君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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リバイバル! リバイバル リバイバル?
僕は、日本でリバイバルが起きるという言葉を聞くたびに違和感を感じる
リバイバルっていうのは、復活っていう意味だよね?

日本でクリスチャンが増えるのはいいことだと僕も思う
だけど、それはもともとキリスト教圏じゃないとこで「リバイバル」って使うのはどうなんだろう

なんか、その土地の文化とか価値観とかを否定しているようであまり好きじゃない
日本が育んできた文化
日本が育んできた価値観
僕はそれが好きだ

もし、国民全員がクリスチャンになって、その価値観が全部変わってしまったらどうなるのだろう?
一致するのが大事とよく言うけど、みんなが同じ方向を向くのは本当にそれは「素晴らしい」ことなのか?

怖い
ただ単純に怖い
クリスチャンがマジョリティになったときが怖い

寺がなくなりそうだ
お地蔵さんが消えそうだ
仏像が壊されそうだ
そして、それが容認されそうでなによりも怖い

日本のクリスチャンが増えるのは嬉しい
だけど、やり方があると思う
育んできた、文化と価値観を壊さないやり方が
リバイバルを願う人たちはどう考えているのだろう

包括的になりたいものです


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君が生きている
「君が生きている」
そのことが何よりも嬉しい
そのことを言いたくて、このブログを書いている

以前、友達に言われた一言が未だに胸に突き刺さる
「あんた、他人を幸せにする前にまず私を幸せにしてよ」
半年間、何も言えなかった
かける言葉が見つからなかった

だけど、最近やっと言える
君が生きていることに感謝する
そう思う人間が確実に一人はいる

そのことを伝えたい
彼女に伝えたい

僕は何も出来やしない
肯定することしか出来ない
だけど、あんたは幸せになれるよ
僕は、そう信じる



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世界は変わる、いとも簡単に
お気に入りのブログの「蜂蜜を弄ぶ」さんの記事に感動した
http://liyehuku.exblog.jp/

だから、今日のブログ超なげえ

高校生まで、僕は福音派だった
正確には、日本基督教団だったかが、考えのそれは福音派のものだった
その時の僕の世界は、色を失っていた

僕は色々なものを否定していた
結婚前にセックスする男女
ドラッグをやる若者
性風俗
AV女優
そして、ノンクリスチャンを

その時、僕は世界が狂っていると思っていた
真実がそこにあるのに、なんでみんな信じないんだ?
そう思っていた
そう思って、他の人を簡単に否定していた
福音派がじゃない
「僕」がだ

その頃は純粋だった
なんの汚れも知らないと思っていた
だけど、大学に入った時から僕はどこかでボタンを掛け違えた

彼女とSEXをした
今まで、自分が否定していた人間に僕はなっていた
心の中には深い罪悪感
それと同時にSEXをしているときの、心からの癒し
そして、彼女から離れている時の何者にも耐え難い孤独感と喪失感

その時期に僕は怪我をして、精神が不安定になった
結果、彼女にも振られ、それと同時に教会も捨てた
当たり前の話だ、僕の心の癒しはもうどこにも無かったのだから

その頃は、世界にいるのが辛かった
この世界が辛かった
夜毎、コンビニにウイスキーを買いに行き、それを飲んで床に就く
最低だった
最低の気分だった

それを救ってくれたのは、キリスト教じゃなくて友達だった
僕が、昔まで否定していたノンクリスチャンの友達
彼らは僕を見捨てなかった
なぜ?
僕には、その頃その理由がよく分からなかった

そこから、僕はゆっくりと立ち直っていった
精神も落ち着いてきた
キリスト教へ立ち直る気も起きていた
だけど、その時に僕に一つの疑問が投げかけられた

「僕を救ってくれた友達は地獄に行くのか?」

そんな馬鹿な
そんな馬鹿な!
彼らは僕等を救ってくれたろう
なのに、なんで
イエス様、彼らの罪は背負ってくれないんですか
あなたを信じていないから
あなたはクリスチャンの罪だけを背負って、死んだのですか
僕の友達の罪は背負ってくれなかったんですか!

そう思ったとき、世界が変わった

そんなはずない
イエス様は全ての罪を背負って死んでくださった
ならば、それはそういうことなんだ
なんだ、そういうことか

ああ、垣根なんてないのか

その時、僕は人の愛を初めて理解したんだと思う
彼女と過ごした時間、過ぎ去ってしまって今はもうない
だけど、その時は確かにあった
友達と過ごした時間、過ぎ去ってしまってしまうかもしれない
だけど、その時僕は確かにそこにいた
僕は、人の中に神を見た
誰もが持っている、優しさ、愛に神を見た
それから、僕は人を否定することはなくなった

友達にも色々な人が増えた
結婚前にSEXをする人
バイセクシャル
ゲイ
レズビアン
性風俗関係者
マリファナを吸ったことがある人
今まで、僕が否定していた人たち
でも、彼らを否定する気にはどうしてもなれない

だって、素晴らしいのだもの
彼ら一人ひとりが素晴らしいのだもの
彼らの生きてきた人生に触れた時、涙が溢れる
彼らと友達になれたことに感謝が絶えない
彼らが友達でいれることが誇らしい

僕の世界は変わった
僕の世界に色がついた
気づかなかった、色が
一人ひとりの色が

僕の世界は変わった
この世界はくだらないものだと思っていた
ぎすぎすしているものだと思っていた
人々は、自分の欲望に身を任せて怠惰な生活を送っているものだと思っていた
だけど
だけど、そんな中でも人を思いやることが出来るから人間って素晴らしいのだと思う
だから、僕は人の中に愛を見出せるのだと思う

ああ、この世界は素晴らしい
人がいればそこに愛がある
この世はどれだけの愛に満ち溢れているのか

もちろん悲しい出来事は色々ある
だけど、それでもまだ信じられる
人の中に愛があると信じているから

世界は変わる、いとも簡単に
自分の心が変われば、世界は変わる
全ての人が幸せに生きれますように
全ての人が愛に目覚めますように
全ての人が手を取り合う日が来ますように
世界が、天国になりますように

そう、祈るしか出来なくなった

だけど

今はそれでいい

愛に触れた瞬間が、確かに僕の中にあるから



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壊したい
たまに、こうなる
目の前にあるものを壊したくなる
壁に穴を空けたい
机を叩き壊したい
テレビを殴り壊したい
人の関節を砕きたい

感情の捌け口が分からなくなると、いつもこうなる
普段は世界平和を考えているはずなのに

自分の体はどこまで出来る?
自分の脳はどこまで、残虐に出来る?
己が磨いてきた技を、実践で試したくないか?
コンクリートに人を叩きつけたくないのか?

なぜ、人の体を壊す技を学んだ

答えは出ている
人を理解するために
ああ、今気がついた
理解がもたらすものは愛だけじゃない
破壊願望も、そうだ

また、一つ遠ざかる
心が神から遠ざかる
自分を知ると自分のことを少し好きになる
そして、同時に自分に反吐が出る
僕自身がパラノイア
じゃあ、どうすればいい?

それを探すために生きているんだ
無駄かもしれないけど
その答えを探すために、生きているんだ
どうでもいいことかもしれないけど
寂しさとか、苦しさとか、無力感、焦燥感にかまっている暇はない
今は、ただ自分のこの感情をあざ笑いたい


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逃げられない
今、僕は就職活動をしています
正直、めんどくさい
早く終わらせたい

そんな中僕は一つの会社の最終選考まで残った
といっても二次までだから、一次を通過すれば最終というところなのだけど
その会社は、なんと創業者がクリスチャン
社是が、「信愛望」で水曜日に礼拝をしてから会議を始めるらしい

僕は、そんなことを全く知らずにこの企業を受けていた
というより、そんなこと知らずに履歴書に小さい頃から教会に行っていたことを書いていた
自分に正直ビックリした

その時僕は
ああ、逃げられないんだな。神様はいつだって僕のこと見てるんだなって
とは思わなかった
やるじゃねえか、神様。だけど、絶対ここよりでっかい企業に就職して見せるからな!!!
僕はそう思った

神様が、僕の運命を決めている?
そうだとしても、違ったとしても運命に身を任せるなんてしない
精一杯あがいてやる


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ゲイとレズとバイセクシャル
僕の友達にはゲイの人がいる
バイセクシャルの人もいる
女性のバイセクシャルも知っている

でも、これって変んな話だ
普通、男性を好きな女性の友達がいるなんて話し方はしない
でも、こうやって話さなきゃいけない理由があるのが悲しい

聖書に男色は駄目だと書かれている
だけど、僕はあえて言おう
ゲイもバイもレズビアンも全然OKだと

旧約聖書には女と寝るように男と寝るなと、申命記に書かれている
なんでだと、考える?
答えは子供が出来ないからさ
その当時SEXは子供を作るだけのもの
そう、それだけのものさ
産めよ、増えよ、地に満ちよ
だけの世界さ

というより、レズビアンのことについては何も書かれていない
聖書が全く正しいというのなら、レズビアンは何処にも罪と記載されていないからOKだ
だけど、これは女性差別の表れだ
女性主体のSEXなんて考えられていなかった時代の話だもの

新約聖書ではパウロが男色と男娼を禁止している
でも、ここでいう男色と男娼とは今でいうゲイじゃない
男娼は、ローマの神殿男娼のことだ
彼らとSEXすれば、神と交わるという概念が当時のローマにはあった
男色は、主に児童を誘拐して性的虐待をすること
パウロはこの二つを禁止したに過ぎない
そもそも、独身主義のパウロに性的なことを相談すること自体間違っている

ゲイの人もバイの人もレズビアンの人も、人を愛す
人が人を求める
これが罪になるというのならば、僕等に生きている価値なんてない

もう一度言おう
ゲイだろうが、バイだろうが、レズビアンだろうが全然OKだ
そして、さらに言おう
聖書にそれらが駄目だなんて書かれていない!
絶対に


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進化論と創造論
まず、このタイトルからして馬鹿げている
進化論と創造論は全くの別物、質的に間違っている
キリスト教徒がよく陥りやすい罠の一つにこの進化論と創造論の問題があると僕は思う

まず、進化論を否定しても創造論を肯定することには全くならない
創造論は他の宗教にもある
進化論は科学の範疇であり、創造論は宗教の範疇
比べること自体、間違っている

アメリカの南部のほうでは、学校教育に創造論を取り入れさせるために活動している人がいるらしい
熱心なファンメンダルな方々だろうけど、彼らは自分のやっていることの危険性に気づいていない

進化論は科学の範疇、つまり「公的」な分野だ
創造論は宗教の範疇、つまり「私的」な分野だ

創造論を学校教育に取り入れようとするのは、私的な価値観を学校に取り入れてもいいということだ
それは、学校の崩壊を意味する
なんて狂っているんだろう

キリストに狂う
これがいい意味で捉えられることが多いが僕はそうは思わない
キリストの名を冠せば、全てがゆるされる風潮じゃなきゃこれはゆるされない
そして、僕はそれを決して許しはしない

僕がチャーチ&ホームスクーリングを否定的に捉えるのもこのことが大きい
彼らは、親と教会でも勉強は充分だというが公的な勉強はどこでするのか?
同じ価値観の人が集まって、その中で過ごさせるのは公的な勉強とは言えない
違う価値観の人と触れ合わなきゃ公的な姿勢は身につかない
彼らが行なっているのは単なる思想の押し付け
言うなれば、私的な考えの押し付けだ
僕ははっきりとそう言おう

逐語霊感説も結構だが、それだけで人生を生きていけたら僕等はここまで苦しまない
ここまで泣きやしない
そして、ここまで笑えやしない

進化論を否定する人達は、地球が太陽を回っているのを否定した昔の教会の人とよく似ている



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パーフェクトビリーブ パーフェクトスタイル
僕らクリスチャンの落とし穴
それは人を「信じている」か「信じていない」かで決めること
だけど、よく考えよう
信じるとは何か

僕の友達はこう言った
「キリスト教とかはよくわかんない、だけど私神様はいると思う」
彼女は無心論者ではない
だけど、キリスト者ではないと言えるだろう

信じることの意味
それは、心をそこに置くことだ
だけど、じゃあなぜキリスト者どうしですら争いが起きるのか
それは何を信じているかが違うからだ

色んな派閥に分かれている
超教派でさえ、条件がある

そもそも人間に100%の信仰は無理だ
いや、100%になるとそれは精神に異常をきたさなきゃ無理な話だ
なぜなら、人間の精神はそう作られているから
健全な人間の精神はどこかで疑いを残しておく
そうしないと、心がおかしくなってしまうから
だから、僕達にはもともと100%の信仰なんて無理なんだ

だからこそ、神様の愛がある
パーフェクトになれない僕等をパーフェクトにしてくださる
じゃあ、次の疑問だ
何%から神様の愛を受けられるんだい?
90%?
80%?
70%?
60%?
50%?
1%?

個人的にはないと思うんだ
だって、神様は愛の方だろう?
1%でも信仰があれば救ってくださる
さっき言ったように100%の無信仰すらない
どこかでみんな神様を信じている
じゃあ、垣根はどこに?

ないんだよ、垣根なんて

神様は愛の方だ
愛は無条件だろ?
神様の愛は条件つきかい?

信仰よりも偉大な愛
愛そうよ
ぜんぶぜんぶ



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君にとっての僕 僕にとっての僕 僕にとっての君
意見の食い違いが最近よく起きる
伝わらない
伝えることができない
僕を独りよがりだと罵る人を見て、僕は君になにがわかるんだいと心で呟く

そんなやりとりが最近多い
僕は幸せになってほしいと、彼らに願う
そして、僕は聞く

幸せってなんだい?
「安定した収入と家族と恋人だよ」

幸せってなんだい?
「今は恋人と一緒にいることかな」

幸せってなんだい?
「金だろ」

幸せってなんだい?
「幸せなんて望んちゃいねえよ」

幸せってなんだい?
「神様と繋がることさ」

答えはバラバラだ
クリスチャンの答えも当てにはならない
だって、今よりもっと神様と繋がっているとき
僕は、心からの幸福を感じたことなんかなかった
幸せそうな人、幸せに生きれる力があると思っていた人と僕は話した
返ってきた答えが僕を驚かせた
「あんた、人を幸せにしたいと願うならまず私を幸せにしてよ」

幸せってなんなんだい
僕はそれは人と人との繋がりの中にあると思う
だって、神様といくら繋がっててもロビンソン・クルーソーは帰ることを望んだろう?
だけど、それだけじゃ足りないのか
それとも、彼らは繋がってないのか
信じれないのか
愛せないのか

僕にはまだわからない
この答えを「神様と繋がっていないから」とはしたくない
それじゃあ、クリスチャン以外が救われない
答えが欲しい
いまさらながらにソロモン王が羨ましい

なんだってなんだってなんだって
僕らは食い違うのか
君の価値観は僕をどう見るんだい?
僕の価値観は君をどう見るんだい?
話そうよ
語ろうよ
分かり合おうよ
そして繋がろう

全部が分かってしまったらつまらない?
僕はそう思わない
相手の全部がわかれば、一心同体じゃないか
なによりも素晴らしいじゃないか

ああ、神様
なんで心に四つの窓なんか作ったんですか
僕らが争うためですか?
それとも僕らが繋がるためですか?

答えをください
僕に
答えをください

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やってしまった感が否めない
今日(昨日)好きな人に告白をした
正直、やってしまった感が否めない
返事の結果は「保留」・・・
期間は今月いっぱい・・・
長いよ!!三週間だよ!!

ああ、卒業間近になってなにをしているんだろう僕は
こんな時に神様に頼りたくなる
だけど、僕はあえて頼らない

正直恥ずかしいからだ
恋愛事の相談を父親に相談するのは中学生までが限界だと思うんだ
だから、僕は神様に頼らない
神様に「恋人をください!」とは祈らない
だって恥ずかしいじゃないか!
いや、本当に!

少なくともあと三週間は地獄だ
さすがにきつい
しかし、三週間後にもっと地獄がまっているかもしれないんだよなあ
ああ、神様
僕にタフな心をください


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チャーチ&ホームスクーリング
以前、僕の教会にちあ日本という団体が来たことがある
チャーチ&ホームスクーリングを推奨する団体だ

チャーチ&ホームスククーリングとは、義務教育の学校に行かせずに家で聖書を基盤とした学習を家と教会で教えるというものだ
正直な話、僕は彼らの話を聞いて、不快感を感じてしまった

まず、子供の社交場を一つ減らしてしまっているという点だ
学校には勉強の他に部活動がある
確かに、教会でもある程度は出来るかもしれない
しかし、本格的に行なうには結局学校に行ったほうが都合がいいと思うのだ
野球が好きでも、チャーチ&ホームスククーリングでは甲子園に出れない

そして、思想の押し付け
僕にとってはこれが一番嫌なものだった
キリスト教は正しい
僕もそう信じている
そう、「信じている」んだ
信じるしかないものを事実として、教える
これは僕にとって我慢がならない

そして、ちあ日本が配布しているビデオに写っていた青年に僕は妙な感覚を覚えた
彼は毎日、学生の通学路に立ち看板を持ちながら立っていた
クリスチャンから見たら、それは素晴らしいことなのかもしれない
だけど、僕にとってそれは「変な人」にしか見えなかった
一般のノンクリスチャンはそう見るんじゃないだろうか

この世は、思想的に偏っている人には厳しい目を向ける
なぜなら、そういう人の多くは人の迷惑よりも自分にとっての真実を大切にするからだ
ビデオに出てた青年がそうだとは決して言わない
しかし、彼はそういうことが分からないのだと思った

この世を知らずに生きてきた人
彼らは、この世を生きてきた人になんと言うのだろうか
僕を見てなんていうのだろう
酒の席で馬鹿騒ぎする僕を見てなんて言うのだろうか
未成年の時から煙草を吸っている僕になんて言うのだろうか
結婚前にSEXをする僕を見てなんて言うのだろうか

僕もクリスチャン
彼らもクリスチャン
だけど、彼らとキリストを語れる自信が無い

正義の反対は悪なんかじゃない
また、別の正義だ
この世が悪だというのなら、ちあにっぽんは正しいのだろう
だけど、この世にはこの世の正義がある
それを理解しなきゃ始まらない
そして、それを理解するためにはこの世の人と食事を共にし、語らなければ分からない
そう、イエス様がそうしたように

「クリスチャンは世に出て行かなければならない」
その言葉の真の意味
それは伝道だけではなく、この世の人を理解する目的も僕はあると思う


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痛む胸を隠さない
悲しみとか、苦しみとか、辛さとか、やるせなさとか、無力感だとか
僕はそれらを拒否しない
したくない

それら全てが僕を削る
僕を痛めつける

だけど
嬉しさが、楽しさが、幸せが、達成感が、効力感が
僕を大きくする

どちらが欠けても
僕はいびつな形になる
二つが合わさって僕はようやく僕は丸くなれる
そして、ようやく僕は人を愛せる

全てを受け入れるとはそういうことだと思う
だから、僕は何者も否定しない、したくない
全てを肯定した時に、ようやくイエス様の言いたいことの一片が分かってくる

なんで、こんな風に神様は僕を創ったのか
分からない
この世は分からないことばかりだ

それが悔しい、そして楽しい


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気づいたら悪党だった
今回はあまりキリスト教は関係ないけど
少し落ち込む出来事がありました

友達と色々な事情があってうまくいってなかった
双方に多分言い分がある
そう思って僕は何も言わなかった
彼との距離をとっていた

気づいたら周りで僕が悪党扱いになっている
なんでだろう
そこまでひどいことをしたのかな
感情にまかせて、言った言葉もあるけどなぜそれが広まるのか

なぜ、僕の先輩まで僕を攻め立てるのだろうか
色々あるんだよ、事情が
なんで僕を攻め立てる
なぜ、僕が悪党に?

まあ、いいや
そういう時もあるさ
悪党でないとは言わないさ
分かってくれとも言わない

とりあえず、今僕が悪者になっておけばすむ問題らしい
誤解を解くには人を傷つけなければいけない
どうやら僕は聖人君子にはなれなかったらしい

少し、落ち込む
少し、胸が痛い
だけど、ただそれだけだ




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