にはそんな時代はないんだよ

だけど、よく聞く言葉がある
君は「本当」のキリストを知らないんだよ
ああ、そうかい
今まで僕が知っていたキリストとは違い、それよりもっと素晴らしいキリスト様がいらっしゃると言うのかい

だから僕はあえて言おう
それは君にとってのキリスト様だと
そいつは、僕にとってはちっとも素晴らしくなくて、そして救いですらない
聖霊として、語ってくれる神様が本当の神様だと主張されても
僕は、そんな体験をしたことがない

だから、僕は偽信仰かい?
そんな馬鹿な
はっきりと神の声が聞こえるというのなら、それが男の声か女の声かを言ってみな
ボイスチェンジャーで再現してみな

神様の声は心で聞くものだと主張するのなら
じゃあ、なぜそれが言語化されるのかを教えておくれよ
言語ではない声がなぜ、君は言語化できるのか
そいつを僕に教えておくれ

神様の声を聞いたことがある人はいないとはさすがに僕も言えないよ
だけど、君の心の声を神様の声としたことはあるだろう
だって、そういうときの神様の声は
絶対聖書どおりにしか喋ってくれなくて
とても教科書どおりなのだも

だけど、それを神様の声とし
聖書を絶対の価値観とし
信仰に熱く燃えるものと、ディスカッションを行い
この世の塩として、伝道を行なう

そんなことも好きだったのさ
だけど、今は嫌いなんだ

そうだ、いつだって過ぎ去ってしまって気づいてしまう

僕はクリスチャン 堂々とそう言いたい
だから、そのためにもイエス様を知りたいんだ
ようやく最近想像が出来てきたんだ
僕の中のイエス様が

それは、教会学校でならったイエス様でもなく
パッションの中のイエス様でもない

だけど、それは僕の救いだ
もしそれを偽りというのなら
また、新しく探すだけさ

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愛してるって叫びたいんだよ
この世に生きとし生けるもの全てが、素晴らしく感じるのはおかしいかい
友達に、お前のことを本当に大切な存在だって伝えたいのはおかしいかい
だけど、拒むだろう
そう、誰だって拒む 僕だって拒む

依存されるのが怖いから

何かに依存している人を見るとぞっとするだろう
ドラッグ、アルコール、SEX、ニコチン、対人関係、そしてキリスト

僕は依存されるのが怖い
そして、依存するのも怖い

だから、大切な人に大切だという時に尻込みしてしまう
依存していると思われたくないから
依存していいと思われたくないから

だけど、叫びたいんだ!
愛しているって

だから、自分を成長させなきゃ
依存もせず、依存もされない人間にならなくちゃ
そうしなきゃ、僕は愛しているの一言さえも言えやしない



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クリスチャンブロガーへの6つの質問
「クリスチャンブロガーへの6つの質問」

質問1 「あなたがクリスチャンブログを始めようと思ったきっかけは何ですか?」
こんなクリスチャンもいるんだということを、言いたかったですね
あとは、社会的におかしいことでも聖書にそれを肯定するような文がのっていれば
無条件でハレルヤと叫ぶクリスチャンにちょっと待てよ、と言いたかったらです

質問2 「あなたのブログの特徴・アピールしたい部分を教えて下さい」
とても、反リスチャン的です
僕等は、ガンジーが言った「キリストは好きだけど、キリスト教徒は嫌いだ キリストのようではないから」という言葉を、もっと考えるべきだと思うんですよ
あとは、聖書に対して懐疑的です

質問3 「更新していくうえで、心がけていることがあったら、教えて下さい」
クリックを期待するようなことはすまいと思っています
耳障りのいい言葉を書かないようにはしています

質問4 「ブログを通して神様がしてくださったことって、ありますか?」
特にありませんね
神様は自由意志を与えてくださっている
ですので、生まれた時からすでに神様の祝福は受けています
ブログを書いたといっても特にいまさらなんもありません

質問5 「これから、ブログやネットを通して活動していくうえで、神様に願い求めたいことはありますか?」
この世の理をなぜ、こんなに面倒くさいものにしたのかを問い続ける毎日ですね
なぜ、言語を使ってしかコミュニケーションがとれないのか
テレパシーがあればどれだけ便利なのかと
その意味を探り続けたいと思ってます

質問6 「これからブログを始めてみようかな…と思っているクリスチャンの皆さんに一言」
自分を肯定してくれるコミュニティはとても居心地がいいものです
そこに浸かるか、そこを否定するかはあなた次第です
世界は、あなたのもの
私達は、他人です
ハレルヤとではなく、どうぞ思いのたけを自分の言葉で書いてください
その方がまだ分かり合えます



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この世のありさまを知っているかい
多世界解釈論というのを知っているかい
要するに、この世界は何十にも重なって出来ていて
この世界の僕もいれば、別の世界の僕もいるという話だ
科学的に、この世界観は一応解釈可能ということになっている

不思議な話だ
世界には、神様を信じている僕がいる世界はここだ
だけど、おそらく神様を信じていない僕の世界もあるのだろう
そう考えると、死んだ時に僕はどこへいくのだろうか
「僕」はどこへいくのだろう

他の世界の僕はどこへいくのだろう
魂は一つ?
だけど、世界はいくつも?

こう考えるとわけがわからなくなる
本当は多世界世界なんてないのかもしれないけど
それと同じくらい、世界は複雑で奇天烈な存在だ

人の心もそれと同じ
信じている、信じていない
この境目をはっきりと区別できる人間なんて存在しない

だから委ねる
神に委ねる

そうすれば、神様は僕等に意味を与えてくださる
それが、愛だ

と、僕は思っている



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信仰をやっと取り戻した
この世の価値は全て自分の世界の出来事
他の人には関係がない
僕は、最近そう思っていた
この世の物事に、価値などというものは無く
全て自分がそれを決めていると思っていた

だから、悩んだ
苦しんだ
僕のこの分かり合いたいという想いは無駄なのか
愛したいというこの想いは無駄なのか
全部全部、何もかも確証なんか無くて
今までの想いは無駄だったのか

そう思った

だけど、気づいたんだ
気づかされたんだ

愛するってことは、価値を与えることだ
だから、愛がなければ全てが無価値になる
愛が全てに価値を与えるんだ

愛が無ければ、憎しみさえも価値を持たない
愛が無ければ、無関心すら意味を持たない
愛が無ければ、喜びに価値は無い
愛が無ければ、金もただの神だ
結婚も、友情も、空の青さも、海の広さも、流した涙も、流した汗も、苦しんだ心も
愛が無ければ全て価値を無くす

愛とは、そういうものだ
だから、僕たちは真の愛を知らない
価値を与えることなど出来ないのだから

だから、僕たちは真の愛を知るべきだ
真の愛を見つけるべきだ
聖書に答えを見つければ、真理には到達できよう
だが、愛には到達できない

全てを、理解することは出来ないのかも知れない
だが、諦めを停滞を生み魂を腐らせる

この世を天国にするために

僕は愛を探し続ける
求め続ける
それこそが、僕の信仰だ
やっと、取り戻した


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僕の聞く僕の声は、決して君に届かない
僕は自分の声が嫌いだ
僕が聞く声は好きなのだが、ビデオなどで聞く僕の声はとても嫌いだ
なんだかとても嘘くさい
それが、僕の声を聞いた僕の感想だった

ああ、今までこんな声で人に話していたのか
そう思うと少し恥ずかしくなり、それと同時に怖くなった
真面目な話をしていても、この声じゃ相手に信用されないじゃないか
そう思って、話し方や言葉の選び方を僕は少し変えるようになった

でもそれは、僕が知っている僕が話したい言葉ではきっとなかったんだろう
僕はもっと端的に伝えたいけど、それを出来ないのは知っている
だから、言葉を尽くして話す
君が知っている僕がどんどん、僕から離れていくのを感じた

聖書もこれと同じような問題があると僕は思う
同じ言葉を、聞いたはずなのに皆ばらばらなことを言っている
離縁については結構分かりやすい例だと思う

マルコは 「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通を犯すことになる。
  夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言った

ルカは「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。
  離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる」と言った

マタイは 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。
  不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。
  離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言った

よく読むと、マルコとマタイは言っていることが逆になっている

フィルターがかかっているんだよ
神様の真意はどこにあるのか
神様が聞いている神様の声は僕等は聞くことが出来ない
発した言葉を、僕等の脳で理解して
そして、それを神様の声としているだけなんだ

だから、想像して疑って否定しなきゃ
そうしないと、僕等は結局自分の中の神を信じているに過ぎなくなる


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巡る世界は僕のもの 変わる世界は君のもの
自分の世界はそれぞれの人のもの
僕は、そう考えるようになった
他人の世界と、僕の世界が交わるのか
それとも虚構なのかは分からない

だけど、僕はここにいる
僕の在りどころは確かにある
信じるから、僕はここに存在していると言える

虚しい話だ
信仰でしか、自分と他人との関係を創れない

だから、僕は僕の望みを正直に話したい

優しさゆえに、君を傷つけたくない
   愛ゆえに、君を傷つけたい
優しさゆえに、君の心を壊したくない
   愛ゆえに、君の心を壊したい
優しさゆえに、君を否定したくない
  愛ゆえに、君を否定したい
優しさゆえに、君を肯定したい
  愛ゆえに、君を否定したい
優しさゆえに、君の涙を見たくない
  愛ゆえに、君の涙になりたい

僕の言う事が分かるかい?
分かるはずがない、そう書いているのだから
だから、分かり合うことは不可能なんだ

だけど、僕の世界は巡りめぐり君の世界は変化していく
その中でいつか交われたら、僕の中の愛の歪みを教えておくれ

憂う心は僕のものだ
誰にも渡さない

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君を殴る 僕を殴れ
真実は人それぞれ
この前ブログにそう書いた
でも、これはポジティブな意味合いではないんだ

真実なんて結局のところ人それぞれの勝手な考えであり
それを分かち合うことすら、原理的、論理的に無理だということを
世の哲学者や数学者は証明してしまった

そして、その勝手な考えは聖書にまで及ぶ
「聖書に書いてあるから正しい」
これははっきり言って間違いだ
旧約聖書を肯定するとしたら、虐殺を肯定することになる
律法を肯定するとしたら、女性の人権は消える

歴史に照らし合わせて、その部分は間違っていると言うかも知れない
しかし、それがすでに自分の正に勝手な考えで聖書を改変しているとしか言えないんだ

聖書を文字通り、読むのなら言う事の聞かない息子は殺さなきゃいけないし、献金は十分の一
なにより、神の名の下の殺人は正しい
それを認めよう
聖書がない時代に、人は神から声を直接聞いて虐殺の限りを尽くした
それを認めよう

都合の悪いところは、、イエス様の「律法からの解放」を持ってくる
都合の悪いところは、イエス様の「律法は滅ぶことはない」を持ってくる

昔クリスチャンと話した時
「イエス様は儀礼的な律法は廃止したけど、根本的なところは廃止していないんだよ。だから、この律法は正しいの」
みたいな論理を展開されたな

反吐が出る
聖書に書いてあれば全て正しいわけがないだろう
辻褄が合うように編集され、権威を持たせるために著者もよく分かっていないヨハネの黙示録を入れるやつらが作った本だ。
本物の聖書が何かと言いたいならば、死海文書に残っているものだけを本物の聖書とすればいい

考えるんだ
結局出る結論なんかは人によってばらばらなんだ
真実なんていつも人間の中に入った時点でばらばらになるんだ
分かり合うことすら出来ないならば、せめて争おう
希望を捨てるな

僕を殴れ、僕も君を殴るから

ああ、虚しい
人が分かり合える日が来ることを信じるのは日に日に辛くなっていく
希望を捨てないということはこれほどまでに辛いとは
だけど、自由と信仰を捨てるよりかはまだましだ


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さあ、否定しよう
僕はつい最近まで、否定することが嫌いだった
なにものも誰も人を否定する権利などない、と
僕はそう思っていた
そして、それは正しかった
否定することなんて、きっと神様にしか出来ないのだと

そして、僕はもう一つのことに気がついてしまった
なにものも誰も人を肯定する権利などない、と
自分はどうしても、無力だと

それに気づいた時に僕はどうしようもなくなってしまった
じゃあ、神様に頼るか?
自分にそう呟いた
よくいるだろ、そこから神様に頼るようになった人間が

だけど、それは駄目だった
僕はみんながよく聞く神様の声なんてものは聞いたことがないからだ
そもそもおかしいと思うんだ
神様は一人ひとりに話しかけるらしいじゃないか

だけど、人づてに聞いたことなんてないよ
「神はあなたにこうしろと言っている」
みたいな話を信じれるかい?

そのくせ、自分に語られた言葉は確信を持って言う
そんなもの確かめようがないから
ずるい話だ

僕は今でもまだなんとか神様を信じている
だけど、それもいつまで持つかなんて分からない
君が生きている
だけど、君は生きているのかい?
僕の中の真実は君にも真実なのかい?
仮にそうだとしても、僕等にそれを確かめる術なんて何処にもないんだ

まるで、声も出せない暗闇の中手探りで君を探しているみたいだよ
君はどこにいるんだい?
僕はここにいるよ
この暗闇を晴らしてくれ

イエス様、あなたはどこにいるんですか?
僕はここにいます
この暗闇を晴らしてくれ

死なないと分からないのか
だけど、死んだら終わってしまう
この世で許されているのは自己の確立まで
それ以上は、何も許されていない

人は、いつまでたっても一人だ
死ぬまで、人は一人だ
母親の腹の中、繋がっている時だけ人は一人じゃない
生まれた時点で、僕等は一人だ

だけど、それでも信じたい
僕と君の世界が交わっていると
見えないけれども
声も出せないけれども
触れることさえ叶わないかもしれないけど
僕と君は繋がっているって信じたい

ああ、なんと無力なことだろう
僕がアインシュタインだったら相対性理論なんて作らなかった

嗚呼、神様
これは人間の罪の結果なんですか?
それとも最初から人間をこう作ったのですか?
この暗闇を晴らせるのですか?

教えてください

だけど、この祈りは聞き入れられない
世の科学者が証明してしまったから
この世にまた天才が現れるまで、この闇は晴れることがない

さあ、否定しよう
存分に自分を否定しよう
それすらも虚構なのかもしれないのだから

全てを疑おう
その時だけ、僕は初めて僕になる
この世の疑いのない真実は、この世を全て疑っている僕だけだ

ああ、なんて虚しいんだろう


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信仰があるなら疑えよ
信じることが素晴らしいことだと言うキリスト教会
僕は異論を唱えよう
君は一体何を信じているんだい?

聖書を信じているというだろう
だけど、聖書は真実じゃない
そもそも聖書は編集されたものだろ
トマスによる福音書は?マリアによる福音書は?
カトリックの外伝は聖書かい?

そもそもヨハネの黙示録の言が全ての根拠自体がおかしいだろう
聖書を正しいとする根拠は、聖書にしかない
笑い話にもなりやしない

つまるところ、「信仰」でしかない
それは真実ではない
いや、真実かもしれない
だけど、それは「自分」にとっての真実だけ
他の人には真実ではない
それをまず分かろう

信仰は信仰だ
真実として捉えた時、心が歪む
宗教は、慎重になるべきだ
真実を軽々しく語るべきではない
真実なんて、人それぞれにあるのだから



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心の中の刺々しさを思い出せ
最近、軸がぶれていた
自分の中にある攻撃性、荒々しさ、他人を傷つける力
そういったものをどうにかして否定していた

持って当たり前のものを否定する
それほど危ないことはない
綺麗な水には魚は棲まない
そんな当たり前のことを忘れていた

僕等は、純粋になろうとする
それは純水になることに似ている
心の中の良いものだけを取り出して、他は捨てる
そんな水は、実験に利用されるだけの価値しかないのに

攻撃性の何が悪い
間違っている出来事に対して、ただ見ているだけか
荒々しくて何が悪い
声を大にしないといけないときに黙っている気か
他人を傷つけることが全て悪か
殴られなきゃ分からないこともあるだろう

神様がいるとしたら、つくづく人間を複雑なものにしたものだ

軸をぶれさせるな
僕は、全部持っていく
自分の心の中を否定なんかしない
否定
否定から物事は腐っていく
意味を見つけ出せ
なかったら創れ!


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自分の知能の足りなさに涙が出る
量子論と哲学のことを書いてあるサイトを読んでみた
理解は出来た
理解できたからこそ、反論が出来ない

この世に絶対的な物理法則がない…
感覚の共有すら不可能…

どうやって、他人を理解しろっていうんだ
こんな、こんな難しいのか

クオリアの問題は人類に解けない
ああ…愛すら意味を失う

どうしろっていうんだ
どうしろっていうんだ

信じている、それは間違いない
だけど、どうしろっていうんだ



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僕は神様を信じている
僕は神様を信じている
それは間違いが無い
だけど、僕は信じる理由がある

それは、とてもいやらしくてこの世的な考え方
「幸せになりたいから」
ただ、それだけだ

僕は、人との関係が怖かった
他人を信用することが怖かった

僕は誰からも好かれていないんじゃないか?

そう思っていた時期があった
思春期特有の病と言えばそうかもしれない
だけど、それだけじゃ済ますことが出来なかった

「仲間」

この言葉が憧れで、僕にはとても眩しいものだった

だから、考えた
人間がもし偶然から生まれて、心とかそういうものとかも全て科学で解明されたとしたら
僕はそれじゃあ、人間を信じられない
怖い

愛ってものを信じたかった
優しさだとか、友情だとか、憐れみだとか
そういったものがあることを信じたかった

だから、僕は神様を信じている
神様は人間を神様より少し劣ったものと作ったのなら
きっと愛があるはずだと
きっと優しさだとかそういったものは、必ずあるんだと
僕はそう思った

そして、神様が創ったとしたらそれは必ず意味があると
一人ひとりに意味がある
一人ひとりに価値がある

だから、僕は神様にすがっている
神様が「いる」として生きている

そうじゃなきゃ、悲しすぎる
この世の中が悲しすぎる

無価値な命なんて無い

その答えを未だに神様を理由にしてしか説明できない
それでいいのかどうかはわからない

だけど、神様がいるという考え方は僕を幸せにしてくれる

「仲間」

この言葉を手に入れることが出来たから




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拒まないでくれ、阻まないでくれ
牧師になりたいと一時期思った
そして、今の自分では牧師になれないとも悟った

働いたことの無い人間が何を話したって聞けないよ

僕はそう言われた
ああ、確かにその通りかも知れないな
今の世の中では、人の心に言葉を届けるには壁が多すぎる

じゃあ、働こう
そうしたら、きっと人は話を聞いてくれる
だけど、そうしたらきっと今度は年齢の問題が出てくるだろうな

全ての人と話をすることなんて可能なのだろうか
どうやったら、全ての人と分かり合えるのだろうか

面倒くさい

世の中の人間が全員幸せになればいいのに

それだけなのにな

頼むから、僕を阻まないでくれ運命よ


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自由? ああ、それほど楽しくないよ
よく、僕は「自由だね」と言われる
それは、そうだろう
この世の常識、さらにはクリスチャンの目さえ気にしてないのだから

だけど
自由はそんなに楽しいものじゃない
僕はそれを言いたい

自由
それは、責任が全部僕に来ることを言う
自由勝手に生きている
自由勝手にクリスチャンをやっている

そうすると、どこにいったって非難される
どこにいったって「それは違う」と言われる

クリスチャンにさえ

クリスチャンでさえ依存している
「聖書にこう書いてあるから」
そう言えば自分に責任は無い
聖書に書いてあるから自分は正しい

そう思っている人がいるんだ

その気持ちは凄いわかる
僕もそうだったから
だから、それは間違っているなんて言えない

だけど
だけどさあ

僕は間違っているのかい?
聖書の解釈が違っているから僕は間違っているのかい?

責任が全部来ることは覚悟している
だけど
だけど僕はあなたと仲良くしたいんだ!

考え方が違う!?
徹底的に非難しあいたいんだ!!
お互いの矛盾点を言い合って!!!
お互いが殴りあう喧嘩になって!!!!
そして、もう一度話しあって!!!

そして、分かり合いたいんだ…。

自由?
ああ、それほど楽しくないよ

この世の人とも
熱心なクリスチャンとも話しが会わない

だけど良いよ
僕は自由だから

今はそれでいい


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